山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

技を練る時間

2010-10-22 10:23:52 | Weblog
 9月に行われた世界選手権において日本勢は好成績を収め2年後に迫ったロンドン五輪に向け、強化は順調に進んでいるようにみえる。しかしながら一方で選手達の大会スケジュールがあまりにもハードなために、このまま走り続けていけるのだろうかと老婆心ながら思う。

 国際柔道連盟がランキング制、ポイント制を導入したことで大幅に大会数が増えた。世界選手権も毎年、各国2名のエントリーが可能になった。こうした一連の流れの中でトップの選手達が1年間に出場する大会の数は、それまでとは比べ物にならないほど増えている。

 9月から来年の12月までの4ヶ月の間で、主な大会は、世界選手権(東京)、世界団体選手権(トルコ)、アジア大会(中国)、講道館杯、グランドスラム東京大会とあり、この他に各地でワールドカップ大会がある。派遣人数、レベルは若干異なるが、これら全ての試合に日本から選手が派遣されている。世界チャンピオンクラスの選手であっても4ヶ月の間に平均3大会に出場することとなる。

 私自身の経験からも試合が1ヶ月に一回の頻度というのは考えられない。減量、コンディショニング、ピーキングなどどれを考えても難しい。また、柔道というのは「技を練る」時間、「力をためる」時間が必要である。ボールゲームなどはゲームの中で力をつける部分が多いのかもしれないが、柔道の場合は少し違う。どんなに一流の選手で技術は出来上がっていたとしても大きな大会に向けては自分の技をもう一度練り直す時間が必要になる。

 技術があって試合で勝つことができたとしても、さらに技を練り、高める時間がなければ技は錆び付いてしまい光を失っていく。相手に研究され、技を見切られるために試合自体も魅力のないものになっていく。お互いが手の内を知れば知るほど試合は緊張感を欠き、平凡なものとなる傾向にある。

 国際柔道連盟は効果ポイントをなくしたり、足取りを禁止したりと、柔道本来の持つ魅力を取り戻そうとの努力が見られる。しかし、一方でこんなに大会を増やし、ポイントで選手を縛ったことは、柔道で最も大事な技を練る時間を選手から奪い、本質であるべき切れる技をみる醍醐味を無くしてしまう危険がある。

 心配なのはカデ、ジュニアという若い世代の大会も増えており、つまり、技術の基礎を作らなければならない時代にもその時間がなくなっていることだ。これは世界だけではなく、国内でも少年の試合が多いという話しを聞く。このままでは試合で勝てる選手は作られるかもしれないが、切れる技を持った選手はでてこないかもしれない。

 大会の数が多くなったことは仕方がないが、これら全ての大会に日本が派遣する必要があるのかといえば、これは別の話であろう。また、1年間の合宿、大会を決めていく時に強化コーチ、強化委員会だけで計画をするのではなく、選手達、所属のコーチも含めて年間計画を立てていく時期に来たのではないだろうか。

 ナショナルという最高にランクしている強化選手は各階級数名で、おそらくこの中からロンドン五輪に選ばれることは間違いない。そうであれば、その若干名の選手をそれぞれが最高の状態で育っていけるような環境を整えていくことが必要であろう。つまり、強化全体で計画を立てるというよりは個別の対応が望ましい。

 ベテラン、若手、減量があるもの、怪我の多いもの・・・それぞれの選手に最適の強化の方法や大会派遣の仕方があるはずである。世界選手権で日本勢が活躍したのは素晴らしかったが、ロンドン五輪終了後、あのときがピークだったということのないように万全の体制を考えてもらいたい。

谷選手引退

2010-10-15 23:51:12 | Weblog
 突然の発表だった。数日前の新聞には講道館杯出場への可能性について報じられていたので今日引退の会見を行うとは全く予想していなかった。会見は見ていないので彼女自身が何を語ったかはわからないが、議員との両立は物理的に無理であったのだろう。

 女子柔道界のひとつの時代が終わった。彼女にとって始めての福岡国際大会での活躍は衝撃だった。強いことは疑っていなかったが、これほどまでの選手が日本の女子に出現したことに驚いた。日本の女子は競技化が遅れたことで長いトンネルを歩いていた。彼女の見事な勝ちっぷりで一気に光が差し込んだ。

 それまでの女子柔道は競技としての魅力は男子に遠く及ばなかった。谷選手の技のスピード、完成度の高さは男子のトップ選手と比しても劣らなものだった。彼女がトップを走ることで多くの選手達が追いかけレベルが向上していった。現在の女子の強さがあるのも彼女の功績が大きい。

 技術もさることながら気持ちの強さが群を抜いていた。プレッシャー、怪我、ライバルなどといった障害があればあるだけ集中力が研ぎすまされ進化していった。誰もが恐怖を感じ、怯むところで常に強気の勝負にでた。その気持ちの強さこそがこれだけ長い間一線で活躍できた要因であろう。

 伝説を作った彼女にふさわしい引退の花道は残念ながら用意されなかった。引き際を誤ったのでは、という意見もあるかもしれない。しかし、チャンピオンはチャンピオンになった瞬間から自分のために闘うのではなく、周りの応援してくれる人、期待してくれる人たちのために闘うようになる。自分がやめたいからといって投げ出すことは難しい。引退の時期を見誤ったとすれば、それは柔道界、マスコミ、ファンの期待がそうさせてしまったのだろう。

 残念なのは北京以降、一度も闘うことなく引退を決めたことだろうか。そこには彼女自身、無念の思いがあるに違いない。闘った結果、勝ったか負けたかはわからない。それでも最後の闘いかもしれないという強い思いを持って闘って終わりたかったのではないだろうか。

 議員という仕事もスポーツ選手と似て多くの人の期待がある。おそらく彼女は議員になって始めて議員としての自分にかかる期待の大きさを感じたのかもしれない。

 アテネ五輪(2004)で金メダル5個という快挙を成し遂げた7人の選手達がこれで全員引退したことになる。彼女たちが打ち立てた金字塔を次の世代の選手達が立派に引き継いでいる。バトンを受け継ぐ人の準備ができた時がバトンを渡す時なのだろう。

 本当に長い間女子柔道を牽引してきた谷さんには心よりの賛辞と感謝の気持ちを送りたい。そして新たなステージでも多くの人の期待に応える活躍をしてくれるようエールを送りたい。