隊員NO.2りかで~す(^^;)/
江沼三山(大日山・富士写ガ岳・鞍掛山)の眺望が美しい”さえぐさの里”加賀市勅使町にある
「法皇山横穴墓群」は、古墳時代後期(6世紀初頭~7世紀後半)につくられたものです。
この時代は日本の古墳が小規模化し、群集墳(ぐんしゅうふん)や横穴群が増える時期だそうです。
「法皇山横穴墓群」は、穴の入り口から羨道(せんどう)といわれる通路があり、最も奥に
棺(ひつぎ)をおさめた玄室(げんしつ)がある構造になっています。玄室の手前には前室(ぜんしつ)という
部分があり、家族が亡くなった人にお供えする土器などをおいていました。
まつりごとはこの前室で行われていたと考えられ、横穴の構造は『古事記』に書かれている黄泉(よみ)の国を
彷彿とさせるものです。
古墳時代の人々は、死ぬことは消えてなくなってしまうのではなく、現世を去って遠い所へ行くことだと
考えていたようで、この考え方が横穴のつくりかたにも現れています。
玄室は前庭部という「現世」から羨道(せんどう)を通って、「あの世」へ行った死者が現世と同じような
生活ができるようになっています。
死者に供えられた土器類は、家族が「これまでと変わらず不自由なく、元気に暮らして下さいね!」という
願いを込めて置いたもので、きっと亡くなった人が生前に使っていた物だったと思います。
みなさんは、どう思われますか?