全日本柔道連盟は、今年1月1日より行われた「国際審判規定」の改正に伴って「講道館柔道試合審判規定」との格差が広がり、選手に混乱が生じることを危惧して、講道館柔道試合審判規定の改正を検討しているという。(コメントに情報を寄せていただき、ありがとうございます)以下に示したのは全日本柔道連盟審判委員会委員長である川口氏のブログから引用したものである。
情報
(主な改正案)
1)場内外の判断基準を国際規定に合わせる。立ち姿勢、寝姿勢とも。
2)「指導」を表示する。
3)「総合勝ち」の所作を国際規定に合わせる。
4)「一本」の動作を国際規定にあわせ、「掌を前方に向けて・・・」にする。
5)「教育的指導」の削除。
6)「指導」「注意」「警告」「反則負け」を明確に区切る。
7)「寝技への引き込み」は「指導」にする。
8)「相手の帯より下へ直接手又は腕による攻撃・防御・・・」を国際規定に合わせて反則は
「警告」とする。
9)「反則」の合議は「警告」から義務付けとする。
10)医療処置を国際規定に合わせる。
(少年規定)
1)第35条の(禁止事項)の反則分類を明確に区切る。「指導」「注意」「警告」「反則負け」
2)「両膝を最初から同時に畳について・・・」の反則は「指導」とする。
3)「固技などで、頸の関節及び脊椎に故障を及ぼすような動作」は「警告」とする。
現在、いわゆる国内審判規定(以下、国内規定という)がジュニア以上で採用されている大きな試合は男女の全日本選手権と国体ぐらいであろう。大会数としては多くないが、それでも選手はもちろん審判の混乱、負担は大きい。
これまで国際規定が改正されるたびに、国内規定は完全にではなく、少しずつ近づけられてきた。常に疑問に思うのは、なぜ国内規定が必要なのかという点である。国内規定が講道館柔道の本質を守るために必要なのだということだろうか?そうであれば国際規定の改正を追いかける形で改正を繰り返すのはいかがなものか。
この際、国内規定が本当に必要なのかという議論が行われるべきであろう。そもそも誰か国内規定が必要だと思っている人がいるのだろうか。講道館柔道試合審判規定という名称をなくすのが怖いだけか?今回の改正も選手の混乱をさけるためということだが、そうであればルールを一本化することが最も選手にはわかりやすい。
また、「講道館柔道試合審判規定」であるにもかかわらず議論するのは全日本柔道連盟であるのも解せない。これに対して講道館はどのように関わっているのか、どのような考えを持っているのか、見解が示されたことがない。
講道館がルールによって柔道の本質を守りたいというのであれば、その意見を発信し、国際規定に繁栄させるような努力を行うべきである。近年のルール改正は常に国際規定の改正に追随してきただけである。にもかかわらず、国内の規定を後生大事に形ばかり維持していく価値があるのだろうか。ルールが一本化されれば、今まで以上に国際規定の改正に危機感を持って検討し、対処できるのではないかとも考える。
良い機会なので、小さな改正を行うのではなく、柔道のルールについて講道館は、日本はどう考えるのか、どうしていくのかという本質的な議論をしてほしい。また、講道館は柔道のルールに対してどのような考えを持っているのかを発信するべきである。こういった機会を捉えて講道館は世界に向けて発信していかなければ、その存在感は小さくなる一方だ。
情報
(主な改正案)
1)場内外の判断基準を国際規定に合わせる。立ち姿勢、寝姿勢とも。
2)「指導」を表示する。
3)「総合勝ち」の所作を国際規定に合わせる。
4)「一本」の動作を国際規定にあわせ、「掌を前方に向けて・・・」にする。
5)「教育的指導」の削除。
6)「指導」「注意」「警告」「反則負け」を明確に区切る。
7)「寝技への引き込み」は「指導」にする。
8)「相手の帯より下へ直接手又は腕による攻撃・防御・・・」を国際規定に合わせて反則は
「警告」とする。
9)「反則」の合議は「警告」から義務付けとする。
10)医療処置を国際規定に合わせる。
(少年規定)
1)第35条の(禁止事項)の反則分類を明確に区切る。「指導」「注意」「警告」「反則負け」
2)「両膝を最初から同時に畳について・・・」の反則は「指導」とする。
3)「固技などで、頸の関節及び脊椎に故障を及ぼすような動作」は「警告」とする。
現在、いわゆる国内審判規定(以下、国内規定という)がジュニア以上で採用されている大きな試合は男女の全日本選手権と国体ぐらいであろう。大会数としては多くないが、それでも選手はもちろん審判の混乱、負担は大きい。
これまで国際規定が改正されるたびに、国内規定は完全にではなく、少しずつ近づけられてきた。常に疑問に思うのは、なぜ国内規定が必要なのかという点である。国内規定が講道館柔道の本質を守るために必要なのだということだろうか?そうであれば国際規定の改正を追いかける形で改正を繰り返すのはいかがなものか。
この際、国内規定が本当に必要なのかという議論が行われるべきであろう。そもそも誰か国内規定が必要だと思っている人がいるのだろうか。講道館柔道試合審判規定という名称をなくすのが怖いだけか?今回の改正も選手の混乱をさけるためということだが、そうであればルールを一本化することが最も選手にはわかりやすい。
また、「講道館柔道試合審判規定」であるにもかかわらず議論するのは全日本柔道連盟であるのも解せない。これに対して講道館はどのように関わっているのか、どのような考えを持っているのか、見解が示されたことがない。
講道館がルールによって柔道の本質を守りたいというのであれば、その意見を発信し、国際規定に繁栄させるような努力を行うべきである。近年のルール改正は常に国際規定の改正に追随してきただけである。にもかかわらず、国内の規定を後生大事に形ばかり維持していく価値があるのだろうか。ルールが一本化されれば、今まで以上に国際規定の改正に危機感を持って検討し、対処できるのではないかとも考える。
良い機会なので、小さな改正を行うのではなく、柔道のルールについて講道館は、日本はどう考えるのか、どうしていくのかという本質的な議論をしてほしい。また、講道館は柔道のルールに対してどのような考えを持っているのかを発信するべきである。こういった機会を捉えて講道館は世界に向けて発信していかなければ、その存在感は小さくなる一方だ。