100kg超級の代表に棟田選手が選出された。昨日行われた全日本選手権2位という結果を受けて、強化委員会で決定された。
新聞等の報道を見る限り、これまでの実績から高井選手、棟田選手のどちらを選ぶかという選択であったようで、大きな差はなかったが決勝戦まで駒を進めた棟田選手が選出されたということだった
今や柔道は国際スポーツであり、国内で勝つことはもちろんだが、世界で勝てる実力が代表選考においては不可欠な要素であることは理解できる。しかしながら、北京以降に行われた国内、国際大会の結果も踏まえてみて見るとどうもわかりにくい部分がある。以下、ざっとこの階級の大会での成績を挙げてみた。*は国内大会
講道館杯* 優勝 加藤光将(愛知県警) 2位 佐藤武尊(了徳寺学園)
嘉納杯 優勝 高井洋平(旭化成) 2位 棟田康幸(警視庁)
世界無差別選手権 高井、棟田・・・2回戦負け
トビリシ大会 3位 立山広喜(日本中央競馬会)
パリ大会 出場者なし・・・棟田、高井が出場を辞退
ハンブルグ大会 3位 棟田 高井・・・2回戦負け
ブタペスト大会 2位 上川大樹(明治大学)
選抜体重別* 優勝 高橋和彦(新日鉄) 2位佐藤武尊
全日本選手権* 2位 棟田 3位 生田、立山
調べてみて気がついたのは、講道館杯で優勝、2位のいずれの選手も嘉納杯を含めていずれの国際大会にもチャンスを与えてもらっていないことである確かに講道館杯に高井、棟田が欠場していたので「勝っても評価に値しない」ということなのだろう。しかし、嘉納杯は日本から4人出場枠がある大会である。4人の中にでも講道館杯の優勝者が選ばれないというのであれば、この大会の価値はどこにあるのだろうか?また、国際大会にも選ばれないということは、はじめからチャンスがないと言っているのと同じである
また、これだけ層が薄くなってしまった重量級であるにも関わらず、パリ大会には選手を派遣していない。確かに、予定していた棟田、高井両選手が直前に怪我をして出場を辞退した経緯はわかるが、重量級は減量の必要もないのだから、急遽選考しても問題はないはずである。敢えて言わせてもらえば「誰を行かせても勝てないのはわかっている」しかし、だからこそ、可能性のある選手にチャンスを与えて「我慢して育てていくことが何より大事」ではないか日本以外のどの国をみても、日本ぐらい粒ぞろいの選手がいるところはない。以前にも書いたが、日本はそういった「金の卵」たちを本気で育てているとは思えない、見えない
さらに強化が見込んで国際大会に起用した選手達は選抜体重別では結果を残せなかった。彼らは本当に鍛えられているのだろうか?
これまでも100kg超級だけは、選抜体重別後に選考せずに全日本選手権をみての選考である。単純な疑問だが、なぜ重量級には2度のチャンスが与えられるのだろうか?また、講道館杯や選抜体重別のこの階級の価値はどこにあるのだろうか?今年の選抜体重別の優勝、2位の二人は全日本選手権に出場していない(地区予選敗退)。本気で全日本選手権を選考の対象に位置づけるのであれば、せめて体重別選手権出場の選手は全員、推薦で出場させるべきだろう。
全日本選手権は、講道館試合審判規定なので、これが微妙に勝負に影響している面もある。今回、棟田選手が何度か場外に逃れるといったケースがあったが、審判は「反則」を与えなかった。現在の国際ルールであれば場内外の判定はおおらかで今回の棟田選手のケースも許される程度であった。思うに、審判は国内ルールと国際ルールが曖昧になっている部分もあるのではなかったか?また、棟田選手が負傷によってドクターを呼ぶシーンや休むシーンが見られた。これも、国際ルールでは見られないシーンである
言いたいことは2点。一点は、国内大会の意味と価値をしっかりと示してもらいたいということである。国内ランキングをつくることは難しくとも、結果を残した選手を正当に評価してあげる必要はあるはずで、それが全体のモチベーションアップにつながるはずだ
もう一点は、全日本選手権は世界選手権、オリンピックの選考の対象から除外するべきだと思う。無差別で競っていること(現在の世界選手権、オリンピックには存在しない階級)、国際大会とは違うルールで戦っていることなどから、選考の対象にするのは無理がある
全日本選手権は、日本柔道にとって特別の大会である。過去にも多くの名勝負、伝説を生んできた。今大会も斉藤制剛(旭化成)選手は準々決勝で棟田選手と対戦し、気迫溢れるすばらしい戦いを見せてくれた。女性の私から見ても全日本で戦うことは男のロマンなのだと理解できる。だからこそ、この神聖な大会を選考会のひとつにしてしまうことは、様々な思惑が交錯したり、代表選考の裏側などが見えてしまっ興醒めしてしまい、本当に残念だ
さらに決勝はどちらかが技あり以上のポイントを取るまで無制限でやらせてほいい。剣道の場合はそうである。日本のその年の最高峰の選手を決めるのが判定ではあまりにも情けない。昨日の決勝戦も、それまで攻め続けていた穴井選手が棟田に「注意」がいった途端に守りに入るシーンがあった。それまでの戦いぶりがよかっただけに最後まで攻めて欲しかったというのが多くの人の感想だったに違いない。これは、穴井選手がというよりはルールが問題なのだと思う
国内外問わず大会が多くなっているだけに、それぞれの大会の位置づけ、意味、価値をしっかり示していくことは重要だと考える。また、日本柔道は他の国とは違って、オリンピックや世界選手権が最高でなく、全日本選手権で勝つことだけを目指す選手がいても良いのだと思う
新聞等の報道を見る限り、これまでの実績から高井選手、棟田選手のどちらを選ぶかという選択であったようで、大きな差はなかったが決勝戦まで駒を進めた棟田選手が選出されたということだった
今や柔道は国際スポーツであり、国内で勝つことはもちろんだが、世界で勝てる実力が代表選考においては不可欠な要素であることは理解できる。しかしながら、北京以降に行われた国内、国際大会の結果も踏まえてみて見るとどうもわかりにくい部分がある。以下、ざっとこの階級の大会での成績を挙げてみた。*は国内大会
講道館杯* 優勝 加藤光将(愛知県警) 2位 佐藤武尊(了徳寺学園)
嘉納杯 優勝 高井洋平(旭化成) 2位 棟田康幸(警視庁)
世界無差別選手権 高井、棟田・・・2回戦負け
トビリシ大会 3位 立山広喜(日本中央競馬会)
パリ大会 出場者なし・・・棟田、高井が出場を辞退
ハンブルグ大会 3位 棟田 高井・・・2回戦負け
ブタペスト大会 2位 上川大樹(明治大学)
選抜体重別* 優勝 高橋和彦(新日鉄) 2位佐藤武尊
全日本選手権* 2位 棟田 3位 生田、立山
調べてみて気がついたのは、講道館杯で優勝、2位のいずれの選手も嘉納杯を含めていずれの国際大会にもチャンスを与えてもらっていないことである確かに講道館杯に高井、棟田が欠場していたので「勝っても評価に値しない」ということなのだろう。しかし、嘉納杯は日本から4人出場枠がある大会である。4人の中にでも講道館杯の優勝者が選ばれないというのであれば、この大会の価値はどこにあるのだろうか?また、国際大会にも選ばれないということは、はじめからチャンスがないと言っているのと同じである
また、これだけ層が薄くなってしまった重量級であるにも関わらず、パリ大会には選手を派遣していない。確かに、予定していた棟田、高井両選手が直前に怪我をして出場を辞退した経緯はわかるが、重量級は減量の必要もないのだから、急遽選考しても問題はないはずである。敢えて言わせてもらえば「誰を行かせても勝てないのはわかっている」しかし、だからこそ、可能性のある選手にチャンスを与えて「我慢して育てていくことが何より大事」ではないか日本以外のどの国をみても、日本ぐらい粒ぞろいの選手がいるところはない。以前にも書いたが、日本はそういった「金の卵」たちを本気で育てているとは思えない、見えない
さらに強化が見込んで国際大会に起用した選手達は選抜体重別では結果を残せなかった。彼らは本当に鍛えられているのだろうか?
これまでも100kg超級だけは、選抜体重別後に選考せずに全日本選手権をみての選考である。単純な疑問だが、なぜ重量級には2度のチャンスが与えられるのだろうか?また、講道館杯や選抜体重別のこの階級の価値はどこにあるのだろうか?今年の選抜体重別の優勝、2位の二人は全日本選手権に出場していない(地区予選敗退)。本気で全日本選手権を選考の対象に位置づけるのであれば、せめて体重別選手権出場の選手は全員、推薦で出場させるべきだろう。
全日本選手権は、講道館試合審判規定なので、これが微妙に勝負に影響している面もある。今回、棟田選手が何度か場外に逃れるといったケースがあったが、審判は「反則」を与えなかった。現在の国際ルールであれば場内外の判定はおおらかで今回の棟田選手のケースも許される程度であった。思うに、審判は国内ルールと国際ルールが曖昧になっている部分もあるのではなかったか?また、棟田選手が負傷によってドクターを呼ぶシーンや休むシーンが見られた。これも、国際ルールでは見られないシーンである
言いたいことは2点。一点は、国内大会の意味と価値をしっかりと示してもらいたいということである。国内ランキングをつくることは難しくとも、結果を残した選手を正当に評価してあげる必要はあるはずで、それが全体のモチベーションアップにつながるはずだ
もう一点は、全日本選手権は世界選手権、オリンピックの選考の対象から除外するべきだと思う。無差別で競っていること(現在の世界選手権、オリンピックには存在しない階級)、国際大会とは違うルールで戦っていることなどから、選考の対象にするのは無理がある
全日本選手権は、日本柔道にとって特別の大会である。過去にも多くの名勝負、伝説を生んできた。今大会も斉藤制剛(旭化成)選手は準々決勝で棟田選手と対戦し、気迫溢れるすばらしい戦いを見せてくれた。女性の私から見ても全日本で戦うことは男のロマンなのだと理解できる。だからこそ、この神聖な大会を選考会のひとつにしてしまうことは、様々な思惑が交錯したり、代表選考の裏側などが見えてしまっ興醒めしてしまい、本当に残念だ
さらに決勝はどちらかが技あり以上のポイントを取るまで無制限でやらせてほいい。剣道の場合はそうである。日本のその年の最高峰の選手を決めるのが判定ではあまりにも情けない。昨日の決勝戦も、それまで攻め続けていた穴井選手が棟田に「注意」がいった途端に守りに入るシーンがあった。それまでの戦いぶりがよかっただけに最後まで攻めて欲しかったというのが多くの人の感想だったに違いない。これは、穴井選手がというよりはルールが問題なのだと思う
国内外問わず大会が多くなっているだけに、それぞれの大会の位置づけ、意味、価値をしっかり示していくことは重要だと考える。また、日本柔道は他の国とは違って、オリンピックや世界選手権が最高でなく、全日本選手権で勝つことだけを目指す選手がいても良いのだと思う