山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

ヘッドコーチ

2010-12-27 00:14:33 | Weblog
 グランドスラム東京大会では選手意外にも目立っていた人物が・・・ 男子の篠原ヘッドコーチは大活躍だった。じっとしていても存在感があるのに、試合中、あれだけ大声で選手に激を飛ばせば目立たないわけがない。結果、彼の言動が物議をかもしている。

 私自身、試合場のすぐ側で見ていたので日本のコーチ陣の言動がよく見えた。このブログのコメントでも指摘されるように、言い方や指示の内容には首を傾げたくなるような部分もあった。

 昨年、ロッテルダムの世界選手権で日本男子は史上初めて金メダルゼロという結果に終わり、立て直しが心配されたが、今年の世界選手権での活躍を見る限り、コーチ陣は非常に頑張って確実に成果をあげている。全日本に限らず指導者は皆、選手とともに闘っている。それが「行き過ぎ」た言動と捉えられてしまうことも少なくない。もちろん柔道は教育的なスポーツであり、トップの指導者、選手の言動、態度は子供達に及ぼす影響も少なくないので気をつけなければいけない。しかしながら現実には、命がけで勝負をしているときには他のすべてが見えなくなり、勝つことのみに邁進するのも仕方がないと擁護したい部分もある。自分が全日本のコーチをしていたときも、きっと同じようなことをしていたのだろうと考えると恥ずかしくなるつまり自分の姿は意外と見えていない。

 理解はしても改善してほしい部分もある。3日目までは、篠原コーチは試合場についている担当コーチとは反対側の関係者席に座って指示を出していた。この状況は、選手には両側から指示が飛ぶことになり、どちらを見たら良いのか迷うことになる。また、担当コーチがいるのにヘッドコーチが脇から始終指示を出すのもよくない。担当コーチの立場もない。始終指示を出す必要があるのであれば自らコーチ席に座ればよい。確かにヘッドコーチの立場で「やきもき」して、つい声が出てしまうのはよくわかるが、コーチ、選手を信頼して任せることも大事である。「指示待ち」の人間をつくっていたのでは、いざというときに力を出せない。

 私の持論では、超一流の選手ほど試合中コーチをみない。アドバイスは耳で聞いて、それを消化して、自分の判断で試合を進める。篠原コーチは何度も選手の名前を呼び、選手が自分の方を見て聞いているのを確認する。「見ないから」「頷かないから」選手が聞いていない訳ではないということを理解するべきだろう。おそらく、コーチ自身も選手時代にはコーチのほうなど見なかったに違いない

 現在、準決勝戦以上は、コーチは正装が義務づけられている。このルールができたときに、「なんで」と疑問に思って反対だった。しかし、大会を見ていて思うことは正装したコーチたちの態度は以前よりもよくなったのではないかいうことである。意識してそうした訳ではないであろうが、身なりによって自然と自制されるのかもしれない。また、ジャージで大声で指示を与えるのと、スーツでやっているのとでは受ける印象が大きく違う。ちなみにロシアでヘッドコーチを務めるガンバ氏は2階の全ての試合場が見渡せる通路に大会中はずっと立って試合を見守っていた。「なぜ、ここで?」と聞くと「ここが一番良く見えるから」という答えだった。ヘッドコーチは選手とともに闘うことも重要だが少し離れたところから全体をみるのも仕事なのかも知れない。

 最初にも書いたが、篠原ヘッドを中心とする男子チームは非常に頑張っていると思う。しかしながら、上昇しているときにこそ注意も必要だ。メディアも世間も、低迷しているときには比較的易しく応援する雰囲気があるが、上昇している人間は叩きたくなるのが常だ。上昇機運にのっている時ほど、つまらないことで足を引っ張られたり、つまずかないようにしてほしい。

 これも持論だが、大きい人間は小さい人間よりずっと優しい。篠原コーチも直に接すればとても謙虚である。ゴリラがいかにおとなしいと言われても人は怖がるので、大きい人はそれだけで人に威圧感を与えていることも自覚しなければならないのかもしれない。

 また今のコーチや選手もおとなしい。篠原ヘッドが、あまりにも「うるさい」ときには、はっきり「うるさい」と言うべきである。ヘッドコーチは孤独な戦いだが、裸の王様にしてはいけない。強いチームは、個々が強く、その強い個が結集したときに出来上がる

選手達の悲鳴

2010-12-16 14:45:30 | Weblog
グランドスラム東京は、土曜、日曜、月曜と変則的な日程であったが観客も思ったよりは入り、主催者側も「一応、成功」と胸を撫で下ろしているかもしれない。しかしながら、会場の半分は観客を入れなかったにも関わらず、満席になることもなく、パリ大会などと比較すると質が落ちるといった感は否めない。

3日間大会を観戦したが、充実感よりも疲労感が大きかったのはなぜだろうか。予選ラウンドは3試合上でアナウンスも名前を紹介するだけで淡々と試合が続いていく。以前にも言ったが、強豪選手が出る場合には紹介があったりすればもう少し注目してみるのかもしれないが・・・。

終わってみれば日本が多くの階級を制して活躍したかのように思えるが、実際には活躍すべき選手が今一で若手やダークホース的な選手が活躍したおかげである。この現象は9月の世界選手権と似ている。一番手の選手ではなく、2番手の選手が活躍した。世界選手権のときには、一番手のプレッシャーだと思ったが、今回は、選手達が皆一様に疲れていると強く感じた。やる気が感じられないというと言い過ぎだが、みなぎる闘志のようなものが出ていなかったのは確かだ。

福見選手は準決勝戦で勝利した後、本来自分が戻るべき側に下がっていくのではなく正面席のほうに戻ってきてしまった。係の人に声をかけられるまでは全く気がつかなかった。疲れて車を運転していると、到着したときにどうやってこの場に着いたのか記憶がないことがある。目を開いていても見えていない、やっていても意識していない、集中していないという現象であり、一つ間違えば大きな事故につながる可能性もある。福見選手に限らず、1、2番手の選手のほとんどがこのような状態ではないのか。

彼らを疲れさせるのは、この大会が終わっても休めるという期待がないことだ。引き続いての合宿、1月にはマスターズ(アゼルバイジャン)、2月にはパリのグランドスラムが待っている。試合は出れば良いというものではない。当たり前ながら、練習、調整、減量をしなければならない。ロンドンまでという思いで必死に自分に鞭を打っているのだろうが、心も身体も悲鳴を上げているのが私達にも伝わってきた。

強化とは、強くするのが目的なはずであるが、今やっているのは、ただ選手達に鞭を打って働かせる悪徳サーカスのようだ。サーカスの動物が無理をして病気になろうと死んでしまおうと、サーカスのオーナーは次を探せば良いのだから一向に構わない。強化に携わっているコーチたちは自分たちも辿ってきた道なのだから、これだけの合宿、試合をこなすことが可能かどうかの判断は容易にできるはずだ。海外の選手とは状況が違う。海外は選手層も日本ほどに厚くなく国内の競争がないに等しい。練習相手も国内には少ないから、国際合宿、大会が練習の場になっている。それらの選手と比較して日本人は逞しくないといった議論はおかしい。

強化選手の中には大学生も多く含まれるが、強化の方針に沿って全ての合宿、大会に参加していたら、まず4年間で卒業するのは無理だろう。オリンピックの代表に選ばれて、その年に限って柔道に専念するということで休学というのはこれまでにもあったが、世界選手権が毎年ある現状では、選手の間は大学に行く時間がないといっても過言ではない。大学側や先生が事情を考慮したとしても間に合うスケジュールではない。

確かに、他の競技では、それこそ365日合宿をしなければ、常に海外遠征をして鍛えなければメダルを狙うことが難しいともいえる。しかし、柔道は違う。例えば、現在、ランキング上位であり、経験もあるベテラン選手が大会に出場し続ける意味が何なのか?大会に出れば出るほど、各国から研究されることは間違いない。勝たせるために行かせているのか、勝ちづらくするために行かせているのか?

現在では、マルチサポート事業のサポートもあって医科学的な側面から選手達をサポートしている。この人たちに「トレーニング期、調整期、減量、ピーキングなどの観点から1年間の適正な試合数は?」と聞いてみたいぐらいだ。

負けた選手達のインタビューを聞くことはなかったが、そのうちの1人でも「こんなに試合をしていたら、負けるのが当たり前ですよ。もう疲れました。怪我をしないで終われただけでもラッキーでした。柔道が楽しくありません。」ぐらいの発言があっても良かったのではないかと思う。選手の正直な気持ちはそうだろうと推察する。

選手はベルトコンベアに乗ってくる商品ではない。つぶれたから次がいるというものではない。現場の先生が長い時間をかけて作り上げた傑作である。彼らが最高の状態で競い合って五輪の代表権を争ってほしい。消去法で生き残った選手を連れていくのなら強化とは言わない。また、消去法で生き残った選手であれば、代表権を勝ち取った時点で気持ちが切れてしまう可能性も少なくない。

世界選手権、グランドスラムと日本は成績を残しているが、この結果を額面通りに受け取って五輪に期待するのはいかがなのもかと思う。そのことを強化の現場がわかっていることを信じたいが・・・。

第3回筑波大学少年柔道錬成大会

2010-12-05 10:20:14 | Weblog
筑波大学柔道場において、「第3回筑波大学少年柔道錬成大会」が開催された。900名を超える子供達(幼児の部から小学校6年生まで)が参加した。試合形式は団体戦でトーナメント戦。朝10時から夕方の6時までノンストップで行われた。筑波大学の道場は狭いわけではないが、さすがにこれだけの人数が集ると息苦しさを感じるほどである。シニアの大会と違って子供の大会は、親がもれなくついてくるので参加者の倍の人数はいたはずである。

主催は筑波大学内にある「つくばユナイテッド柔道」。つくばユナイテッドとは、筑波大学の運動部が力を合せて周辺地域のスポーツ活動を応援することを目的として、平成17年3月に設立された体育系コーチング分野の教員を中心とした連合体であり、「スポーツを通して地域社会と大学に豊かで創生的な育みを提供すること」を理念として活動している。少年柔道教室もこの活動の一環であり、平成17年から4月からスタートした。

柔道教室の運営及び指導は、保護者の協力を得ながら、主に柔道部の学生(大学院生も含む)が中心となって行っており、日本や世界トップレベルで活躍する選手達から直接指導を受けられる点も特徴である。学生にとっても普段は競技として行っている柔道であるが、指導することによって競い合うだけではない柔道の意味や価値に触れるチャンスともなっている。大会の運営、審判も学生(大学院生を含む)が中心で行っている。

3回目を迎えるこの錬成大会には、朝飛道場、小川道場、春日柔道クラブ、古賀塾、力善柔道クラブなど強豪も多く参加し、レベルの高い大会であること、団体戦ということで個人戦以上に盛り上がり、皆熱かった!お父さん、お母さん、ビデオ片手に大声で声援を送る。後でビデオを見たときに自分の声にビックリ!なんて人も多いのではないだろうか。以前に世界で闘っていた元選手達も父兄として指導者として熱い声援を送っている姿もみられた。柔道経験のないお母さんも多いのだろうが、「門前の小僧」で、結構的確なアドバイスを送っていた。柔道に限らず子供のスポーツにかける親の思いは凄いものがある。試合数も多いので親の協力がなければ続けられないという現状もある。

負けると涙を見せる子供が多かった。自分の子供時代を考えると、負けて泣いただろうか?と考えてしまった。負けて悔しいと思う気持ちは重要だが、今の子供達は昔以上に勝つことへのプレッシャー、親のプレッシャー、指導者のプレッシャーが大きいのかもしれない。柔道の質も変わってきた。私達は試合でも組み手争いや切ったりといったことはなく、「組んでからやりましょう」といったのんびりとしたものだったが、今の子供達は組み手争いは当たり前だ。組み手のうまい子供も驚くほど多い。おそらく、柔道の技術として完成するのは昔よりもずっと早い。そのことが、頂点を極める上ではプラスなのかマイナスなのかは、もう少し検証が必要になるだろう。

体格の向上にも驚く。小学4年生で私よりも体格の良い子供達が結構いた。体格差のある対戦も多かった。子供の場合、体格が大きいとそれに頼ってしまい、技術の習得を怠ってしまう傾向もある。これは本人の自覚が云々という問題ではない。小学生の場合には学年別の大会がほとんどだが、並外れて体格の大きい子は、一つ上の学年にもエントリーできる方式をとってもよいのかもしれない。小さな体格の子供よりも実は恵まれた大きな体格の子供を伸ばすことは難しい。日本人の体格は良くなっているにもかかわらず、重量級で勝てなくなっている現実からもわかる。

子供達の懸命に頑張る姿、流す涙は見ていて気持ちがいい。こういった大会が毎週末のように全国各地で行われているのだろう。