きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

山羊の思い違い、羊の謙遜

2011年09月13日 | 羊、朝の一声
イエス様の最後のたとえ話、「羊と山羊のたとえ」。このタイトルは面白い、と思ったが、内容は結構切実。。。

最後の審判の時には、羊飼いが山羊と羊を左右に分けるように私たちも分けられる。羊は右に、山羊は左に。右の羊は永遠の命をいただき、左の山羊は永遠の刑罰を受ける。なんで山羊が?と山羊ファンの方からのクレーム間違いなし、だけど、聖書では山羊は悪人の象徴になっている。ハイジが知ったら泣くだろうな、、、なんて考えるより先に、問題は分けられた時の羊と山羊の態度。

羊はお腹がすいている人に食べ物を分け、泊まるところのない人を泊めてあげ、病気の人を見舞い、牢にいる人を訪ねていた。神様から「あなた方はそういうことをしてくれたね。」と誉められると、心当たりがないと言う。この謙虚さ!私なら、たった一度でも、どれかひとつでもしたことがあったら、きっと覚えているだろう。そして、自分の数少ない美談として決して忘れることはないだろう。ということで、この私の態度はまぎれもなく山羊だ。

山羊は、「我々がいつそれをしなかった?神様になら、必ずやってあげているよ!」と、この高飛車な態度。だから神様は仰る。「最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのだ。」

神様はすべてご存知だ。私が見ないふりをしたとしても、忘れてしまっても、また気付かなかっただけであっても、そこに愛があったか、愛ゆえの行動だったか、それをご覧になっている。神様の前に立った時、「あんたは左」と言われてガーガー騒いだところで、後の祭り。ナマケモノになったり、シロクマになったり忙しいけど、今日は羊を目指そう。

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