主の平和 

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1月の初めての集まり、ニュースレターからクリスマスへのメッセージ、亡き母

2016年01月14日 | 日記
1月17日 (日)日本語英国教会 West Actonの今年初めての集まりがあります。
 St.Martin's West Acton Hale Gardens, London W3 9SG
 時間:午後3時から 5時まで
 生活と信仰を考えるつどい
 
 夕べの祈り 

 ティータイム


 2015年 ニュースレター 第73号から

ウィリアム郁子司祭
リーズ大学病院チヤプレン


私たちは今年もアドヴェントの日々にあり、クリスマスを迎えようとしています。イギリスに住んでいると、この時期、特に暗い毎日となり、クリスマスの灯火の暖かさが殊更胸に沁みるのではないでしょうか。暗ければ、暗いほど、光はどんなに小さくても有難いものです。
私は、27年前、折りしも昭和天皇の逝去の日に日本を発ち、北イングランドでの生活を始めました。冬の最中で灰色の空の頃でした。イギリスに着くなりメデイアでは、第二次世界大戦中に東南アジアにおいて英国人捕虜が日本軍の下で体験した非人道的な仕打ちの訴え、そして戦後の日本側の誠実性の見えない態度を非難する声が連日伝えられていました。昭和天皇が亡くなったのを機に突出した怒りと傷みと憎悪の声でした。私は、日本の行いによって、それほどまでに苦しみ、怒りを抱いている人たちがいることにショックを覚えましたが、それと同時に、そのことをそれまで知らずに生きてきたことを深く恥じる思いで一杯でした。
その後、特に何もできないまま年月が経ち、初めて日英和解礼拝の場に出席する幸いが与えられたのは、10年後でした。代祷の祈りにおいて、悔恨の涙を流し、主イエスによる赦しの恵みを感謝する涙を流し、元捕虜の方々に平和の挨拶の握手を求められ涙しました。それ以来、できるだけ元捕虜の方々、その家族・遺族の方々と会って話しを謙虚に聞くということを大切にしてきましたが、依然、日本人と顔も合わせたくないという方々が多くおられるという現実も謙虚に受け止めてきました。
そんなある日、数年前になりますが、私がチャプレンをしている病院でのクリスマス・イブの夕べのことです。近隣の教会の聖歌隊と院内をキャロリングして回ったあと、その日の午後にたまたま病棟で出会った年配の患者さん、Rさんのことが何となく気にかかり、病床聖餐の一式を持って訪ねてみました。Rさんはとても喜んでくれました。聖餐を共にし、クリスマス前夜の感謝の祈りを捧げました。その数日後、このRさんを同僚のチャプレンが訪ねたところ、驚いたことに、Rさんは、こう言ったそうです。「実をいうと自分は極東で戦争中に体験したことから、これまで絶対に日本人とは口を利かない、日本製の物も一切買わないという信念を貫いてきたのに、クリスマス・イブの夜、自分に日本人のチャプレンが訪ねてくれ、聖餐を共にし祈ってくれた。気がつくと、それまで抱いていた憎悪・嫌悪感が一瞬にして消え去った。これまでになかった平安が心に与えられ、心から感謝している」、というものでした。思ってもみなかった和解と癒しの恵みが神様からプレゼントされたクリスマスでした。
心を閉ざしている時、それは暗闇の中にいるのに似ています。私たちはあらゆる理由で暗闇に留まることを選択してしまいます。その理由は、恐怖であったり心の傷であったりするかもしれません。しかし、神様は、私たちが暗闇の中に閉じこもっていることをお望みにならないのです。み子イエスがお生まれになったのは、すべての暗闇から私たちを解放する永遠の光を届けてくださるためです。主イエスの光は神様の愛の光です。私たちの内なる人を新しくしてくださる光です。このクリスマス、ひとりでも多くの方の心の中にイエス様の光が届きますように祈ります。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、
 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
イザヤ書9:2

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感謝

11月の集まりは、私事の急用で不参加になりましたが、遠藤さんはじめ多くの方々のご協力によって、例会が守られたこと、心から感謝しております。
すでにご存じの方もおられますが、11月11日母が亡くなりました。今年の6月の初旬に容態が悪化した際に医師から後1-2か月と言われ、6月末に東京へ向かいました。一週間母を見舞い、これが最後と思いました。その後、多少回復し、8月アメリカから訪ねた甥っ子と対面した時に見せた笑顔の母とのツーショットは今では貴重な写真となりました。9月末夫ディックと訪問した時にもまだ安定していました。この旅程は年初から計画していたもので、被災地と栃木県のアジア学院の訪問が目的にもなっていました。特に仮設住宅でお会いした方々の姿に、母の姿が重なること度々で、胸熱くなったのは言うまでもありません。英国へ戻る前、限られた時間の中で母の手を握ることができ、再度別れを告げることができたことは感謝です。
この6年間ばかり、私のことは分からなくなっていましたが、介護ホームにいる母の顔を見る為に毎年帰りました。英国で介護士の仕事をしながら、実の母の世話ができないのは、何とも歯がゆい思いがありました。一方で、母が心地よいホームにいる間、私に与えられたTask任務を行い、母から学んだ奉仕の精神を生かすことが恩返しになると思いました。そのことは今後も変わらない貴重な遺産として大事にしたいと思っています。自分のことよりも重荷をもった他人の為に動いていた母の姿に、クリスチャンではなかったけれど、真のクリスチャン精神をみるのです。
母を亡くすことは、それなりに大きな損失感があることを今噛みしめています。父親の死と比較するべきことではないのですが、私たちが生まれる前に同じ肉体のうちに存在ししていたことから、何かしら特別な関わりや思いがあることは否めません。周囲にお母さんをすでに亡くした方々がおられることを改めて実感しながら、今までは彼らの心の辛さをよく分かることがなく、寄り添うことがなかったようで、恥ずかしく思っています。そんな私に、心底からの温かい励ましの声、祈りを寄せてくださる方々がおられ、これも神様からの恵みと深く感謝しています。素敵な花束そして有志の方々それぞれの思いがこもった寄せ書きのカードは本当に慰めになっています。子供たちからのメッセージもとても嬉しくいただきました。その一つの「みんないっしょにいるからおちこまないで」の言葉は心深く刻まれています。
尚、有志の方々から寄せて頂いた100ポンドは、仮設住宅の人々の憩いの場の運営の為として母の名前で寄付させていただきますので、ご了承ください。
主の慰め、み力が、ご両親特にお母さんを亡くされた方々に与えられますように祈っています。主に感謝
ジョンソン友紀