実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

法皇山横穴墓群・死者を弔う家族のおもい

2012年09月30日 | 日記

隊員NO.2りかで~す(^^;)/

江沼三山(大日山・富士写ガ岳・鞍掛山)の眺望が美しい”さえぐさの里”加賀市勅使町にある

法皇山横穴墓群」は、古墳時代後期(6世紀初頭~7世紀後半)につくられたものです。

この時代は日本の古墳が小規模化し、群集墳(ぐんしゅうふん)や横穴群が増える時期だそうです。

法皇山横穴墓群」は、穴の入り口から羨道(せんどう)といわれる通路があり、最も奥に

棺(ひつぎ)をおさめた玄室(げんしつ)がある構造になっています。玄室の手前には前室(ぜんしつ)という

部分があり、家族が亡くなった人にお供えする土器などをおいていました。

まつりごとはこの前室で行われていたと考えられ、横穴の構造は『古事記』に書かれている黄泉(よみ)の国を

彷彿とさせるものです。

←横穴の中で写真を撮りました!

古墳時代の人々は、死ぬことは消えてなくなってしまうのではなく、現世を去って遠い所へ行くことだと

考えていたようで、この考え方が横穴のつくりかたにも現れています。

玄室は前庭部という「現世」から羨道(せんどう)を通って、「あの世」へ行った死者が現世と同じような

生活ができるようになっています。

死者に供えられた土器類は、家族が「これまでと変わらず不自由なく、元気に暮らして下さいね!」という

願いを込めて置いたもので、きっと亡くなった人が生前に使っていた物だったと思います。

みなさんは、どう思われますか?

 

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