山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

熱き闘い

2010-06-30 15:37:21 | Weblog
 ちまたに溢れる「にわかファン」同様に私も岡田ジャパンの闘いを熱くなって応援した一人である正直言って、こんなに頑張ってくれるとは期待していなかった。テストマッチでは結果を残せず、どん底の状態までいったことが浮上する力になったのかもしれない。岡田監督といえども選手やチームのここまでの活躍を予測できなかったのではないだろうか

 柔道は個人戦だが、オリンピックとなるとチーム総力戦となる。一人一人が自分の役目を果たすこと、バトンを渡すこと、チーム内の人間全てが勝利を信じて最後まで闘うこと、これができるチームは強い。日本女子がアテネ五輪で7階級中5階級で金メダルをとったときが、まさにそうであった。吉村ヘッドを中心にコーチ、選手、スタッフが一つだったそういえば、関係ないが吉村先生は岡田監督に顔が似ているとくに世界を闘い抜くチームであれば選手の個性が強く、一つ間違えばバラバラな集団になりかねない。個の力を生かしつつ、チームとしてまとめあげていくのが監督の力量であろう

 PK戦が終わっての選手達の涙、ゴールを外した駒野選手を慰める松井選手の姿をみても、チームとしては完成されていたことがわかる。「サッカーはチームで闘うスポーツである。それをみせたい。」この言葉通り、岡田監督の作りたかったチームが体現された。技術や戦術面ではまだまだ課題も多いだろうが、日本が目指すべきチーム作りの原型はできたのではないだろうか。

 今大会はフランス、イタリアいう強豪国が予選リーグ敗退した。それに比して日本や韓国、パラグアイ、ウルグアイといったダークホース的な国の活躍が目立っているこれらの国のサッカーは古豪の国から見たらどのように映るのだろうか。柔道の場合、スタイルが違う闘いをすると勝ったとしても「あんなのは柔道じゃない」という批判が聞こえてくる。日本柔道をサッカーに置き換えるとオランダサッカーのようなものだろうか。伝説ともいえるヨハン・クライフ選手の「美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え」という言葉は有名である。まさに王者の言葉であり、日本でいう「一本を目指す柔道」がそれである。つまり、その競技において歴史や伝統がある国と新興国では、自ずと戦術やスタイルは違ってくるのだろう。

 岡田ジャパンの闘いは立派であった勝つためのサッカーをやり抜いた。しかしながら、サッカーファンとしてみたときに興味深い、称賛すべきサッカースタイルであったかどうかは意見のわかれるところだろう。それでもカメルーン戦では辛口だった世界のメディアもパラグアイ戦の後には称賛に近いコメントを載せている嬉しい限りだしかし、ここまできたからこそ感じるのは、これ以上を目指すには何が必要かということだ。日本が今後決勝トーナメント常連国に仲間入りし、ベスト8、ベスト4というところを狙うには技術、戦術においても次のレベルが要求されるというのは皆が感じていることだろう。

 言いたいのは、柔道においても歴史や伝統のない新興国と呼ばれる国が私たち日本人が思うような柔道とは違うスタイルや戦術を駆使して勝ったとしても、それはそれで認め、称賛してあげたいということだ古豪と呼ばれる国、即ち日本はそういった国のチャレンジに文句を言うのではなく、余裕を持って受け止め、跳ね返さなければならない。そうすることで彼らは次の目指すべきレベル、ステージがあることを知る。

 寝不足覚悟で最後まで応援した感想をひとつなぜPKは5人で終わってしまうのか?120分も闘って決着がつかなかった試合をたった5人のPKで決めてしまうのはあまりに切ない。あそこまでやったのだから、時間無制限に決着がつくまでといいたいところだが、そうもいかないのであれば、せめて最後にピッチに立っていた10人全員がけるべきではないだろうか。10人蹴っていれば、もしかしたら違う結末、ドラマがあったのでは・・・などと考えてしまう

 PK戦になった途端にチームから個人の闘いになるようなものだ。誰が失敗したか、責任が明らかになる。見守る親達はどんな思いでみたのだろうか。おそらく見られなかったのではないか。駒野選手の悔しさ、やり切れなさは察するにあまりある。どんなに慰められても癒えるものではなく、生涯、記憶から消えることもないだろう私とてかける言葉はないが、昔誰かに言われた言葉を思い出す。「神様は耐えられる人間にしか試練は与えない」PK戦の場合、誰かが失敗しなければ終わらない。誰も傷つかずには終われないのだ。そういう意味で駒野はその試練を受けてもその思いを背負って生きていける人間だと選ばれたともいえる

 スポーツは時に喜びを、時に苦しみを、そして、希望を与えてくれる。やっぱりスポーツは素晴らしい

 

嘉納治五郎生誕150周年記念国際シンポジウム

2010-06-07 08:38:11 | Weblog
 今年は嘉納治五郎師範生誕150周年である。これに伴って国内外においていくつかの記念行事が行われると思われるが、師範が長く校長を務められた筑波大学(前身の東京高等師範学校)では、6月12日(有楽町:国際フォーラム)、国際シンポジウムを行うこととなった。

 柔道家の多くは、嘉納師範について柔道における一面のみしか知らない。しかしながら、師範は柔道に留まらないスポーツ全般の推奨、発展に寄与し、さらに留学生を多く受け入れ、教育家としての功績が大きい。

 今回のシンポジウムでは海外からのゲストも招き、師範の目指されたものを再検証し、今後私たちがその思いをどのように受け継いで実現させていくかということが話し合われる予定である。

 是非、多くの柔道家に参加していただき、ともに考える時間となることを願っている。

シンポジウム

 

指導者講習会

2010-06-01 11:38:24 | Weblog
 5月25日~28日横浜において、「平成22年度子どもの体力向上指導者養成研修」が行われた。子供たちの体力向上を目指し、教員がスポーツの指導法を学ぶ講習会である。柔道の講習は平成24年から始まる武道必修化に伴って、専門外あるいは女性教諭であっても安全に楽しく、効果的な授業が展開されるようにというテーマで進められた。

 受講したのは中学校や高等学校で教鞭をとる約30名で、8割が柔道専門、2割が専門外であった。上記のテーマであれば専門外の教員がもっと多く参加しそうなものであるが、今回の研修を彼らが地区に戻って伝達講習を行う関係で、まずは専門の先生が学び、伝えていくという形である。

 私はウォーミングアップや受け身、投げ技、固め技、それぞれのパートごとの指導法を示し、実際に体験してもらった。授業であるので当然指導要領に従って展開をしなければならないが、アプローチの仕方には工夫ができる。武道というと「伝統・文化」という概念から’こうあるべき’とか’こうでなければいけないのでは’といった固定観念が強い。もちろん、基礎・基本は重要だが、限られた時間、生徒達の体力などを考えて、いかに子供達に興味を持ってもらうかが鍵となる。

 海外で行われている指導法を参考に、ボールやフープなどといった小道具を使っての指導法も紹介した。専門外の先生には、「自分の専門種目を柔道の指導に生かす方法もあり」という考えを持ってもらいたかった。技を仕掛けるということは自分を表現することでもある。とすればダンスの先生の得意分野である。サッカーの足さばきは柔道にも応用できないか?体操競技のバランス感覚や柔軟性は柔道にも生かせる!などなど。

 講義のあと、先生方が模擬授業を行った。どの授業もとても楽しそうで、同時に生徒自身に考えさせる内容のものだった。技術を教えることも授業としては重要だが、生徒自身が自分の身体の動きに気づき、技の理会いを理解し、自ら取り組んでいく授業は教育的な効果が高いと思われる。柔道というと格闘というイメージがあるが、一つ一つの技の完成を目指した達成型のスポーツでもある。相手に勝ったか負けたかではなく、自分の技がどのように上達したかを評価することが大事である。

 また、礼法など他のスポーツとは違う部分もあるが、こういった部分に関しては「なぜ?」ということを教えてほしい。伝統的な行動様式をただ行うのではなく、その意味を知ることによって日本人が受け継いできた考え方や大切にしてきたものを理解できるはずである。

 学校によっては武道場がなかったり、十分な広さが確保できなかったりと大変なことも多いと思うが、伝統的な文化に触れ、さらに柔道が楽しいと感じられるような授業が多く展開されるように願う