新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

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内村鑑三の詩(0028)

2014年01月21日 | 外来待合室
樋野先生のおたより「第42回「がん哲学学校」」に出てくる内村鑑三や新渡戸稲造に関する読書会に触発されて、私の好きな内村鑑三の詩を皆さんにお知らせしたくなりました。すでにご存じの方はこの記事は飛ばしてください。

桶職(をけしよく)
  我は唯(ただ)桶を作る事を知る、
  其他(そのほか)の事を知らない、
  政治を知らない宗教を知らない、
  唯善き桶を作る事を知る。

  我は我(わが)桶を売らんとて外に行かない、
  人は我桶を買わんとて我許(もと)に来る、
  我は人の我に就いて知らんことを求めない
  我は唯家にありて強き善き桶を作る。

  月は満ちて又欠ける、
  歳は去りて又来たる、
  世は変り行くも我は変らない、
  我は家に在りて善き桶を作る。

  我は政治の故を以て人と争はない、
  我宗教を人に強ひんと為ない、
  我は唯善き桶を作りて、
  独り立(たち)て甚だ安泰(やすらか)である

内村鑑三はご承知のように敬虔なキリスト教徒ですが、この詩、特に最後の「我は唯善き桶を作りて、独り立て甚だ安泰である」というところは、自己確立を説いたブッダの説話(真理の言葉・ダンマパダ第12章 自己 )を思い浮かべます。独立不羈、不撓不屈の精神とは、知識教養から得られるものではなく、その者の現実の生き様、どんなに小さな職業であってもその者の正々堂々とした生き様から湧き出るものこそ本物であるということを示しているのではないかと思います。(J)

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