
ロイターの写真から __ 左の犬はどうやら後ろ足の1つが吊ってあるから3本足の犬?
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18日土曜に 私一人が再び母の入院した病院へ出向き、弟と付き添いを交代しました。 母の下着類を抱え、明日洗濯して持ってくるよといって、その日から実家へ入りました。 18日土曜は3連休初日だったので、高速道 (圏央道・東北道) は事故渋滞や行楽車でやたら混んでましたね。
病院に見舞っている間に、地域ケアマネの方から電話が入り、来週23日木曜午前に、関係者に集まってもらって 今後の母のケアについて病院内で会合を持ちたいとの連絡が入ります。 従来 要支援だったのが、区分分けで要介護に認定されると、ケアマネ担当も変わってくるのだという。
実は ガス栓撤去と電柱から 200V 配線、50A 分電盤設置、分電盤から元ガス器具のあった箇所への 200V 配線とコンセント設置工事を依頼していた建設会社から、17日金曜に連絡が入り 当初の27〜28日工事予定から早まり、21〜24日のいずれかの日に出来そうだとなったので、21日火曜朝にも担当者に連絡して 23日木曜を工事日から外してもらわなくてはなりません。
21日火曜朝の連絡時に、23日以外の日が決まっていたら 一番いいのですが …
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弟がいっていたのですが、退院後の外出用の携帯酸素ボンベの取り扱いに 母がまだ覚えきれないらしく、不安が少し残るということを院内ケースワーカーから聞いたらしい。 しかし 19日日曜のお見舞い時に 看護士がやってきて、また携帯ボンベに繋いで少し廊下を歩いてみましょうとトレーニングするところを見たら、自分でちゃんと操作してボンベを引きずって歩いていたので、段々と慣れてきているようで、ちょっぴり安心しました。
ただ 50m くらい歩いて、椅子とテーブルがある談話室に行って休んだとき、看護士がパルスオキシメーターで測定したら、70 を切っていた。 90 を切っても良くないといわれて入院したのだから、もっと悪い。 母の手を触ると常温より少し低い体温です。 酸素が行き渡っていないのでしょう。
しかし 看護士から「口を開かずに鼻で息をして吸って」といわれ 母がその通りにすると、チューブから酸素が体内に入り 1分ほどで 90 を超えるまでに回復しました。 思い出すと 2月に帰省した折も、キッチン卓で新聞紙を広げて読んでいるうちに家事で疲れたのか何度も居眠りしているのを見ましたから、その頃から少し動くと疲れ易くなっていたのかも知れません。
これらからして 退院して家に戻っても、ボンベを引きずりながら 100〜200m 歩いてイオンへ食料品などを買い物へ行くのは厳しいかも __ 果たして1人で買い物に行けるだろうか? 少なくとも 退院後の1ヶ月は入院時と同様に 我々兄弟が1週間交代で付き添う必要があるだろう。
そして IH ヒーターに慣れてもらうのも大事だが、家事一切をなるべく我々兄弟で行い、母の負担を軽くする必要があるだろう __ 炊事 洗濯 掃除 後片付け その他モロモロ …
ボンベ携行に慣れてきたら、徐々に買い物付き添いを減らし、1人で買い物をしてもらうことになります。 並行して 施設へのショートステイを幾つか試してみることを勧めていきたい。 実は 入院時から母にショートステイを何度か伝えたのですが、ウンウンというだけでと 納得しているのかいないのか判断がつきませんでした。
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TV の置いてある居間に自分で布団を上げ下ろしして寝ているのですが、ベッドを導入してみては と勧めても、これもウンウン返事で 肯定しているのかいないのか判断がつきませんでした。
しかし 19日日曜に、居間にベッドを置くと楽だよ、布団の上げ下ろししなくても済むからというと、「そうだよ 大変だよー」というから、居間の鏡台と座卓を玄関口の部屋に移動させればいいからね、そうすればベッドを入れて TV も見られるよ、というと やっと肯定的な返事が返ってきました。
これらのやり取りから やっと分かったことは、私の問いかけに対する母の認識度や想像力が以前より減っていることでした。 いわれたことの認識が十分でないから、そうなった場合の想像も十分でない。 だから 返事もあいまいな “ウンウン” が多い __ 要するに認知症が進んでいる … ?
となると、施設への入所も本格的に考えなくてはならない段階に来ているのかも知れない。 一方で 施設へ入所すると、一切合切がおまかせになるので、体と頭がもっと衰えていくという話しもありますから、この辺りの “兼合い” というか “見極め” が難しいですね。
早くいうと 誰にも避けられない 来るべき物がとうとうやってきたのかも。
今日はここまでです。