新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

がん哲学校たより・9(0026)

2014年01月15日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.1.14配信)
第41回「がん哲学学校」
『生きがいについて』の読書感想文コンクール~『存在の重み』の学び~

先週末(2014年1月11日)「ハンセン病者の心に寄り添い生きた医師 神谷美恵子 (1914年1月12日生まれ~1979年) 生誕100年記念の集い」〈岡山市民会館、 主催:国立療養所長島愛生園〉に出席した。筆者は、『「隔離」という器の中で』〈石田雅男著、文芸社 発行〉を読んで参上した。プロクラムは、「日野原重明先生:人生の生き方の選択」に始まり、「鼎談:長島愛生園入所の方 & 神谷美恵子の御次男 & 筆者」、さらに「バロック音楽のひととき」で終えた。参加者は1500~1600人とのことで、会場は、埋め尽くされていた。驚きである。翌日、地元の新聞の山陽新聞をはじめ、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞に大きく報道されていたとのことである。日野原先生の集客力には、圧倒された。遠く、栃木、群馬からも参加されていた。102歳の日野原先生は、60分間、立ったまま講演された。ただただ感服した。筆者は、「神谷美恵子の幼年・少女時代の新渡戸稲造の思い出」、「読書会」の奨め、神谷美恵子著作集、特に『生きがいについて』の小・中・高校生による読書感想文コンクールの実施を強く提案した。

早速、『楽しみにしていた「集い」ですが、さすがに内容が行き届いていましたね。あっという間の3時間でした。樋野先生の仕掛け人ぶりには舌を巻きました。』、 『「日野 樋野ワード」堪能させて頂き幸せです。――-、無垢に真摯に医療に向かう人または多くの人を魅了していくのですね。――― 読書会提案も流石。』、『神谷先生が「病気を診ることだけでない、患者の心を診ていたこと」に樋野先生のお考えが重なっていてそのことが先生が遠く訪れることになったのかと思いましたが何よりも新渡戸先生がほっぺをつねったお嬢様のことを思ってのことだとも思いました。』、「日々の生活を考え直す良いお話を聞かせていただきありがとうございます」との温かい激励のコメントが送られてきた。

<がん哲学外来メディカルカフェあずまや>1周年記念イベントの為、大坂で途中下車した。筆者は、特別講演『「がん哲学外来」はどのようにして誕生したのか~「医療のオアシス」~』の機会が与えられた。ここでも、「苦労を常に生きがいに転化させて人生を充実させる」(神谷美恵子)を実践されているがん患者に出会った。まさに、『存在の重み』(神谷美恵子)の学びである。

新年雑感(0025)

2014年01月15日 | 外来待合室
今日は1月15日です。今年になって大雪が続いており、毎日除雪をしています。
ほぼ毎日が降るのでやってもやっても雪が積もってせっかく除雪した場所がまた雪に埋もれてしまいます。こういう時は除雪は自分に課せられたなんかの罰ゲームかな、と思ってしまいます。その昔、ナチの拷問の一つに水汲みというのがあったそうです。水を汲ませ、そして捨てさせる。これを繰り返すと人間は精神が破壊されるそうです。大雪時の除雪も、このナチの拷問に近いと思う時もありますが、こっちは人為的なものではなく、単に自然のなせる行ないにしかすぎません。

アラスカの自然や動物を撮った写真家星野道夫さんは、写文集・星野道夫の宇宙の中で、「人間の世界とは関わりのないそれ自身の存在のための自然。アラスカの持つその意味のない広がりにずっと魅かれてきた。」と自然とわれわれ人間との関わりを述べています。つまりわれわれが自然というものをどう思おうと自然は自然さ、という事実を述べています。

しかし同時に「無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じとることができる。自然とはなんと粋な計らいをするのだろうと思う。」と、そして「一年に一度名残り惜しく過ぎゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかも知れない。」と続けています。

暦で1年の終わりや新しい年の始まりを知るのは当たり前のことですが、季節の移り変わりで1年という時の移ろいを感じることがあっても良いのかも知れませんね。
そして、「時々、遠くを見ること。それは現実の中で。悠久なるものとの出会いを与えてくれる。」(星野道夫・同)この言葉を心に刻みつつ新しい2014年の始まりを祝します。
皆さん、今年もさっぽろがん哲学外来をヨロシクです。(J)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。