山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

良き時代

2010-07-23 08:45:59 | Weblog
 暑い!暑い!暑い!と何度でも言いたくなるような、うだるような暑さが続いている。冷房の中に昼も夜もいるために身体はだるく、不快。夜は冷房を切ってと思うが、汗にまみれて悪夢でも見たかのような状態で目が覚める

 話は変わるが、最近は年齢のせいだろうか、会議がやたらと多い。勤務先、柔道、スポーツ関連などなど・・・会議のはしごなどは日常茶飯事だ。どれも重要な会議ではあるものの、自分自身が「気持ちを込めて取り組む」というのには少し違う。仕事は何でもそうだが、スポーツのように目標がはっきりしていない。失敗したことはわかっても、成功は感じにくい。また、成功したとしても満足感は得られにくい。おそらく、競技出身の人間だからそのように思うのかもしれないが・・。

 選手の頃は、夏は地獄だった道場内は40度を超えるような暑さで柔道着を着ているだけでも汗が流れた。夏休みは二部練習や合宿が続く。学生時代のアパートには冷房がなかったので身体の熱をとるためにお風呂に水をためて本を読みながら浸かっていたことを思い出す。毎日毎日柔道のことだけ、練習のことだけを考えて生活をしていた。

 今に比べてキツくてもわかりやすい充実感があった。もう一度あの頃に戻りたいとは思わない。あのキツさを繰り返す勇気も気力もない。それでも、あの頃は良かったなあと思う。目標がはっきりしていて脇目も振らずに頑張れば良かった。そしてそれを周囲も認めてくれた頃・・・。

 いまその厳しさのまっただ中にいる選手達は気がつかないだろうが、人生のうちで一つのことに全てを賭けられ、それが認めてもらえる時間はほんの少しだ。ほんとうに幸せな時間だ。そしてあっという間に過ぎ去ってしまう。

 9月の世界選手権まで2ヶ月をきった。選手達は最も追い込んだ練習をしているに違いない。大変なのは重々承知しているが羨ましくも感じる。ひとつのことに熱中できる時間を大事に悔いのないようにやりきってほしい

小学校で柔道指導

2010-07-20 08:11:45 | Weblog
 先日、杉並区内の小学校で2日間に渡って6年生に柔道の授業を行った。数年前から毎年行っているもので、「道」というテーマで様々な講師から教えてもらうという試みである。柔道については、武道必修化もあって、中学校への導入を行う試みもあるようだ。

 始めに全体で講義形式で柔道についての話を聞いた後、実技は一クラス3時間(45分×3)行った。礼法、基本動作、受身、投げ技、抑え技と続く。道場はないので体育館に滑り止めを敷き、その上に畳みを敷いた。動きが激しくなると畳みが動いたり、スプリングもないため衝撃が大きいことはあるものの、導入段階の授業には十分といえる。

 一クラス約40人。指導にあたったのは私と交代で大学の柔道の先生がもう1人、そして近くの高校の柔道部女子が数名、2日目は大学生が2人手伝いに来てくれた。

 小学生や中学生を指導する場合、指導者1人では目が行き届かないところも出てくるので学生であっても補助してもらうと指導者も安心感があり、授業の効率もあがる。

 昨年は12月に行って非常に寒かったので今回は7月に設定したが、あいにく梅雨明けと重なり暑さが厳しかった。学校側の行事や私の都合などもあって最適な時期を選ぶのは難しい。私が行った授業のときは暑さ対策として準備運動や受身など柔道着を着用しなくてもできる部分は体操着のままで行い、さらに男女交代で行うときなどは、休んでいる時には柔道着を脱がせておいた。柔道場で柔道着を脱いで休むことは抵抗を感じる指導者も多いと思うが、授業の場合はやむを得ないと思う。

 今回のような特別授業の場合、連続して指導ができるので効率的だ。子供達も興味を持って意欲的に取り組んでくれた。中学校での授業では週1~2回で10~13時間行われると思われるが、畳みを敷いておく場所や外部に支援(指導の補助)を頼むことなどを考えれば、大学で行うような集中授業のように数日間で行うことも良いのではないだろうか。

 他のスポーツの場合は、ほとんどが小学校で遊び的な要素を含んだ導入がされて中学校に移ってくる。しかし、柔道においてはそれがない。柔道そのものは難しいだろうが、柔道遊びのようなもの、柔道着の着方やたたみ方、礼法など伝統文化を教えるなど、少しでも小学校の時代に導入ができれば中学校での授業展開もやりやすくなるのではないだろうか。

 中学校の必修化に対応するだけでも大変なのに小学校まで・・・とお怒りの声が聞こえてきそうな気もするが、これを機会に中長期的観点を持って教育現場における柔道の展開を考えていきたいものだ。

意識の高まり

2010-07-13 18:13:17 | Weblog
 先週から今週にかけて全柔連関係のいくつかの会議があった。それぞれ違った会議であったが、参加者の関心は「柔道必修化」「指導者」「安全」といったところにあると思われた。こういったキーワードで話が進むと様々な意見が飛び交い、議論が白熱した。

 話をしていて難しいと感じるのは、いずれも「ベスト」という答えを導きだすことが難しく、百人いれば百人が意見を持っており、百通りの方法論があるということだろう。

 柔道に限らず、教育現場において指導者の重要性は皆が認識しているが、その理想像には違いもある。指導者資格についても議論はある。ただし、ここで問題となるのは柔道にはすでに「段」という資格が存在する。このシステムを指導者資格とどのように融合させていくかが難しい。しかしながら、一般的には黒帯を締めていればある程度の知識と指導者としての資質を備えていると見られるのも事実なので、今後は段の認定に指導者として必要な基礎的な知識や教養を試験の中に盛り込んでいくことも検討されてしかるべきかもしれない。その上で、黒帯=指導できるではなく、3段以上はその資格があるといったように、どのレベルから指導者として認めるかも議論されるべきだろう。

 学校の授業において難しいのは、体育の先生は教員免許を持っているために、柔道の段を取得していなくても柔道指導ができることになっている。先生によっては段を持たれている人もいるが、段も取得していないのに「見栄え」で黒帯を締めている先生もみかける。体育の教員は、指導法や救急法などは習得しているものの、柔道のように専門性の高い競技を教えるには難しい点も多い。しかしながら、柔道の授業をするために、さらに柔道の指導者資格が必要とすることが可能かどうか・・・。

 指導者資格が議論になるのも「安全」に対する意識が高まっているからではないだろうか。柔道は格闘技であり、危険な技、場面も存在する。しかし、子供達を危険から遠ざけることが子供を守ることにはならない。危険を回避するためにも逞しさを養う必要もある。大事なのは、どういった状況が危険で、事故が起きる可能性があるといった情報を皆が共有し、理解した上で安全に配慮し、指導を行うことが重要になる。全柔連も安全に対しての委員会を立ち上げた。

 安全には最大限の配慮が必要だが、指導者が萎縮してしまうことも心配だ。中学校の柔道部の数は激減している。理由は指導者数の減少である。中学校に限らず、クラブ等で指導されている先生は「やりがい」を感じて頑張っておられると思うが様々なプレッシャーやストレスにさらされているのも事実である。そういった先生方にとっても安心して指導に励める環境を確保することが必要だと思う。つまり、指導を受ける生徒達、指導する側の先生達、両方の立場から考えても事故を防ぐマニュアルや安全な指導を考えていくことは重要だといえる。

 体重別であるか無差別であるか、レベルの違い(経験年数や級など)での対戦をどうするか、危険な状況を回避するルールなどなど、試合や練習における方法をにおいても考える余地があるだろう。

 多くの柔道関係者がこれまで以上に、「指導者のあり方」「安全」といったことに対しての意識が高まっていることは間違いない。「自分は指導の経験もある。そんなことは言われなくてもわかっている。」と胸を張っていた指導者の多くも聞く耳を持ち始めているように感じる。講習会や勉強会を積極的に開催するなど、ベストではなくても良いと思った取り組みは迅速に実行し、目に見える形で進めていく必要がある。

山下旗柔道大会

2010-07-06 21:34:26 | Weblog
 7月4日宮城県登米市で行われた山下旗柔道大会に柔道教室講師で参加した。この大会は今年で32回を数える。東北を中心に多くの小学生、中学生133チーム790名が集まり、盛り上がった

 会場に入って目についたのが赤いポロシャツを着たお母さん達(昔お母さんだった人もいた)だった。赤ちゃんを背中におぶって靴袋を配る人、受付、来賓接待などなど、手作りの大会であることがこの風景で伝わってきた。講師控え室でお茶を入れていただいたお母さんたちのポロシャツの背中には山下先生のサインが輝いていた

 柔道教室では礼法から入り、挨拶の考え方、大切さ、考えることなどを実技を交えて行った。元チャンピオンが来るということで技術指導を期待していた人には物足りなかったかもしれない。しかし、柔道には「勝つこと」よりも大事なことがあることも伝えたかった。「これまでに怪我をしたことがある人」という質問に多くの子供達の手があがった。確かにやむを得ない怪我もある。しかし、怪我が柔道の勲章であるかのように思ってはいけない。私が小さい頃に通った道場の先生は「怪我をしない、させない」ことが大切と言い続けていた。

 三様の稽古と言われるが、子供達には「うまくなる稽古」「強くなる稽古」と言う説明をした。相手が自分よりも小さかったり、弱かったりした場合には「うまくなる稽古」を心がける。研究中の技を試したり、得意技でも余裕をもって綺麗に一本をとるように投げることを考える。決して投げた後にバランスを崩して相手に倒れかかるようなことはしない。相手が自分と同じ体格、それ以上、自分と同じか強い場合には「強くなる稽古」をする。試合と同じように思い切って技を仕掛けて決めるところまでいく。

 スポーツなんでもそうだと思うが、弱い相手とやることは「うまさが身につく」、強う相手とやれば「強さが身につく」。サッカーの岡田監督が「今後はもっと競った試合の経験を積ませたい」と語っていた。世界で活躍するレベルにいけば、強さをより鍛えていく必要があるからだ。逆に成長の段階では「強さ」よりも「うまさ、巧みさ」を身につけてほしいそこに日本人の器用さが生かされる武器を持つことができる

 こういった大会に来るたびに、日本の柔道を支えているのがどういった人たちなのかを自覚する。800名近い子供、応援団を合わせれば千人を超える。これだけの人数を集め、滞りなく大会を運営することは容易ではない。聞くところによると準備委員会の何人かはひと月あまり自分の仕事もしないで関わっていたという。本当に頭が下がる

 こういった活動を全柔連や講道館がなんとか支援し、応援する方法はないものだろうか