社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月21日(金)

2012年12月24日 17時17分09秒 | 2012年

  4時起床。超を通り越して眠い。睡眠時間が2時間を切っているのだから当然だ。身支度を整え、4時半過ぎに家を出る。あたりはまだ真っ暗で、人も全くいない。結局、本郷台の駅に着くまで一人も見かけなかった。

  京浜東北線で大船へ出て、東海道線で小田原へ。小田原駅06:15発のひかり493号に乗り、一路新大阪へ。広島行きの電車だったので寝過ごすのが不安で、車内では何とか頑張って起きていた。

明け方の富士山。

  地下鉄を乗り継ぎ、大阪港(天保山)にある大阪船員保険病院へ。9時半過ぎに到着する。ナースセンターで部屋の番号を聞き、弟の病室へ。着いたのは9時半だったが、すでに松原(大阪市の南東にある)に住む祖母が来ていた。始発に乗り、6時半には来ていたらしい。弟は酸素吸入器をつけてはいるものの、何食わぬ顔でベッドに横たわり、本を読んでいた。今も胸が痛いが、歩けるようにもなり、特に不自由はないらしい。一安心である。

  11時半前に母が到着し、一緒に弁天町にある弟の部屋へ着替えなどの荷物を取りに行く。朝から来てくれた祖母は、ここで一旦帰宅。弟の部屋は思った以上に広く、掃除も比較的きちんとなされている。周りの環境こそあまり良くない(すぐ裏に高速道路が走っていて、空気が悪い)が、駅からも近いし、一人暮らしとしては恵まれているほうだろう。

  病院に戻って荷物を届けてから、駅を挟んで病院の反対側にある大阪港へ。天保山マーケットプレイスというショッピング複合施設の「なにわ食いしんぼ横丁」の一角にあるオムライスの老舗「北極星」で昼食。私は定番のオムライスメニューの中から「ビーフオムライス」を選択し、トッピングにエビフライをつける。薄めのウスターソースのようなケチャップをつかったケチャップライスと半熟の卵の相性は抜群だし、自家製のトマトソースも変な酸っぱさがなく素朴なうまみがあって、めちゃくちゃおいしい。これまで食べたオムライスの中で1番である。全体的に薄味(「なつかしい味」と表現するのが適切かもしれない)なので、結構な量でもペロッと平らげることができる。これは、予期せぬところで素晴らしいお店を見つけた。さすがは食の街。

  入院に必要な物を母が買っている間の時間を使って、大阪港を見て回る。海遊館や遊覧船サンタマリア号など、小さい頃によく連れてきてもらった観光スポットが懐かしい。特に、サンタマリア号は、当時(おそらく小学校低学年の頃だった)はめちゃくちゃ大きな船に見えたが、今見るとかなりコンパクトに見えて、時間の経過をひしひしと感じさせられた。

  病院に戻る途中、ミルキーのアイスクリーム屋に立ち寄る。寒いので迷ったのだが、結局購入。ミルキーの味がそのままソフトクリームになっていて、美味しい。これは、寒さに耐えてでも食べる価値がある。

  母と合流し、病院近くの商店街を通る。その中の和菓子屋さんで弟の好きそうなものをいくつか購入。しかし、この商店街も、その他全国の多数の商店街同様、シャッター街と化していた。商店街の沈殿には、大規模商業施設の登場や人口減少などメジャーな理由以外にも独特の複雑な事情があるのだが、ここも例に漏れず同じような状況のようである。正直、商店街の活性化はかなり難しい。

  病院へ戻り、主治医の先生の説明を聞く。気胸であることに変わりはないが、その中では軽傷なほうで、レントゲンで見た肺も9割ぐらいの大きさは維持されていた。そのため、とりあえず外科的処置の必要はないそうだ。CTの結果にもこれといった異常はなく、自然気胸で間違いないとのこと。あとは、外部に漏れて肺を圧迫している空気が抜けるのを待つだけらしい。しかし、今後もしかしたら肺がさらに小さくなる恐れがあるため、1週間程度は入院したほうが良いとのことだった。クリスマスを病院で過ごすことになった弟は不満そうな顔をしていたが、まあそれもいずれは良い思い出になるだろう。

弟が検査に行っている間に、入院ごっこをして遊ぶ。

  19時前に病院を出て、天王寺へ。近鉄百貨店に入っているお好み焼き屋「ゆかり」で夕食。私は、エビやカニなどが入ったお好み焼きをモダン焼きにしてもらう。店員さんが目の前で焼いてくれ、もっちりめのモダン焼きだった。これはこれで結構美味しいと思う。


デザートの柚子シャーベット。

  22時前に松原にある祖母の家に到着。仏壇で祖父に手を合わせ、ゆっくりとお風呂に浸かってから、祖母と母と3人でゆっくりとおしゃべり。こういう言い方をしては何だが、弟のおかげで久しぶりにこういう時間を持つことが出来た。

近鉄線に乗るのも久しぶりだ。

  0時前に就寝。せっかくなので私は仏壇のある部屋に布団を敷き、祖父の写真の前で眠る。最初の孫である私を溺愛してくれた祖父は、きっと今も私のことを見守ってくれている気がする。


12月20日(木)

2012年12月21日 02時58分56秒 | 2012年

  7時起床。昨晩から一気に気温が下がり、昨日とは一転して非常に寒い朝となった。

  午前中は事務処理。主担当のものとしては、今年最後の報告書が完成した。こうして、段々と気持ちは年末年始のヨーロッパへと向かっていく。

  休憩室に紅茶を入れに行ったら、どなたかわからないが差し入れで「はらドーナツ」が置いてあった。おからと豆乳を使った健康的なドーナツとして有名なものだ。それゆえ味はかなり薄く、ミスタードーナツなどと比べるとどうしてもインパクトに欠けるが、この優しい感じは嫌いじゃない。

  昼食は、「梅蘭」のワンタンそば。メインのワンタンはもちろん、麺もスープも私の好みの味なのだが、このメニューで一番好きなのはチンゲン菜である。この適度にシャキシャキした食感とスープと相性の良い青菜の味が絶品で、いつもそれだけ最初に平らげてしまう。

  午後も、オフィスで事務処理。3年目にして初めて取り組んだ国の施策に関する申請書が完成した。支援先とのやりとりを重ね、マニュアルや過去の書類を読み込み、上司に何度もご指導頂いて、ようやくここまで来た。慣れてきてコツを掴んでしまえば簡単なものなのかもしれない。しかし、初体験の仕事だったので、結構達成感がある。しかも、この作業は最初から最後まで楽しかった。やはり、こういう事務作業は向いている。

  18時過ぎに退社し、オフィスから関内駅までの途中にある美容室に飛び込みで入る。美容室に飛び込みで入ると大抵失敗するのだが、今回ばかりは超がつくほどの当たりだった。担当してくれたのは同い年ぐらいの女性の美容師さんで、私の曖昧なイメージを丁寧に整理して「ここはこうして、こっちはこれぐらい切りましょう」と、かなりの提案力とそれを実現させる技術を持ち合わせていた。切る前には「じゃあ断髪式ってくらいの勢いで切っちゃいましょう」、切った後には「大変身でしょ?」という自信満々な発言もかっこいい。会話も自然で楽しく、カットとヘッドスパを合わせて1時間10分ぐらいの時間も、あっという間に過ぎて行った。大学3年生の時にずっとお世話になっていた美容師さんが退職されて以降、様々な美容室を転々としてきた私だが、ついに次の美容師さんを見つけた。

  帰りにコンビニに立ち寄って「塩鶏なべ」、「納豆巻き」、「からあげ」を購入し、夕食にする。「塩鶏なべ」が予想以上に美味しくて驚いた。今日は、よく当たる日である。

  深夜、ベッドに入って寝ようと思ったら親から電話が掛かってきて、弟が救急車で運ばれたという。気胸で肺がつぶれかけているとのこと。今日はもう電車がないので、とりあえず明日の朝一の新幹線で大阪へ向かうことにする。気胸は父が何度か罹っている病気だし、今回は命の危険はないようだが、それでも心配なものは心配だ。大丈夫だとはわかっていても、何だかんだでこんな時間になっても眠れない。明日の新幹線で新大阪を乗り過ごさないように気を付けないと。


12月19日(水)

2012年12月21日 00時22分13秒 | 2012年

  7時起床。今日も結構暖かい。下手をしたら、コートもいらないかもしれない。

  午前中、上司と国の支援機関の専門家さんと一緒に、横浜の支援先へ。県内のパン屋さんの集まった連携体で、県内産の小麦粉を活用した新商品の開発を検討されているということで、構想をお聞きする。この手の前向きな話は聞いているだけでワクワクするし、専門家さんもやり手の方なので、これからが非常に楽しみである。そして、私も、少しでもお役に立てれば嬉しい。

  昼食は、横浜駅東口地下街の崎陽軒で「シウマイ定食」を食べる。やはり、崎陽軒のシウマイの安定感は半端ない。

  午後は、オフィスで事務処理。今年中に終えなければならない作業にもかなり目処が立ち、気分的にも楽になった。あとは、先輩方のお手伝いを少しでも出来ればと思う。

  本郷台に戻り、「深山」で夕食。トマトサラダ、天ぷら(はぜ、きす、かぼちゃ、ピーマン)にご飯セットをつける。店員さんはアットホームな感じだし、周りのお客さんはグループや個人でしっぽりとお酒をたしなんでいて、とても落ち着く。そして、料理も美味しい。何なら、週3くらいで来たいお店である。

  今日で、年賀状の約半分を書き終えた。年に1度のこの機会にしか手紙を書かない私だが、やはり手紙でしか言えない(書けない)ことが間違いなくあると思う。さっさと書き終えたいはずが、ついつい気持ちが入ってしまい、全ての年賀状がラブレターのようになっている。年賀状というこの風習、面倒ではあるが、案外嫌いではないかもしれない。


12月18日(火)

2012年12月19日 01時10分00秒 | 2012年

  7時起床。不意に二度寝しそうになって、ヒヤッとして飛び起きる。

  午前中は事務処理。急ぎの事務処理が複数あって大変だと思っていたのだが、気合いを入れて集中したら一気に片付いてしまい、逆に拍子抜け。この手の作業は、大抵の場合「案ずるより産むが易し」パターンである。ただ、たまにそうではない場合があるので、毎回「案ずる」ことになる。

  午前中に、支援先の自動車解体業を営んでいる事業者さんが来会される。現在、自動車解体業は非常に厳しい状況に置かれている。エコカー減税の終結により、それまでに車の買い替えが需要を前倒しする形で進み(その分当時は解体車がたくさん出た)、現在は解体車両がめっきり減っているのだ。また、中国への輸出減少で鉄の価格が下落し、そもそも解体してもお金にならないような状況になっている。そんな状況の中、廃業する事業者が増えている。まさに今、自動車解体業は業界全体に経営革新が求められているのだ。しかし、私も含め、皆さんなかなかうまい方策を見つけられずにいる。何か妙案はないだろうか。

  夕方から、支援先のタクシー業者さんたちの会議&忘年会でホテル横浜ガーデンへ。現在は激務薄給のイメージが強いタクシー運転手が、新卒(大卒)初任給の3倍も稼いでいた時代があることを知っている人がどれほどいるだろうか。例えば、高度成長期の終盤に当たる1970年頃は、タクシーの初乗り運賃は130円だった。関内から桜木町(野毛)までは初乗り運賃で行けるのだが、当時の顧客のほとんどは1,000円札で支払い、「おつりはいいから」という状態だったらしい。また、ここでは少し書きづらいようなサービスによって(もちろん違法なことではない)、3,000円、5,000円というチップが頻繁に手に入ったそうだ。そのため、当時の大卒初任給が月給約7万円だった時に、軽く20万円以上を稼いでいたという。そして、その頃稼いだお金を散財し過ぎず(全くしなかったわけではない)しっかりと溜めていた人たちが、今のタクシー会社の経営者層についている。確かに、今の経営者の方々を見ると、厳しい業界の中で残るべくして残ったという聡明な方ばかりだ。しかも、当時の義理人情に熱い人間関係を大切にし、かつて自分がしてもらったことを今度は自分がしようという気概を持った方が多い。話を聞いていて、思わず涙が出そうになったほどである。私も、スケールは違えど、彼らのような一本筋の通った人間になりたいものである。

会合前に、横浜スタジアム敷地内にある公園スペースに立ち寄る。


最近、この場所がお気に入りなのだ。

  21時過ぎに帰宅。良い話を聞けたこととはまた違った良いことがあって、思わず友人に電話を掛ける。結局2時間も話をして、こんな時間(現在午前1時)になってしまった。遅くまで付き合ってくれた友人に感謝である。


12月17日(月)

2012年12月18日 22時44分52秒 | 2012年

  7時起床。朝からしとしとと雨が降っている。

  午前中は事務処理。年末が期限となっている申請書や報告書を順調に進める。

  昼食は、中華料理屋の回鍋肉定食。美味しいが、いかんせん量が多過ぎて最後のほうは苦しくなる。まあ、これは回鍋肉に限った話ではないのだが。サービス精神が旺盛過ぎるって。

  午後、源泉徴収事務の関係で税務署へ。税務署は山下公園の近くにあるので、オフィスからは徒歩で30分ほど掛かる。往復1時間は少し長いが、せっかくなのでお散歩を楽しむことにする。

まずは馬車道を歩く。


馬車道を右折し、中華街方面へ。

 
日本大通りを海に向かう。


県庁でちょうど半分くらい。


神奈川芸術劇場を通り過ぎ、


バーニーズニューヨークの前ではつい立ち止まる。

  税務署での手続きは一瞬で終わり、再びお散歩へ戻る。せっかくなので、帰りは海沿いを歩くことにする。風が強くて髪がぼさぼさになるが、気持ち良い。


未だに一度も上ったことがないマリンタワー。


山下公園に入る。


こんなに寒くても、カモメは元気が有り余っている。


これまた未だに入ったことのない氷川丸。


さあ、そろそろ帰ろう。

  18時前にオフィスを出て、横浜駅の外貨両替所でポンドとユーロを購入してから、同期会。ベイクォーターの「ウルフギャング・パック カフェ」で食事をする。ゆっくり話をしながら、サーモンのピザやローストポークをたらふく食べ、2人ともお腹がパンパンになりながらもしっかりデザートまで平らげる。ちょっと食べ過ぎたが、久しぶりに同期水入らずの時間を過ごすことができて良かった。これからも、お互いに支え合いつつ、切磋琢磨していけたらいいなと思う。

  お店のすぐ外で、大きなクリスマスツリーが華やかに光り輝いていた。根元などの細部にまでこだわっていて、見ていてワクワクする。独り身には厳しいイベントだが、何だかんだでクリスマスは嫌いになれない。

  23時過ぎに帰宅。ちょっとショックな情報を入手して、そこそこ凹んだが、案外素直に人の幸せを喜べた自分に、自分自身で少し驚いている。しかし、そんなちょっと大人になってしまった自分は、あまり好きになれない。出来れば、この穏やかな感情が必死の防衛機制の結果であることを願う。かつてのように嫉妬の嵐にもがき苦しむ自分のほうが、人間として魅力があるように思える。

  シャワーを浴びてから、年賀状書き。年賀状を書くのは好きではないのだが、書くからにはデザインや使うペンにもこだわりたい。更に言えば、宛名も含めて手書きにこだわりたい。ただ、最近はあまり字を書く機会がないので、字が下手になっているような気がする。

  今日両替をしたポンドとユーロを数えていて、ポンド札の表面が全てエリザベス女王であることに気付く。さすがは王国。20ポンド札の裏がアダム・スミス、10ポンド札の裏がダーウィンというのも豪華だ。一方で、ユーロ札に描かれているのはどれも建造物。しかも、架空のものらしい。複数の国で使われるから贔屓できないという事情はわかるが、どうも魅力に欠ける。