山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

現場の意見が組織を動かす

2009-07-26 22:25:55 | Weblog
 昨年の北京オリンピック以来、物議をかもしてきた水着騒動が今年度を区切りに治まりそうである。国際水連は水着の規定をラバーやポリウレタンを認めず、織物と決め、さらに体を覆う部分についても限定するというルールを決め、来年1月から実施するという

 この提案に対して全日本の平井ヘッドコーチは「これでやっと競泳本来のスタイルに戻る」と歓迎する意向を示した。こういったルールが決まった背景にはアメリカを中心とした各国の有力なコーチたちが集まって「水着にばかり話題が集中する」といった批判的な意見を集約し国際水連に案を提出したようである。つまり、現場が組織を動かしたのである

 柔道においても、2004年アテネ五輪の年に、IJF(国際柔道連盟、以下IJF)は試合を予選日、決勝日に分けて行うといった案を持っており、世界ジュニアで試験的実施、世界選手権で採用といった形で進めようとしていた。しかしながら、怪我などをしても1日で終われば痛くても頑張れるが、1日空けば欠場を余儀なくされるケースがでたり、体重を予選の日に計るだけで決勝は計らなければ体重別の意味がなくなるなど、コーチ中心の現場サイドでは反対意見が多かった。そのため、各国のコーチたちが署名活動を行い、この案を退けたという経験がある

 正直言って国際連盟のトップの方々は、選手やコーチなど現場のことを親身になって考えているとは思えない水連の今回の決定でも、もっと早くに対策を打ち出せればこんな混乱は生まれなかったおそらく企業への配慮によって決断が遅れたのだろう。しかし、企業へのダメージも計り知れない。高速水着開発のために競わせたことは事実でこれにかかった費用は膨大だろう。そして結局は使用禁止という企業にとっては開発費をどぶに捨てたに近い。選手にとってもそうだ。高速水着を使用して出た山のような世界記録はどうなるのか?おそらく、これから何十年も、あるいは永遠にこの記録を抜けない可能性が出てくる。現代スポーツの魅力の一つは記録の更新だけに、水泳は大きなハンディーを背負うことになる。記録保持者も自分自身の実力として評価されるだけでなく、「高速水着を使用した記録」というレッテルが貼られてしまう

 柔道でも同じような問題は多い。IJFは「コーチ席のコーチの態度が非常に悪いので試合場近くのコーチ席を排除する」として今年の1月から試合場の側に置かれたコーチ席を排除した。しかし、1年も経たないうちにコーチたちからの批判が大きかったのか、「コーチたちの態度が改善された」ということでコーチ席を復活するという。ただし、コーチ席に座る場合、予選はナショナルチームのジャージで着席が許されるが、決勝ラウンドではスーツにネクタイ着用を義務づけたこのルールに何の意味があるのかがわからない。柔道をよりスマートな競技に見せたいのか?日本のように何人もコーチを帯同できる国ならいいが、選手一人、コーチ一人で参加という国もある。こういった場合に、決勝の直前までコーチがアップを手伝うしかない。アップを受けて、すぐにスーツに着替えて行けというのか?IJFトップの人間たちは現場で柔道の指導などしたことがないのだろうと想像がつくさらにいえばドレスコードとは国それぞれであり、スーツが正装とは限らない。

 最近の政治をみても信頼感が得られないのは「ぶれる」という現象が多いからだ。なぜ「ぶれる」のか?それは何かを決定するときに、あらかじめ起こりえるであろうと思われる事態を想定して決定を下していないから、いざ実行してみて起きた事柄に対処できずに引っ込めたり、変更せざるを得なくなる。また、リーダーや組織がしっかりとした理念のもとにビジョンを持っているかということもある。国際水連もIJFも行き当たりばったりで物事を決めているという印象が拭えない。こういったリーダー、組織への信頼感は持てるはずがない。また、そういった組織がリーダーシップを発揮できるわけもなく、組織自体の発展も望めない

 さらに困るのは、往々にして組織の上に立っている人たちは人の意見を聞くという寛容な精神がない。「自分たちは偉い」「自分たちは優秀だ」という自負が強い。しかしながら、国際水連の決定をみてもわかるように、現場の声は無視もできないのである。柔道におけるコーチ席の復活もそうだ。であるならば、何かを決定する前に意見を聞くようなシステムを取り入れることが賢い策だ。

 IJFは新規にアスリート委員会を作り、現場の意見を聞くという方針を打ち出した。正直言ってこの委員会がどの程度機能し、影響力をもてるのかはわからない。しかし、大きな一歩であることは間違いない。このアスリート委員会の構成は選手達の投票によって大陸からの代表が選ばれ、IJFが指名する数人とで構成されるようだ。IJFからの推薦という紐付き人事は若干気になるがbetter than nothing!

 日本からアスリート委員が選出されるかどうかはわからないが、こういった委員会に挙げていく日本の現場の意見を集約していくためにも全柔連内にアスリート委員会の設置が求められる。IJFの動きに連動した全柔連の迅速な動きに期待したい

護身術

2009-07-24 23:22:42 | Weblog
 千葉市で女性が連れ去られるという事件が起きた。弱い子供や女性、お年寄りといった力の弱いものが被害を受ける事件が後をたたず、日本の安全はどこへいってしまったのだろうかと思う

 今でも女性が一人で深夜に歩いても大きな脅威や恐れを感じないということは、安全だと言えるのかもしれないが、何があってもおかしくない。いまや女性であっても弱い大和撫子ではいけないような気がする。自分の身はある程度自分で守る気構えのようなものが必要だ

 私は非常勤で勤めている大学で護身術という講座を開いている。護身術といっても実際に内容は柔道を教えている。私が学生達に伝えたいのは、「自分にもやる気になればこんなに力が出せる」ということ。柔道の良い点は、運動能力が高い人間でなくても力を出せるところだそして力を出せるという経験は体に染み付いて残る

 女性は小さい頃から(最近は男の子でもそうかもしれない)相手と取っ組み合ってけんかするなどという経験は無いに等しい。そういった環境のため、いざというときに声をあげることもできない女性も少なくない

 柔道をかじったからといって投げ技などで男の人に向かっていこうというのは恐れおおい。私でも柔道場でお互い柔道着を着ての勝負であれば素人に負けないかもしれないが、道場以外でルールのない闘いとなったら果たして・・と考えてしまう

 必要なことは、自分の身に危険が迫った時に、何らかの抵抗を試みる度胸と方法を持っていること。小さい子供であっても力一杯体当たりされたら大人もよろけるぐらいの威力を持つ。女性も同様である。一瞬に躊躇しないで力を集中して出せれば逃げるチャンスを生むことができる誰かに助けを求めるところまで逃げる時間を稼げるかもしれない

 親は行きていくのに必要な知恵を与えたくて勉強をさせる。ある意味では、体を鍛え、自分の身を守る術を身につけさせるのも生きる上では重要なことである。とくに現代社会においては、テレビで見ているような事件がいつ自分の身に振りかかってもおかしくない

 欧米では女性が柔道を始める目的の一つが護身である。日本も形としての護身術はあるが、女性に対して積極的に勧めている感じはない。大人の女性もそうだが、小学生、中学生の頃に経験させて何かあったら体が反応するようにしたいものだ向かっていく気構えこそが大事

 現在、柔道は登録人口が減っているという。こういった切り口が新しい展開を生むかもしれない。オリンピックで勝つことも大事だが、こういった普及の仕方も多いに世の中のためにもなると思う

難しさ

2009-07-23 22:53:51 | Weblog
 世の中というのは本当に難しいことが多い。信念を持って正しいと信じて頑張っても気持ちが通じないこともある。また、誤解を生んでしまうこともある。

 それでも、自分の信じたことにトライするからこそ、良きも悪きも反応があるのだから、何もしないよりは良いのだと思うしかない。

 何か壁にぶつかるたびに自分の無力を感じる。現役時代、試合で負けて落ち込んだこともあった。しかし、それは次の挑戦への大きな力にもなった。

 年を重ねると、跳ね返ってきたものを受け止めてそれをバネにしようという力が中々湧いてこなくなる。こうやって人間は段々と自分が傷つくことを恐れて挑戦しなくなっていくのだろう。

 それでも私は幸せだと思う。私の考えに共感し、応援してくれる人、励ましてくれる人、共に闘ってくれる人がいる。嘉納治五郎師範の言っておられた’自他共栄’という言葉を噛みしめる機会が多くなった。

女子柔道草創期の話

2009-07-16 10:08:01 | Weblog
 昨日は、柳沢先生を尋ねて三井住友海上の道場へ行ってきた。先生は、女子柔道の大会が始まったときから女子のコーチを引き受けられ、現在まで多くのメダリストを育ててきた。

 私が伺ったのは、月刊武道で連載中「女子柔道の歴史と課題」の取材のためである。私自身が選手としてやっていたが、私の知らない話などが聞けて面白く、参考になった。

 当時の強化委員会は人数も少なく、男女合同で開かれていたという。女子の強化費の話になると男子コーチから「女子の強化にお金をかけるのは、お金をどぶに捨てるようなものじゃないの?」と言われたこともあったという。その女子のメダルに最近は柔道界が助けられているというのも皮肉な話だ。

 海外に出られるのは年に1回程度、試合経験のなさを補うのは困難だった。ある国際大会に先生が選手二人を連れていったときの話。選手の一人が降りた電車にカメラを忘れてしまった。駅で車掌に話すと、「どこ行きの電車でしたか。カメラはどこの製品ですか?」と聞かれたという。どこ行きの電車かも製品名も思い出せず、「押せば写せるカメラ」と答えたというエピソードもあったようで、珍道中ぶりがうかがえた。今のように至れり尽くせりの大会参加ではなかった。

 選手を強化するために、海外の選手との体力を比較分析したという。日本の女子が劣っていたのは腕力など上半身の力、瞬発力だった。そこで強化合宿ではウェイトトレーニングなども取り入れた。

 現在、三井住友の道場のトレーニング室には奇妙な器具がいくつかある。これは先生が柔道にあったトレーニングをするために業者と連携で開発したものだと言う。選手から役に立たないと言われて没になったものもあるようだ。

 三井住友柔道部はアトランタオリンピック金メダル恵本裕子から始まって多くのメダリストを生んでいる。これはきっと、柳沢先生が女子柔道草創期に勝てないで悔しい思いをしたときからの積み重ねによるものであろう。それを示すように、当時のあらゆる資料が研究室には保管されていた。

海外合宿の考え方

2009-07-06 14:50:18 | Weblog
 ブラジル・リオでグランドスラム大会が行われた。男子は世界選手権の代表が数名参加しており、優勝はなかったのもの3位以内には入っていたので一安心といったところだろうかしかしながら、大会が多くなったこと、オリンピックへの出場に必要なポイントがオリンピック2年前からの大会から積算されるなどからか、どの大会をみても出場人数が少ないのが気になるこのシステムは今年1月からスタートしたばかりなので、とりあえず1年間過ぎてみないと評価できないとは思うが、IJFの思惑通りには進んでいないように思われる

 世界選手権まで2ヶ月をきった。この後、男女ともにスペインでの合宿、国内合宿を経て世界選手権を迎えることなる。何人かの選手が小さな怪我を抱えているようであるが、十分なコンディションで大会を迎えられることを願う

 今年は男女合同でスペインにおいて7月16日~23日まで合宿を行うようである。なぜ、スペインなのかはわからないが、毎年この時期に欧州のどこかで合宿を行うのが習慣になっている。世界で勝つためには欧州の柔道に慣れておくということが大きな理由である

 私自身これまで、この時期の欧州合宿に疑問も持たなかったが、よくよく考えてみるとこの時期の欧州合宿が実質的に必要なものなのだろうかという疑問を持つようになった。まず、これまで以上に大会が多くなって選手達にかかる負担が大きくなったことが大きい。国内での合宿も多く、怪我をじっくり治す時間もないようであるのが心配だ

 篠原監督のコメントを聞くと「この大会に出場できなければ代表を変える」とか「この合宿に参加できなければ代表を変える」といった励ましのようにも、脅しのようにも受け取れる確かに、選手は甘やかされるべきではなく、鍛えなければならないしかしながら、大会や合宿に参加することがメインの目的でもない

 また、女子のケースで考えると、どの選手も国際大会では十分な成績を挙げており、欧州の選手への対応は十分であると思われる。逆にこの時期欧州に行って手の内を見せるよりも国内でじっくり調整した方が賢いのではないかとも思う。実際、谷選手は欧州合宿にはほとんど参加しなかったし、参加しても乱取はしなかった。鍛えるべき選手と仕上げるべき選手とでも言おうか、そういった棲み分けも必要だろう

 こういった状況を考えるに、どうしても欧州の選手と手合わせをしたいのであれば欧州で合宿を行うのではなく海外のチームを招待して日本で合宿を行うという方法も考えられる。こちらが行くのも、あちらが来るもの予算的には変わらない。逆にメリットとしては、移動による時間の手間、疲労度が少ないこと、より多くの選手が海外の選手達と練習の機会を得られるそして、仕上げの選手に関してはこの時期に無理して海外の選手と乱取する必要もない。

 もちろん補助金での事業の場合、制約もあるだろうが最も効率よく成果を上げるための事業にするためにはJOCなどと交渉する価値がある。

 実は日本には、年間を通して海外からひっきりなしに多くのチームが合宿に訪れている。いくつかの大学はその受け入れに四苦八苦するほどである。こういった環境をナショナルチームが生かしきっていないようにも見受けられる大学に海外からのチームが来ると案内を出して個別分散などの合宿を組んでもらって選手を派遣してもらうこともあるが、実際に参加した選手は海外の選手と積極的に練習しようとしないといったケースもみられるこういう選手はわざわざお金をかけて海外に連れて行っても価値があるのだろうか?と思ってしまう

 日本が積極的に海外のチームを予算を出して受け入れれば、国際交流、貢献としても評価される。昨年と比べて大会の数が多くなり、選手はもちろん、コーチなどの派遣役員にかかる負担も大きくなっている。そういった意味では、これまでの年中行事として実行していた欧州合宿も本当に必要なものなのかどうか、時期、やり方を含めて検討する価値がある。全柔連会長は「常識を疑え」ということをよく言われるのだから


雑念のない若さ

2009-07-01 14:07:08 | Weblog
 先日、ミズノオープンよみうりクラシックにおいて石川遼選手が初日からの好調を維持して優勝を飾った。ゴルフは生涯で数回程度しかプレイしたこともなく、知識もないが、彼の活躍には興味がわく。高校生にもかかわらずプロに転向した時には、「世の中そんなに甘くないだろう。高校生なんだから学校に行けよ。」的な見方を正直していたしかし、最近では感心することのほうが多い大会によって調子の波は確かにあるようだが、技術、体力、精神力ともに着実に進化しているのが見てとれる

 何より素晴らしいのは攻めの姿勢を貫くところである。最近、柔道の試合を見ていて思うことは「リスクを背負ってでも挑戦する」といった闘いが少ないのを残念に思っていた。「やるかやられるか」の試合は見ていても面白いし、醍醐味を感じる。そういった意味において石川選手のゴルフは魅力があるし、人気が高いのも理解できる

 ミズノオープンでも15番でOBを2回打ってリードを一気に無くし、2位以下の選手との差がなくなった。普通、こういう状況であればリードを守ろうと堅いゴルフになると思われるが、16番でさらに攻めてチップインイーグルを決めて一気に突き放した。谷選手の絶頂のときがそうであった。試合が後半になって競っている場合、誰もが守りに入りそうになるが、彼女はそこで一気に攻めたて勝利を引き寄せた

 魅力のある選手というのは、勝つことももちろんだが、相手をどうやって料理してくれるだろうかという技や方法に興味がそそられる。勝負した結果、万が一負けたとしても見ている方は納得できる。また、彼らは積み重ねた練習での自信からリスクコントロールができ、負けることも少ない

 もう一人、気になっているのは全盲のピアニスト辻井伸行さんである。バン・クライバーン国際ピアノコンクールで見事に優勝し、一躍脚光を浴びた。今では世界各国で引っ張りだこの状況のようだが、周りの人間ほど彼自身は浮かれたところがなく、与えられたひとつひとつの課題と向き合い、一歩一歩進んでいるように見える。彼の言葉で印象的だったのは「目が見えないという部分で評価してもらうのではなく、一人のピアニストとして評価してもらいたい」という言葉だった。ハンディーを背負って辛いことや大変なことも多かっただろうにそれを利用しない潔よさがいい

 この二人を見ていて共通しているところは、雑念無く自分の目標に真っすぐに打ち込んでいるところだ。最近の政治などを見ていると駆け引きばかりが先行し、計算ずくの言葉や行動ばかりで興醒めする。そういった意味で若い二人が真っすぐに歩んでいる姿は清涼感を与えてくれるし、日本人も捨てたのもではないと感じさせてくれる

 マイケル・ジャクソンの死も衝撃的だった。彼は幼い時からスターとなって、それ故に生きにくい人生でもあったようだ。全く比較の対象にはならないかもしれないがスポーツ選手も似た部分を持つ。人生のピークを若いうちに迎えてしまう。ファーストキャリアをセカンドキャリアが抜くことの無い人生である。芸能でもスポーツでもトップに立ったり、夢をかなえることは素晴らしいが、そのことが長い人生においては足かせになり、生きづらいこともあるように思うと複雑である

 若く、活躍している人は、まぶしく、輝いているし、見ている私たちも晴れがましい気分になるが、同時に彼らが将来どのような道を歩き、どのような人生になるのだろうということにも興味がわく

 石川選手の試合には常に多くのギャラリーがいる。彼らはきっと自分にもあった「雑念無く、真っすぐに生きていた時代」を重ねて見ているのだろう

 柔道にも石川選手のような華のある選手が欲しい。それには何より、プレッシャーはあっても攻めの姿勢を貫くことが大事である