何とか以前の女従業員が都合してくれた500ペソ(1000円)で、何日か生活をすることが出来ました。
8月9日(日曜日)
中年の私にとって、この2時間の遠出は1週間経った今でも足腰が言う事を聞かないほど痛く硬くなっていました。
うちのかみさんと話した事です。
「本当に貧乏してる今は、500ペソのお金を都合するの大変ね。」って。
「お金の有難味も良くわかるね。」って。
で、じっくり考えて、私は口にしました。
「本当に500ペソは有り難かったけど、前社長の俺が従業員から「お金あるよ、歩いておいで。」って呼び出されて、500ペソは無いでしょう?」
つい、体の痛みに滅入っているので言ってしまいました。
「2時間以上も病人が歩いて行ったんだったら、せめて1000ペソは欲しかったね。」
私もフィリピン人感覚になったんですかね。きれいな受け取り様じゃなかったから、なんとなく心の中で鬼が騒いでいます。
多分またミルクがなくなってる不安からか、その従業員にギリギリまで良い給料を払っていたからか、社長面してまだ威張った考えがあるのか、何か解らないけど、いろいろ心まで痛かったなあ...
そして暫らくすると、これまた私の癖で、
「何だ? 俺はなんて馬鹿なことを考えてるんだ?」
と、自己嫌悪に陥る。
彼女に近いようなその従業員は、本当に私のことを心配してくれていて、それでもマニラまで持って来てくれる余裕が無かったからわざわざ私に歩かせたのでしょう。
もし彼女が持って来ても、彼女の往復のタクシー代で、また半分になってしまうからね...
そう考えると、ほかの「返事の無いメール」の従業員にまたメールを打っていました。
「みんな。有難うね。一人の従業員が助けてくれたよ。何とか何日か過ごせた。みんな未だ仕事無いの? お金に困っている事でしょう。もう少し待っていなさいね。ごめんね」
私は、タレントや従業員に良くある話をしたことがあります。
「先生の転勤に徳利一杯のお酒をプレゼント」という、勝手に題名をつけたのですが子供のころ聞かされていたお話です。
お話は、学校で急に先生が遠い他の学校に転勤になる前の日に、教え子の生徒たちが、お世話になった先生に何か餞別を渡そうと言う事になって、先生はお酒が好きだから、『どうだろう?ひとつ皆で徳利(とっくり)一杯ずつお酒を持ち寄ろうじゃないか。』
という事で、皆は家に帰り、グラスや徳利に一杯だけのお酒を持ち寄り、学校の(運動場?)に備えてある大きな樽の中にそれぞれ移し入れることを約束する。
さてここで貧しい生徒たちは各々考える。
『皆が持ち寄れば、樽の中にはお酒が満たされる。自分一人だけが真水を混ぜても分からないだろう?』
先生が転勤する朝になって、餞別代りに渡された酒ダルを開けてみると、
なんと、樽の中には並々とお水が入っていた。
【教訓】
1.お酒は一夜にして水に変えることが出来る。 本とか、おい。
「ごめんねメール」を全従業員にすると、何と無くほっとしました。
私が自分で思うことは、私が自分を犠牲にしてでもお金を使ったのは、警察やボランティア関係でも友達でもありません。
大事な従業員です。
その従業員たちが、クーラーやコンピュータや他の家財道具まで持って行って、もう、立ち上がれないほど潰れてしまった社長に、誰がほんの少しでも助けようと思いますか?
期待する方が可笑しいかも知れません。
おそらく、皆未だ苦しいのでしょう。
だけど私は、全くと言って良いほど、後悔はしていません。気にもしません。
そんなものだと知っていますから。
陽気なフィリピンの国、余裕が持てないのも事実です。
【教訓】
2.フィリピン人は、10回助けても、11回目に助けることが出来なかったら、その人は悪い人。と言う。
そうは思いたくないけど、自分がそう思われない様にしなくてはいけないと思います。
だから、誰や彼やに色々話したくないし、また、「貧乏して友達が失くなっただろう?」とかも言われたくありません。
全部自分が悪いのであって、人を巻き込まないように頑張らないと...
すみません、今、日本から連絡があって、今から母に緊急手術をする事になったようなので、いったん筆をおきます。
事情は後ほど説明しますが、これを見られた皆さん、日本は終戦記念日やお盆というのに申し訳ありませんが、今日は、母の誕生日でもあります。
胆嚢の緊急手術をするようです。 先月、重度の脳梗塞で倒れて入院中の別の手術です。
一緒に祈って頂けませんか?
ありがとうございます。
8月9日(日曜日)
中年の私にとって、この2時間の遠出は1週間経った今でも足腰が言う事を聞かないほど痛く硬くなっていました。
うちのかみさんと話した事です。
「本当に貧乏してる今は、500ペソのお金を都合するの大変ね。」って。
「お金の有難味も良くわかるね。」って。
で、じっくり考えて、私は口にしました。
「本当に500ペソは有り難かったけど、前社長の俺が従業員から「お金あるよ、歩いておいで。」って呼び出されて、500ペソは無いでしょう?」
つい、体の痛みに滅入っているので言ってしまいました。
「2時間以上も病人が歩いて行ったんだったら、せめて1000ペソは欲しかったね。」
私もフィリピン人感覚になったんですかね。きれいな受け取り様じゃなかったから、なんとなく心の中で鬼が騒いでいます。
多分またミルクがなくなってる不安からか、その従業員にギリギリまで良い給料を払っていたからか、社長面してまだ威張った考えがあるのか、何か解らないけど、いろいろ心まで痛かったなあ...
そして暫らくすると、これまた私の癖で、
「何だ? 俺はなんて馬鹿なことを考えてるんだ?」
と、自己嫌悪に陥る。
彼女に近いようなその従業員は、本当に私のことを心配してくれていて、それでもマニラまで持って来てくれる余裕が無かったからわざわざ私に歩かせたのでしょう。
もし彼女が持って来ても、彼女の往復のタクシー代で、また半分になってしまうからね...
そう考えると、ほかの「返事の無いメール」の従業員にまたメールを打っていました。
「みんな。有難うね。一人の従業員が助けてくれたよ。何とか何日か過ごせた。みんな未だ仕事無いの? お金に困っている事でしょう。もう少し待っていなさいね。ごめんね」
私は、タレントや従業員に良くある話をしたことがあります。
「先生の転勤に徳利一杯のお酒をプレゼント」という、勝手に題名をつけたのですが子供のころ聞かされていたお話です。
お話は、学校で急に先生が遠い他の学校に転勤になる前の日に、教え子の生徒たちが、お世話になった先生に何か餞別を渡そうと言う事になって、先生はお酒が好きだから、『どうだろう?ひとつ皆で徳利(とっくり)一杯ずつお酒を持ち寄ろうじゃないか。』
という事で、皆は家に帰り、グラスや徳利に一杯だけのお酒を持ち寄り、学校の(運動場?)に備えてある大きな樽の中にそれぞれ移し入れることを約束する。
さてここで貧しい生徒たちは各々考える。
『皆が持ち寄れば、樽の中にはお酒が満たされる。自分一人だけが真水を混ぜても分からないだろう?』
先生が転勤する朝になって、餞別代りに渡された酒ダルを開けてみると、
なんと、樽の中には並々とお水が入っていた。
【教訓】
1.お酒は一夜にして水に変えることが出来る。 本とか、おい。
「ごめんねメール」を全従業員にすると、何と無くほっとしました。
私が自分で思うことは、私が自分を犠牲にしてでもお金を使ったのは、警察やボランティア関係でも友達でもありません。
大事な従業員です。
その従業員たちが、クーラーやコンピュータや他の家財道具まで持って行って、もう、立ち上がれないほど潰れてしまった社長に、誰がほんの少しでも助けようと思いますか?
期待する方が可笑しいかも知れません。
おそらく、皆未だ苦しいのでしょう。
だけど私は、全くと言って良いほど、後悔はしていません。気にもしません。
そんなものだと知っていますから。
陽気なフィリピンの国、余裕が持てないのも事実です。
【教訓】
2.フィリピン人は、10回助けても、11回目に助けることが出来なかったら、その人は悪い人。と言う。
そうは思いたくないけど、自分がそう思われない様にしなくてはいけないと思います。
だから、誰や彼やに色々話したくないし、また、「貧乏して友達が失くなっただろう?」とかも言われたくありません。
全部自分が悪いのであって、人を巻き込まないように頑張らないと...
すみません、今、日本から連絡があって、今から母に緊急手術をする事になったようなので、いったん筆をおきます。
事情は後ほど説明しますが、これを見られた皆さん、日本は終戦記念日やお盆というのに申し訳ありませんが、今日は、母の誕生日でもあります。
胆嚢の緊急手術をするようです。 先月、重度の脳梗塞で倒れて入院中の別の手術です。
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