社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月18日(火)

2012年12月19日 01時10分00秒 | 2012年

  7時起床。不意に二度寝しそうになって、ヒヤッとして飛び起きる。

  午前中は事務処理。急ぎの事務処理が複数あって大変だと思っていたのだが、気合いを入れて集中したら一気に片付いてしまい、逆に拍子抜け。この手の作業は、大抵の場合「案ずるより産むが易し」パターンである。ただ、たまにそうではない場合があるので、毎回「案ずる」ことになる。

  午前中に、支援先の自動車解体業を営んでいる事業者さんが来会される。現在、自動車解体業は非常に厳しい状況に置かれている。エコカー減税の終結により、それまでに車の買い替えが需要を前倒しする形で進み(その分当時は解体車がたくさん出た)、現在は解体車両がめっきり減っているのだ。また、中国への輸出減少で鉄の価格が下落し、そもそも解体してもお金にならないような状況になっている。そんな状況の中、廃業する事業者が増えている。まさに今、自動車解体業は業界全体に経営革新が求められているのだ。しかし、私も含め、皆さんなかなかうまい方策を見つけられずにいる。何か妙案はないだろうか。

  夕方から、支援先のタクシー業者さんたちの会議&忘年会でホテル横浜ガーデンへ。現在は激務薄給のイメージが強いタクシー運転手が、新卒(大卒)初任給の3倍も稼いでいた時代があることを知っている人がどれほどいるだろうか。例えば、高度成長期の終盤に当たる1970年頃は、タクシーの初乗り運賃は130円だった。関内から桜木町(野毛)までは初乗り運賃で行けるのだが、当時の顧客のほとんどは1,000円札で支払い、「おつりはいいから」という状態だったらしい。また、ここでは少し書きづらいようなサービスによって(もちろん違法なことではない)、3,000円、5,000円というチップが頻繁に手に入ったそうだ。そのため、当時の大卒初任給が月給約7万円だった時に、軽く20万円以上を稼いでいたという。そして、その頃稼いだお金を散財し過ぎず(全くしなかったわけではない)しっかりと溜めていた人たちが、今のタクシー会社の経営者層についている。確かに、今の経営者の方々を見ると、厳しい業界の中で残るべくして残ったという聡明な方ばかりだ。しかも、当時の義理人情に熱い人間関係を大切にし、かつて自分がしてもらったことを今度は自分がしようという気概を持った方が多い。話を聞いていて、思わず涙が出そうになったほどである。私も、スケールは違えど、彼らのような一本筋の通った人間になりたいものである。

会合前に、横浜スタジアム敷地内にある公園スペースに立ち寄る。


最近、この場所がお気に入りなのだ。

  21時過ぎに帰宅。良い話を聞けたこととはまた違った良いことがあって、思わず友人に電話を掛ける。結局2時間も話をして、こんな時間(現在午前1時)になってしまった。遅くまで付き合ってくれた友人に感謝である。


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