隊員NO.2りかで~す(^^;)/
9月25日(火)の課題研究の時間に、加賀市二子塚町にある狐山(キツネヤマ)古墳を見学してきました。
狐山古墳は彼岸花(別名・曼珠沙華)の名所としても有名です。
わたしたちが訪れたときは、ちょうど咲き始めといった感じで、つぼみのものがたくさんありました。
放射状に真っ赤に咲いた彼岸花はとってもキレイでしたよ。是非、みなさんも足を運んでください!
田んぼの中にこんもりした林が見えてくると、そこが狐山古墳でした。狐山古墳は石川県内では極めて
珍しい平地に造られた5世紀後半の前方後円墳です。全長56mで、幅10m前後の周溝があったとみられ、
当時としては県内最大の大きさで、国指定史跡になっています。
箱型の石棺からは身長170cmと当時にしては大柄な40才代男性の遺骨とともに、鏡や銀製装飾品、
玉類、甲冑(かっちゅう)、刀剣など豊富な副葬品が発見されました。
中にはこの時期としては全国的にも珍しい「桂甲(けいこう)」と呼ばれる鉄片をつなぎ合わせたよろいもあり、
出土品の多くが、現在東京国立博物館に保存されています。
狐山古墳は、非常に多くの鉄製品が出ていることから、この古墳に眠る支配者が、武器や農耕具として
鉄を活用し、強大な国力を有した江沼=江渟(えぬ)の権力者であったことが分かります。
また狐山古墳は天皇陵に近い造りを持っています。二段に築かれ、外周には水濠(ぼり)、墳丘には葺石(ふきいし)や
埴輪(はにわ)も備えられており、皇族との深い関係がうかがえるそうです。
5世紀初めにお隣の越前国から継体天皇が生まれました。継体天皇は製鉄王ともいわれた人で、北陸から天皇になった
重要な要素として、「鉄」が考えられるそうです。そして、継体天皇の母は振媛(ふりひめ)といい、その振媛の母・
阿那尓比弥(あなにひめ)は余奴(よぬ)臣(おみ)の祖で、余奴は江沼を指すというのが研究者の間で定説
になっているそうです。
鉄を使って大きな力を持っていた江渟(えぬ)の権力者が眠る狐山古墳は、継体天皇との関係から
今後ますます注目されるにちがいありません。
狐山古墳の石棺(福井新聞社ホームページより)