
写真左は、小説家の申 京淑。 右は山崎 豊子 (2009年)。
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小説の一部流用は時々あるものだ。 それがほんのごく一部で、丸写しではなく、本人がすぐに謝罪すれば問題とはならないケースが多いように思う。 本件では、「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった」(三島由紀夫『憂国』) 「二人とも健康な肉体の持ち主だった。 彼らの夜は激しかった」(申京淑『伝説』)、の部分だ。
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「申京淑『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」(6月17日 朝鮮日報)
「韓国を代表する著名作家に三島由紀夫盗用疑惑」(6月19日 J-CAST ニュース)
「韓国作家『憂国』の盗作認める」(6月23日 スポーツ報知)
「韓国の著名作家、”記憶は定かではない” が、三島作品からの盗作を謝罪―米紙」(6月24日 Record China)
「韓国作家が三島作品盗作で謝罪」(6月24日 NewSphere) __ ※追加1へ
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本人が原作を読んだことを忘れてしまったが、印象的だった一部だけが頭の片隅に残ってしまい、それを無意識に自作小説に使ってしまう、ということはありうるだろう。 だから 創造的な仕事をする者は、他人の作品にインスピレーションを受けても、丸写しとならないよう 慎重に創造 発表することが求められる。
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ウィキペディアから __ 盗作 (とうさく) とは、他人の著作物にある表現、その他独自性・独創性のあるアイディア・企画等を盗用し、それを独自に考え出したものとして公衆に提示する反倫理的な行為全般を指す。「剽窃 (ひょうせつ)」とも呼ばれる。 オマージュ、パロディとは区別される。
盗作の類義語として用いられる用語に「パクリ」がある。「パクリ」とは、盗んだもの、盗んだことを意味する名詞である。 また 盗作よりも広義であるため、著作権侵害とは関係のない場面においても使われる。
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一方 日本作家でも、山崎豊子の度重なる盗用が有名だ。 山崎豊子の小説は面白いだけに残念なことだ。 音楽界でも酷似した曲というものはある。 中田章の『早春賦』はモーツァルトの『春へのあこがれ』に酷似している。 更に 森繁久彌の『知床旅情』は、出だしが『早春賦』に似ていると思うのは私だけだろうか。
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創造的な作品というものは、当然 オリジナリティが尊重される。 それまでにない 全く新しいものは誰でも評価し、尊敬の対象となる。 酷似した作品というのは、評価 尊敬の対象とはならないだろう。 むしろ アザケリの対象となってしまう。 だから コピペは参考にはしても、自作品には取り入れないことが大前提だ。
自説だが、常識人に属する人は創造的な作品を産み出す能力が乏しいようだ。 非常識人に属する人が、創造的な作品を産み出す能力が強いように思う。 常識に捕われない頭の持ち主が、過去に創造作品を多く残してきたように推測する。
それは、過去の大人物の伝記などを読むと、随分と変わった人だなぁと感じる部分が多いからだ。 逆にそういうエピソードを伝記作家が集めているのかも知れないが、でも やっぱり そんな非常識な人物だったからこそ、創造作品をつくったのだろうと なぜか納得してしまう__これも私の独断と偏見です。
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ウィキペディアから __ 盗作の例 山崎豊子は、日本の小説家。 1968年『婦人公論』に連載中だった長篇小説『花宴』の一部分がレマルクの『凱旋門』に酷似していることを指摘されている。 1973年には『サンデー毎日』連載中の『不毛地帯』において、今井源治『シベリアの歌』からの盗用があるとして問題となった。 1987年から文藝春秋で連載された『大地の子』をめぐっては、遠藤誉 (当時 筑波大学教授) から自著「卡子 (チャーズ) ―出口なき大地―」に酷似しているとして訴訟にまで発展した。
「早春賦」(そうしゅんふ) は、1913年に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。 2006年から2007年にかけて文化庁と日本 PTA 全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている。 モーツァルト作曲の歌曲『春への憧れ』K.596 との曲想の類似性が指摘される。
「知床旅情」(しれとこりょじょう) は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲。 初出時の題は『しれとこ旅情』。 1960年発表。
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以上
※追加1_ 韓国の有名女流作家、申京淑 (シン・ギョンスク) 氏の短編の一部の描写が、三島由紀夫の『憂国』からの盗用だとする盗作疑惑が韓国の文壇を騒がせている。 申氏は当初盗作を否定していたが、23日になって韓国紙のインタビューを通じて謝罪し、事実上 盗作を認めた。 出版社も問題となった作品を収めた短編集を自主回収した。
◆三島の『憂国』の性描写を盗用か
発端は、韓国人小説家のイ・ウンジュン氏が、16日付のハフィントン・ポスト韓国版で、申氏の1996年の短編小説『伝説』の一部が、三島由紀夫の短編『憂国』(1961年・韓国では83年に翻訳出版) の盗作だと告発したことだった。 イ氏が指摘したのは、「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった」(『憂国』) 「二人とも健康な肉体の持ち主だった。 彼らの夜は激しかった」(『伝説』)、など若い男女の性描写の部分だ。
申氏はその翌日、「『憂国』を読んだことがない」と疑惑を否定。『伝説』を収めた短編集の出版元の創批 (チャンビ) 社も、「いくつかの文章が似ているとしても、それを根拠に盗作うんぬんするのは問題だ」と申氏を擁護した (朝鮮日報)。 しかし 申氏と出版社のこうした対応がかえって世論の批判を強め、この一週間で著名な詩人が新聞のコラムでイ氏の告発を支持したり、申氏を詐欺で捜査するよう検察に訴える大学教授が現れるなど、急激に “包囲網” が形成されていった。
申氏は疑惑否定後メディアとの接触を絶っていたが、23日になって京郷新聞のインタビューに答え、態度を一変させた。 同氏は、「問題になっている三島由紀夫の『憂国』と『伝説』の文章を何度か比べた結果、盗作を告発するのは当然だと思った」と、指摘の正当性を認めた。 一方、「どんなに考えても、『憂国』を読んだ記憶はないが、今では自分の記憶を信じられなくなった」と、故意性についてはあいまいにした。 そのうえで、「問題提起した小説家と全ての知人、そして何よりも私の小説を読んだ多くの読者に心から謝ります … 全ては私のせいです」と謝罪した (BBC)。
◆「文壇の内輪のいがみ合い」という印象はマイナスとの指摘も
創批社も同日、当初疑惑を認めなかったことを謝罪する文章を会社の web サイトに載せた。 併せて『伝説』を収録した短編集『ジャガイモを食べる人々』(これもゴッホの絵画の題名と同じ) を自主回収したと発表した。 同社は『伝説』を外して同短編集を再出版する予定だとしている。
申氏は1985年に文壇デビューし、30年間で20編以上の小説を発表している。 2011年には、長編小説『母をお願い』で『マン・アジア文学賞』を女性として、韓国人として初受賞した。 同作は22ヶ国で翻訳出版され、200万部以上売るミリオンセラーとなった。 朝鮮日報は、「大物女性作家、韓国小説文学の象徴的な人物となった申氏は、どんな形であれ 正直な立場を示すのが自身を支持してくれる人々への礼儀ではないか」と、社説で今回の件を批判している。
同社説は、事件を「韓国文学を一段と成熟させる契機とすべきだ」とも指摘する。「ただでさえ 韓国の文壇はここ数年間、注目すべき作品や作家が現れない低迷期に陥っている。 作家や文学評論家は互いに指摘することはすべきだが、内輪でのいがみ合いに熱を上げているという印象を与えれば、読者たちはもっと文学から離れていくだろう」と、告発者側にも一部批判的とも取れる意見を示している。
◆丸山健二からも盗作か
申氏には、この他にもいくつかの盗作疑惑が持ち上がっている。 東亜日報によれば 最初に指摘されたのは1999年で、韓国文芸誌の編集委員が、申氏の『別れのあいさつ』が、日本の丸山健二の『水の家族』の盗作だと書いた。 朝鮮日報も、「申氏の別の3作品をめぐっても盗作疑惑が持ち上がっている」としている。
丸山作品からの盗作を指摘した編集委員は、「当時 出版社は申氏をかばい、この疑惑は闇に葬られた」と述べている。 東亜日報は、韓国では、これまでにもベテラン作家や有力作家の盗作疑惑が何度もあったと指摘。「しかし 文壇内部だけが騒々しかっただけで、作家が否定して出版社が守れば、すぐに闇に葬られていった」と記している。 今回の騒動は、SNS の普及などにより、それが通用しない時代になったことを示したといえよう。
東亜日報は、韓国文壇の競争率の高さや「先輩後輩、先生と弟子」といった関係に縛られる風通しの悪さが盗作が多発する要因だと指摘する。 さらに 音楽業界や学術会には「核心部分の2小節が同じ」「6単語以上の連鎖表現が一致、命題またはデータが類似」といった盗作を認定する独自のガイドラインがあるが、文学作品には基準がないことも問題視している。 また WSJ は、「韓国では盗作疑惑は珍しくない」と指摘。 識者はしばしば、この盗作問題を「競争過多で、クリティカル・シンキング (批評的思考) よりも暗記を重視する韓国の教育システムと結びつける」と記している。
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小説の一部流用は時々あるものだ。 それがほんのごく一部で、丸写しではなく、本人がすぐに謝罪すれば問題とはならないケースが多いように思う。 本件では、「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった」(三島由紀夫『憂国』) 「二人とも健康な肉体の持ち主だった。 彼らの夜は激しかった」(申京淑『伝説』)、の部分だ。
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「申京淑『伝説』は三島由紀夫『憂国』を盗作」(6月17日 朝鮮日報)
「韓国を代表する著名作家に三島由紀夫盗用疑惑」(6月19日 J-CAST ニュース)
「韓国作家『憂国』の盗作認める」(6月23日 スポーツ報知)
「韓国の著名作家、”記憶は定かではない” が、三島作品からの盗作を謝罪―米紙」(6月24日 Record China)
「韓国作家が三島作品盗作で謝罪」(6月24日 NewSphere) __ ※追加1へ
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本人が原作を読んだことを忘れてしまったが、印象的だった一部だけが頭の片隅に残ってしまい、それを無意識に自作小説に使ってしまう、ということはありうるだろう。 だから 創造的な仕事をする者は、他人の作品にインスピレーションを受けても、丸写しとならないよう 慎重に創造 発表することが求められる。
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ウィキペディアから __ 盗作 (とうさく) とは、他人の著作物にある表現、その他独自性・独創性のあるアイディア・企画等を盗用し、それを独自に考え出したものとして公衆に提示する反倫理的な行為全般を指す。「剽窃 (ひょうせつ)」とも呼ばれる。 オマージュ、パロディとは区別される。
盗作の類義語として用いられる用語に「パクリ」がある。「パクリ」とは、盗んだもの、盗んだことを意味する名詞である。 また 盗作よりも広義であるため、著作権侵害とは関係のない場面においても使われる。
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一方 日本作家でも、山崎豊子の度重なる盗用が有名だ。 山崎豊子の小説は面白いだけに残念なことだ。 音楽界でも酷似した曲というものはある。 中田章の『早春賦』はモーツァルトの『春へのあこがれ』に酷似している。 更に 森繁久彌の『知床旅情』は、出だしが『早春賦』に似ていると思うのは私だけだろうか。
…………………………………………………………
創造的な作品というものは、当然 オリジナリティが尊重される。 それまでにない 全く新しいものは誰でも評価し、尊敬の対象となる。 酷似した作品というのは、評価 尊敬の対象とはならないだろう。 むしろ アザケリの対象となってしまう。 だから コピペは参考にはしても、自作品には取り入れないことが大前提だ。
自説だが、常識人に属する人は創造的な作品を産み出す能力が乏しいようだ。 非常識人に属する人が、創造的な作品を産み出す能力が強いように思う。 常識に捕われない頭の持ち主が、過去に創造作品を多く残してきたように推測する。
それは、過去の大人物の伝記などを読むと、随分と変わった人だなぁと感じる部分が多いからだ。 逆にそういうエピソードを伝記作家が集めているのかも知れないが、でも やっぱり そんな非常識な人物だったからこそ、創造作品をつくったのだろうと なぜか納得してしまう__これも私の独断と偏見です。
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ウィキペディアから __ 盗作の例 山崎豊子は、日本の小説家。 1968年『婦人公論』に連載中だった長篇小説『花宴』の一部分がレマルクの『凱旋門』に酷似していることを指摘されている。 1973年には『サンデー毎日』連載中の『不毛地帯』において、今井源治『シベリアの歌』からの盗用があるとして問題となった。 1987年から文藝春秋で連載された『大地の子』をめぐっては、遠藤誉 (当時 筑波大学教授) から自著「卡子 (チャーズ) ―出口なき大地―」に酷似しているとして訴訟にまで発展した。
「早春賦」(そうしゅんふ) は、1913年に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。 2006年から2007年にかけて文化庁と日本 PTA 全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている。 モーツァルト作曲の歌曲『春への憧れ』K.596 との曲想の類似性が指摘される。
「知床旅情」(しれとこりょじょう) は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲。 初出時の題は『しれとこ旅情』。 1960年発表。
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※追加1_ 韓国の有名女流作家、申京淑 (シン・ギョンスク) 氏の短編の一部の描写が、三島由紀夫の『憂国』からの盗用だとする盗作疑惑が韓国の文壇を騒がせている。 申氏は当初盗作を否定していたが、23日になって韓国紙のインタビューを通じて謝罪し、事実上 盗作を認めた。 出版社も問題となった作品を収めた短編集を自主回収した。
◆三島の『憂国』の性描写を盗用か
発端は、韓国人小説家のイ・ウンジュン氏が、16日付のハフィントン・ポスト韓国版で、申氏の1996年の短編小説『伝説』の一部が、三島由紀夫の短編『憂国』(1961年・韓国では83年に翻訳出版) の盗作だと告発したことだった。 イ氏が指摘したのは、「二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったため、彼らの夜は激しかった」(『憂国』) 「二人とも健康な肉体の持ち主だった。 彼らの夜は激しかった」(『伝説』)、など若い男女の性描写の部分だ。
申氏はその翌日、「『憂国』を読んだことがない」と疑惑を否定。『伝説』を収めた短編集の出版元の創批 (チャンビ) 社も、「いくつかの文章が似ているとしても、それを根拠に盗作うんぬんするのは問題だ」と申氏を擁護した (朝鮮日報)。 しかし 申氏と出版社のこうした対応がかえって世論の批判を強め、この一週間で著名な詩人が新聞のコラムでイ氏の告発を支持したり、申氏を詐欺で捜査するよう検察に訴える大学教授が現れるなど、急激に “包囲網” が形成されていった。
申氏は疑惑否定後メディアとの接触を絶っていたが、23日になって京郷新聞のインタビューに答え、態度を一変させた。 同氏は、「問題になっている三島由紀夫の『憂国』と『伝説』の文章を何度か比べた結果、盗作を告発するのは当然だと思った」と、指摘の正当性を認めた。 一方、「どんなに考えても、『憂国』を読んだ記憶はないが、今では自分の記憶を信じられなくなった」と、故意性についてはあいまいにした。 そのうえで、「問題提起した小説家と全ての知人、そして何よりも私の小説を読んだ多くの読者に心から謝ります … 全ては私のせいです」と謝罪した (BBC)。
◆「文壇の内輪のいがみ合い」という印象はマイナスとの指摘も
創批社も同日、当初疑惑を認めなかったことを謝罪する文章を会社の web サイトに載せた。 併せて『伝説』を収録した短編集『ジャガイモを食べる人々』(これもゴッホの絵画の題名と同じ) を自主回収したと発表した。 同社は『伝説』を外して同短編集を再出版する予定だとしている。
申氏は1985年に文壇デビューし、30年間で20編以上の小説を発表している。 2011年には、長編小説『母をお願い』で『マン・アジア文学賞』を女性として、韓国人として初受賞した。 同作は22ヶ国で翻訳出版され、200万部以上売るミリオンセラーとなった。 朝鮮日報は、「大物女性作家、韓国小説文学の象徴的な人物となった申氏は、どんな形であれ 正直な立場を示すのが自身を支持してくれる人々への礼儀ではないか」と、社説で今回の件を批判している。
同社説は、事件を「韓国文学を一段と成熟させる契機とすべきだ」とも指摘する。「ただでさえ 韓国の文壇はここ数年間、注目すべき作品や作家が現れない低迷期に陥っている。 作家や文学評論家は互いに指摘することはすべきだが、内輪でのいがみ合いに熱を上げているという印象を与えれば、読者たちはもっと文学から離れていくだろう」と、告発者側にも一部批判的とも取れる意見を示している。
◆丸山健二からも盗作か
申氏には、この他にもいくつかの盗作疑惑が持ち上がっている。 東亜日報によれば 最初に指摘されたのは1999年で、韓国文芸誌の編集委員が、申氏の『別れのあいさつ』が、日本の丸山健二の『水の家族』の盗作だと書いた。 朝鮮日報も、「申氏の別の3作品をめぐっても盗作疑惑が持ち上がっている」としている。
丸山作品からの盗作を指摘した編集委員は、「当時 出版社は申氏をかばい、この疑惑は闇に葬られた」と述べている。 東亜日報は、韓国では、これまでにもベテラン作家や有力作家の盗作疑惑が何度もあったと指摘。「しかし 文壇内部だけが騒々しかっただけで、作家が否定して出版社が守れば、すぐに闇に葬られていった」と記している。 今回の騒動は、SNS の普及などにより、それが通用しない時代になったことを示したといえよう。
東亜日報は、韓国文壇の競争率の高さや「先輩後輩、先生と弟子」といった関係に縛られる風通しの悪さが盗作が多発する要因だと指摘する。 さらに 音楽業界や学術会には「核心部分の2小節が同じ」「6単語以上の連鎖表現が一致、命題またはデータが類似」といった盗作を認定する独自のガイドラインがあるが、文学作品には基準がないことも問題視している。 また WSJ は、「韓国では盗作疑惑は珍しくない」と指摘。 識者はしばしば、この盗作問題を「競争過多で、クリティカル・シンキング (批評的思考) よりも暗記を重視する韓国の教育システムと結びつける」と記している。
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