備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム256.鳥人幸吉の墓(その2)

2010-11-01 19:55:59 | Weblog
鳥人幸吉の墓(ちょうじんこうきちのはか)。
日照山光明院大見寺(にっしょうさん こうみょういん だいけんじ)。場所:磐田市見付2510-1-1。JR「磐田」駅の北、約2km。磐田北小学校の南側。駐車場あり。
日照山光明院大見寺は、浄土宗の寺院で、知恩院末。本尊は阿弥陀如来(運慶作と伝える。)。ここにも、鳥人幸吉の墓がある。
世界で最初に飛翔した「鳥人」幸吉は、生まれ故郷の備前国を所払い(追放)となって、駿河国の府中(駿府、現・静岡市)にやってきた。備前国の雑貨を扱い、また入歯師として成功したが、50歳を過ぎて、再度飛翔を試みたといわれる。一説には、安倍川岸から(静岡)浅間神社前まで、あるいは賎機山頂から建穂寺(式内社「建穂神社」別当寺)までの約3kmを飛んだともいう。しかし、また、これにより駿府も所払いとなり、見附宿(現・磐田市)で飯屋を開いたという。幸吉の晩年はよくわかっておらず、駿府で亡くなったとも、見附宿で亡くなったともいわれている。
磐田市での墓は、旧・見附宿本陣に近い大見寺にあり、同寺の過去帳によれば、弘化4年(1847年)の頁に「備前屋幸吉」の名があるという。一方、墓地には「浮田氏」と刻された墓があって、鳥人幸吉の墓とされるが、側面に「嘉永四辛丑歳」と刻されている。嘉永4年は1851年に当たるが、干支は「辛亥」である。寺の見解では、過去帳により、幸吉の享年を弘化4年(1847年)としている。このように、結局、幸吉の最期の様子ははっきりしないのだが、磐田市で亡くなったとするなら、結局90歳以上まで生きたことになる。これも稀有な人生だったと言えるだろう。

参考文献:川原崎次郎「静岡奇談 鳥人・幸吉と市蔵」(「歴史研究第442号」)


静岡教区浄土宗青年会さんのHPから(大見寺):http://www.jodo-ss.com/2010/09/145.html

いわた市民活動センターさんの「磐田のお宝見聞帳」HPから(浮田幸吉):http://otakara-iwata.net/index.php?FUNC=Detail&Id=162


写真上:「大見寺」


写真中:「鳥人幸吉の墓」表側


写真下:同、裏側