前回に引き続き岡野先生から伺ったお話を紹介したいと思います
*柔道着の重要性について
岡野先生:柔道はスーツスタイルではなく、着物スタイルの柔道着を着用しているところに競技の特色がある。スーツは体にピッタリと張り付く感じでフィットしたもの。これに対して着物には「たっぷり」感がある。特に袖のたっぷり感が重要な点である。柔道着は帯一本によってくくられているために、競技を行っていると、道着が乱れてくる。これこそが柔道の競技性、つまり、「乱れるということは力が逃がされる」、力が伝わるときに「あそび」の部分があるということ。これがあるから、柔道は「柔よく剛を制する」ことが可能になる。
岩崎という柔道着屋が昔、「最近の選手は柔道着をなるべく小さくつくってほしいといってくるんですよ」と嘆いていたのを思い出す。いつの頃からか、持たせる柔道から切る柔道へと変化してきた。これは海外の柔道ばかりではなく、日本の柔道界にも同様だ。柔道着は、競技において用具と同じであり、これの規定によって競技そのものが変わってしまう。
襟が厚くなって固くなれば背負投などをかけることが難しくなる。これまであった柔道の技術そのものが変わってしまうことは危惧するところだ。現在でも柔道着のゆとりをルールで規定しているが、その規定も非常に甘くみえる。選手達の柔道着姿に「たっぷり」感がない。これでは柔道が柔道でなくなってしまう。
(近年、国際大会等の決まり技に変化が出ている。以前は決まり技の上位に背負投、大外刈、内股といった技が入っていたが、ここ数年は、朽木倒、肩車、双手刈といった技が上位にきている。この傾向が見た目にも明らかで、レスリングと見分けがつかないといったことから、IJFはズボンを握って技をしかけることを禁止した。確かにこのルールも必要な対策ではあろうが、柔道着の規定をしっかりとすることがさらに求められる。
上村IJF理事は、柔道着の規定について厳しくするように積極的に働きかけをしていると聞くが、その際に国内外の人たちに「なぜ柔道着はそうである必要があるのか」という理念を発信してもらいたい。選手達の中には、柔道着を相手に持たせないで切ることが勝つためには重要だと思っているものも多い。実際、練習などで技をかけることよりも切りあっている時間のほうが長い光景をみかける。確かに、奥襟をとられて身動きできない状況であれば切ることもやぶさかではないが、自分も十分技をかけられる組み手であっても、相手が持ったら切る、つまり、自分が100、相手が0でなければ嫌というような姿勢が見受けられる。
私が子供の頃には、先生と稽古をして組み手争いなどをしたら怒られた。また、同じぐらいの相手とする時でも、先生からは「切るのではなく、自分の組み手が十分でない状況からでも何とかできる練習をしなさい」と言われた。また、格下の相手とやるときには「先に相手に持たせてあげて、自分は不利な状態でやってみなさい」と言われた。テニスや卓球などもそうだが、ラリーをみるのは楽しい。これがサーブだけで決まってしまったら魅力が半減してしまう。柔道も同じだと思う。組み合って技を仕掛けあう攻防こそが、やっている側も見ている側も魅力のはずだ。日本人でも勝つことにこだわるあまり、そういったことを忘れてしまっているのは寂しい。)
*様々な試合の可能性
岡野先生:柔道の試合も限定的に様々な形の大会や試合をやってみると良いと思う。例えば、「寝技の試合」である。グレーシー柔術から学んだブラジルの選手に日本人が負けているケースが見られるが、日本ももっと寝技を重要視しても良いと思う。寝技の試合を行うことで、寝技の技術向上にもつながるし、新しいファン層を獲得することにもつながる。参加者の年齢の幅も大きくなることが予想される。ノンタイトルでもいいので試験的にやってみる価値はある。
トレーニングの一環として柔道着の上着を脱いで帯とズボンだけでやりあわせたことがある。こういったトレーニングをしていると力の強い相手に接近戦を挑まれても対応することが可能になる。練習というと力を抜くのもいるので、強化合宿の期間を利用して試合形式でやってみるのもいい。柔道着を着ているとごまかされがちなフィジカルな部分の強さ、もつれたときの対応力などが確認できる。
最近では「形の大会」も行われるようになった。これについては歓迎すべきだが、現在ある「形」のみでコンテストを続けていくには限界がある。自分たちでオリジナルな形を競うような部門もあっていいだろう。
これまでやってきた大会や試合の形にこだわりすぎず、様々な取り組みをしていくことが必要で、そのことが柔道のさらなる魅力を引き出し、発展につながる。
(寝技の試合というのは、面白いと思った。一般的に言われるのは、立ち技は年齢とともに力が落ちるが、寝技は落ちないということだ。また、寝技には自信を持っている人も多い。素人向けの大会というよりは、より玄人好みの大会となるはずである。
オリジナルの形を競うというのは私自身も考えていた。ヨーロッパでは大会のデモンストレーションで音楽をかけながらであったり、独自の護身術などを実際に行っている。クラシックな形のコンテストは残したまま、新しい形、オリジナルな形も取り入れていくことは良いアイデアだと思う。)
*女子選手の引退後の可能性
岡野先生:女子柔道が非常に盛んになったが、引退した後、柔道に関われる環境が少ないのが実態だろう。ここまで女子柔道のレベルも上がったのだから、女性が道場を持つ時代になったのではないかと思う。男性もいいが、女性の方が子供達を指導するということには向いている部分もあると思う。ただし、いまの道場の指導料は低すぎてそれだけでは食べてはいけないので、指導料を少し引き上げることもあっていい。月8千円ぐらいで20人くれば、裕福ではなくても食べてはいける程度は収入を持てる。以前は柔道場と整骨院を併設してやっていた指導者も多かったが、これからは柔道家以外も整骨院をやるケースが増えてくるし、競争が激しい。柔道を極めた人たちが柔道で食べていける環境を整えていく必要がある。実際、フランスではそれができている。
嘉納師範は裕福な出自であったから、指導料をとらずとも良かったかもしれないが、時代は変化している。技術を安売りしてもいけない。高すぎる必要はないが、それが生業となるぐらいの指導料はもらうのが妥当だろう。
(以前に私も書いたが、道場における指導料の設定は地域性もあるし、なかなか難しいと思う。ただ、私が思うには「自分たちが安い指導料でやっているから、みんなもそうしなさい。」とか「高い指導料をとるのはダメだ」ということは言うべきではない。それぞれの立場や考え方に応じて指導料を設定して良いと思う。)
*子供のように泣くな!
岡野先生:先日、全日本選手権を見ていたら、優勝した穴井選手が子供のように泣いていた。前年の石井選手もそうだった。嬉しい気持ちもわからないではないが、「全日本の優勝者が子供のように泣くな!」と言いたい。ジワッとくるものがあってもこらえるぐらいの強さが欲しい。
(確かに、最近では柔道に限らず、涙を流す男の子が増えているように思う。どちらかというと、女の子のほうが泣かない。柔道では明らかにそうだと思う。なぜだろうか?)
数回に渡って岡野先生へのインタビューを載せてきました。時間にして3時間を超えるものであったので、全部を伝えることはできませんが、先生の柔道に対する鋭い感性は伝わったのではないかと思います。余談ですが、岡野先生の奥様はアメリカ人の方です(ロビンさん)。岡野先生=侍といったイメージからすると意外に思われるかもしれません。お子さん達は皆海外留学の経験を持っています。ご自身は最近、ゴルフもなされるそうです。柔道一筋ではあっても、視野が狭いわけではなく、異文化への理解もお持ちです。これからも機会があれば色々教えていただき、柔道界に提案していければと思います
()は私自身の意見です。
*柔道着の重要性について
岡野先生:柔道はスーツスタイルではなく、着物スタイルの柔道着を着用しているところに競技の特色がある。スーツは体にピッタリと張り付く感じでフィットしたもの。これに対して着物には「たっぷり」感がある。特に袖のたっぷり感が重要な点である。柔道着は帯一本によってくくられているために、競技を行っていると、道着が乱れてくる。これこそが柔道の競技性、つまり、「乱れるということは力が逃がされる」、力が伝わるときに「あそび」の部分があるということ。これがあるから、柔道は「柔よく剛を制する」ことが可能になる。
岩崎という柔道着屋が昔、「最近の選手は柔道着をなるべく小さくつくってほしいといってくるんですよ」と嘆いていたのを思い出す。いつの頃からか、持たせる柔道から切る柔道へと変化してきた。これは海外の柔道ばかりではなく、日本の柔道界にも同様だ。柔道着は、競技において用具と同じであり、これの規定によって競技そのものが変わってしまう。
襟が厚くなって固くなれば背負投などをかけることが難しくなる。これまであった柔道の技術そのものが変わってしまうことは危惧するところだ。現在でも柔道着のゆとりをルールで規定しているが、その規定も非常に甘くみえる。選手達の柔道着姿に「たっぷり」感がない。これでは柔道が柔道でなくなってしまう。
(近年、国際大会等の決まり技に変化が出ている。以前は決まり技の上位に背負投、大外刈、内股といった技が入っていたが、ここ数年は、朽木倒、肩車、双手刈といった技が上位にきている。この傾向が見た目にも明らかで、レスリングと見分けがつかないといったことから、IJFはズボンを握って技をしかけることを禁止した。確かにこのルールも必要な対策ではあろうが、柔道着の規定をしっかりとすることがさらに求められる。
上村IJF理事は、柔道着の規定について厳しくするように積極的に働きかけをしていると聞くが、その際に国内外の人たちに「なぜ柔道着はそうである必要があるのか」という理念を発信してもらいたい。選手達の中には、柔道着を相手に持たせないで切ることが勝つためには重要だと思っているものも多い。実際、練習などで技をかけることよりも切りあっている時間のほうが長い光景をみかける。確かに、奥襟をとられて身動きできない状況であれば切ることもやぶさかではないが、自分も十分技をかけられる組み手であっても、相手が持ったら切る、つまり、自分が100、相手が0でなければ嫌というような姿勢が見受けられる。
私が子供の頃には、先生と稽古をして組み手争いなどをしたら怒られた。また、同じぐらいの相手とする時でも、先生からは「切るのではなく、自分の組み手が十分でない状況からでも何とかできる練習をしなさい」と言われた。また、格下の相手とやるときには「先に相手に持たせてあげて、自分は不利な状態でやってみなさい」と言われた。テニスや卓球などもそうだが、ラリーをみるのは楽しい。これがサーブだけで決まってしまったら魅力が半減してしまう。柔道も同じだと思う。組み合って技を仕掛けあう攻防こそが、やっている側も見ている側も魅力のはずだ。日本人でも勝つことにこだわるあまり、そういったことを忘れてしまっているのは寂しい。)
*様々な試合の可能性
岡野先生:柔道の試合も限定的に様々な形の大会や試合をやってみると良いと思う。例えば、「寝技の試合」である。グレーシー柔術から学んだブラジルの選手に日本人が負けているケースが見られるが、日本ももっと寝技を重要視しても良いと思う。寝技の試合を行うことで、寝技の技術向上にもつながるし、新しいファン層を獲得することにもつながる。参加者の年齢の幅も大きくなることが予想される。ノンタイトルでもいいので試験的にやってみる価値はある。
トレーニングの一環として柔道着の上着を脱いで帯とズボンだけでやりあわせたことがある。こういったトレーニングをしていると力の強い相手に接近戦を挑まれても対応することが可能になる。練習というと力を抜くのもいるので、強化合宿の期間を利用して試合形式でやってみるのもいい。柔道着を着ているとごまかされがちなフィジカルな部分の強さ、もつれたときの対応力などが確認できる。
最近では「形の大会」も行われるようになった。これについては歓迎すべきだが、現在ある「形」のみでコンテストを続けていくには限界がある。自分たちでオリジナルな形を競うような部門もあっていいだろう。
これまでやってきた大会や試合の形にこだわりすぎず、様々な取り組みをしていくことが必要で、そのことが柔道のさらなる魅力を引き出し、発展につながる。
(寝技の試合というのは、面白いと思った。一般的に言われるのは、立ち技は年齢とともに力が落ちるが、寝技は落ちないということだ。また、寝技には自信を持っている人も多い。素人向けの大会というよりは、より玄人好みの大会となるはずである。
オリジナルの形を競うというのは私自身も考えていた。ヨーロッパでは大会のデモンストレーションで音楽をかけながらであったり、独自の護身術などを実際に行っている。クラシックな形のコンテストは残したまま、新しい形、オリジナルな形も取り入れていくことは良いアイデアだと思う。)
*女子選手の引退後の可能性
岡野先生:女子柔道が非常に盛んになったが、引退した後、柔道に関われる環境が少ないのが実態だろう。ここまで女子柔道のレベルも上がったのだから、女性が道場を持つ時代になったのではないかと思う。男性もいいが、女性の方が子供達を指導するということには向いている部分もあると思う。ただし、いまの道場の指導料は低すぎてそれだけでは食べてはいけないので、指導料を少し引き上げることもあっていい。月8千円ぐらいで20人くれば、裕福ではなくても食べてはいける程度は収入を持てる。以前は柔道場と整骨院を併設してやっていた指導者も多かったが、これからは柔道家以外も整骨院をやるケースが増えてくるし、競争が激しい。柔道を極めた人たちが柔道で食べていける環境を整えていく必要がある。実際、フランスではそれができている。
嘉納師範は裕福な出自であったから、指導料をとらずとも良かったかもしれないが、時代は変化している。技術を安売りしてもいけない。高すぎる必要はないが、それが生業となるぐらいの指導料はもらうのが妥当だろう。
(以前に私も書いたが、道場における指導料の設定は地域性もあるし、なかなか難しいと思う。ただ、私が思うには「自分たちが安い指導料でやっているから、みんなもそうしなさい。」とか「高い指導料をとるのはダメだ」ということは言うべきではない。それぞれの立場や考え方に応じて指導料を設定して良いと思う。)
*子供のように泣くな!
岡野先生:先日、全日本選手権を見ていたら、優勝した穴井選手が子供のように泣いていた。前年の石井選手もそうだった。嬉しい気持ちもわからないではないが、「全日本の優勝者が子供のように泣くな!」と言いたい。ジワッとくるものがあってもこらえるぐらいの強さが欲しい。
(確かに、最近では柔道に限らず、涙を流す男の子が増えているように思う。どちらかというと、女の子のほうが泣かない。柔道では明らかにそうだと思う。なぜだろうか?)
数回に渡って岡野先生へのインタビューを載せてきました。時間にして3時間を超えるものであったので、全部を伝えることはできませんが、先生の柔道に対する鋭い感性は伝わったのではないかと思います。余談ですが、岡野先生の奥様はアメリカ人の方です(ロビンさん)。岡野先生=侍といったイメージからすると意外に思われるかもしれません。お子さん達は皆海外留学の経験を持っています。ご自身は最近、ゴルフもなされるそうです。柔道一筋ではあっても、視野が狭いわけではなく、異文化への理解もお持ちです。これからも機会があれば色々教えていただき、柔道界に提案していければと思います
()は私自身の意見です。