フィリピンの顔

フィリピンの日常や、旅行記、人、観光地、ビジネス、
出来事等を記録します。

マニカちゃん (Manica)

2009年08月28日 | 芸能界

ご存知ですか?


マニカちゃんです。



まず、下のロゴをクリックして下さい。



(リンク先は新しい上映分ですが、このロゴは私が使用できる許可を受けた古いロゴです。)



[世界がもし100人の村だったら] ブログ村キーワード

日本で放映された、”世界がもし100人の村だったら”で、トンドのごみ捨て山で強く生きる主人公のマニカちゃんに感動し泣かされた日本の少女彩加ちゃんから、マニカちゃんに渡してほしいと預かった人形、鉛筆、衣服類を私からの大きなぬいぐるみを添えて直接手渡しに行きました。



マニカちゃんは、ごみ山に行っていると聞いて、トラックで運ばれているごみ山へ入って行きました。








ごみを選別するたくさんの人達


私は写真を撮りながら、夢中になってどんどん入って行きましたが、途中で注意されました。
気が付くと通ってきた地面は、小さなガラスだらけでした。
 そこは、ガラスだけではなく、注射針や刃物などいろいろなものが散らばっているので、長期に渡って
そこに居る時は、鉄板を靴の裏に付けて入らなければ危ないそうです。
子供たちにとっても、そこは、命を賭けた職場でしょう。



 ここを回った所では、廃タイヤの中に入っている針金を取り出す為に、燃やしている所があります。
そこに居ると2時間くらいで顔や露出部が真っ黒になるそうです。


はら? マニカちゃんは、自宅に戻っているそうです。


ごみ山で仕事をする子供




ここがマニカちゃんの家


いたいた...



3人兄弟です。
マニカちゃんの横が弟。
末が妹。

ハ~イ!!
マニカちゃん!!


え!?
妹? 弟?
妹だって。



彩加ちゃん、ちゃんとプレゼント、届けたよ・
  ありがとう。だって...


近所の子供たち





彩加ちゃんへ
 ごめんね、1年以上 掛かっちゃった。  
ずっとマニカちゃんを探してたけど、心無い人達(私を含めて)から、その放映されたものは、ドラマだとか、やらせだとか、実在しない主人公だと少し思っていました。
 それでもいろんな人達にマニカちゃんのことをお願いしてたら、マムーさんという人の協力を得て、当時、フィリピンで取材協力をしていたAPS社の江島さんという人に会わせて頂き、トンドのゴミ捨て場でやっとマニカちゃんに会えました。

--当時、彩加ちゃんに宛てて書いた私の手紙--




これらは「世界がもし100人の村だったら3」の放送前のことです。
去年、東京の知り合いがマニカちゃんに会いたいと言うので紹介しました。
次に来られた時にマニカちゃんにノートや鉛筆と一緒に携帯をプレゼントしたようです。
それからは時々私が携帯のプリペイドを送ってやる事になりました。
何日かに一度100円程度でしたが、その内に私が日本人難民になってしまったのでここ半年くらい携帯課金をしてやれなくなったのですが、マニカちゃんは今でも時々メッセージをくれます。
ただ、私の顔は忘れているでしょう。
東京の人が、「何かあったらピノイさんに言いなさい。」とマニカちゃんに言ったので、マニカちゃんにとって私はプリペイド・カードをくれる「足長おじさん」になってしまったようです。(体はビヤダルでも足は長いの!)

可愛い15歳の子でしたがもう随分大人になったでしょう...
立派な大人になって欲しいですね。
お母さんが病気だったけど、どうしてるのかな?


★江島さんのブログ==KUYA江島の気まぐれ日記  
★マムーさんのブログ=マムーの撮影探検日記


「世界がもし100人の村だったら」




コメント (8)
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