予定外のベルン経由ルツェルン行き♪

2018年07月02日 | スイス2007
ラ・ショウ・ド・フォンのMIGROSで遅い昼食をとったとき 来た時と違うルートでチューリヒへ帰ることに決めました。
敢えて山や湖など【山紫水明のスイス】じゃないところを選んだ旅ですが、やっぱり少しは見て帰りたい。
チャンスはこの時しかありません。翌日は朝から空港へ向かうので。
早速ラ・ショウ・ド・フォンの観光案内所で、インターラーケン~ルツェルン経由チューリヒ行きの電車の時刻を調べてもらいました。
それによるとかなり時間がかかり しかも本数が少ないためにチューリヒ到着が夜遅くになるとのこと。
すでにお昼をだいぶ過ぎておりどうも無理っぽい。
風光明媚な観光路線なのですが泣く泣く諦めました。
そしてインターラーケンが駄目ならベルン~ルツェルン経由は?と調べてもらったら 何とか夕方には到着するとのこと。


・・・という訳で車窓からですがべルンです。




その後ルツェルンへ。
初めてスイスへ来た2004年以来です。あの時はカペル橋を歩いただけでした。←時系列の関係でこんな表現になってます。いずれアップする予定です。
今回は【ライオン記念碑】へ行くことになりました。
私はそれがあることすら知らなかったのですが、夫がいつ調べたのやら妙に詳しくて
何だかおかしくなりました。
なぜっていつも“乗り気じゃないけど付き合って旅行しているふり”なのに、観光ポイントはしっかり押さえているから(笑)
実は楽しみにしているんですね。素直に言えばいいのに(笑)

ラ・ショウ・ド・フォンに比べてルツェルンの賑やかなこと。
観光地だけあって大きなホテルやレストランは建ち並んでいるし、ルツェルン湖岸も人と車がひっきりなしに通ります。



向こうに見える山はたぶんピラトゥス山。
湖畔に佇む女性・・・私じゃありませんよ念の為(笑)。え?わかっているって?



人懐っこい白鳥たち。
エサが貰えると思ってか寄ってくるんですよ。
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昔はジュラシックパーク?~ジュラ地方♪

2018年07月02日 | スイス2007
時計博物館から駅へ行く途中に入ったMIGROS。
スイスではCO-OPと同じくらいよく見かけるスーパーです。
壁の時計ですが、時計の町だけあってとても大きいんですよ~。






ところでラ・ショウ・ド・フォンはフランスとの国境に近いジュラ地方にあります。
ジュラといえば・・・そう中生代のジュラ紀。
ジュラ紀は現在よりも暖かく降水量も多く湿度も高かった。
そのため動物、植物はともに種類が増え大型化していった。
植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。
またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。
海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。
始祖鳥が現れたのもこの時代である。
ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。
また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。
                        (Wikipediaより)



中生代のジュラ紀の語源となったジュラ山脈はスイスとフランスの国境をなす山脈で
太古の昔繁栄した恐竜の化石が見つかったところです。
車窓から見えるのは緑鮮やかな草原となだらかな丘陵。
この辺りを大きな恐竜が映画のように のっしのっしと歩いていたんでしょうか。
ロマンですねぇ~。
遠い昔の学生時代にほんの少し習った記憶がありますが
教科書に載っていた土地を見られるなんて感激~♪

なだらかで平和的な(?)地形ですよね。









断層がくっきりと見えます。


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