新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

樋野先生の新刊です(ご紹介)

2014年11月07日 | お知らせ
樋野先生の新刊です。タイトルは「いい覚悟で生きる」です。読むクスリです。こころが暖められます。是非とも病室で治療を受けている仲間にプレゼントしてあげてください。(書店またはネットのアマゾン他で入手できます。)





がん哲学校たより・40(0075)

2014年11月07日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2014.11.3配信)
第83回「がん哲学学校」
「誰でも実現可能な生き方」~『後世への最大遺物』~

週末、筆者は、「神在月シンポジウム~がん治療とその後の生活~」(出雲市)での講演「医師の2つの使命~純度の高い専門性と社会的包容力~」で帰郷した。 「八百万の神々が全国から出雲に集う神在月にあわせて、地域の皆様を対象として、健康・医療について語り合うシンポジウム」と謳われている。今回は16回 とのことである。まさに、「継続は力なり」である。筆者の講演に引き続いて、島根大学医学部の御2人の教授から、「子宮がんの正しい知識~安心して子供を 産み育てるために~」、「寝たきりにならないために重要な骨と血管の健康」の講演もあり、大変、勉強になり、本当に、充実した一時であった。

講演後は、故郷の鵜鷺(鵜峠+鷺浦=鵜鷺)で、区長をはじめ村民の方々と、夕食を共にしながら、来年3月の鵜鷺小学校の廃校後についての語らいの時を持った。その場で、小学校の跡地の活用課題を含め、「鵜鷺メディカル・ビレッジ構想 運営委員会」が発足された。来年5月には、小学校の体育館で、「鵜鷺メディカル・ビレッジ構想」シンポジウムが、開催されることが決定された。歴史的な記念すべき会合となった。鵜峠の実家に帰り、91歳の母親と再会し、一夜を共にした。翌日早朝、空港に向かった。空港で、山陰中央新報を購入した。前日の講演会の記事と共に、広告ページには、「新刊『いい覚悟で生きる~がん哲学外来から広がる言葉の処方箋~』(小学館)が好評発売中」と、筆者の顔写真入りで、大きく紹介されていた。顔写真の隣りに、「私の故郷は 出雲市大社町鵜峠です !」と記述されていた。驚きであるともに、大いに感激した。

帰京し、定例の読書会に赴いた。今回は、1894年7月箱根の「夏期学校」で、内村鑑三が、「誰でも実現可能な生き方」を語った『後世への最大遺物』(内村鑑三著 岩波文庫)であった。内村鑑三の「だれとも対話を成り立たせる語り口」は、筆者の「がん哲学外来」の原点でもあり、「日本が嘗て生み得た人物中最大の人物」として「内村鑑三・新渡戸稲造」を、深く感ずる日々でもある。

文化の日(11月3日) は、学士会館にて、「内村鑑三・新渡戸稲造」を師とする「南原繁」シンポジウム「南原繁と平和~現代へのメッセージ~」が、開催される。

10月例会の様子です(0074)

2014年11月07日 | 集まりの様子
林先生です 集まりの様子です。<写真はクリックすると拡大します>


去る10月25日(土)、14時から日本医療大学 保健医療学部看護学科の林美枝子先生をお迎えして「医療人類学の紹介・病い、健康、死を相対的に見るためのセミナー」というタイトルで講演を行いました。

今回は医療人類学なる聞き慣れない分野のお話でして、これは一種のカルチャーショックと言っても大げさではない? 話は多岐に渡っていて最初は?でしたが「ジェンダー」の説明以降、なるほど、林先生の研究というか志というものはこういうものか、というのが見えてきました。
それは1946年に発効したWHO(世界保健機関)憲章における健康の3定義(①身体的健康、②精神的健康、③社会的健康、に1998年改定による4番目の健康・・・Spiritual Health・・・魂・霊的健康(文化的健康)への注目と「真の健康に奉仕する医療であるためにはこれからの医学は女性的(ジェンダー)なものによる補完が必要である(ジーン・アクターバーク)」という問題提起と実現であると思いました。というのは「健康とは究極のバランスを意味し、癒やしとは全体性の回復を意味する(ジーン・アクターバーク)」からです。

そしてさらに癒やしとは何か、を考察していくと、①全体を目指す生涯の旅、自己の全体性の探究、②万物のつながり、相互依存という失われた記憶の回復、③最も恐れているものの包容、④命への信頼感を体得することになるとのことです。

で、これらを実現していこうとすると女性的なるもの、つまり生物的な性差以外の女性的要素(ジェンダー)が重要だという指摘です。
時代は医療とは単なる生物的治療ではなく、癒やし(人間としての全体性の回復)に向かっていかなくてはならず、それを追求しているのが医療人類学という学問であるというお話でした。

がん患者さんはもちろんのこと、私たちは日常の様々な局面で癒やしを必要としていますが、それはやはり魂・霊的健康(文化的健康)を抜きにしては実現できない。つまり人を単に生物として見立てての診察や治療だけでは真の健康は取り戻したことにならないのだ、という点を今回の講演を通して勉強しました。
さっぽろがん哲学外来も大上段に振りかぶれば、第4の健康(魂・霊的健康(文化的健康))に微力ながら貢献している、ということになるのでしょうか。・・・かくありたいものであります。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。