源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

神戸市兵庫区広報誌で訪ねる平清盛 福原遷都2 

2012-02-01 02:47:24 | 平清盛

  福原遷都に関係のある、2厳島神社 11氷室神社 4熊野神社 6湊山温泉 7祇園神社 10宝地院を紹介します。

  

 黄字:福原遷都コース《 地図 》
 

2 厳島神社
1180年(治承四年)、福原遷都の際、平清盛が平家一門の氏神として深く信仰して いる安芸国厳島神社をこの地に勧請しました。福原京の周りに七つの地に厳島神社を勧請したので、七弁天と呼ばれています。 
 ※ 勧請(かんじょう):神仏の分霊をむかえること
 

 

  11 氷室神社
清盛が厳島神社を勧請した七弁天の一つ。一の谷合戦の平清経の陣屋跡。
氷室の名の由来は、日本書紀によると額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかのひこのみこ)がこの地で狩をしていた時、洞窟を発見した。「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、仁徳天皇に氷を献上したことからきております。
 

 

 4 熊野神社
清盛が紀州熊野の神を勧請して祀った。

平清盛が福原遷都の際、周辺に多くの寺や神社を祀って、新都の鎮護を祈っていますが、特に厳島神社と熊野神社は崇拝していたといわれています。当神社の本殿は、紀州熊野権現と同じく巽(南東)の方向を向いており、「東向きの権現さん」と地人
から親しまれています。
 

 

 6 湊山温泉
雪見御所の近くにあって、清盛も通ったと伝えられています。
「山槐記(さんかいき)」に1179年(治承三年・福原遷都の前年)6月に「清盛邸を去る一丁ばかりにある湯屋へ車で渡らせ給う」と書かれています。雪の御所から一丁の場所が今の天王川沿いの鉱泉が湧き出る「天王・湊山温泉」付近と思われます。(約300M)

左:湊山温泉、右:天王温泉(05年に廃業) 石碑には「天王温泉は、平清盛、豊太閤に由緒ある温泉にして橋を渡りて山沿いに二丁行けば守護神と豊国稲荷あり」と書かれています。

※山槐記(さんかいき)とは、中山忠親の日記。
中山忠親は平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿で内大臣を務めた人物。
 

 

 7 祇園神社
平清盛は、経ケ島を築造の際、ここにあった山寺で海潮を聞きながら計画を練ったと伝えられています。潮音山上伽寺はこの神社の裏山にあったと伝えられています。階段は88段、眺めは最高で大輪田の泊まで見渡せた。
祇園神社の創建は869年(貞観11年)とされています。神社の下には、清盛時代の貴族の邸宅跡が発掘されています。

 

 
9 荒田八幡神社
この付近は、平清盛の弟・池の大納言頼盛の山荘があったところと言われ福原遷都の際、安徳天皇の宿泊所となりました。
上写真:「史跡 安徳天皇安在所」と下写真「福原遷都八百年記念の碑」です。

 

 

10 宝地院
安徳天皇の菩提を弔うため1279年(弘安二年)に建立されたといわれています。当地は荒田八幡神社のすぐ南に位置し、頼盛の山荘があったところで、安徳天皇の父高倉上皇の厳島御幸記に「・・・頼盛の家で笠懸流鏑馬(かさがけやぶさめ)など仕うまつらせ御覧ぜられる」とあり、頼盛の山荘は相当広い邸内であったと思われます現在は、一部が幼稚園になっています。