源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

清盛が勧請した福原京七弁天(1)

2012-05-07 02:54:10 | 源平の史跡

1180(治承4)年、福原遷都の際に、平清盛が平家一門の氏神として信仰している安芸の宮島の厳島神社をこの地に勧請しました。

雪見の御所に清盛が住んでおり、そのあたりに天皇、上皇、法皇の住まいを作る予定で、政務を行う場所は、2キロほど下がった大輪田の泊り当たりを考えていたようです。

福原京の周り7つの地に厳島神社を勧請した地名は、花隈(はなくま 元は弁天町にありました)、夢野(ゆめの)、渦輪(うずわ 永沢の兵庫厳島神社に合祀されました)、永沢(ながさわ)、佐比江(さひえ)、西宮内(にしみやうち)、真野(まの)です。
現在、清盛七弁天と言われているのは、1花隈厳島神社(浜の弁天と呼ばれていました)、2氷室神社、3兵庫厳島神社、4恵林寺、5済鱗寺、6真光寺、7和田神社をいいます。
(参考資料:兵庫厳島神社案内板より)

清盛が勧請した地を現在の地名と合わせてみますと以下のようになります。900年も前の地名と現在の町名の場所とは、単純に同じ場所ということはできません。当時の地名は、今より広い地域を指していたと思われ、又、少しは場所も変わってきていると思われます。しかい、当時言われていた地名が今でも町名で残っているところもあります。

  

 

七弁天について書かれています。
 和田神社HPは こちらから

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