義経の隠れ家 2005-12-29 00:45:13 | 源平の歴史 頼朝と不仲になった義経が弁慶ら郎党と西国目指して大物浦(だいもつうら)から船出するために、一時身を隠していた場所がこの大物主神社付近だと言われています。境内に「義経と弁慶の隠れ家の跡」の碑があります。 当時は、この神社の前は海であったと言われていますが、現在は住宅と工場地帯です。 « 鹿 | トップ | 渡辺の津(屋島攻め) »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 隠れ○○ (やっちゃん) 2005-12-29 07:14:25 義経の人気は日本人の「判官贔屓」と言う言葉を生み出す元だったと思います。奥州への道中あちこちに隠れ○○・・・と言う場所が沢山あるようですね。世の中、捨てたものではありませんね?富樫のような人情味のある人物はたくさん居たのだと思われます。そうでなければ奥州くんだりまでたった数名の伴を連れて落ち延びられる訳ないよね。・・・ 返信する Unknown (ラメール) 2005-12-29 09:47:10 やっちゃん訪問とコメントありがとう。敗れた義経の方が政権を築いた頼朝より人気がありますね。家康より信長に人気があるのと同じことなのでしょうね。 返信する 隠れ家 (しずか) 2005-12-29 21:33:22 義経がちょっと泊まっただけでも、石に腰掛けただけでも、800年経った今でも史跡として残るのは凄いことですね。 返信する Unknown (ラメール) 2005-12-29 23:14:20 しずかさん訪問とコメントありがとう。昔から義経は人気があったのでしょうね。どこまでが真実か分かりませんが全国に史跡を残したのは義経くらいかなぁと思います。 返信する 大物浦 (merry) 2005-12-30 20:31:01 私もここに行こうと思って地図などプリントしてたのですが、とうとう行けませんでした。遠いところより、近くの方がなかなか行けないものです。ところで、この大物浦からの船出をテーマにした「能」船弁慶があります。来年はこれを見てみたいと思ってます。 返信する Unknown (ラメール) 2005-12-31 00:06:22 merryさん訪問とコメントありがとう。ドラマで、マツケン弁慶が熱演していました。境内の説明版にも「謡曲 船弁慶ゆかりの地」とありました。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
奥州への道中あちこちに隠れ○○・・・と言う場所が沢山あるようですね。
世の中、捨てたものではありませんね?
富樫のような人情味のある人物はたくさん居たのだと思われます。そうでなければ奥州くんだりまでたった数名の伴を連れて落ち延びられる訳ないよね。・・・
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敗れた義経の方が政権を築いた頼朝より人気がありますね。家康より信長に人気があるのと同じことなのでしょうね。
訪問とコメントありがとう。
昔から義経は人気があったのでしょうね。
どこまでが真実か分かりませんが全国に史跡を残したのは義経くらいかなぁと思います。
遠いところより、近くの方がなかなか行けないものです。
ところで、この大物浦からの船出をテーマにした「能」船弁慶があります。
来年はこれを見てみたいと思ってます。
訪問とコメントありがとう。
ドラマで、マツケン弁慶が熱演していました。境内の説明版にも「謡曲 船弁慶ゆかりの地」とありました。