備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム216.金剛童子と燧岩(その1)

2009-10-10 00:39:44 | Weblog
金剛童子と燧岩(こんごうどうじ と ひうちいわ)。
場所:岡山市東区瀬戸町南方。国道2号線「吉井」交差点から県道252号線(万富吉井線)に入り、約5km。駐車場があるが、普段は閉鎖されている。「金剛童子」の扁額がかかった鳥居(写真上)付近に1~2台の駐車スペースがあるほか、鳥居を通って拝殿の前などにも駐車スペースがある。
「金剛童子社」を中心に、3つの谷が集まる「三谷公園」として整備されている。この辺りは、吉井川が大きく湾曲し、岩山がせり出した難所で、高瀬舟の安全を祈願して船頭らが船霊(ふなだま)様を祀った。天正年間(1573~1591年)に三谷山の山上に祠を移した(このころ、備前福岡の妙興寺の僧が「金剛童子」と名付けたという。)が、後に村人が境内の木を切ったところ、山が鳴動したので、現在地に祀り直したとされる。
「金剛童子」の正体がよくわからないが、多分、庚申信仰の本尊である「青面金剛(童子)」のことだろう。「青面金剛」は道教の神とされるが、仏教(密教)・修験道・陰陽道・神道・民間信仰などと複雑に習合しているため、これだけで1冊の本になるくらい面白い存在だが、ここではこれ以上深入りしない。
ところで、「青面金剛」像には三猿を伴うことが多く(庚申(かのえさる)だからか?)、これが猿を神使とする「日枝神社」(ひえじんじゃ)と結びついたようだ。この「金剛童子」も「ひえ神様」と呼ばれ、これが「冷え」(腰から下の病気一般。性病なども含む。)の神様となったらしい。明治維新までは、神戸などの花柳界にも信者がおり、男根形なども多数奉納されていたという。明治に入り、淫祠邪教の類と見做され、男根形などは撤去された。その後、「童子」の名から、子供の守り神として信仰され、内田百も子供の頃、祖母に連れられてよく参ったという(境内に句碑がある。)。
さて、三谷公園の「金剛童子」から北へ出れば瀬戸町万富で、周辺には「阿保田神社」「堰爪神社」「神時神社」などがあり、西の山を越えれば瀬戸町肩背に「雨垂布勢神社」「神神社(御崎宮)」、南には「柴狹神社」「石津神社」などの古社が多く存在する。
「金剛童子」自体は中世以降だろうが、この場所も神がいる場所として古くから知られた場所だったのではなかろうか。それが、三谷の山中にある燧岩なのだが、以下、次項で。


岡山市のHPから(瀬戸地域の観光情報:三谷公園金剛童子):http://www.city.okayama.jp/seto/etcland/midokoro/work05.html#a01


写真上:「金剛童子」鳥居


写真中:金剛童子社拝殿


写真下:拝殿の背後の神殿。下に三猿(見ざる言わざる聞かざる)ほか全部で5体の猿の石像が置かれている。

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