Atty. Teodoro Macapagal
テオドロ・マカパガル 弁護士
“テッド”や“テディ”と言うニックネームで呼ばれていました。
※【Atty.】とは、【Attorney】の略で、弁護士のことです。
暫らく連絡を取っていなかった友人から、
「9月1日にテッド弁護士が亡くなった。」と
知らせが届いたのが5日の日曜日でした。
そして私が告別式に参列したのはこの日、
7日のことです。
告別式は、オロンガポ市役所で行われました。
「Olongapo City Hall」です。
マニラから北へ車で3時間くらいの所です。
中央の白いバロン・タガログを着ている人が、
テッド弁護士の息子さんです。
よく見ると、ノイノイ・アキノ大統領からの花が飾られてます。
↑↓この上下2枚の写真は、9月5日のお通夜に来られた大統領を録画されてたもので、祭壇横の大きなプロジェクターの画面をカメラで撮ったものです。
大統領の横で笑っているのはテッド弁護士の息子さんです。
この日9月5日の大統領のスピーチは、
大統領府のサイト に掲載されています。
私は先に下りて棺が霊柩車に乗せられるのを待つ事にしました。
・この間に、テディさんの事を少しお話したいと思います。
どうか私の自慢話を聞いて下さい。
テッド弁護士は私の【NGO】の顧問弁護士の一人です。
そして、【コンパレ】でもあり、娘の【ニノン】でもあります。
そして私が言う「最も信頼できる弁護士」の一人でした。
6年前に私はミンダナオのダバオ市でフィリピン人と
喧嘩をしてました。仕事上の製品を泥棒されたのです。
テッド弁護士は一度だけ私とダバオに行き、訴訟をし、
それだけで私は裁判も起こさずに勝ってしまいました。
裁判所から直接相手に逮捕状が出た様な感じでした。
それ程彼は各地に強いコネクションが有ったようです。
テッド弁護士は、お金にはまったく欲の無い人でした。
お金の無い人たちにも快く弁護を引き受けていまして、
弁護料の代わりに米や野菜を受け取る事もありました。
彼の苗字は、マカパガルでして、前大統領の親戚です。
それが何故、現アキノ大統領が彼の弔慰に駆けつけた?
フィリピンの、面白くも不思議な疑問がそこにあります。
現ノイノイ・アキノ大統領の亡き母君の元大統領から、
1986年にテッド氏はオロンガポ市長に任命されました。
以来、息子のノイノイ大統領からも慕われていました。
6月の末、テッド弁護士からケソン市に呼ばれました。
彼は「息子がスービック自由貿易地域の管理者になる。
君がエージェントとして日本人投資家の窓口になれ。」
「7月に大統領からの任命式があるから同席をしろ。」
無精髭を生やしてニコニコ笑いながら私に言いました。
7月1日に、まずノイノイ大統領の就任式があります。
大統領が落ち着かれた後の、7月中旬位かな?下旬かな?
首を長くして楽しみにしていた矢先にこの凶報でした。
レンタカーや運転手を探して、もちろん旅費も工面して
マニラから3時間かけてオロンガポの市役所に到着して
息子さんに会うまで、とても哀しい思いをしていました。
そうです、市役所の前で初めて息子さんに会えました。
流石にスービックの管理を任される、立派な人でした。
市役所で何百人と言う人々に見送られ、大統領も来られ、
鼓笛隊に警備隊に護衛の警察総動員。ボーイスカウトも。
立派な祭壇に立派な教会、そして立派な白い霊柩車まで。
生前、どんなに親しまれた市長さんだったか窺えました。
私が死んでもこんな見送られ方は有り得ないと思います。
そう思うと、蛮からでダンディなテッドさんの旅立ちを、
喜んで見送ってあげようと決めました。
市役所の前で待ってる人たちに息子さんが挨拶を。
息子さんとは、日を改めての再会を約束しました。
棺【Kabaong】が2階から抱えて来られました。
最後にフィリピン国旗【Bandila】が掛けられます。
ドアーを閉める前に、私は棺に手を当てて祈りました。
市役所の人たちがテラスから見送る中を、
先導車に導かれて教会へ向かいます。
沢山の車や人々が同行します。
ブラスバンドも弔いに参列。
教会(メモリアル・チャーチ)に着きました。
手前にいるのは私の【NGO】のパートナー
デラクルス氏です。
テッド弁護士と同時に故アキノ元大統領から任命されて
サン・フアン市の市長を勤めました。
まだ同行者の車が殆んど駐車出来ておらず、満席で教会にも
入れない人々が外で見守っています。
盛大な告別式、嬉しかったです...
■ ■ ■
夜8時ごろ自宅に戻って、
ブログに残された置き手紙を見ると、
ブロ友の「ワカメパパ」のお父さんが
亡くなられていました。
なぜか涙がこぼれます...
■ ■ ■
ランキングに参加しています。
↓今日も応援よろしくお願いします。
お時間があれば、こちらも投票お願いします♪
《リンク》テッド弁護士の記事
Inquirer.net
subictimes.com
Former Olongapo mayor passes away
Written by subictimes on Sep 01, 2010
さようなら...
ありがとうございます。
とても嬉しく思います オイラも昔、一番の親友が無くなった経験があり
その辛さも解ります。 親の別れとはまた違った辛さがありました。
父ちゃんは今頃何処にいるのかなぁ、
って、思ったりもしますが、その分シッカリと母ちゃんを支えて行かねばな!
と感じました。