山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

フィギュアスケート

2009-12-28 15:52:05 | Weblog
 フィギュアスケートの全日本選手権が終わり、来年のバンクーバー五輪代表が決定した。男女ともに3名の代表とアイスダンスのペアが選出された。

 シングル男女の3人はいずれもメダル候補といえるぐらいの実力者であり本番が楽しみである。思えばいつ頃からフィギュアで日本が活躍できるようになったのか。男子では佐野稔さん、女子では渡部絵美さん、伊藤みどりさんなどの時代からであろう。彼らの活躍は記憶に残っているが、印象としては世界との差は依然としてあったという感じである。伊藤みどりさんのジャンプは素晴らしかったが芸術面、表現力などはカタリーナ・ビット(当時 東ドイツ)には及ばなかった。あの当時、日本の選手達がこの競技でここまで活躍できるとは誰が想像しただろうか。

 最近では体型においても欧米に劣らない、というよりはキム・ヨナ選手(韓国)や浅田真央選手などは欧米的な肉付きではないスレンダーな美である。その体型を武器にジャンプも軽く感じさせる。

 今大会、浅田真央選手は背水の陣で臨んだ。彼女を画面で見た瞬間に「絞られた」と感じた。もともとスレンンダーな身体がさらに絞られていた。おそらく数キロは落としてきたに違いない。女子選手と体重、脂肪量と競技成績には大きな相関関係がある。種目にもよるが、男子に比べて筋力の少ない女子は、体重を落とすことでパフォーマンスをあげる効果が期待できる。15歳の頃のジャンプの感覚と女性の身体になったジャンプは技術は同じでも全く違ったものなのだろう。安藤選手が前回のオリンピックで苦しんだのもそういった部分にあったのかもしれない。

 精神面でも成長がみられた。以前の彼女のインタビューは「ミスをしないで滑りたい」というものが多かった。「ミスをしないで」というのは守りの姿勢を生む。悪い滑りの時は気持ちが下がっているので重心がスケートに乗らずにスピード感がなくなる。安全にという思いがスピードをなくさせ、余計にジャンプを難しくする。土曜日のショートを終わった時点での彼女のコメントは「練習のとおりに滑りたい」というものだった。このコメントには「自分のやったことしか出せない。それ以上でもそれ以下でもない滑り」という、達観したようなものが感じられた。

 おそらくオリンピックで勝つためにはもう一歩進んで「攻めの姿勢」が求められるだろう。

 スケートは全く専門外なので私が感じたことは専門家にいわせれば的外れな意見なのかもしれない。しかし、そんな風に自分で分析しながら見られる楽しさがフィギュアスケートにはある。

 対人競技と違って闘うのは相手ではなく、自分のプレッシャーと心の弱さでもある。

 柔道も負けた時は誰のせいにもできない。皆の前で投げられるのは恥ずかしい。フィギュアを見ていても似たものを感じた。リンクに立ってしまえば転んでも転んでも演技が終わらなければ帰って来れない。

 華やかに見える選手達の心は非常に強い鎧をまとっているに違いない。

ひのまるキッズ 九州大会

2009-12-25 09:24:42 | Weblog
 12月23日にひのまるキッズ九州大会が宮崎県武道館にて開催されました。九州各地から400人を超える多くの子供達が集り熱戦を繰り広げました。以前にも紹介しましたが、この大会はこれまでの柔道大会とは少し違ったコンセプトで行われています。二つの大きな柱は「親子の絆」「柔道の本質」です。

 「親子の絆」は試合場の側にはコーチ席と保護者席が設けられ、保護者が近くで我が子の頑張る姿を見て、応援するというものです。応援席とは違い親御さんも子供と同じように緊張している顔が印象的です。保護者の応援はややもすると過激になりすぎたり、審判を批判したりといった場面がみられますが、さすがに試合場の側では節度を持っての応援となっていました。近くにいるとそれだけで子供の緊張感や気迫が直に伝わってくるので負けて帰ってきても怒る親は少なかったようにも思いました。昔の親は忙しく大会会場に見に来るなども少なかったかもしれませんが、最近では両親揃っての応援、祖父母も一緒になどということも珍しくありません。そういう意味では子供達は昔以上に知らず知らずのうちに「勝たなければいけない」というプレッシャーを感じているのかもしれません。

 「柔道の本質」という面では、この大会は学年別で男女一緒、無差別での試合で行われます。私の時代も学年別の体重無差別での大会でしたが、その時代よりも今のほうが体格の差が大きくなったように感じます。日本人全体的に体格が大きくなっているのでしょうが、「ほんとうに小学生?」「1年生?」というような立派な体格を持った子供が大勢いるのに驚きます。小学生の場合はやはり対格差は大きく勝敗に影響してしまいますが、そうかといって平等に体重別でというのは安易であると思います。この時代には勝ち負けにこだわることも大事ですが、それ以上に挑戦するという気持ちを養ってもらいたいと思います。

 大会の合間には私を含めた講師陣が柔道教室、受け身コンテスト、打ち込みコンンテストなどを行いました。九州はさすがに柔道王国だけあって子供達の柔道のレベルは非常に高いと感じました。それに比べて受け身となると・・・それほど上手ではないことにも気がつきました。他の講師の方も「最近では昔ほど受け身の練習をやらないのかもしれない」「昔の人のほうが受け身は数段上手だった」といっておられました。確かに昔の道場は教え方は画一的で礼法、受け身を徹底的に教えてから技を教えるという、面白みにはかけるものだったと思われますが、その徹底した頑固な教えが柔道の基本である「投げられても怪我をしない」とか「柔道の基礎的な動き」につながっていたのかもしれません。

 来られた講師の方々とは時間があれば熱心な柔道談義になりました。帯から下の柔道着をつかむことは反則」という新しいルールについては「柔道の本質を損なう危険がある」との見解がほとんどでした。最近は柔道を熱く語る人が少なくなっていて、こんなに柔道の話しをしたのは久しぶりでした。こういった熱い議論が世界でも日本でも柔道界の中枢で行われていないことが残念です。

 ひのまるキッズ大会は来年は全国8カ所で開催されるそうです。今回は以前の反省で小さな子供のいるお母さんのために託児所を設けたらという意見が採用され、設置されました。グランドスラムのような大きな大会はなかなかアイデアを出しても組織が大きいので通りずらいが、ひのまるキッズは主催者が私達の意見を積極的に採用してくれるので意見の出しがいもあります。来年に向けてさらにこの大会が充実していけるように私もアイデアを出していこうと思いますのでご期待ください。

反則負け

2009-12-20 22:42:04 | Weblog
 今年の世界ジュニア選手権で「帯から下の柔道着を直接つかむことは反則とする」という新しいルールが試験的に導入された。これは双手刈や朽木倒などが多用され、ジャケットレスリングと呼ばれるようになったことを危惧したからである。試験採用では一度目が「指導」、二度目が「反則負け」となるものである。

 先日行われたグランドスラム東京大会においても導入されたが、やはり以前よりも上体が起きて組み合って技を出し合うシーンが増えた。個人的には、ルールによって特定の技に制限を加えることは如何なものかと感じていたが実際に柔道が良い方向に変化したのをみれば良かったのだろう、と感じていた。

 しかしながら、大会後にIJFから発表された新しいルールには驚かされた。それは今後(具体的には1月、韓国で行われるマスターズ大会から)は、「帯から下の柔道着を直接つかむ」をした場合に一回で反則負けとなる、というものである。相手の技に対応する場合には相手が技を仕掛けてからに限る(例えば内股は足が股に入ってからのみ掬投に変化できる)。あまりに極端なルールである。

 様々なスポーツをみても反則負けとなる行為は「危険な行為」が主なものである。柔道で帯より下の柔道着を握るという行為は危険な行為にはあたらない。柔道を良い方向に持っていこうというのであれば「指導」の反則を一回ごとに与えていくことで十分であろう。「指導」は技のポイントと違って重なっていくのでそういった技をかけないように警告を与えるには十分な効果となる。

 柔道着のズボンはある程度のたるみがあり握れるようになっている。私自身、双手刈などの技は行わなかったが、小内刈から朽木倒はよくつかった。教わらなくても柔道着の形態がそうである以上、自然的な行為で柔道着や足をつかむ技が生まれる。ということは、一般的な柔道選手は攻防の中で反射的にそういった行為を行ってしまう可能性が高い。それが「反則負け」になるとなったら・・・。

 イメージとしてはグレコローマン柔道といったところだろうか。足ばかりを取り合う柔道も面白くないが、グレコローマン的な柔道になってもある意味では面白みがなくなると思う。

 今後、このルールに対応するためには、練習でも慣れるために柔道着のスボンを持てないようにスパッツに上衣で行うのか???などと考えてしまう。

 以前にも書いたが、本当に危惧すべきは今回のルール変更という一つの現象ではない。IJFのトップ何人かによって柔道という競技を大きく変えてしまうルールがどんどんと決定されていく、それができてしまう組織に問題がある。また、こういったルール変更の説明が選手やコーチなどへ十分なされない。「双手刈なら禁止になっても許せる」と思っている人は多いだろうが、なぜ「巴投」がそうならないと言えるのか?今のルール決定のシステムでいけば、どんな技がいつ禁止されてもおかしくない。そのシステムにこそ危惧を感じるべきだ。寝技は見ていて面白くないから廃止、と言い出さないと言えるのか?

 このブログを初めてほぼ一年になる。書き始めたきっかけは、IJFの新しい法令に納得できなかったからだ。理事会のメンバーは会長指名が半数以上を占め、会長がイエスと言えば何でも通る体制となった。トップダウンで巧くいくケースも否定はしないが、この一年を振り返ってみて改めてIJFの向いている方向に疑問を感じる。
「言うばかりでなく行動を」という意見もあるだろうが、正直言って今の体制では誰が何を言っても通じないというのが現状なのである。決めるのはIJF会長である。彼に意見できる人間は誰もいない。この会長の権限を許す法令を日本を含めて多くの国が賛成して通したのである。

 唯一可能性があるとすれば選手が団結して行動を起こすことか。プロ野球の選手会や大リーグの組合のような組織があれば影響力を持つことは可能だろう。しかし、世界の選手達を一つにまとめるのは、これまた至難の技ともいえる。今年、IJFのなかにアスリート委員会が発足した。この委員会は実際に活動は始まっていないようだが、これがどのような活動をし、発言をしていくのか興味深い。

グランドスラム東京2

2009-12-14 23:16:06 | Weblog
 グランドスラム東京大会、日本は男女ともに活躍した。特に女子はある程度予測はあったが全階級制覇は素晴らしい。今の日本女子の実力を考えれば当たり前と思う部分もあるが、評価に値する。来年の世界選手権は一カ国2名の出場枠を認めるとなれば日本女子が非常に多くのメダルを獲得することはもちろん、決勝が日本人同士となる階級もいくつかでるだろう。このことが世界柔道という観点で見ればいかがなものなのかという議論はあるだろうが・・・。

 男子も7階級中4階級を制したのは立派であったと思う。66kg級の海老沼選手に代表されるように今後さらに期待できる若手もでてきた。「男子完全復活」という見出しもあったが、世界選手権、オリンピックとなるとこう簡単にはいかないのも現実として認識しておく必要はある。今大会は日本人が各階級4人出場した。つまり、一人が強豪を一人ないし、二人倒せばよい。しかし、世界選手権、オリンピックではそうはいかない。来年から出場枠が二人になるといっても四人で迎え撃つプレッシャーとは違う。

 海外の選手にとってクリスマス前のこの時期は調整が十分ともいえない。通常は新年度のシーズンに備えて鍛える時期に充てており、この大会も「勝つ」ことよりも練習の一部と割り切って闘っている選手も多い。大会を主催する側とすれば、そういった海外の選手にどのようにモチベーションを持たせるかも大会を盛り上げる要素となる。まあ、これはこの時期に開催してきた長年の課題であり、いまだ妙案はないのが現状だろう。

 日本人が活躍した背景には、朽木倒や肩車といった技が規制された新しいルールによる部分もある。組み合ったときのプレッシャーが全く違う。また、このルールが適用されて(今でも試験的な適用)間がないために、海外の選手が対応できていないこともある。ただし、朽木倒や双手刈などは時間をかけなくても習得できるが背負投、内股といった技は習得に時間がかかるために来年度のシーズンまでにどのように修正できるかも興味深い。

 新しいルールの効果は大きく柔道が様変わりした。姿勢も起きて、組み合って柔道が行われるようになった。このことは評価に値する。しかしながら、何度もいっているが、これまであった技が2度かけると反則負けとなるルールはいかがなものかという疑問も残る。相手に奥をとられて頭を下げられた時などは掬投や肩車は効果的な技である。確かに極端にこういった技が増えたことは問題だとするのであればせめて「仕掛けてもかからなかった場合には指導」とする、「リスクをおかして仕掛けて技が決まった場合には認める」といった程度でよいのではないだろうか。

 今大会は審判のレベルも低かったように思う。「かけ逃げ」なのか技の失敗であるのかも見分けがつかない、やたらと「指導」が多いなど、審判がせっかくの好試合を台無しにしているケースがあった。審判の技量もさることながら、センターテーブルの指示を怖がって怯えて審判をするあまり、試合に集中できていないのかとも見えた。

 せっかくルールを変えて柔道をよくしようとしても、一方で反則ばかりで試合が決していくのでは片手落ちである。今大会の集計はみていないが、技での一本勝の割合は減ったのではないだろうか?それに比べてペナルティーの割合は増えたのではないか?

 テレビ中継も階級に偏りがあったのがいつもながら残念。また、もっと海外の選手の闘いにも焦点をあてて欲しい。映るのが日本人ばかりではテレビを見た人は国際大会とは思わないかもしれないほどだ。また、100kg級の決勝の後、勝った高橋選手ではなく負けた鈴木選手をカメラが追っていたのも印象的だった。高橋選手のインタビューが始まってもオーロラビジョンには鈴木選手の映像が映っていた。もちろん、スターを追うのは良いが、スポーツは筋書きのないドラマであることが魅力である。演出もある程度は大事なのは理解するが、スポーツの根源的な魅力を忘れてはならない、と思う。

 

グランドスラム東京

2009-12-13 20:05:11 | Weblog
 グランドスラム東京大会が11日から今日までの3日間、東京体育館で行われている。参加選手は400名以上であり規模の大きな大会となった。日本選手の戦いぶりについては改めて述べるとして、今日は会場の雰囲気や審判等についての感想を述べる。

 まず、参加者は多いのだが観戦していて充実感というようなものが感じられないのは、敗者復活戦がなく試合数が少ないからかもしれない。例えば世界チャンピオンが1回戦で負けてしまうと敗者復活戦がないので当たり前だがその選手の戦いをみることはできない。選手にとってのチャンスも少なくなっているが、見る側の興味も削られているように思う。敗者復活戦がないのは参加者が多く試合数が増えて試合時間が長くなりすぎるという理由であったように思う。しかし、この大会を見ている限り、試合数が少ないために休憩時間が長過ぎて観客は退屈している。観客はお金を払って試合を見にきているのだから一つでも多く試合が見たいと思っているはずである。

 さらに、今日行われたIJF会長ビゼール氏が会見で来年の東京で行われる世界選手権はこれまでの各国1名の代表から2名参加させることを明らかにしたようである。こうなってくると、人数が多すぎるという理由でなくした敗者復活はなんであったのかということになる。また、日本やフランス等の柔道王国には非常に有利かもしれないが小国にはますますメダルのチャンスがなくなる。また、この2名出場も来年の東京大会のみで実施される可能性もある。現在のIJFの動向をみると行き当たりばったりの組織のようにみえてしまう。

 審判に関して言えば、反則をとるスピードが早かった。効果ポイントに相当する最初の「指導」がボードに載らないから簡単にとるのか?どうかは不明だが反則で試合の優劣が決まるケース、反則負けも少なくない。見ている側にとって反則で試合が決まるのは面白くない。センターテーブルのバルコス審判理事がビデオにおいて試合をチェックしていたが、この人の意見は3人の審判を飛び越える権限があった。主審が技の効果を示し、副審も意義を唱えなくてもセンターテーブルの指示で判定が覆ることも一度や二度ではなかった。審判は判定を下した後もセンターテーブルをしきりに気にしており、そこには審判の権威は感じられない。ビデオ判定は審判3人でも判断が難しかったときに使用されるものであったはずだが、今となってはビデオの判定のほうが優先される。これでよいのか?

 大会会場には私が思った以上に多くの観客が足を運んでくれた。しかしながら、この観客に応える大会運営とはいえなかった。前述したが、休憩時間が長過ぎる。何のための休憩時間なのかも定かではない。また、休憩時間に観客へのサービスも全くない。場内のオーロラビジョンにこれまでの勝ち上がりのビデオや前の日のテレビ東京の中継のダイジェストを流すなど、なにか工夫はできなかったのか。初日は試合に向かう選手の名前もアナウンスされなかった。2日目からは名前だけ。海外からも多くのメダリストが来ていたのだから、選手の戦績、ランキング等を紹介するだけでも観客の興味を引けたはずである。こういったお金をかけなくてもできるであろう少しのサービスがなかったのは本当に残念だった。大会運営が観客に向かっていない。これでは柔道の普及、発展はのぞめない。

 3日間を通しての感想は「長かった」ということ。試合がながかったのではなく、休憩も含めた無駄な時間が長くて疲れた。

 日本選手達の闘いぶり、新しいルールになって柔道がどう変わったか等については次回で。

シンポジウム2

2009-12-08 17:22:55 | Weblog
 シンポジウムで二人目に発表された永木耕介(兵庫教育大)「ヨーロッパにおける嘉納の柔道普及の足跡」のお話を簡単に紹介します。

 ヨーロッパにおけるとありますが、時間の関係でイギリスとドイツについて述べられました。嘉納師範は1920年にロンドンの武道会を訪問されています。(武道会とはヨーロッパで最も古い柔道クラブであり、今でも存続しています)その後、ここには計6回訪問をされ、柔道のヨーロッパ普及においての拠点とされるおつもりであったようです。実際、1933年には講道館支部にあたる有段者会になることを打診されています。

 武道会の立ち上げから深く関わっていた二人の日本人がいます。小泉軍治(1855-1965)と谷幸雄(1881-1950)です。この二人は柔道ではなく柔術出身です。しかしながら、嘉納師範が武道会を訪れたときに、この二人に即日、講道館2段を送ったとのことです。おそらくヨーロッパの柔道の普及を二人に託す戦略的なお考えもあったのだということです。

 その後、師範は会田彦一(1893-1972)という弟子を講道館柔道の先兵隊としてヨーロッパに送り込みます。そして彼はドイツでの柔道普及に尽力したそうです。イギリスとドイツの柔道交流も盛んになっていきます。

 1933年に師範はベルリンでヒトラーに面会しているそうです。ヒトラーはボクシング、柔術が好きだったようです。その後、師範は世界柔道連盟立ち上げの構想を記者発表されました。こうして師範のヨーロッパ戦略が着実に進んだかにもみえたものの、ドイツとの親密さがイギリスのユダヤ系の柔道家を刺激してしまいます。1935年武道会は講道館支部の約束を無効としました。

 時代の波に呑まれつつも師範はヨーロッパにおける柔道の普及を探り、尽力していたことが見て取れます。

 師範は柔道がオリンピック種目になることにはどう考えていたのか。これについてはあまり積極的ではなかったようです。オリンピックにはナショナリズムや政治が深く関わってしまうことに危惧したようです。

 永木氏はイギリスやドイツなどに出向き、資料を探し、師範の足跡を調査・研究されています。以前に紹介したフランスのミシェル・ブルース氏もそうですが、柔道がどのように世界に普及していったのかを探ることは非常に興味深いと思います。また、私達柔道家はこういったことをしっかりと勉強し、師範が何を求め、考えておられたのかを探ることが必要なのだと思います。

 こういった師範の足跡を探ったり、お考えを解くような講演会やシンポジウムがもっと多く開催され、柔道以外の多くの人々にも聞いてもらいたいと強く思いました。

シンポジウム

2009-12-05 22:21:10 | Weblog
 本日、日本体育学会茨城支部および筑波大学主催によるシンポジウムが筑波大学にて行われた。テーマは「嘉納治五郎の偉業:柔道の創始・普及と教育改革」で、3人のシンポジストがそれぞれのテーマで発表し、その後ディスカッションが行われた。

山口 香 (筑波大学) 「アメリカに渡った女子柔道-福田敬子先生の足跡-」
永木耕介(兵庫教育大)「ヨーロッパにおける嘉納の柔道普及の足跡」
大谷 奨 (筑波大学) 「嘉納治五郎による教育改革」

 嘉納先生は筑波大学の前身である東京高等師範学校の初代校長先生である。来年が嘉納師範生誕150周年であることを記念して今年、来年と様々な行事が行われる。今回のシンポジウムもその一つである。

 私は、女子柔道の歴史、嘉納師範の女子柔道に求められたもの、福田敬子先生の足跡を簡単に述べた。以下、簡単に内容を示す。

 嘉納師範は早い時期から女子に道を開かれた。初めは直接指導をするのではなく、弟子に指導を任せていた。その後、自ら女性の弟子を自宅に住まわせて指導をするようになると、食事療法、鉄アレイでの段階的なトレーニング、「柔の形」と受け身の指導、大学病院での定期的な検診を行っている。そして乱取りにはいる前のハードルとして富士登山も行っている。師範は女子の指導に関しては自信がなかったこともあって、とても用心深く、科学的に進めていたことがわかる。

 師範は奥様やお嬢様にも柔道を指導している。お弟子さんの話しによると夜中でも技等を思いつくと実践してみたくなって奥様に相手を頼んだという。

 また、師範は「体力的に優れた男性による力技の柔道よりも、体力のない女性の柔軟さの中にこそ真の柔道が受け継がれる」と考えられていたという。

 一方で、女子の試合には当初は否定的であった。それは当時の女性の体力や社会的な背景が影響していたと考えられるが師範の考えを弟子達は引き継いでいくことになり、このことが女子に試合という道を開くのが遅れたことも事実であろう。

 福田先生の話しは以前にも紹介したのでここでは省く。

 最後に、「現在、女子には試合の道が開かれ男子同様に活躍している。試合という道を歩んでもなお嘉納師範が女子柔道に求められた思いに私達は答えていかなければならないと思う。」と発言した。

 嘉納師範は柔道を創始されたことはあまりにも有名だが、教育者としても功績が大きい。アジア初の国際オリンピック委員でもある。高等師範校長の時代には中国から8千人もの留学生を受け入れている。その中にはあの魯迅もいたそうである。シンポジウムではそういった柔道以外での師範の功績が語られた。国際的な戦略もそうである。どの話しも非常に興味深かった。

 私以外のお二人の発表については次回以降で。