山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

美しい柔道

2009-03-28 08:00:00 | Weblog
 先日行われた柔道フォーラムで、「日本人選手が世界で勝つためには?」「世界で通用する選手を育成するためには?」といった議論の中で、多くの人から出た言葉は「2本(両手)持って投げる正しい柔道をさせること」ということだった

 では「正しい柔道」とはどういう柔道なのだろうか?議論の内容に注意深く耳を傾けてみるといくつかの要素がありそうである。
①引手、釣り手を両方つかむこと(釣り手は帯や背中などではなく前襟もしくはやや奥襟)
②右もしくは左自然体で組み、極端に横を向いたりといった変形の形をとらない
③背中をまげたり、屈んだりしないで姿勢がよい
④一本をとれる技を持っていること
他にもあるだろうが、大まかに言うとこんなところだと思われる。

 最近、「正しい柔道」という言葉を聞いて思うのは、柔道に「正しい」「正しくない」が存在するのかということだ。柔道には横文字のJUDOと柔道があるわけではなく、柔道は柔道だというのと同じで、ルールに則って競技している以上、正しい、正しくないという表現は適切ではないように思われる。また、日本人は外国人の柔道に対して「正しくない」という表現を使っているようにも思えるのでこれもいただけない

 他の競技と比べて柔道が素晴らしいのは、これといった天賦の、生まれ持った才能や能力がなくても努力次第ではチャンピオンに慣れるところだ。フォーラムの基調講演において上村専務理事は子供時代の100m走の記録が20秒フラットだったと話され、その後、研究と努力でチャンピオンになったと話をされた。ここが柔道の幅広い可能性を示している。運動能力だけが勝敗を分けるのではない。瞬発力の乏しい人間は力をつけて押し倒して勝っても勝ちは勝ちである。つまり、自分の持っている特性を最大限に生かせば勝つチャンスのある競技なのである。体育の授業でボールゲームでは全くの運動音痴でも柔道では頑張れたりする

 柔道はそういった意味では非常に許容範囲の広い、懐の深い競技だと言える。だからこそ、身体能力では負ける欧米人に対しても勝ってくることもできた。にもかかわらず、「これは正しい」「これは正しくない」という判別をするのはいかがなものなのだろう。盛り上がったWBCを見ていても、日本や韓国が強いのはバントや足を絡めての緻密な野球だったからではないかと思うアメリカ人から見ればもしかしたら「バントなどは正しくない」と言われてしまうかもしれないが、私たちからすればセコいわけでもなく、素晴らしい技術と戦術だと評価できる

 私が、日本人に目指してもらいたいのは、「正しい柔道」ではなく「美しい柔道」である。オリンピックで金メダルを獲得しても美しくない柔道の選手はいる逆に負けはしても美しい柔道をしている選手もいるアテネ・北京と2大会連続オール一本での金メダルを獲得した谷本の柔道は勝っても負けても「美しい」。井上康生は昨年、パリ国際で負けはしたものの観客は大きな拍手を送った。なぜなら彼の柔道に対する姿勢や柔道の取り方が美しいからだ

 石井選手はオリンピック前から彼の柔道の取り方が物議をかもした。一本を取る技がない、ポイント柔道ということが主な理由だったように思う。しかし、北京で彼は素晴らしい闘いをし、ほとんどの試合が一本勝ちだった。彼の柔道自体は北京前も北京も変わっていない。違ったことは、北京での彼の闘いはポイントを取ったあとでも逃げることなく向かっていったことだ辛口解説の篠原君でさえ絶賛していた。つまり評価されるのは技以上に戦う姿勢だと思われる

 日本サッカーの父と言われ、メキシコ五輪で日本代表を銅メダルに導いたクラマー氏(ドイツ)の本にも、オシム氏の本にも「美しいサッカー」という言葉が出てくる。勝つことも大事だが、攻める気持ち、果敢にゴールに向かってトライする姿勢、それが「美しいサッカー」であり、見ている人が面白いと感じ、感動するのだと述べている

 最近の日本人の試合を見ていて感じるのは「リスクを背負ってでも戦う勇気」のようなものが欠けているのでは?ということだ。北京での谷選手の戦いは象徴的だった。リスクを背負わず計算した試合をしてしまい、結果、敗れた彼女の全盛期の試合は見ていて鳥肌が立つほどに素晴らしかった。幕張の世界選手権では決勝戦で中国選手を相手にポイントを取ってリードしていたにもかかわらず守らず、残り数秒で足にしがみつくようにして相手を倒し、終わりのブザーと同時に一本が宣告された。「この執念こそが世界一にふさわしい」と感激したことを覚えている

 WBCがあそこまで盛り上がったのは、韓国が頑張ってくれたからに他ならない。競り合いの中でみせる選手達の必死さが胸を打った。「やるかやられるか」の競り合いこそ勝負の醍醐味であり、いまの柔道が面白くないとしたら、この部分が欠けているからにちがいない。組み合わないというのは競り合いを避ける弱い気持ちの表れだ競り合いを恐れず戦える心技体を持った選手こそが美しい

真の柔道普及は?

2009-03-26 08:59:06 | Weblog
 「日本の柔道は、子供にしか道が開かれておらず、ほんとうの普及とは言えない」といった内容のコメントをいただいた

 確かにご指摘いただいた通りだと私も感じている。イギリス、フランスなどのヨーロッパで見た柔道は、子供達だけではなく初心者の成人も気軽に入れるものでした。そして初段をとるために何年も修行に励んでいる人も多い

 おそらくここに日本の柔道家の少し狭い考え方が現れているのではないかと思う。「やるなら専門家としてやれ!」「中途半端に楽しむなんていうのはダメ!」「成人になってから追求するなんてあり得ない!」という意識があるのではないか?なんだかんだいっても強さを評価する価値観が否めない。また、子供に教えるのに比べて成人に教えるほうが手間がかかるということもあるのかもしれない

 言われるように、柔道というのは強さを探求するものだけではなく、理にかなった力の使い方、崩しというものを研究、探求するという道があり、そちらのほうが重要だとも言える。外国人で柔道に限らず武道を始める人の多くは、自分の精神性を高めること、技を研究することなど、勝ち負けだけではない奥深い部分に魅力を感じている

 最近の柔道を見ていると、柔道創始国の日本が最も強さや勝つことにこだわっているように思える。にわとりが先か卵が先かといった議論になるが、やはり柔道の理念を第一に考えた柔道の普及や指導があって、その結果として強く、金メダルも獲得できる選手が育ってくるという順番であるべきだろう

 IJFは形の世界選手権やマスターズ(ベテラン)大会など、シニアを意識した取り組みを始めている。昨年の形世界選手権では、多くの日本人が活躍したが、この人たちが特別昇段したという話は聞かない。講道館が強さだけではなく形の追求にも重きをおく姿勢を示すには、形のチャンピオンも特別昇段していくような方向が望ましい。4月28日に高段者大会が毎年開かれるが、ここにはかなり高齢の柔道家も多く参加する。しかし、参加者の多くの目的が昇段のための点数を獲得することにあることも事実だ。昇段を審査する評価が高齢になっても試合の結果が重要だというのはおかしいと思う

 剣道に比べて柔道は生涯スポーツの可能性が低いといわれるが、考え方や取り組みを変えれば柔道でも十分に生涯スポーツなり得る。しかし、それには柔道に携わる人間、指導者の意識を変えていく必要がある。子供だけでなく、強化だけでなく、成人の初心者など「やりたいと思う全ての人」が柔道を学べる機会を広げ、価値を与えていくことは、柔道の普及という目的のみならず、柔道本来の生涯修行という意味を考え直すことになるだろう

柔道フォーラム2

2009-03-25 16:50:10 | Weblog
 3月21日、22日に開催された柔道フォーラムの2日目に問題提起ということで30分間話をさせてもらった。以下、簡単に内容を示す。

 まず、このフォーラムの目的は、指導者の理念を共有し、柔道独自の指導者養成システムを構築する足がかりとするというものであった。北京五輪では、男子が金2、女子が金2、銀1、銅2という成績を残し、なんとか日本の面目を保ったものの、世界ジュニア選手権においては2大会続いて男子は金メダルゼロという現実もある。世界の柔道レベルが確実に向上する中、日本がどういった方向で育成・強化を図っていくかが問われている

 北京以後、強化スタッフも入れ替わり、システムも変わった。こういった経緯を踏まえて、フォーラムでは全国の指導者に向けて、今後に向けた「指導のビジョン」を示す必要があったと思われる。しかしながら、実際には「これから考えていきますよ」という宣言をした程度のものとなった

 指導者養成プロジェクト委員会では、これまで何度となく会議を重ねてきたが、正直なところ指導の理念を統一見解とするには及ばなかった。この議論になると見解がまちまちで結論が出ない。現在の柔道の難しさはここにあるともいえる

 例えば、教育か競技力向上か?人間教育か金メダルか?ということである。もちろん、両立することは可能かもしれないが、実際のところ、「金メダル」をとるという目的のために失ってきたもの、譲ってきたものも少なくない。例えば、選手選考に関してである。「金メダルに一番近い選手を選ぶ」という理由で、当然選ばれるべきであろう選手を外してきた。教育という観点から言えば、「負けるかもしれないが選ばなければならない選手」もいたはずである。そうであってこそ、「柔道は勝ち負けだけではない」と指導者は選手に向かって説ける。石井選手が総合格闘技に転向したことは個人の自由なので問題ないとしても、金メダルをとった後のテレビなどでの振る舞い、言動をみていると金メダルと人間教育が一致しているとは言い難い現実がある

 普及と強化の問題もある。フランスは普及に力を入れており、ピラミッド型になっている。80万人とも言われる柔道人口の約8割が14歳以下である。つまり、フランスにおける柔道は日本のスイミングに似ている。子供達は泳げるようになるためにスイミングにいくが、そこから競技に進むことはごく稀である。それに比べ日本の柔道は道場や少年団から始まって、中学校、高校、大学と、ピラミッドではなく寸胴型というかビルディング型といえる。少子化や教員採用の減少などから、中学校の柔道部の数が激減してきている。そんな中で、日本はこれまで通り、寸胴型を目指すのか、それとも、子供の時代は楽しい柔道にして普及を図り、その後は競技を目指すものだけが残っていくピラミッド型を目指すのか

 全柔連が新しく打ち出した強化システムは、ジュニア強化に小学校高学年が含まれる。これは何を意味するのか?JOCが推奨し各競技団体が近年、取り組んでいるのは、タレント発掘、一貫指導である。早い時期からタレントを発掘し、少数精鋭で効率的に強化を図っていくというものである。卓球、レスリングは中学生6名ほどをピックアップし、ナショナルトレーニングセンターで365日合宿体制で指導している。柔道もこの方向にいこうとしているのか?残念ながらこれについて明確な説明はフォーラムにおいても示されなかった。強化委員長は「早い段階から世界を意識させるために」というに留まった。疑問は、どうやって小学生の中から強化選手をピックアップするのかである。試合で勝った選手がタレントがあると判断できるのか?また、この制度が指導者に基礎を教えなければいけない時期に勝たせるための指導を助長することにはならないのか?

 私の考えは、小学生は強化選手とか、強化合宿ではなく、ブロックごとに講習会、合同練習会などを全柔連が行い、基礎的な技術の講習、トレーニング方法、栄養講座、トップ選手と触れ合うといった機会を多く与えていくことが良いと思う。そしてジュニアのコーチがこういった練習会に参加してタレントのある選手に声をかけたりすればいい。パネラーの谷本(アテネ、北京金メダル)は、中学校時代は柔道は週2回、学校では陸上部だったという。柔道の練習は基礎ばかりだったという。全中には出場していないし、インターハイでも優勝していない。つまり、タレントとは、小学校、中学校で見極められるものではない

 全柔連も含めて指導者の多くは、柔道には基礎が大事であるという。それであれば早い時期から試合を目指してやらせることは、その考えに逆行する。全柔連の強化は、「小学校からエリート選手をつくり、継続して育てることが金メダルにつながる」と考えているのであればそれでもいい。しかし、そのことを明確に外に向けて発信しなければならない。ある意味では、そういった本音の部分を、今後の強化のあり方を今回のフォーラムでは打ち出すチャンスであったはずである。おそらく、まだ強化にも迷いがあるのだろう

 指導者養成システムを構築するにあたって、資格制度を作るのかどうかも問題である。これまでは、教員免許と段位がそれを補ってきた部分がある。サッカーのようにしていくのかどうか?もし、そうであるならば、強かった人間のみが強化コーチになるといった制度も変わっていくだろう。資格をとれば、ナショナルチームも指導できるとしなければ成り立たない。また、現在の全日本コーチたちも資格を取らなければならなくなる。構図としては、ナショナルチームのコーチたちが、日本では最も優れたコーチであるという位置づけになる必要がある。しかしながら、現在に至るまで実は全日本のコーチは指導者としての実績はあまり評価の対象にはなっていない。この部分もプロジェクトでは議論されるべきだろう。

 「柔道界の常識が世間の非常識」という話もした。指導に情熱は大事だが、情熱があれば「殴る、蹴る」があってもいいのかという話である。愛情があるから殴るというが、殴らなくても強くなる選手はいる。海外の選手は皆そうである。「まいった」していても離さず「絞めおとす」こともよくある。世間の人からみたらなんと野蛮な世界に映ることか。相撲で問題が起きたが、これは決して対岸の火事ではない。「強くする」「勝たせる」ためにやっているという指導者もいるだろう。しかし、殴って蹴って勝たせることに本当の価値があるのだろうか?これこそ、勝たせること、強くなることこそ価値があるという非常に狭い視野での考え方であり、柔道の究極の目的である人間教育とはおそよかけ離れている

 もうひとつ、指導者は一匹狼で自我が強い。情熱を持ち、頑張っている人ほど視野狭窄に陥る危険もある。選手同様、指導者も「OPEN MIND」で常に学ぶ姿勢、受け入れる姿勢が大事だと思う。「そんなこと知っている」「わかっている」といった態度からは学ぶものはない。これから様々な形で提供される指導者養成の取り組みを生かすのも殺すのも受け取り方にかかっている

 受け身ばかりでもいけない。述べたように、全柔連も迷いながら進んでいるし、何が正しいのかを示せていない。歩きながら進んでいる状態だ。だからこそ、現場でやっている指導者はどんどん声を上げるべきである。思っていても声をあげなければ伝わらない。今こそ、皆で考え、皆で取り組み、いいものを作り上げていくべきだと私は考えている

柔道フォーラム開催

2009-03-24 09:06:25 | Weblog
 全日本柔道連盟は、昨年、柔道独自の指導者養成システムの構築を行うために指導者養成プロジェクトを立ち上げた。私も委員の一人として参加している

 プロジェクト活動の第一弾として全国から指導者約100名を招聘し、指導の現状や問題点などを明らかにし、今後の指導者養成システム構築への足掛かりを探るべく「柔道フォーラム」が開催された。(3月21日~22日、ナショナルトレーニングセンター)

 <プログラム>
 第1日目 10:30~20:00
 1 世界における柔道の現状(ビデオ):情報戦略部長 射手矢氏
 2 基調講演 「世界で戦うために必要なこと」上村春樹(全日本柔道連盟 専務理事)
 3 パネルディスカッション 第1部 「指導とは何か?新しい指導法の提言」道場指導者
 4 パネルディスカッション 第2部 「高等学校柔道強化のあり方」高校指導者
 5 グループ討議(これまでの内容を踏まえて参加者が意見交換及び発表) 
 6 情報交換会 

 第2日目 9:00~13:00
 1 問題提起 山口 香
 2 パネルディスカッション 第3部 「現状指導の問題点および打開策」総務委員会委員
 3 パネルディスカッション 第4部 「世界で戦うための方策」強化委員長、現役選手、情報戦略部、国際審判員、メンタル担当者
 4 まとめ プロジェクト委員長 小野沢弘史

 プログラムを見てわかるように、今回のフォーラムは新しいプロジェクトを立ち上げたことへを全国の指導者に周知してもらうことが一義的であったために、指導者といっても対象やレベルなどが絞られておらず、打ち上げ花火的なものとなった

 しかしながら、それぞれの場面において様々な貴重な意見が述べられ、問題点が明らかにされたことは有意義であったと思う。こういった意見を全柔連がどういった形で拾い上げ、解決策を打ち出していくかが重要だろう

 私自身が気になった点を挙げ、感想を述べたい。(~私の意見、感想)

高校指導者の意見:世界で活躍する選手は、中学校、高校、大学など現場の指導者が育てている。全日本のコーチが育てたとは思っていない。私は年間100日は外泊している。全柔連はせめて、世界チャンピオンを育てた指導者に感謝状の1枚でも出してもらいたい。そういった簡単なことが指導者の励みになる!

至極ごもっともなご意見で、是非今年の世界選手権から実行するべき!

高校指導者の意見:強豪校には選手が集まる傾向がある。私自身も選手を集めているのでこういった意見を述べるのは心苦しいが、同じ指導者に長く指導を受けることによって似通ったタイプの選手が作り上げられてしまう傾向がある。選手がもっと分散んして様々なタイプの選手が出てくること、そういった選手達が競い合うことが国内の競争力を高めると思う。

このブログで以前にも書いたが、国内競争力を高めることは世界で戦う上において非常に大切なことである。身近に強い選手がいることは、高いレベルでの稽古が可能であり、メリットもある。しかしながら、レギュラーになれない選手のモチベーションをどうやって担保していくかなど課題は多い。

高校指導者の意見:全日本のコーチと現場のコーチとの連携をもっと密にしていくことが重要。選ばれて遠征や合宿にいって怪我をして帰ってくると本当にがっかりする。大事にしていないとは言わないが、フォローも大切。選手を一番知っている人間は誰かを考えてほしい。

全日本のコーチは大事な選手を預かっているという意識が必要だろう。合宿などで厳しくするのは構わないが、その選手の特徴や性格、日頃の練習量や内容などを現場の先生から情報を得ておくこと、遠征や大会の後には報告するなどの極めの細かい配慮が大事になる。私の個人的な意見としては、近い将来、世界選手権やオリンピックにおいては選手が最も信頼を寄せている現場のコーチが帯同するという形式(マラソンや水泳などと同様)になっていくべきだろうと考えている。

総務委員の報告:柔道における重大な事故は頭、首が多い。首については日頃から鍛えておく必要性がある。

これについて会場から、「以前の稽古ではブリッジの練習が習慣的に行われていたが最近はやっていないところが多い」と報告された。確かに私も子供時代からずっとやっていた記憶がある。最近では科学的なトレーニングということで目新しさに目が向きがちだが、長い歴史に裏打ちされた練習方法は意味があるのだということを認識し、見直していくべきだろう。

参加者からの声(情報交換会):昨年の講道館杯の1週間前にルールの変更が告げられた。(効果の廃止、場内外の解釈、ズボンを持って技をしかけることは反則など)大会の1週間前に文章で伝えられるだけでは現場(選手、コーチ、審判)は戸惑う。こういったやり方はやめてほしい。

ごもっともなご意見である。基本的にルールは、それが良い変更であっても時期を決めて行うべきである。そしてルールの変更を周知する時間(HPや講習会などを活用して)を確保することが重要である。最近では、IJFが変えたいと思った時にルールが変えられるようになってしまった。昨年の世界ジュニア大会などでは、新ルールを大会にきて告げられたという国もあるぐらいだ。連盟、コーチは情報を収集する能力も重要だが、すべての選手に有利不利が出ないようにすることは大事であろう。

参加者からの声(情報交換会):柔道の専門家が教員になれる率が非常に少なくなっている。全柔連などが各県に働きかけをして柔道の専門家が教員になれるような採用方策を探っていってほしい。

少子化に伴って教員採用枠は減少傾向にある。それに伴って中学校における柔道専門の教員が減っており、柔道部のない中学校が増えている。こういった現状を踏まえて、何かしらの対策、方策を打ち出していかなければならないのは間違いない。しかしながら、同時に柔道選手の文武両道にも目を向けていきたい。低年齢からの競技化が進み、昔以上に柔道に専念し、勉強がおろそかになっている傾向がみられる。家にいれば親からもうるさく言われるので勉強もするだろうが、寮にでも入っていれば、まず勉強などはしないだろう。勉強をするという習慣がないので、採用試験となっていきなり勉強は難しいといえる。採用試験のみならず、現役後、社会に出て行くことを見据えた場合、トップの成績をとる必要はないが本を読む、勉強に取り組むという習慣を小さい頃から植え付けることは絶対に必要だろう。

 ここに挙げたのは、ほんの数例であるが、多くの貴重な意見や提言が聞かれた。そういう意味では、非常に意義のあるフォーラムであったと思われる。早速、全柔連のHPにもアップされていたが、あまり詳しく書かれていなかったのが少し残念である。参加者だけが恩恵を受けるのではなく、多くの人たちに情報が発信されることが望ましい。おそらく、今回のアップは速報で、後日詳しい内容が載るのだと思う(期待したい)

 私自身も今回のフォーラムの仕掛人の一人であり、プログラムのなかでは短い時間ではあったが、提言という形で問題提起をした。内容については次回のブログで詳しく書きたい



WBCをみて思う

2009-03-20 22:01:32 | Weblog
 WBCが盛り上がっている。野球はなんでこんなに人気があるのだろう。うらやましい限りだ。ただ、WBCが人気があるから、プロ野球が人気があるとは限らない。今回は、イチロー、松坂などメジャーリーグの選手も参加しての豪華キャストだからだろう

 同じジャパンであっても北京のときになぜこれだけのメンバーを出せなかったのか、残念に思う。もちろん、メジャーも日本もリーグ中であったことはわかるが、野球を世界にアピールするには絶好のチャンスだっただろうに

 気になるのは、負けても負けても、勝っても勝っても同じ国と、具体的にいえば日本と韓国は何度も対戦がある。まあ、このような対戦になると日本のように選手層の厚い国は有利になる。アメリカが勝つ為にこういったルールになったというが、実は日本にこそ有利なのではないかとも思える

 他の競技を見ていると、ルールや大会のシステムなど、理解できないことが結構ある。野球などは中継もニュースも多く、それらについてよく解説してくれるので良い方だと思うがそれでもなんだかすっきりしないことも結構ある

 こうして考えると、柔道を見ている一般の人たちも私が野球を見るような「よくわからない」ことがたくさんあるのだろうな?と思う

 サッカーは世界で最も競技人口も多く、人気があるスポーツだが、その理由は競技の単純さにある。誰が見てもわかりやすい。また、ボールさえあればできる

 見るスポーツを意識した場合、単純なわかりやすいルールというのは大きなポイントとなる。柔道着をブルーにしたのもそういった点を意識してのことだ。相撲までとはいかなくても、柔道のルールも組み手争いなど駆け引きを少なくし、もっとわかりやすいルールを目指す必要があるだろう

将来的にはあるかも?

2009-03-18 07:34:29 | Weblog
 ロシアがはじめて海外からコーチを招聘したことを書いたが、日本にも可能性があるのかと考えてみた

 おそらく、多くの方は「日本で外国人のコーチなんてあり得ない!そんな可能性はない。」と即座に否定するだろう。もちろんヘッドコーチが外国人になる可能性は極めて低いが、スタッフの一人と考えればメリットもあることに気がつく

 日本選手の技のレベルは依然として高いが試合になると勝てないという状況がある。ということは、試合においての戦術や戦法、さらにはモチベーションなどなどで負けている可能性が考えられる。海外のコーチの得意とする部分である。また、彼らはいつも「日本選手にどうやったら勝てるだろうか」ということを考えているのだから、そういった面で貴重なアドバイスが得られるはずだ

 常々思っていたのだが、日本の文化は「教える」というよりは「見て覚えなさい」というものであるので、言葉で伝えたり、解説したりといったことは苦手である。日本の有名な選手が海外で技の説明をしてもパフォーマンスは素晴らしいが説明には不満足という場合が多い。選手の多くが考えてといよりも感覚でやっていることが多いのも一因だが、指導者になっても論理的に説明することに慣れていないともいえる

 日本の柔道は常に王道をいくので、日本の指導者は相手の研究や対策というよりは選手自身の力量をあげることに専念すればいい。そして、外国人のコーチが戦術面を担う。日本人は柔道を全て知っているという自負心があるが、じつは自分の弱点というのは意外と見えていない場合がある

 また、日本が国際的にも開かれたことをアピールできる。例えば、柔道大国フランスとコーチの交換を行うなどという方法もある。大学や研究機関などでは当たり前に行われている。これだけ情報化社会になれば、自分たちの情報を盗まれることを心配するよりも交流を積極的に深めてお互いの優れた点を吸収しあうようなやり方の方が賢い

 日本のナショナルチームに外国人のコーチがいても、私には全く違和感がなく、抵抗もないが、日本人の柔道に対するプライドからすれば難しいかもしれない。しかし、そのプライドの高さが海外の人には大きな壁になっていることも事実だ

 国内的にも「昔強かった」人でないと評価されないのと、海外の柔道家を下に見るのと同じような発想だと思う。選手として強くなくても指導者や組織の人間としては優秀な人が大勢いるのと同じように、海外のコーチでも日本が学ぶべき優秀な人も多い

 ビジネスチャンスは意外な発想から生まれるように、今は考えられないかもしれないが、将来的には外国人コーチの招聘もあり得るかも???

ロシアのコーチたちと

2009-03-17 09:11:54 | Weblog
ロシアのナショナルチームが日本に練習に訪れている。昨晩は、コーチたちと夕食を共にし、様々な話をする機会を得た(写真中央がガンバ氏、左がマカロフ氏、右がモロゾフ氏)。

 ロシアは実は昨年の北京オリンピックで金メダルどころか、メダルを一つも獲得できなかった。男子は日本、フランスと並ぶ強豪国であることを考えると、大きなショックであったに違いない

 柔道愛好家で知られるプーチン首相の後押しを受け、これまで以上に強化の体制が整っていると思われるにもかかわらず結果が後退しているのは皮肉だ。これは日本男子にも同じことがいえる

 北京後、危機感からか、ロシアは初めてヘッドコーチを海外から招聘した。イタリア人のガンバ氏である。彼は、1980年代に活躍し(1980モスクワ五輪71kg金,1984ロス71kg銀)、引退後は母国イタリアにおいて長年コーチを務め、北京前にはIJFが支援して作られたアフリカトレーニングセンター(モロッコ)にてコーチ。アフリカ勢は北京において銀メダル1個、銅メダル2個を獲得という成功を収めた。ガンバ氏に加えて、アテネ後引退した若いマカロフ氏(ロシア人。2001年世界選手権金、決勝では日本の金丸選手と、駆け引きではなく技を出し合う素晴らしい試合を繰り広げた)もコーチングスタッフに加わっている。

 ロシアは、ロシアスタイルと言われるほど、サンボやレスリングの技術を生かしたパワフルな柔道が特徴である。しかし、ここにきてテクニシャンと言われた二人のコーチを採用したことは、少しずつ目指す柔道の方向を転換していこうという表れか?

 マカロフ氏曰く「グルジアのパワー柔道はすごい。ロシア人とは比較にならない。」私たちは、旧ソ連の国々をまとめて考えてしまいがちだが、それぞれの国に違いがあり、ロシアはパワーで勝負していたらグルジアにはかなわないと考えているというのにびっくりした

 ガンバ氏に日本の男子柔道について聞いてみた。彼は2度の世界選手権決勝で日本選手に敗れている。その当時と今の選手達は何が変わったのか。

 「日本は世界のどの国の選手達よりも恵まれている。そのことが強さに結びついていない。また、柔道以外の可能性も多く、柔道で金メダルを獲ることが’夢’ではなくなってしまったのではないか。長い間、日本に練習に訪れていて思うのは、日本は何も変わっていない。練習のメニューも20年前と同じ。変化が必要なときもあるのではないか。日本が弱くなったのではなく、世界が強くなってきた。世界は、柔道は日々進化している。日本は20年前と同じ位置にいる。」

 おそらく、日本人の多くが、言われなくてもわかっていると言い返すかもしれない。しかし、世界が進化しているのに対して日本は何を変えてきたのか。もちろん変えなくても良い部分もたくさんあるはずであるが、組織、システム、コーチなど改革すべき部分も多分にあったはずだ。これまで日本は海外の変化、進歩に対応を繰り返してきた。対応ではなく、自身を進化させるというポジティブな変化を残念ながら行ってはこなかった。そのことが世界の進化においていかれている原因だろう

 ロシアの選手達は常時合宿体制で練習を行っている。週11回のセッション(技術練習を含む)、週4回のフィジカルトレーニング。ヨーロッパの主な国々、韓国など、強豪国のほとんどはこのような練習環境を整えている。つまり選手達はプロフェッショナルなのである。お金の問題ではなく、生活が柔道中心になっている。日本の選手はガンバ氏が述べたように恵まれてはいるものの、コーチを含めてプロフェッショナルという感覚が低い

 実業団の選手達(男子)は、まとまって練習をしているケースはほとんどなく、個々の出身大学において練習を行っている。そこには大学の指導者はいるが、その人たちのターゲットはあくまでも学生達である。つまり、世界を目指す最も大事な時期に選任で見てくれるコーチが実はいないという現状にあるのである。どんなに優秀な選手でも自分を客観的にみることは難しい場合が多い。

 おそらくこういった従来のやり方でもこれまでは世界で闘ってこられたが、世界が進化していく中、日本といえども変化しなければ、さらにおいていかれることは間違いない。

 北京後、若い篠原氏がヘッドに抜擢された。強化システムも、ナショナル、シニア、ジュニアという新しい区分に変わった。改革の試みは見て取れるが、大きな改革とは言い難い。ロシアのようにメダルゼロとなれば変わらざるを得ないし、周囲も納得する。そういった意味で日本は危機感はあるものの、そこまで切羽詰まっていない状態だろうか。

 全日本のコーチを辞めてから、海外に試合に行っても他の国のコーチたちとゆっくり話す機会も減ってしまったが、彼らとの話の中で得られることは大きいと改めて感じた

こんなもの

2009-03-13 23:38:18 | Weblog
予想通り、講道館の館長に上村氏が就任。

柔道界はまあこんなものだろうと思う。

ジャーナリズムもこんなもの。速報で伝える各社のどこもが、深く切り込んだ論調はなく、全柔連の会長も引き継ぐことが濃厚とだけ伝えている。

錚々たる先生方が決められたことなので、おそらくこの結果が正しいのだろう。

私自身が主張してきたことが間違っていたとは少しも思っていないが、自分の価値観や考え方に自信がなくなるような事柄が多い

IJFでの立場、IJFとの関係

2009-03-13 10:24:57 | Weblog
 一人の人間に役職が集中するという問題で以前に、海外の人から指摘された点を思い出した

 日本はこれまで多くの人材をIJFに役員として送り出してきたが、IJFの役員の仕事とはなんであろうか?IJFの役員は国の利益代表ではない。国際柔道を包括的に考えていかなければならず、ニュートラルな立場であることが要求される。IJF会長はルーマニア出身、現在はオーストリア国籍であるが、彼の言動からルーマニアもしくはオーストリアを意識させるものはあまりない。全会長の朴氏(韓国)もそうであった。

 つまり、国際連盟の役員は、自国の為に働くのではない。しかしながら、これまでの日本から出た役員の多くは世界から見るとIJFの立場で仕事をするというよりは日本を代表しているといった印象を持たれてきたようだ

 もちろん、選挙から始まって活動においても、自国に支えられている部分は少なからずあるので、様々な場面において相談をしたり、意見を求めることはあるだろう。本音と建前のような部分だが、明から様に自国の利を主張するのは立場として違うということだろう

 日本人の意識も変える必要がある。役員には「日本の為にこうやっていってこい!」とか「なんで反対しなかったんだ!」などとプレッシャーがかかってきた

 日本が柔道の創始国であるから、そういった目で見られがちな部分もあるが、国際機関で働く委員はあくまでも国代表ではなく、中立な立場であることを念頭にいれなければならないし、それを示す必要もある

 そこで考えたのは、現在IJF理事として活躍しておられる上村氏が全柔連の会長となった場合、この中立の立場が非常に示しづらくなる。IJFで何かを決定する時にどちらの立場で発言しているのかが求められるだろう

 IJFとしては、利用しやすくもなる。例えば山下氏が理事の時には、IJFの決定に対し、日本の立場はIJFに反対の立場をとることも問題なくできたなぜなら、山下氏はIJFの役員であって、日本の代表ではなかったからである。

 しかし、理事会に上村氏が入って決定された事項に対して、「理事会のメンバーとしては賛成しましたがメンバーではあるものの日本の会長の立場としては反対します!」といったことが可能なのかどうか?そうなると、日本の立場がこれまで以上に曖昧に見えてしまうのではないかと心配になる

 多くの人と話をしていると、おそらく上村氏はIJFの仕事は誰かに譲っていくのでは?という見解が示される。しかしながら、このポジションは上村氏の自由にできるものでも日本の枠でもない。となると、このポジションを日本が確保したいのであれば残留するしかない。

 私自身、今回、国際的な関係、国内の問題など様々な角度から考えてみて勉強になったことが多かった。始めから問題意識を持っていたこともあったが、考えていくうちに、調べていくうちに、指摘されたり、気がついたことも多かった

 IJFの役員についてもそうだ。国連の役員が、どこかの国の首相や大臣であることは考えられない。つまり国の利益代表は国際機関の役員はやってはいけないのが筋だろう。簡単な理屈で「目からうろこ」だが、そんなふうに考えたことがなかった。やはり、日本は柔道を自国のものと考え、私物化?とまではいかないが傲慢に考えている部分があったのだろう

 考えれば考えるほど、今回の人事が及ぼす影響の大きさがわかってくる。何度もいうが、上村氏個人の資質の問題ではない。優秀な方であることは近くで仕事をさせていただいたことも多かったので十分すぎるほど理解している。だからこそ、氏の能力が十二分に発揮されるポジションや環境が大事だと思う。抱え込んでパンクしたのでは元も子もない

 決まってしまってから起きた問題に対処するのではなく、事前に起こりうる問題を想定し、解決策を探ってから進むことが賢明なやり方だろう。決定権のある方々がこういった様々な問題を熟考してくださることを願うばかりだ

明日は注目

2009-03-12 07:38:35 | Weblog
 明日はいよいよ講道館で理事会・評議員会が行われる。現館長がすでに3月末日を持って館長を辞すことを表明しておられるので、明日の会議では時期館長についての討議がおこなわれるはずである。

 財団法人講道館は寄付行為(運営における決めごと)によって運営されることが決まっている。(当たり前!)以前も紹介したが改めて大事なポイントをおさらいすると

*本財団は20名以内の理事をおき、内1名は本財団を代表する講道館館長とする。
*講道館長は維持委員会において選出し、その他の理事は評議員会にて互選する。
講道館長故障のとき又は欠けたるときは予め講道館長の指名した理事これを代理又は代行する
*講道館長はその任期を7年、理事の任期は3年、いずれも再任を妨げない。
(ちなみに理事は4名しかおらず、評議員は数十名。10段の3人の先生方も評議員で館長の資格を有さない。このバランスも非常に悪い。)

 現館長は昨年再任されているので任期はまだ6年残っている(任期が7年というのにはびっくり!)ので、講道館長が指名した理事がこれを代理又は代行するとなるはずである。

 ということは理事の一人である上村氏(現在全柔連専務理事)が報道のように館長代理に就任されることが予想される。そうであれば特に問題はない。(館長でなく、代理であれば)

 以前された報道では、「館長の後任」とでたがおそらくこれは間違いであろう。なぜなら、寄付行為に則って館長の人事・人選が行われるのは当然のことで、これを無視することはできない(はずである)。

 万が一、この条項を無視して館長が交代するようなことが起これば驚きだ!寄付行為の条項を無視して人事を行うようなことが許されれば、講道館という団体が「ルールはあっても守らない、いい加減な団体」と世間に示すようなものだからだ。

 また、理事・評議員には企業役員の方々、高段者、地区会長など錚々たるメンバーがそろっているのであるから、そういった提案がなされたとしても「条項に則って粛々と行うべき」という意見が出るであろうと予想される。

 万が一、このような正当な意見も出ずにあっさりと後任が承認されるようであれば、自己管理能力のない、行き当たりばったりの団体だということを証明してしまう。

 正常な団体であれば、こういった事態がおこった場合には、とりあえず代行をおき、その間に条項を改正した上で行うのが筋である。

 マスコミの方々にはこういった観点から取材をお願いしたいものである。「世襲制が終わって次の人に引き継がれる」という単純なものではなく、オーバールールが適用されるかどうかという点が重要だということ。通り一遍の館長交代という論調にはなってほしくない。口幅ったいが事実を報道することと、批評、批判があってこそのジャーナリズムではないか?館長が後任を指名できるといったシステムはありえないし、どこぞの共産圏か独裁政治である。

 このブログでも紹介したが、雑誌柔道(講道館発行)で柔道界の外で活躍される方、柔道を応援してくださる方などにインタビューを行う企画を担当してきた。コマツの坂根会長、外務省の小川大使、福田敬子氏と3回続いていた。外部の方にご意見を伺うのは非常に良いことだと考えていた。しかし、この企画が打ち切られる。

 理由ははっきりしないが、「このブログをみて館長が怒っている」ということらしい。館長が読んでくれているということは、驚きでもあり、喜びでもある!釈然としないのは、なぜ、怒るのだろうか?確かに、講道館や全柔連のあり方やシステムについて私なりの意見を述べてきたが、すべて「柔道の将来を考えて」のことである(と私は思っている)。

 当然、批判もあるだろうと予測はしたが、誰かがいわなければ変わらないし、地方の人たちには中央で何が起こっているのか知る由もない。敢えて実名で書いているのもリスクを背負う覚悟を持って訴えたいという気持ちからだ。

 日本柔道が世界で権威を失ってきた一つの要因はここにある。国内外にある「柔道を少しでもよくしよう」と考えてのアイデアや提案に耳を傾ける姿勢がない。

 世界の国々は、「日本の意見など聞いても仕方がない。どうせ、反対するだけだ。」と日本を外すようになり、国内では「自分の考えなど述べないイエスマン」だけが残っていけるシステムである。極めて官僚的で保守的!

 私の意見が悪いのであれば、批判は甘んじて受けるが、意見を述べるものを外していくような組織に将来はない。また、論理的な思考の裏付けがなければ大きな組織をまとめていくことは不可能である。私の意見が間違っているというのであれば、論理的に打破するべきである。

 全く可能性がないのはわかっていても、できることであれば講道館館長に立候補したいぐらいだ!何人かの立候補者が出て、全国各地で柔道家を集めて公開の討論会を行い、講道館の将来に向けたビジョンを語り合う。会場からの質問にも答える。その上で、館長が選ばれれば、すべての柔道家が理念を共有し、同じ目的に向かって夢を持って進んでいけると信じる。

 嘉納氏が辞意を表明したのもマスコミの報道のみで、それぞれのホームページにおいては一切触れられていない。「下々のものには説明する責任などない」ということか。「決まったら黙ってそれに従え」民主的な考えからはほど遠い。

 ともかく明日の会議の行方に注目しよう。そして、どうやって報告されるかを見守ろう。