山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

岡野先生インタビュー3

2009-05-30 10:48:07 | Weblog
 前回に引き続き岡野先生から伺ったお話を紹介したいと思います

*柔道着の重要性について
岡野先生:柔道はスーツスタイルではなく、着物スタイルの柔道着を着用しているところに競技の特色がある。スーツは体にピッタリと張り付く感じでフィットしたもの。これに対して着物には「たっぷり」感がある。特に袖のたっぷり感が重要な点である。柔道着は帯一本によってくくられているために、競技を行っていると、道着が乱れてくる。これこそが柔道の競技性、つまり、「乱れるということは力が逃がされる」、力が伝わるときに「あそび」の部分があるということ。これがあるから、柔道は「柔よく剛を制する」ことが可能になる。
 岩崎という柔道着屋が昔、「最近の選手は柔道着をなるべく小さくつくってほしいといってくるんですよ」と嘆いていたのを思い出す。いつの頃からか、持たせる柔道から切る柔道へと変化してきた。これは海外の柔道ばかりではなく、日本の柔道界にも同様だ。柔道着は、競技において用具と同じであり、これの規定によって競技そのものが変わってしまう。
 襟が厚くなって固くなれば背負投などをかけることが難しくなる。これまであった柔道の技術そのものが変わってしまうことは危惧するところだ。現在でも柔道着のゆとりをルールで規定しているが、その規定も非常に甘くみえる。選手達の柔道着姿に「たっぷり」感がない。これでは柔道が柔道でなくなってしまう。

(近年、国際大会等の決まり技に変化が出ている。以前は決まり技の上位に背負投、大外刈、内股といった技が入っていたが、ここ数年は、朽木倒、肩車、双手刈といった技が上位にきている。この傾向が見た目にも明らかで、レスリングと見分けがつかないといったことから、IJFはズボンを握って技をしかけることを禁止した。確かにこのルールも必要な対策ではあろうが、柔道着の規定をしっかりとすることがさらに求められる。
 上村IJF理事は、柔道着の規定について厳しくするように積極的に働きかけをしていると聞くが、その際に国内外の人たちに「なぜ柔道着はそうである必要があるのか」という理念を発信してもらいたい。選手達の中には、柔道着を相手に持たせないで切ることが勝つためには重要だと思っているものも多い。実際、練習などで技をかけることよりも切りあっている時間のほうが長い光景をみかける。確かに、奥襟をとられて身動きできない状況であれば切ることもやぶさかではないが、自分も十分技をかけられる組み手であっても、相手が持ったら切る、つまり、自分が100、相手が0でなければ嫌というような姿勢が見受けられる。
 私が子供の頃には、先生と稽古をして組み手争いなどをしたら怒られた。また、同じぐらいの相手とする時でも、先生からは「切るのではなく、自分の組み手が十分でない状況からでも何とかできる練習をしなさい」と言われた。また、格下の相手とやるときには「先に相手に持たせてあげて、自分は不利な状態でやってみなさい」と言われた。テニスや卓球などもそうだが、ラリーをみるのは楽しい。これがサーブだけで決まってしまったら魅力が半減してしまう。柔道も同じだと思う。組み合って技を仕掛けあう攻防こそが、やっている側も見ている側も魅力のはずだ。日本人でも勝つことにこだわるあまり、そういったことを忘れてしまっているのは寂しい。)

*様々な試合の可能性
岡野先生:柔道の試合も限定的に様々な形の大会や試合をやってみると良いと思う。例えば、「寝技の試合」である。グレーシー柔術から学んだブラジルの選手に日本人が負けているケースが見られるが、日本ももっと寝技を重要視しても良いと思う。寝技の試合を行うことで、寝技の技術向上にもつながるし、新しいファン層を獲得することにもつながる。参加者の年齢の幅も大きくなることが予想される。ノンタイトルでもいいので試験的にやってみる価値はある。
 トレーニングの一環として柔道着の上着を脱いで帯とズボンだけでやりあわせたことがある。こういったトレーニングをしていると力の強い相手に接近戦を挑まれても対応することが可能になる。練習というと力を抜くのもいるので、強化合宿の期間を利用して試合形式でやってみるのもいい。柔道着を着ているとごまかされがちなフィジカルな部分の強さ、もつれたときの対応力などが確認できる。
 最近では「形の大会」も行われるようになった。これについては歓迎すべきだが、現在ある「形」のみでコンテストを続けていくには限界がある。自分たちでオリジナルな形を競うような部門もあっていいだろう。
 これまでやってきた大会や試合の形にこだわりすぎず、様々な取り組みをしていくことが必要で、そのことが柔道のさらなる魅力を引き出し、発展につながる。

(寝技の試合というのは、面白いと思った。一般的に言われるのは、立ち技は年齢とともに力が落ちるが、寝技は落ちないということだ。また、寝技には自信を持っている人も多い。素人向けの大会というよりは、より玄人好みの大会となるはずである。
 オリジナルの形を競うというのは私自身も考えていた。ヨーロッパでは大会のデモンストレーションで音楽をかけながらであったり、独自の護身術などを実際に行っている。クラシックな形のコンテストは残したまま、新しい形、オリジナルな形も取り入れていくことは良いアイデアだと思う。)

*女子選手の引退後の可能性
岡野先生:女子柔道が非常に盛んになったが、引退した後、柔道に関われる環境が少ないのが実態だろう。ここまで女子柔道のレベルも上がったのだから、女性が道場を持つ時代になったのではないかと思う。男性もいいが、女性の方が子供達を指導するということには向いている部分もあると思う。ただし、いまの道場の指導料は低すぎてそれだけでは食べてはいけないので、指導料を少し引き上げることもあっていい。月8千円ぐらいで20人くれば、裕福ではなくても食べてはいける程度は収入を持てる。以前は柔道場と整骨院を併設してやっていた指導者も多かったが、これからは柔道家以外も整骨院をやるケースが増えてくるし、競争が激しい。柔道を極めた人たちが柔道で食べていける環境を整えていく必要がある。実際、フランスではそれができている。
 嘉納師範は裕福な出自であったから、指導料をとらずとも良かったかもしれないが、時代は変化している。技術を安売りしてもいけない。高すぎる必要はないが、それが生業となるぐらいの指導料はもらうのが妥当だろう。

(以前に私も書いたが、道場における指導料の設定は地域性もあるし、なかなか難しいと思う。ただ、私が思うには「自分たちが安い指導料でやっているから、みんなもそうしなさい。」とか「高い指導料をとるのはダメだ」ということは言うべきではない。それぞれの立場や考え方に応じて指導料を設定して良いと思う。)

*子供のように泣くな!
岡野先生:先日、全日本選手権を見ていたら、優勝した穴井選手が子供のように泣いていた。前年の石井選手もそうだった。嬉しい気持ちもわからないではないが、「全日本の優勝者が子供のように泣くな!」と言いたい。ジワッとくるものがあってもこらえるぐらいの強さが欲しい。

(確かに、最近では柔道に限らず、涙を流す男の子が増えているように思う。どちらかというと、女の子のほうが泣かない。柔道では明らかにそうだと思う。なぜだろうか?)

数回に渡って岡野先生へのインタビューを載せてきました。時間にして3時間を超えるものであったので、全部を伝えることはできませんが、先生の柔道に対する鋭い感性は伝わったのではないかと思います。余談ですが、岡野先生の奥様はアメリカ人の方です(ロビンさん)。岡野先生=侍といったイメージからすると意外に思われるかもしれません。お子さん達は皆海外留学の経験を持っています。ご自身は最近、ゴルフもなされるそうです。柔道一筋ではあっても、視野が狭いわけではなく、異文化への理解もお持ちです。これからも機会があれば色々教えていただき、柔道界に提案していければと思います

()は私自身の意見です。

岡野先生インタビュー2

2009-05-24 22:50:07 | Weblog
 岡野先生には、様々な角度からお話を伺うことができた。全部を忠実に伝えることはなかなか難しいが、強く響いた事柄を中心に書いてみる

*無差別級について・・・岡野先生は現役時代から「柔道は無差別級を制すること」という思いが非常に強かった。そのため、オリンピックでの優勝は通過点と位置づけたほどだったが・・・。
岡野先生:東京オリンピック以降、体重別が取り入れられたことは、国際化への流れであり仕方がなかった面もある。しかし、現在の7階級というのは階級が細分化されすぎているように思う。これは多くの国と選手にメダルへのチャンスを与えるという意味なのだろう。そういう意味では成功であった。それでも日本が無差別級の価値、意義を残すためにはどうしたら良いか?一つのアイデアは、軽い人間が上の階級には出られるようにすること。例えば、現在では66kg級は60kg以上66kg以下というルールだが、この何kg以上なければというルールを外して、軽い人でもどの階級にでもエントリーできるようにする。減量して下の階級に挑戦するというのはネガティブな挑戦だ。自分の一つでも上の階級に挑戦するという考え方は無差別級の考え方である’柔よく剛を制す’にあてはまる。
 
(このアイデアは体重別団体戦などには適用されているので、不可能ではないはずである。また、私がこれまで見てきた選手の力で言えば、真のチャンピオンは一つ、二つ上の階級であってもチャンピオンになるぐらいの力があると思われる。世界選手権やオリンピックで優勝すると、選手の新たなモチベーションが難しくなるケースもある。100kg級の井上選手や鈴木選手が挑戦したように軽いクラスの選手でも自分より上の階級で勝負するチャンスを与えることは面白いと思った。日本が無差別級にこだわるのであれば、こういった実現可能な提案をしていくことは価値がある。)

*柔道選手が他の格闘技に挑戦すること・・・石井選手で話題になったプロ格闘技への挑戦について伺った。石井選手は以前、個人的に岡野先生に指導を受けているが・・・。
岡野先生:今の時代、柔道選手といっても他の格闘技に挑戦したいという行動を制限することは難しい。アメリカでは、こういったケースに対して明確なルールを設けている。それは「他のプロの格闘技に参戦する場合、柔道着を着ることはならない。そうでなければ、認められる。」というもの。やはり、柔道着を着用して、リングに上がり、柔道を見せ物のように扱われるのは私としても気分がよくない。しかし、柔道選手であっても、プロレスのルール、K1のルールというように、柔道着を着用せずに戦うのであれば認めても良いのではないか。

*日本柔道の競技力低下について・・・ここのところ、日本柔道、とくに男子は苦戦を強いられている。世界が強くなったとの意見もあるが・・・。
岡野先生:最近、試合をテレビで見るようになった。日本の女子は男子に比べてしっかりした柔道をしていると思う。寝技もしっかりやっている。男子は、世界が力をつけたという意見もあるようだが、日本が弱くなっている。理由は、いくつか考えられるが、大学を卒業してさらに鍛えて、一歩抜けた強さを持つという段階まで鍛えられていないようにみえる。どんなに強い高校生でも大学に入れば一年間はスランプのような時期がある。それは体が違うから。それと同じで、大学生と社会人はやはり技術も体ももう一つ上の強さがある。その違いが今はあまり見られないのではないか。鍛え抜かれた印象がない。強化コーチといっても、育てるコーチというよりは選手を選ぶだけのコーチになっているのではないか?講道館も館長が変わって新しい方向を示すのであればまず取り組むべきは嘉納師範のやっていたやり方に戻って、講道館にナショナルの選手を集めて合宿生活をして選手を鍛えること。その先頭に上村氏がたって引っ張っていければ講道館も価値が再認識されるだろう。講道学舎が中・高校生にやったことを講道館がトップの選手にやるべき。

*選手の生かし方・・・代表選手の選考など物議をかもすことも多くなっている。選手の生かし方などについては・・・。
岡野先生:国際的にはランキング制が導入されたが国内でも実績に応じてランキング制を採用しても良いと思う。そして、国内ランキング上位6名ほどで最終選考会を行い、その勝者を代表に選ぶ。ベテランで実績のある選手に関してはランキング外でも本人に戦う意志があれば出場させれば良い。しかし、勝つことが選ばれる絶対条件。最近は国内で負けても代表になる選手がいるが、選手にもプライドがなくなった。負けるということは何か原因がある。準備不足だったのか、怪我だったのか、そういったことを考えて体制を整えてもう一度挑戦するのが正しい。また、ベテラン選手であっても若い選手と同じように鍛えるといった名目で大会に使うのは間違い。そんな使い方をしたら選手の寿命は短くなってしまう。鈴木桂治選手がテレビのインタビューで次の目標はと聞かれて’とりあえず選ばれたアジア選手権で勝つこと’と言っていたのをきいて驚いた。あれだけの選手がもう目指すのはアジアじゃないだろう。全日本を闘った後で準備もできるはずがない。選手のプライドやモチベーションをも考えて大会は選ぶべきである。若手には多くのチャンスを与え、ベテランは選んだ少ないチャンスを確実に結果を出す。それぞれがそれぞれの立場で与えられた環境を生かし、競い合うことがベテランも若手も生かす。


まだまだ話は続きますが、続きは次回()内は私の意見。

岡野先生インタビュー

2009-05-22 19:55:55 | Weblog
 先日、東京オリンピック柔道中量級金メダリスト岡野功先生にインタビューするチャンスをいただいた。TOL(Total Olympic ladies)というオリンピックに出場した女性の選手達で作っている団体があり、私も所属しているのだが、そこの機関誌で東京オリンピック特集を組むことになり、岡野先生に当時のお話を伺うことになった

 東京オリンピック(1964)は柔道が初めてオリンピックの種目となり、初めて体重別が採用された大会であった。無差別級、重量級、中量級、軽量級とあり、日本は3個の金メダル、1個の銀メダルを獲得した。出場した4人の中で神永氏、猪熊氏はすでにこの世を去られている。非常に寂しい思いである

 岡野先生の話によると、当時は選手に選ばれるまで2年間ほど選考期間があったという。この間、国内外の大会、合宿(一回の合宿が20日ぐらい)を繰り返し、選手強化というよりは、選手達をふるいにかけ、生き残った選手を選ぶといった感じだったという。岡野先生は20歳、大学3年生でオリンピックに出場している。先生曰く、「若さの勢いと減量が厳しくなかったことが勝因だった」

 当時は、無差別級と重量級に関心が高かったので、中量級、軽量級(中谷氏)は「勝って当たり前」という雰囲気だったそうである。しかしながら、外国勢が弱かったというわけではないらしい。五輪前年に行われたプレ五輪大会では日本から6人が出場しながら、決勝で岡野先生と対戦したのは金選手(韓国)だったという

 「負けたら生きていなかった」というほど、金メダルへの重圧は計り知れないものだったようだ。柔道に限らず、日本人にとって東京五輪はオリンピックの中でも特別のものだが、やはり柔道に対する期待は私たちの想像をはるかに超えるものだったのだろう勝った瞬間は嬉しさや達成感ではなく、ただホッとして体の力が抜けていくのを感じそうである

 岡野先生にとって、オリンピックは夢の途中の一つの過程だったとも言う。「柔道のチャンピオンはやはり無差別級を制するもの」という意識が強く、全日本選手権で優勝することが一番の夢であったそうだ。しかし、東京五輪を経験した後は、全日本で戦うプレッシャーは思ったほどでもなかった。「全日本はあくまでも個人のチャレンジであって、日本を背負っての戦いではない」

 せっかくのチャンスだったので現在の日本柔道についても話を伺ってみた。少し離れた立場で柔道を見ておられる先生の話はとても示唆に富んで、強化にも多いに参考になると思われた。この内容は次回以降でゆっくりと

関東学生選手権

2009-05-18 08:17:05 | Weblog
 昨日は埼玉県立武道館にて関東大学選手権が開催された。1500席ほどある観客席が7~8割埋まっていたのをみると、大学の地区予選でこれだけの選手、観客を集められる日本の柔道はやはり凄いというのを実感した

 目についたのは、山梨学院大学のメンバーにイランからの留学生が入っていたこと。留学生で思い出すのは、東海大学の黄金時代を山下先生と共に支えたユーゴスラビア出身のコバセビッチ氏である。身長が2m近く(定かではないが、私が遠くから見ている限り、ガリバーのごとく大きかった)、当時あんこ型の重量級が多かった選手達の中にあってひと際目立つ存在だったのを鮮明に覚えている。ユーゴスラビアという国に興味を持ったのも彼の存在が大きかった

 コバセビッチ氏は、東海大学での活躍はもちろん、モスクワ、ロス五輪ではメダルも獲得した

 今大会に出場したイランの選手も他の選手と比べるとひと際大きく、目を引いた。柔道の技術は「これから」といった印象だが、体の力や寄せる強さ、気持ちも激しく格闘技向きな感じがして、他大学にとっては今後脅威になっていく可能性がある

 箱根駅伝でケニアを中心にアフリカからの留学生の活躍で急激に勢力を増して上位に食い込む大学が近年みられ、このことには賛否両論あるようである。確かに、地道に選手育成に励んでいるところからすれば、努力もせずに「どこかから連れてきただけ上位に入るなんて!」などといった考えも当然あるだろう

 しかしながら、プロ野球を見ればわかるように、外国人だから皆が活躍するわけではない。チームに馴染む選手もいれば、そうでない選手もいる。外国人を受け入れるということは、異文化を受け入れることであり、それに伴って苦労も多いはずである

 おそらく日本の学生柔道大会に海外の留学生が大勢出場するようになれば始めは違和感があるかもしれない。ましてや、日本の学生が留学生達に負けるシーンが多くなれば批判も出て規制などが検討されていく可能性も否定できないしかしながら、個人的な見解としては、日本はもっと留学生を受け入れて柔道を通じた国際交流を大学を中心に広げていくべきだと思う

 大学生の時代に異文化に触れる経験は非常に重要である。こういった経験が国際感覚を自然と身につけることとなる。また、留学生も同様で、「日本の柔道がどういうものなのか」「日本人とは」といったことを理解する。スポーツは「世界の窓」といった人がいたがその通りだと思う。スポーツの交流、人を通して異文化を、世界を知ることができる同じ道場で汗を流した学生達が将来、柔道の国際会議等で顔を合わせれば、今以上にスムーズな話し合いが期待できる

 競技的にもメリットがある。現在、全柔連は多くのお金を使って海外へ遠征、試合などと派遣し、強化を図っている。この目的は海外の柔道スタイルに慣れることである。日本の大学に数人ずつ様々な国の学生が在籍するようになれば普段の練習や試合から外国のスタイルに触れることが可能である

 日本で柔道を学びたいという世界の若者は非常に多い。短期、長期かかわらず、入れ替わりで多くの選手達が修行にきている。残念なのは宿泊施設などの関係、言葉の問題などもあって受け入れている大学は意外と少ないことであるそのため、受け入れている大学への負担が多くなりすぎている現実もある

 それぞれの大学が独自のシステムで受け入れていく体制を整えることとにも期待したいが、全柔連や講道館としても受け入れの体制を、システムとして構築していくことが重要であろう日本は柔道創始国であり、本家である以上、その果たすべき役割も大きい。日本柔道は国際交流も含めて、個々の力や頑張りによって支えられてきた部分が大きいが、これからはもっと組織として力を示していくことが求められている

 大事なことは、そういった活動をしていくだけの基礎力、基盤が日本にはあるということである。そしてこういった地道な国際貢献、交流こそがIJFなど国際期間における日本の評価、価値につながり、地位の向上にもつながっていく

登録人口減少

2009-05-13 15:17:38 | Weblog
 全日本柔道連盟の登録人口が減少傾向にあるらしい。確かに少子化に加えて、サッカー、野球など様々なスポーツとの競合によって競技人口も含めて減少していくのはある意味で仕方がないことなのかもしれない

 しかしながら、フランスの登録人口は50万人を超えているとも言われる中で、柔道本家である日本が20万人を下回るというのは非常に残念なことである。フランスでは、どこのクラブであっても入会すれば自動的にフランス柔道連盟に登録されるシステムなので人数が多いとも言われているが、やはり外に出る数字は大切で、これではどちらが柔道大国なのか?とも言われかねない

 そもそも登録とはどういうシステムなのか、良い機会なので少し調べてみた

 まず、登録は基本的に競技者か指導者に分けられる。そして、登録は各都道府県連盟を通して行われる。全柔連もしくは講道館の役員、職員などは直接、全柔連から登録することができる。また、登録料は全柔連登録費+各都道府県連盟登録費となる。各都道府県の登録費が異なるため、昇段試験同様に登録料は違ってくるようである。

 競技者、指導者に関しては登録の義務、メリットは理解できるが、それ以外の人たちが登録するメリットは何かあるのだろうか?ここで、講道館が登場する昇段審査は、全柔連登録をしていることが条件となっているのである。確かに、全柔連の下部組織である都道府県柔道連盟が講道館の委託を受けて昇段審査を行っている事実から、図式は理解できなくもない。しかし、昇段審査の場合は講道館と各連盟との関係であることを考えると、また、その都度、審査料も取るのであるから、登録を義務化することは必ずしも必要とはいえないのではないか?つまり、昇段と登録をセットで縛っているともみえる実際そういう意図があるのだろう。これは、講道館と全柔連の一体化?癒着とまでは言わないが、やはりすっきりしない

 <登録の拒否>という項目もあった。「2.柔道以外の格闘技系競技(プロレス、プライド、K-1等)において、プロ選手またはプロコーチとして登録され、または契約している者および登録または契約が終了してから3年間を経過していない者であるとき」例えば、格闘技系の競技に相撲等も入るのだろうか?また、こういった格闘技系の選手は登録ができないとなれば、試合等に出場できないことはもちろんだが、昇段もできないということになるさらに、吉田秀彦氏、小川直也氏などは自分の道場を持っているが、こういった場合、指導者登録は必要ないのだろうか?もし、指導者登録ができないとすれば、プロ競技の選手であっても純粋に柔道を愛して、情熱をかけて子供達を指導している人間を排除していることになり、本末転倒にみえる
 
 競技者、指導者でもなく、昇段にも興味がないといった柔道家には、登録のメリットは何なのだろうか?ここでいつもながら問題になるのは、柔道界のサービス精神のなさであろう。登録カードは発給されるが、それ以外にメリットらしいメリットは見当たらない。例えば、会報誌が送られてくるとか、大会のチケットが優先的に購入できるとか、HP上に会員向けの特別なページがあるとか、昇段とセットであるならば交通安全協会のように「年数的に満たしているので今年は昇段審査を受ける資格がありますよ」という通知が届くとか、などなど、ちょっと考えただけでもいくつか出てくる

 経済が悪化している昨今、年間何千円といっても、いざ払うとなると躊躇するのは仕方がないと思う。苦しくても柔道のためにと思って登録をしている人も少なくないだろう。もちろん、こういった登録費が全柔連の活動に役立ち、選手強化、普及活動の一端を担っていることは間違いない。しかし、現実として、登録したメリットが伝わりにくいのは事実である

 登録の区分が競技者、指導者の区分しかないのも問題であろう。全柔連は競技団体なので、競技者OB,OGなどの区分もいいかもしれない。今は直接、柔道に関わってはいないが柔道界に籍を置きたいという人間は結構多い筈であるまた、そういった人たちは都道府県連盟からではなく、インターネット等で直接登録できるシステムもあったほうがいい全柔連のホームページで登録についての案内を探したが見つけるのが難しかった。手続きを簡単にして、競技者、指導者以外は値段も低く設定し、さらに目に見えるメリットを作れば潜在的な柔道家を掘り起こすことは可能である

 また、こういったことは柔道家が知恵を出しあっても知れているので、マーケティングなどの専門家にアドバイスをもらうことも手だろう。まあ、どの問題でも必ず行き当たるが、「閉鎖的にならず外の世界から人材を登用したり、意見やアイデアを聞くこと、できることはスピード感を持って行動すること!」、一般的な企業であれば当たり前のことを柔道界には難しいらしい

 

世界卓球選手権

2009-05-07 08:05:36 | Weblog
 ゴールデンウィーク中に開催されていた世界卓球選手権は、若い選手達の活躍で盛り上がっていた。卓球というと、ここ数年は福原愛選手ばかりが注目されてきたが、彼女が牽引役となり頑張ってきた成果が卓球界全体の盛り上がりにつながって、今回のような若手の頑張りを引き出したのだろう

 番組を見ていて、いくつか感じたことがあった。ひとつは、番組の構成である。日本選手主体の構成になることは仕方がないにしても、私が見ていた限り、一度もトーナメント表が流されることはなかった。例えば、どのぐらいの人数が出場していて、どういった勝ち上がりになっているのか、この試合に勝ったらどの選手と対戦するのかなどといった情報は一切見せてくれない。これは、NHKを除く民放の最近のスポーツ中継に多いのだが、スポーツ報道という側面が極端に欠如している

 総合司会というのだろうか、卓球には全くの素人であるタレントさんを持ってくるのも無駄な気がする。あんな時間があるのであれば、外国人の試合も、もっと見せてもらいたかった。勝ち上がった選手の次の対戦相手の試合などが紹介されれば次の試合にも関心が増す。世界陸上で織田裕二さんを採用して以来、流行っている傾向のようだがスポーツに関心のある多くの人たちはより長くスポーツそのものの映像をシンプルに流してもらう方を望んでいると私は思う。事前番組や総集編といったものであれば、娯楽的な要素を入れることもあっていいと思うが、オリンピック、ワールドカップ、世界選手権など非常に高度な戦いの中に、素人が妙なハイテンションで割り込んでくるのはイベントそのものの価値まで下げてしまうような気がする

 アナウンサーの方も盛り上げようとするあまり、テンションが上がりすぎて、喋りすぎた印象もあった。緊迫した戦いには静寂が似合うときも往々にしてある。試合を見ているだけで十分感動しているのに、「これでもか」と追い打ちをかけるような過度なコメントはかえって興醒めしてしまう。私自身、多くのアナウンサーの方々と仕事をさせていただいているので、あの方々の事前の下準備、勉強熱心さにはいつも頭が下がる思いがしている。しかし、それは料理で言えば、下ごしらえに時間をかける、隠し包丁を入れるプロの技であって、これ見よがしに見せるものではないと思う。知っていることを全て話そうと思うとtoo muchに聞こえる。ファッションチェックなどを見ているとプロの方が言われるのは「オシャレは引き算。何を足すかではなく、何を引くか。」ということ。私自身も解説をさせていただく機会が多いのでこのことは肝に銘じて望みたいと思う

 それにしても中国は強かった。高くそびえる山のごとく、大きな存在感を示した。一時期の日本柔道の強さのようである。12年ぶりに男子にメダルをもたらした水谷選手が中国選手について強さの秘密を聞かれ次のようにコメントしていた。「中国はいつも進化している。僕たちが追いかけて追いかけて追いつけそうになると、また少し先をいっている。」

 王者といえども、進化しなければ先を行くことはできない。日本柔道は進化してきただろうか?強い王者がいるから人々は追いかける。追いかけることで技術は進歩していく。過去に海外で柔道大会があると一番盛り上がるのは日本選手が負けたときだという。なぜなら、強い日本選手を破ることが彼らの夢であり、目標であったからである。しかし、今は日本選手が負けることが珍しくなくなってしまった。これこそ、柔道が盛り上がっていない原因のひとつであろう。王者は強くなくてはならない。そして日本はその使命を負っている

 若く可能性のある選手達が、大きな舞台で伸びていく様も感動を呼んだ。追いつめられて、ダメだと思ったところから、より戻して、そのチャンスを生かしてさらに伸びていった姿が見てとれた。怖いもの知らずというよりは、極度の緊張感とプレッシャーの中で「弱気な自分」「怖いと感じる自分」と戦いながら、乗り越えていく。一試合消化していくごとに変わっていく表情が頼もしく、「負けてもアッパレ!」と言ってあげたい試合が多くあった

 卓球協会はジュニアの育成に長いこと取り組んできた。今大会の結果は、選手以上に指導陣、協会の方々が感無量であったに違いない。石川選手が代表入りしたのが14歳の時で、ジュニアチャンピオンではあったが、順位を無視して代表に選出した時には批判もあったに違いない。しかし、あの時選んでいたから今回の結果があったことは言うまでもない。彼女自身がその重責を認識してもいた

 やっとここまで辿り着いても、これまでの道のり以上に、これからの道のりは長くて険しいはずであるベスト8からメダルに、銅メダルを金にするのは「あと一つ勝てば」なのだが、壁はさらに高く厚い。しかし、目指すものがどんなに高くても今回の彼らの戦いには「希望の光」が見えた

 日本柔道も、男子はとくに低迷しているが、ここは腹をくくって次世代の希望を育ててほしい。柔道に今必要なのは結果ではなく「希望の光」だと思う

重量級再生

2009-05-01 08:25:27 | Weblog
 日本男子柔道は、なんといっても重量級に価値をおいている。結果的にそうなっているのかもしれないが、実はこれまで全柔連のヘッドコーチも全日本選手権覇者しか抜擢されていない

 また、国際的には無差別級が重量級と選手が「だぶる」からという理由で排除の方向を示しても、日本は存続の意志を明確に示してきた。今年の世界選手権では無差別級は行われない。現在、日本重量級の層の薄さを考えれば二人選ぶ必要がなかったのは幸いだったかもしれない

 昨年から行われるようになった単独の無差別世界選手権には、日本から棟田選手、高井選手、穴井選手が出場したが、いずれも早い段階で敗退した。3人出場させて、メダルにも届かなかったというのが現状である大会を視察した人は、「組み手がどうのこうのとか、レスリングスタイルとかではなくて、組んでしっかり投げられていた。」という

 今までのように「気持ちで負けた」とか「根性がない」などということでごまかすのではなく、なぜレベルが落ちたのか、世界で通用しなくなってしまったのかを冷静に分析し、次の一手を考える必要がある

 考えるヒントは北京オリンピックの石井選手の戦いぶりにある。「一本をとれるキレのある技がない」あるいは、本人も「世界の柔道を学んでポイント柔道でも勝つ柔道をする」と公言していたので、「一本勝ち」にこだわる関係者からは評価が低かったように思う。しかし、開けてみればほとんどの試合を一本勝ちし、危なげない戦いぶりで圧勝であった

 この勝利のポイントは、圧倒的なスタミナである。彼の練習量は漏れ聞いたところによるとすごいらしい。心技体というが、実は強い心を支えるのは、豊富な練習量に裏付けされた体力である。スタミナが切れてしまえば心も萎えてしまう

 初代無差別のチャンピオンに輝いたリネール選手(フランス)をみればわかるが、従来の重量級にみられた「あんこ型」ではない。日本でも篠原選手、井上選手、鈴木選手、石井選手と、重量級で活躍する選手が「どっしり安定型」から「動ける重量級」に変化してきた

 「あんこ型」が悪いというわけではない。しかし、現在の国際ルール、そして、一日に何試合も続けてこなさなければならない現状を考えれば、「気迫を持って戦い抜けるだけの体力」は必須である。体重が重くなればなるほど、相手への圧力になる利点と負荷が自分にもかかるマイナス面がある。そのことを理解した上で戦い抜く体力を養うためのトレーニングを積む必要がある

 リネール選手のフランスでのトレーニング風景がテレビで紹介されたことがあったが、中量級並みのスピードが感じられた。重量級の場合、自分より重い練習相手は限られるので柔道着の稽古だけでは足りない。軽量、中量級の選手達以上にウェイトトレーニングで筋力を補強しなければならない。軽量、中量級は自分より重い選手と稽古すれば自然とトレーニングにもなるが、重量級はそうはいかないからだ

 日本柔道は、体力よりも技術を重んじ、畳みの上での稽古を重んじるが、実はここに陥りやすい罠があるともいえるある程度技術を持ってしまうと、柔道の稽古では自分を追い込めなくなる。「手を抜く」という意識はなくとも「あしらえる」のである。とくに練習相手の限られる重量級の選手は、稽古の前にトレーニングをして、ある程度披露した状態で稽古に臨むといった工夫、意識の高さが求められる

 重量級は同じ所属だけでは練習相手が限られるので出稽古も必要だろう。ここまでレベルが下がってくると本人の意思に任せている段階ではないので、大学、実業団が連携して重量級だけを毎週土曜日などに集めての合同練習会なども良いと思う。海外にだして経験を積ませることもいいが、日本ほど選手層の厚い国はない。そういった利点を生かさない手はない

 私見だが、過去の重量級の選手達よりも現在の選手達の方が体格はよくなっているが体力は落ちているのではないだろうか?また、彼らの体力が海外の選手達に比べてどうなのか?体力があってこそ、気力がわき、技術が生かせる

 重量級で穴井選手のように攻めまくれる選手だったら・・・と想像してほしい