実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「北前船の里資料館」誕生秘話!

2012年09月13日 | 日記

隊員NO.4にいなで~す(^_-)/

9月6日(木)1930分から加賀市民会館を会場に、加賀市観光ボランティア大学第11回講座

「日本一の富豪村 北前船の里」が開かれました。

 

講師は江沼地方史研究会の見附裕史さんで、先生には30年以上にわたる北前船(きたまえぶね)

研究の成果をもとに、1983(昭和58年)10月にオープンした「北前船の里資料館」の建設に

まつわる秘話から、「北前船」の定義や最新の北前船研究の成果にいたるまで、詳しくお話しいただきました。

 

実は「北前船の里資料館」誕生のキッカケは、1981(昭和56)年12月に橋立町を襲った台風並みの突風

だったそうです。この台風並みの突風により、旧酒谷家(現北前船の里資料館)の土塀が約60mにわたり倒壊し、

近隣の民家4軒にも被害が及ぶ大騒ぎとなって、新聞記事にも取り上げられました。

また、この頃橋立にある旧北前船主の家が次々と土蔵破りの被害に遭うという事件も起こっていました。

そのような状況の中で、地元橋立の皆さんが作る「北前船研究会」のメンバーが

「なんとか歴史的価値のある旧北前船主の家を保存して欲しい」と加賀市に陳情されたのだそうです。

そこで、加賀市は旧酒谷家の建物を調査しました。この調査には文化財保護に理解のあった当時の

山下力加賀市長とともに、加賀市教委の職員であった今回講師の見附さんも同行されました。

酒谷家の子孫にあたる方は普段東京に居住されており、この建物はほぼ空き家状態で、中庭は雑草が伸び放題

だったそうです。「調査はヘビと格闘しながらやりました」と見附さんは当時を振り返って話されていました。

これら旧北前船主の家々は、地元の子供達のよき探検の場所になっていたそうです。

住居の中もとても荒れていましたが、調査をしたらすぐに、この旧酒谷家の建物のすばらしさが

分かってきました。ケヤキの8寸角の柱、巨大な松でできた立派な梁、秋田杉でできた正面大戸の一枚板。

これらの材木にはすべて7回も8回も漆が塗られており、光沢が放たれていました。

1872(明治5)年の橋立大火により、村の大部分が焼けました。その時に酒谷家当主の長兵衛が

財力にものをいわせて、自らが凝りに凝ってこの建物をつくったといわれています。

加賀市はこの旧北前船主邸宅・旧酒谷家を5,000万円で購入し、リニューアルに5,000万円を計上する計画を

立てました。当初の目標入館者数は、年3,0003,500人(当時、単独テーマ館では年3,000人入館すれば

大成功といわれていました)。しかし当時の橋立町は、観光に訪れる人もなく、目標達成は不可能だといわれました。

加賀市の財政担当者や一部市議会議員さんから猛反対があったのも当然といえます。

しかし奇跡が起きました。

昭和5810月、北前船研究家・故牧野隆信先生(元大聖寺高校長)が記念講演をおこなってオープンした

北前船の里資料館」にたった2ヵ月で6,000人もの入館者が訪れたのです。

そして昭和61年には、なんと年間7万人もの人々が北前船に興味を持って、入館されました

(当時の石川県立美術館の入館者は7~8万人)。

きっと資料館建設を担当された見附さんたちが、館内を「船主の生活館」「衣装館」「船絵馬館」「引札館」

などに分け、工夫されたのも功を奏したのだと思います。

来年、開館30周年を迎える北前船の里資料館」には、今も毎年約2万人もの方が来館されています。

皆さんも一度北前船の里資料館」を訪れて、北前船の歴史を学び、旧北前船主の華やかな生活ぶりを

感じてくださいね!!

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