山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

大会の位置づけ

2009-04-30 09:50:53 | Weblog
 100kg超級の代表に棟田選手が選出された。昨日行われた全日本選手権2位という結果を受けて、強化委員会で決定された。

 新聞等の報道を見る限り、これまでの実績から高井選手、棟田選手のどちらを選ぶかという選択であったようで、大きな差はなかったが決勝戦まで駒を進めた棟田選手が選出されたということだった

 今や柔道は国際スポーツであり、国内で勝つことはもちろんだが、世界で勝てる実力が代表選考においては不可欠な要素であることは理解できる。しかしながら、北京以降に行われた国内、国際大会の結果も踏まえてみて見るとどうもわかりにくい部分がある。以下、ざっとこの階級の大会での成績を挙げてみた。*は国内大会

講道館杯*    優勝 加藤光将(愛知県警) 2位 佐藤武尊(了徳寺学園)
嘉納杯      優勝 高井洋平(旭化成) 2位 棟田康幸(警視庁)
世界無差別選手権 高井、棟田・・・2回戦負け
トビリシ大会   3位 立山広喜(日本中央競馬会)
パリ大会     出場者なし・・・棟田、高井が出場を辞退
ハンブルグ大会  3位 棟田 高井・・・2回戦負け
ブタペスト大会  2位 上川大樹(明治大学)
選抜体重別*   優勝 高橋和彦(新日鉄) 2位佐藤武尊
全日本選手権*  2位 棟田 3位 生田、立山

 調べてみて気がついたのは、講道館杯で優勝、2位のいずれの選手も嘉納杯を含めていずれの国際大会にもチャンスを与えてもらっていないことである確かに講道館杯に高井、棟田が欠場していたので「勝っても評価に値しない」ということなのだろう。しかし、嘉納杯は日本から4人出場枠がある大会である。4人の中にでも講道館杯の優勝者が選ばれないというのであれば、この大会の価値はどこにあるのだろうか?また、国際大会にも選ばれないということは、はじめからチャンスがないと言っているのと同じである

 また、これだけ層が薄くなってしまった重量級であるにも関わらず、パリ大会には選手を派遣していない。確かに、予定していた棟田、高井両選手が直前に怪我をして出場を辞退した経緯はわかるが、重量級は減量の必要もないのだから、急遽選考しても問題はないはずである。敢えて言わせてもらえば「誰を行かせても勝てないのはわかっている」しかし、だからこそ、可能性のある選手にチャンスを与えて「我慢して育てていくことが何より大事」ではないか日本以外のどの国をみても、日本ぐらい粒ぞろいの選手がいるところはない。以前にも書いたが、日本はそういった「金の卵」たちを本気で育てているとは思えない、見えない

 さらに強化が見込んで国際大会に起用した選手達は選抜体重別では結果を残せなかった。彼らは本当に鍛えられているのだろうか?

 これまでも100kg超級だけは、選抜体重別後に選考せずに全日本選手権をみての選考である。単純な疑問だが、なぜ重量級には2度のチャンスが与えられるのだろうか?また、講道館杯や選抜体重別のこの階級の価値はどこにあるのだろうか?今年の選抜体重別の優勝、2位の二人は全日本選手権に出場していない(地区予選敗退)。本気で全日本選手権を選考の対象に位置づけるのであれば、せめて体重別選手権出場の選手は全員、推薦で出場させるべきだろう。

 全日本選手権は、講道館試合審判規定なので、これが微妙に勝負に影響している面もある。今回、棟田選手が何度か場外に逃れるといったケースがあったが、審判は「反則」を与えなかった。現在の国際ルールであれば場内外の判定はおおらかで今回の棟田選手のケースも許される程度であった。思うに、審判は国内ルールと国際ルールが曖昧になっている部分もあるのではなかったか?また、棟田選手が負傷によってドクターを呼ぶシーンや休むシーンが見られた。これも、国際ルールでは見られないシーンである

 言いたいことは2点。一点は、国内大会の意味と価値をしっかりと示してもらいたいということである。国内ランキングをつくることは難しくとも、結果を残した選手を正当に評価してあげる必要はあるはずで、それが全体のモチベーションアップにつながるはずだ

 もう一点は、全日本選手権は世界選手権、オリンピックの選考の対象から除外するべきだと思う。無差別で競っていること(現在の世界選手権、オリンピックには存在しない階級)、国際大会とは違うルールで戦っていることなどから、選考の対象にするのは無理がある

 全日本選手権は、日本柔道にとって特別の大会である。過去にも多くの名勝負、伝説を生んできた。今大会も斉藤制剛(旭化成)選手は準々決勝で棟田選手と対戦し、気迫溢れるすばらしい戦いを見せてくれた。女性の私から見ても全日本で戦うことは男のロマンなのだと理解できる。だからこそ、この神聖な大会を選考会のひとつにしてしまうことは、様々な思惑が交錯したり、代表選考の裏側などが見えてしまっ興醒めしてしまい、本当に残念だ

 さらに決勝はどちらかが技あり以上のポイントを取るまで無制限でやらせてほいい。剣道の場合はそうである。日本のその年の最高峰の選手を決めるのが判定ではあまりにも情けない。昨日の決勝戦も、それまで攻め続けていた穴井選手が棟田に「注意」がいった途端に守りに入るシーンがあった。それまでの戦いぶりがよかっただけに最後まで攻めて欲しかったというのが多くの人の感想だったに違いない。これは、穴井選手がというよりはルールが問題なのだと思う

 国内外問わず大会が多くなっているだけに、それぞれの大会の位置づけ、意味、価値をしっかり示していくことは重要だと考える。また、日本柔道は他の国とは違って、オリンピックや世界選手権が最高でなく、全日本選手権で勝つことだけを目指す選手がいても良いのだと思う


がっかりの決勝戦、がっかりの選考

2009-04-29 23:16:02 | Weblog
 今年の大会は役者不足で盛り上がらないのでは?と思っていたが、開けてみればやはり全日本選手権の伝統を継ぐ重みなのか、一本勝ちも多く、好試合が展開された例年よりも中量級の選手が頑張っていたことが、無差別級の大会にふさわしい盛り上がりを演出していた

 「やっぱり全日本は特別。役者はいなくても見るべきものがある!」との思いを壊され、がっかりさせられたのが決勝戦だった

 穴井対棟田、どちらが勝っても初優勝ということで、いずれも譲らぬ好試合が期待された。しかし、始まってみたら棟田選手が準決勝で痛めたのか、穴井選手の攻めに突っ伏したり、起き上がるのに時間を要したり・・・

 棟田選手の持ち味は、重量級としては長身ではない体で相手と密着して思い切った技を仕掛ける、返すといったところである。ウィークポイントは、受けが強いことがあるからか、攻めが遅いことと、痛みに弱いのか、どこかを痛めて試合を中断するのが目立つところだ。とくにここ数年は、持ち味よりも悪い部分が目立つ。本人は一生懸命やっているのだろうが、見ている人には伝わってこない

 穴井選手は対照的だった。初戦から豊富な練習量を裏付けるようにポイントを先行されても攻めて攻めて攻め抜いて勝ち上がった。決勝戦も棟田選手の「のらりくらり」とは対照的に、つねに前に出て攻め続け、勝ちへの執念を感じさせた

 決勝戦では、会場のほとんどが穴井選手を応援していたのではないかと思われる。穴井選手を応援するというよりは、棟田選手のふがいなさへの抗議があったようにみえた

 全日本選手権は、日本男子選手にとって、世界選手権やオリンピック以上に価値のある大会といわれる。その頂点を決める試合があまりにもお粗末だったこれが今の柔道の現状なのかと情けなくなった棟田選手が怪我で足を痛めたことはわかるが、「覇気のなさ」はいかんともしがたい。会場からは「痛いならやめろ」という声まで跳んだ。通常の場合、観客はけが人に対しての方が同情的になるものだが・・・。

 大会後に行われた強化委員会で100kg級の世界選手権代表は棟田選手に決まったようだ。確かにこれまでの実績ということで選べばこういった選考もあるのだろう。しかし、こんな選考をしている余裕が今の日本男子重量級にあるのだろうか?

 先に行われた選抜体重別選手権で棟田選手は準決勝一本負け、今日の大会でも準々決勝、準決勝は、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。怪我の影響もあるかもしれないが、棟田選手の力が以前よりも確実に落ちていること、練習が十分にやれていないことは明らかである

 どうせ負けた選手を選ぶのであれば、なぜ若い選手を抜擢しないのか?3年後のロンドンを見据えたならば今年は守りの選考の必要は全くない。また、厳しいことを言うようだが、今日の棟田選手の試合は日本代表として日の丸を背負うに値しないように思う。今日だけであったのであれば、怪我の影響とも言えるが、ここ数年、何度となく無気力とも思える試合で応援してくれる人たちをがっかりさせてきたか

 今日の試合を見た限りでは、棟田選手はしばらく練習はできないだろう。若い選手を選ぶということは、これから大会の日までの伸びシロに期待が持てる穴井がそうであるように、若い選手達の向かっていく力は想像以上に大きい。穴井選手が鈴木選手に背負いで一本勝ちすると誰が想像しただろうか?これが伸び盛りの選手の勢いだそういった若い選手はチームに勢いも与える

 篠原ヘッドコーチがどう考えての選考であったかわからないが、ここで思い切った勝負の選考ができなかったことが「あの時に・・・」と悔いることにならなければいいが・・・

全日本選手権

2009-04-27 08:42:36 | Weblog
 29日に行われる全日本選手権は、例年になく盛り上がっていない。一番の原因は役者不足ということだろうか?

 昨年は、井上、鈴木、棟田、石井という錚々たるメンバーがオリンピック代表権をかけて戦った。柔道家ならずとも興味を引かれたに違いなく、おおいに盛り上がった

 ふと考えると、今年も引退した井上を除いて、鈴木、棟田両選手は出場する。ここにもし今年も石井が出場していたら・・と考えてしまう。現在の男子柔道が盛り上がりにかけるところは石井というある意味でスターだった選手をなくしてしまったところが大きい

 彼は北京五輪で金メダルを獲得した後、総合格闘技へと転身した。揉めている最中にも感じたことだったが、柔道界として彼を引き止める努力が必要だったと思う。北京での男子の成績は金メダル2個(内柴、石井)で、後はメダルなしという惨憺たる結果であった。石井選手の金メダルの価値は、とくに日本柔道が重きをおく重量級であったこともあり、非常に高いものだった

 確かに金メダル獲得後は「暴言」「珍言」「迷言」を繰り広げ、オリンピックチャンピオンの品格を問われる部分もあったが、大きなプレッシャーの中で若干22歳の青年が舞い上がってしまったことは十分に理解できる。私自身の彼の言動にはインタビュー等で厳しい発言をしてきた。しかし、注意したり、指導したりすることと「見放す」こことは違う

 彼が総合格闘技への転身を匂わせたときの柔道界の態度は指導するというよりは「見放す」に近いものがあったように記憶している。もしあの時、柔道界の重鎮と言われる人が上から目線ではなく、金メダリストへのリスペクトの気持ちを持って熱心に慰留していたらどうであっただろうかと、考えてしまう

 私個人の考えでは、総合格闘技と柔道を両立することは難しいが、1~2年プロとして活動した後、再び柔道でオリンピックを目指すということも可能だと思う。人間は食べていかなければならず、誰もが職業を選ぶ。柔道にプロがない以上、総合格闘技という職業も一つの選択肢であろう。それをことさら悪いことのように扱うのは今の時代にそぐわない

 そうやって考えてみた時に、石井同様にプロ格闘家へ転身した吉田秀彦や小川直也といった人たちを思い出した。彼らは共に柔道場を立ち上げ、子供達を中心に柔道の普及・発展に貢献している。柔道場などで儲かる訳もなく、持ち出しの方が多いはずである。つまり、こういった活動は彼らの純粋な柔道への愛情、情熱に他ならない

 最近、少年柔道の大会に行くと、小川君や古賀君が普通に子供達に付き添って熱心に応援している姿を見かける。こういった柔道への情熱を持った指導者をいまの柔道界は活用しきれていない。小川、吉田、古賀といった年代は、ばりばり強化で活躍していなければならない。彼らは接してみればわかるが、カリスマ性があり、求心力をもっている

 もちろん、全柔連の強化スタッフに入れることには抵抗があるかもしれないが、活用の仕方は考えればいくらでもあるはずである

 柔道界は保守的、封建的であり、閉鎖的である。もちろん守っていかなければならない伝統もしきたりもたくさんある。しかし、それ故に狭い世界に閉じこもってしまっては発展はのぞめない。柔道界がもっと寛容の精神をもって臨めば、柔道はもっともっと盛り上がる可能性を秘めている

 今年の全日本が役者不足であるなら、今の柔道界も役者不足といえる。少し顔をあげて世界をみれば多くの優秀な人材が柔道関係者にはいる。その人たちを生かす柔道界の度量の大きさがほしい

新しい体制への期待

2009-04-23 23:25:18 | Weblog
 近代柔道5月号を見ていたら「全柔連新会長に上村氏」という記事が載っていた

 読んでいくと、嘉納前会長(館長)の「上村氏を選んだ経緯」、上村新会長(館長)の目指していくものなどが簡単にインタビュー形式で紹介されていた。

 個人的には、このブログでも述べてきたように講道館館長と全柔連の会長が職を兼ねるということには反対である。しかしながら、結果的には今まで通り、両団体の長を一人の人間が兼ねることになった

 この結果を踏まえて、今、新しい体制に期待することは、「改革」である。嘉納前会長がその名前からなのか、背負わざる得なかったこと、守る姿勢を崩せなかった部分は理解できる。しかし、国際的にも守りでは太刀打ちできない今だからこそ、世襲ではない思い切った人事に踏み切ったのだと思う。

 それでは新会長、新館長は、どのような改革をしてくれるのだろうか?まず、残念に思うことは、就任してからこれまで「所信表明」なるものが示されていないことだ。私を含めて、今回の人事の結末を新聞の短い報道で知った人は多いと思う

 いつかはあるだろうと期待して待っていたが・・・。選抜体重別選手権の挨拶、先日行われた皇后杯、いずれにおいても通り一遍の大会に対しての簡単な挨拶であった新会長になって初めての大会であれば「この度、新会長に就任し・・・、こんなことを変えていきたい、実行したい」という話があってしかるべきではなかったのだろうか?そんなことを期待していたのは私だけなのだろうか

 講道館、全柔連のホームページもチェックしてみた。講道館発行の雑誌柔道5月号も見てみた。驚いたことに、いずれにも館長、会長が変わったことに触れていない広報は怠慢といわれないのか?雑誌柔道には、編集後記?雑誌の最後に簡単に触れられているが・・・。こういうときにこそ、巻頭言に新会長の言葉がなくてどうするのか?近代柔道に載っていて雑誌柔道に載っていないというのは、どちらが講道館の機関誌なのか?

 近代柔道のインタビューからは、新会長の思いの一端が述べられている。「全柔連では強化、講道館は正しい柔道の継承発展」「日本の発言力を高め、内外に発信していきたい。これからは面白くエキサイティングな柔道で『一本』を取る柔道の提案に力を入れていきたい」

 私が知りたいのは、ありきたりの言葉ではなく、これまでの体制から何を引き継ぎ、何を変えていきたいのか、具体的には何をやっていくのか?という点である。おそらく、会長の頭の中にはあるのかもしれない。しかし、何かを通して語られなければ伝わらない。柔道、講道館を支えているのは国内外を問わず多くの柔道家である。その新しいリーダーがビジョンを示すことは重要である

 29日には男子の全日本選手権が行われる。国内では最も歴史があり、権威のある大会である。おそらく、この時に私たちに向けてメッセージを用意しているのだろう。今年の全日本はチケットの売れ行きが悪いというが、試合はともかく、新会長の「所信表明」を聞けるとなれば全国から大勢の柔道家が集まるに違いない

 講道館、全柔連とも会議では満場一致で上村氏を承認したと聞いている。錚々たる重鎮が選んだのだから、間違いはないのだろう。おそらく、そういった会議の場では評決の前に、上村氏の決意表明なり、ビジョンが示されたに違いない。柔道界の未来を担うリーダーを選ぶのだから当然だろう。残念ながら、会議の中のことは私たち下々には漏れ聞こえてこない

 期待しているからこそ「新会長の決意、思いを直に聞きたい」と考えるのは私だけだろうか?

皇后杯 全日本女子柔道選手権

2009-04-20 08:18:54 | Weblog
 昨日は、横浜文化体育館にて皇后杯全日本女子柔道選手権大会が行われた。結果は塚田真希選手の優勝(8連覇)となった

 体重無差別、講道館試合審判規定で行われるこの大会は、29日に行われる男子の全日本選手権大会と並んで権威のある大会である。しかし、男子のそれに比べると観客も少なく、地味な印象を受ける

 女子の大会は体重別選手権から始まって、無差別のこの大会が後付けであったこと、男子のように瞬発力のない女子の場合は、体重が優位に働き、小さいものが大きいものを倒す醍醐味がみられにくいなどの理由から一般的な関心が低いといえる

 しかしながら、もう少し何らかの工夫をして大会を盛り上げることは可能なのではないかと思う

 例えば、昨年の嘉納杯では観客へサービスの一環としてメダリストが握手会を実施した。これは予定になかった事だが、広報委員のアイデアで急遽実施され、大好評であった。今大会も大会には参加しないメダリストや世界選手権の代表などが多く観戦していた。そういった選手を活用することは可能である

 また、テレビの関係で少しずつではあるものの、試合の合間に休憩時間があったので、そういった時間をうまく利用して何かできないものか?「形」の演武は行われたが、現在は形の世界選手権もあるのだから、どういった部分で評価されるかなどの説明があっても参考になる。「柔の形」などは静かな音楽とともに行うのもよい

 子供と親を集めるという事なら、前座試合なども面白い。小学生あるいは中学生の試合を行えば、その子供達、親は終わった後も当然観戦していく。また、全日本の選手と同じ畳で戦えたことは大きな思い出になるに違いない

 何かをすることは大変だとは思うが、お金や時間や準備が少なくてもアイデア次第でできることはあると思う。また、見に来てくれる人たちへのサービス精神を主催者側、つまり柔道が考えているかどうかである。自分たちでアイデアがなければ一般の人からアイデアを募ってもいい。来年は、女子の最高峰を決める大会にふさわしく、もっと盛り上がった大会になることを期待したい

 盛り上がりといえば、会場には選手達の所属企業の応援団がきて、そろって応援するという光景が見られる。リーダーがいるようでその人のリードで「いけいけ塚田、頑張れ頑張れ塚田」などと声を合わせて声援を送る。大会会場に駆けつけ、応援してくれることは大変ありがたいことだと思う。しかし、気になったのは、試合中、ずっと「いけいけ、頑張れ」と連呼されるのを聞いていると、柔道の応援としてはいかがなものなのだろうかと・・

 始まるときや合間に何度かなら良いが、ぞうでないと真剣に試合をみようという人には少し耳障りな部分もある。また、応援してくださる方にも、連呼しているよりもじっくり柔道を観戦してもらいたいとも思う。それぞれ考え方はあるだろうが、バレーボールなどにみられる「頑張れ日本」の大合唱も私はあまり好きではない

 柔道は国際化、競技化されたといっても武道である。研ぎすまされた空気の中で音というのは重要な要素である。しんと静まり返った中、選手の足さばきの音、息づかいが更なる緊張感を演出する。剣道は拍手のみの応援である。そこまでいかなくとも、柔道には柔道の応援スタイルがあってもいいのではと思った

 塚田選手は今大会、例年になく気合いが入っていた。先に行われた体重別の決勝で杉本選手に敗れたことが大きかったのだと思う。今大会も準決勝でこの対戦があったが、これが事実上の決勝戦だった。塚田選手が勝ったが、杉本選手もこれまで以上に向かっていく姿勢があり、好試合が展開された。長年、この階級を牽引し、塚田選手のライバルであった薪谷選手が昨年引退し、この階級は塚田選手の独走状態となっていた

 どんなに気持ちの強い選手であっても長年競技を続け、実績もあげてしまえばモチベーションは下がる。塚田選手は北京の銀メダルをリベンジするためにロンドンを目指すというなかで、国内にライバルがいることは更なる進化を遂げるための大きな条件である。そういった意味では杉本選手の存在は大きな意義がある

 男子に比べて女子が勢いがあるのは、各階級に2人ないし3人の実力者が揃っており、競い合っている構図がある。ライバルは敵ではあるが自分を高めてくれる存在でもある。一流の競技者は皆一様に負けず嫌いである。とくに女性は、表には出さなくても負けず嫌いの気持ちが強い

 29日に行われる今年の男子全日本選手権のチケットの売り上げが芳しくないという噂を聞いた。昨年の井上、鈴木、棟田、石井といったライバル対決があった昨年と比べると今年は見劣りがするということなのだろうオリンピックの翌年にはこういった事態がおこりやすいが、逆に言えばそういった時に新しいスターが出てくるチャンスでもある。最近勢いのない男子が、加速するためにも新たなヒーローの出現が待たれる。今年は勝てなくても、将来を感じさせる逸材がみられることを期待したい

情熱だけでは難しい現実

2009-04-15 13:35:44 | Weblog
 前回紹介した「ひのまるキッズ柔道大会」は参加費一人2千円をとっておこなった。参加費を徴収するのは少年大会では珍しいらしく、様々な反応があったという大会後には参加者達は、「お金を払ってもきてよかった」と満足げに帰っていった

 柔道は長い間、指導を含めてボランティア的な感覚が定着している。日本におけるスポーツ全般そうである。確かに多くの子供達により多く親しんでもらおうという普及という面においては大事なことかもしれない

 しかし、今後の柔道の健全な普及・発展を長期的に考えた場合には考えていかなければならない問題が多くあるように思われる

 ⑴柔道の価値をあげる
 テニス、サッカーなどのスポーツはもちろん、ピアノや英会話、塾など様々なお稽古ごとに子供達は通っている。これは都会でも地方でも同様の現象であると思う。これらのものと同じだけ月謝を取る必要はないと思うが、あまりにも’安い’というのも問題だと思う大会の参加費も同じで運営を考えればタダはあり得ない。今時、どこに行って何をしてもお金がかかるのはあたりまえお金は一つの価値観を示す。提供する側が「私の技術を教えるには、これだけのお金をいただくに値する」という意思表示でもある。お金を取るとなれば、それだけのサービスや効果も期待されるので、教える側は常に努力を要求される。こちらは好意のつもりであっても、お金を取るだけの自信がないのかとの印象も与えかねない
 柔道を指導されている先生方は皆一様に熱心で、常に子供のことを考えて努力をされている現実があるそういった指導に対してある程度の金額を取ったとしても当然である。お金がすべての価値観を決める訳ではないが、一つの大きな指標となるのだから、柔道家は自分たちの価値を上げる努力をするべきである。また、「ボランティアだからこれ以上はできない」ではなく、「お金を払ってでも教えてもらった甲斐があった」と言ってもらえるように努力をするべきではないか
 
 ⑵情熱だけで続かない現実
 私が子供の頃に通った町道場の稽古は週6日、月謝は3千円だったと記憶している。ほとんどタダに近い値段である。今でもそうであろうが、こういったタダ同然で指導されている先生方が全国に大勢おられ、この方々の情熱が柔道の底辺を支えていることも事実である
 しかし、次の世代になった時にはどうだろうか?自分はよくても家族はどうだろうか?仕事であればともかく、毎日遅くまで指導、土日も試合でいない!となったら家族は納得してくれるだろうか?それもボランティアでお金にならないどころか、持ち出しの方が多いのが現実である自分の子供が柔道をやってくれればまだいいだろうが、そうとも限らず、奥様も旦那の夢を後押ししたい!という人ばかりではない
 私が行っているキッズじゅうどうもボランティアに近いが、手伝ってくれた講師には、帰りが遅くなっても「夕食を作らずに今夜は家族で外食」できるぐらいの謝礼をお渡ししたいと考えて頑張っている。そうすれば、家族に迷惑をかけても、ちょっと面目が保てる?のではないか
 情熱だけに頼ってのボランティア指導には限界がくる。次も世代の指導者にも翳りがでるにちがいない。「農業は苦労ばかりが多くて実りが少ないから後を継がせたくない」という状況が柔道にも起こりうる

 ⑶財源の捻出方法を考える
 お金を作るためにはいくつかの方法が考えられる。まずは大会などのスポンサーである。大きな大会であっても、この不況で新規に獲得するのは難しく、つきあいのあった企業でも「今回は」というところも少なくない。また、地方ではさらに難しいことが想像に難くない
 長く安定した財源を確保するのは、「低料金でも広く、継続して集金できる」システムを作り上げることだと思う。以前にサッカー協会の取り組みを紹介したが、彼らの年間予算は180億円を超える。スポンサー料が占める部分も多いが、システムとして集金能力もある。例えば審判制度と指導者資格制度である。
 サッカーの公式大会にはどのチームも公式審判員と指導者を帯同しなければならない。となれば、チームのだれか、多くの場合が父兄が審判資格をとる。半日の講習会を受ければとれるような簡単なものであり、一人ではその人が都合が悪い場合も想定されるので何人かが取らざるを得ない。そして、多くの場合は何年間かは更新して資格を保持する。指導者資格も同様であるが、最上級の資格はS級と呼ばれ、これはナショナルチームも指導できるものである。講習期間も長く、費用も何十万円とかかるにも関わらず、講習を受けるのは予約待ちの状態だという。ナショナルチームを指導するような資格が必要な人が何人いるだろうか?しかし、少年サッカーや学校で指導している先生方も最高の指導法を学びたいと列をなして待っているのが現状だ。審判資格、指導者資格でそれぞれ1億円以上を集めるそうだ。そういったお金を様々な形でサービスとして返している
 現役選手は難しいが、過去のメダリストが全国各地で講習会などを有料で行って基金にするという方法もあるだろう。「ひのまるキッズ」で元メダリストの先生方が旅費だけで協力してくれていた。地方がイニシアチブを取ることは困難だろうからやはり全柔連が組織としてやっていくしかない。もしくは、全柔連にそのマネジメント力がないのであれば、外部の団体に委託する方法もある


 柔道に必要なのは、そして欠けているものはブランド力だと思う。日本スポーツ界で柔道ほどオリンピックでメダルをとり続けてきている競技は他にない。東国原知事がでてから、急に宮崎産のものが注目され始めた。これは知事がそれらにブランド力をつけたからに他ならない。人はブランド品にはお金を払うスポーツの場合は、スター選手がこういった役目を果たすこともある。しかし、それだけでは一過性のものとなってしまう。

 世界的に見れば日本柔道は立派なブランドである。灯台下暗しで私たち日本の柔道家がその価値を認識していない

 話がそれてしまったが、情熱だけに頼ってボランティアで指導したり、大会を運営するには無理がある。すぐにとはいかなくても、サッカー協会など他の競技の取り組みなどを参考に柔道が、柔道に関わる人たちが恵まれた環境の中でその実力を発揮し、夢を追いかけられるようなシステムを作っていくべきであると考える

スポーツ日の丸キッズ柔道大会

2009-04-13 20:23:39 | Weblog
 12日(日)は、第一回スポーツひのまるキッズ関東小学生柔道大会に行ってきた

 この大会は、ジャパンスポーツコミッションという会社が企画した大会である。子供達にスポーツで健全に元気に成長してもらいたいとの願いから様々な活動をしているが、社長が柔道経験者であるために、とくに柔道への思い入れから今回の大会が実施された。社長の柔道に対する熱意に動かされて私を含めて様々な先生方が協力していた

 これまでの大会とは違う様々な取り組みがなされていて興味深かった。
①試合場の脇にコーチ席が用意されたが、そこには指導者と保護者が座る。(家族の絆が大会のテーマであった)
②試合だけではなく、打ち込みコンテスト、受け身コンテスト、トレーニングセミナー、柔道セミナーなどが同時進行された。
③会場の外では、幼児向けにピエロが活躍、また、抽選会もあった。
④試合は1~6年生までの個人戦、体重無差別、男女の別なし。
⑤表彰は選手だけでなく、家族も表彰された。

 緊張した面持ちでコーチ席に座る保護者の方々は初々しかった。観客席からだと大きな声を上げて応援する両親もコーチ席では緊張のせいか、声も出せずにいる人も多かった今回は、コーチ席への参加だったが、今後は例えば、講習を受けて交代で審判などで参加させるなども可能だと思う。サッカーは簡単な講習で子供達の試合の審判資格がとれる。柔道の審判は専門性が高いように思われがちだが、試合を多く見ている人で、ある程度の知識があれば十分できると思う。また、自分が審判をすれば、審判への文句も言えなくなるだろう。関わりが深くなれば柔道への愛情も増す。こうやって一人でも多くの柔道ファミリーを増やす努力も大事であろう

 試合以外の受け身コンテスト、打ち込みコンテストでは、参加者(希望者、抽選の場合もあり)全員に賞状が贈られた。試合では一回戦負けだった子供も賞状を手にして喜んでいた。何かを持って帰れるというのは次の励みになる

 試合は体重別ではないので怪我など心配されたが、大きな怪我はなかった。女の子も得に中学年までは男の子に負けずに勝ち上がっていた。また、軽量の子が重量の子を投げたりすると会場が湧いた。体重無差別、男女一緒には賛否両論あるだろうが、私はこういった大会があっても良いと思う。ただし、気になったこともあった。

 一つは、小学生でもメタボ?と思えるような肥満体の子供が多かったことこの時期には体が大きければ簡単に勝ててしまうことも多い。しかし、そのまま大きくなったら技術が足りないというケースもみられる。体のことを考えても柔道だからといって肥満体を良しとするよりは、適正な体重(もちろん+αはありだが)を指導していくことも大事だと思う。体格はよくても体力のない選手が結構いる。体重が重すぎると稽古やトレーニングも実は十分にできていないこともある。今のルールでは動けない重量級は世界で勝てないという現実もある重量級でも均整のとれた選手が望ましい!

 もう一つは、決勝戦ぐらいは判定とせずに、ポイントをとるまでやらせるべきだと思った。この大会は試合時間が2分でポイントがない場合には判定となる。全体的にはお互いに技をかけあういい試合が多かったのだが、中には試合慣れしているのか、僅差で勝つために「かけ逃げ」ともみれるような技を連発する選手もいたこんな試合を子供の頃からやらせていては将来はない。時間の関係もあるので全試合は無理だが、決勝戦ぐらいはエンドレスでやってもいいのではないか!「柔道は投げるか、抑え込まなければ勝てない」、だから技を磨く!と教えたい

 久しぶりに子供の大会をじっくりみたが、こんなに大勢の人たちが集まっているのを見て、日本柔道も捨てたものではないと改めて感じた。しかし、もっと、こんなことを工夫したらもっと良い大会になるのでは?とも思った。

 例えば、小さな兄弟を連れたお母さんは自分の子供の試合でもおちおち見られない人もいたので、会場内に託児所をおくこともありだろう今回の会場(会場の外も)は決して広くなかったので仕方がないこともあったが、食事をするスペースが少ない。朝早くから夕方までいる場合、下手をすると3食コンビニでなんて可能性もある野球やサッカーは規模が違うからできるとも言えるが、最近は食べる楽しみもあるほどに充実したものが提供されており、とくに女の人に評判がいい日本のスポーツ会場は、欧米に比べてこういったソフト面が弱い

 表彰式も少し長かった。5位まで表彰、家族賞もあったので結構な時間となってしまった。これもどの大会でも課題としてあげられる部分である

 柔道人口が減っているというが、やり方次第ではもっとやれる!と思う。今回の大会は、第1回目だったので、課題も多くあったが、『nice try!』と言いたいそれぞれの競技が様々な工夫をして競技人口の確保、普及に凌ぎを削っている。柔道も「もっとやれる」と思う

皇后陛下の深いお言葉

2009-04-10 18:45:09 | Weblog
 天皇、皇后両陛下が結婚50年金婚式を迎えられ会見を行った。その中で’伝統’について大変深いお言葉を述べられていた。

 以下皇后陛下のお言葉の要旨(東京新聞26面抜粋)
「伝統と生きることは時に大変だが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているか気づかされる。一方で型のみ残った伝統が社会の進展を阻み、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。また、伝統には表に表れる型と内に秘められた心の部分があり、ともに継承されていることも、片方だけで伝わっていることもありません。WBCで活躍した日本の選手達はよろいも着ず、切腹したり「ござる」とか言ってなかったが、どの選手もサムライ的で美しい強さを持って戦っていました。陛下の言うように伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代に委ねていくもの。私どもの時代の次、またその次の人たちが伝統と社会との問題に対し、重いを深めてくれるよう願っています。」

 日本柔道は、常に創始国として伝統を守ることを義務づけられている。そのことが国際的な立場においては摩擦となったことも少なくない。皇后陛下のお言葉の「表に表れる型と内に秘められた心の部分」といった表現にとても感銘を受けた。

 受け継がれる時代や社会、人々によって表に表れる型は変わっても、心は受け継がれるということ、また、形にばかりに囚われることが進展を阻んでいる可能性も指摘されている。

 私は以前に皇后陛下にお側でお目にかかったことがある。女子柔道の大会に皇后杯を出すにあたって「女子柔道のことを勉強したい」というお申し出であった。外から受けていた印象以上に、物腰柔らかく、しかし、ひとつひとつのお言葉にはご自分の強い意志と信念を感じたことを覚えている。その時のお言葉で特に印象に残っているのは、「努力をすれば夢が叶う、とか、報われるというのは違うかもしれませんね。でも努力を続ければ必ず少しずつでも進歩はしますものね。そのことが重要ではないかと思います。」

 おそらく皇后陛下ほど、伝統という形式に苦しめられ、戦ってこられた方はそういないだろう。その方のお言葉だけに強い説得力がある。また、そういった辛かった時期も、思いを同じくする陛下とともにあったから乗り越えてこられたのだろう。お二人の会見をみていると、ほのぼのとした暖かい気持ちになる

 日本柔道は常に伝統との狭間でもがかざる得ない部分もあるが、「形だけではなく心を受け継ぐ」という言葉にヒントがあるような気がする。勝つこと、金メダルを獲ることも大事だが、その戦いぶりに日本柔道の気骨、凛とした強さを感じさせるものであってほしい

ジュニアにみせたい映像

2009-04-10 01:08:34 | Weblog
 2年前、スポーツ支援を目的にしたアクエリアス基金で、私を含めた何人かの先生方でジュニアの選手・指導者達に見てもらうことを目的にDVDを作成しました

 内容は、ジュニア時代に学んでほしいことを心技体の観点から、トップ選手のアドバイスなども交えてまとめたものです

 多くの人に見てもらうことを目的に作成したので、全国の都道府県連盟に配布したりしてきましたが、先日の指導者講習の際に「是非もらいたい」「選手に見せたい」という希望が多く寄せられました。全日本柔道連盟のホームページからもダウンロードできるがYoutubeにもアップしました。(3分割)

 指導者の先生方、ジュニアの選手に是非みていただき参考にほしいと願っています(ブックマークにアドレスあり、栄光への道1~3)

無理な減量より階級変更

2009-04-07 10:00:00 | Weblog
 先日行われた選抜体重別大会では、男子二人の選手が階級変更をして優勝した

 81kg級で優勝したのはアテネ五輪73kg級代表の高松選手、90kg級で2位となり、世界代表に選ばれたのは北京五輪81kg級代表の小野選手である。両選手とも長い間、減量に苦しみながらも階級変更の決断がなかなかできなかった。しかし、今大会を見る限り、その伸び伸びとした戦いぶりと出した結果において階級変更は成功だったといえる

 ボクシングほどひどくないが、平常の体重で戦うよりも少し減量して戦うほうが有利であると考える選手も多い。また、若い時期から慣れ親しんだ、結果を出してきた階級を離れるのは意外と勇気が必要のようだ。男女では発育発達の年齢に差があるので同じには語れないが、どちらにも言えることは、年齢が上がればトレーニング量も増え、筋力も増すために、たとえ身長に大きな変化がなくても体重は増していくのが普通である

 最近の全日本チームでは管理栄養士が日頃から栄養・減量についての指導を行っているので昔のような無茶な減量は行われていないと思う。しかし、北京五輪で90kg級代表の泉は減量の失敗で足がつってしまったという情けない話が伝えられた

 どんなに優秀なコーチや専門家が指導にあたっても、強くなったり、結果を残すためには自己管理と考える力、求める力が必要だ。全日本のチームでなくても熱心な選手達は自分で本などで勉強しながら本番で力を出せるように取り組んでいる

 私自身も10代の頃に減量した経験があるが、あまりに減量が厳しいと試合に出てもせっかくそれまで積み上げてきた練習の成果が出せないことが多い。体重を量ってから数時間あるので、少し口にして回復もするが、スレスレの勝負の時には、気持ちも切れてしまうことも多い。ゴールデンスコアまで戦うとなれば1試合約10分戦わなければならず、それが何試合も続くいたならば、過度の減量の後遺症は必ずでる

 何度かこういった辛い経験をして、やっと踏ん切りをつけて階級変更に踏み切る選手が多い。そして私が見てきた限り、多くの場合は今回の小野選手や高松選手のように成功している。52kg級で代表となった中村選手も48kgから上げた選手である。今回は準決勝で敗れた57kg級佐藤選手も52kg級から上げた選手だ

 変更後、良い成績を上げてもそれまでの実績ということで選ばれないことも少なくない。その度に回りは「もっと早く変更すればよかったのに」とため息が聞こえてくる

 階級の選択はもちろん本人の意思であるが、若い選手達には無理な減量をするのではなく、こういった成功例を参考にして十分食べて力一杯稽古して、本番でも精一杯戦える選手を目指してほしい。とくに若い頃は、大会で勝つこと以上に大切なことがある。稽古でも試合でも精一杯やってこそ身に付くものも多い。それが減量で妨げられるのはもったいないし、伸びる芽を自分自身で摘んでいるようなものだ

 減量は栄養不足や集中力の低下から怪我につながることも多い

 減量の厳しい選手達をみていると、減量するこそが目標になってしまって、試合前にホッとしてしまうこともなきにしもあらずである。昔に比べて試合数も非常に多くなっている。「階級別の競技で減量は当たり前」ではなく、自分にとってどの階級でやることが最も力を出せるのかを検討することが重要だ