シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

亡くなった父の思い出1

2017年05月21日 | 分からな~い人生
“ムグググ … 苦ちい” といってる (?) ネコと、大好物を目にして舌なめずりする (?) 少女。
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母が4月に94歳で亡くなった後 実家近所の高齢者の集まりを主催しているボランティアの方が、お二人で実家を訪れ 焼香してお悔やみを述べてくれました。 そのすぐ後 そのうちの1人がビール1ケースを持参して、「お母さんと一緒に飲んで下さい」と置いていったそうです。 私が不在で弟がいたときの話しです。

これを聞いて 次に私が実家に出向いて弟と交代する際に、ビールの半額程度の和菓子詰め合わせを用意し、弟と一緒にその方を訪ねて和菓子をご挨拶にと渡してきました。 いや こんな事しないで下さい とか、すぐ近くのイオンへ買い物へ行くときなど お母さんと時々お話ししたんですよ 寂しくなります などおっしゃっていました。

結局 そのボランティアの方々皆さんで召し上がって下さいといって、受け取っていただきました。 そこで 戴いたビールを飲みながら、父母や親戚の思い出話しを書き綴ってみたいと思います__
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父が亡くなったのは2009年 88歳で、あと5日で89歳という高齢で、2月の寒い時期でした。 肺炎で入院したのが40日前の12月末でした。 175cm と老人にしては背が高く、それなりに肉がついて太っていましたから 60kg はあったんじゃないかと思います。 しかし 一度畳に座ったり横になったりすると、自力では立ち上がれないほど 3年ほど前から筋力が弱っていました。

以前も1人では立ち上がれず、2歳年下の母も担ぎ起こす力がなくて、お隣の若い男の人に2〜3回も手伝ってもらってベッドに辿り着いたことがあったそうです。 その時 (12月末) も1人では立ち上がれず、父は「お前じゃ だめだから、隣の若い人を呼んでくれ」といったそうですが (母から伝え聞いた話しそのままですが 少しブッキラボウでは?)、母は今度頼むと3〜4回目だから もう頼めないと判断して、畳に寝ている父に毛布と布団を掛けておいたのだそうです。

その日 深夜になって 父がヘンな咳をし始めたので、肺炎になったのではないかと思い、救急車を呼んで そのまま入院させたということです。 実家に駆けつけた私が「大丈夫かな?」というと、母は「もう戻って来れないのでは …」とも漏らしていました。

今から思うと、高齢者を抱き起こすにはコツがあるのですが、母は知らなかったのです。 知っていたら 父を抱き起こしてベッドに連れていけたかも知れません。 それと 3〜4回目でも ためらわずに お隣さんに頼んだ方が良かったかも … (今となっては後の祭りですが)。
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母は全然 父の介護をしなかったかわけではありません。 トイレが近くなっても足がおぼつかない父は、間に合わずに廊下や便器の前で漏らしてしまい、何度もその後 父を浴室に連れていって、シャワーで洗い流し、新しい下着を着せ、漏らしたものを片付け、洗濯物がいっぱいあって大変だった、そして いつ迄 こんな事が続くんだろうかと思っていたといっていました。

それを聞いて もっと早く父を老人施設に入れたほうが、苦労しなくて済んだのではないかと、今更ながら思いますが、我々子どもたちも 助言することまで頭が回らなかったことをちょっぴり後悔しています。 我々も母まかせにして、母の負担を軽減する義務を怠っていたのかも知れません。
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私は父に似ているらしく、親戚の女性に電話で話したときに、「お父さんそっくりの声ですね」といわれたことがあります。 高齢の母は時々私と同じ部屋にいると、父を思い出すらしく こういうことがありました__。

父が亡くなった後 母は私や弟に、父への愚痴を何度もいっていました。 母が何かの件で父に不満をいうと、「オレは稼いでるんだ」といつも威張っていたので、それが不満となって心にうんと溜まっていたらしく、「主婦の仕事も男の人の仕事とおんなじだよ」と私に怒ったようにいうので、「私は父じゃないんだよ。 もう父は亡くなったんだよ」と反論したことがあります。

また 父の不倫話しも持ち出して、(父が亡くなった後も) 嫉妬で眠れないことが何度もあるともいっていました。 定年前 県庁のある都市へ単身で赴いていた時期、久しぶりで母が赴任先へ出かけると 離婚話しにまで会話が進んでしまったこともあるそうです。

母が追求し、最後に父が「離婚してもいいよ」と持ち出したので、母が「子どもがまだ結婚もしていないのに、恥ずかしくないの?」と訊くと、10分も黙っていて、とうとう「別れてくるよ」といったそうです。 当然 母が話す その不倫相手に対してはクソミソです __「その母親とグルになって 父をたらし込んでいたんだよ。 悪い女で “すっごいブス” なんだよ」

私が「そんなにウラミがあるんなら、仏壇に向かって あんたのせいで眠れないよと怒ったら」というと、「そんなことをいうと化けて出てくるよ。 あ〜 (泣き声) こんな所へお嫁にくるんじゃなかった …」と応えてました。 今更 過去は変えられず 恨みの相手がもう亡くなっているのに、恨みはいつまでも記憶から消えないのですね。

今日はここ迄です。

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