京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

どのような困難でも手抜きをしない世界で一番の、日本人の職人・技術者魂

2013-05-05 11:02:14 | インポート

以下の、内容は日本人がなした偉業が、我々日本人があまり知られていない、日本人のこと。私の尊敬する「竹田恒泰」氏の著書を拝読し、あまりにも感動・涙し、若干の変更はしましたが、ほとんど変更しなく記載さして頂きました。有難うございます。 

日本人の卓越した職人・技術者魂はすごいものです。世界一の日本人魂を。 

日本人は手抜きをせずに、完成度の高い仕事を成し遂げることを美徳としてきました。ウズベスタンにその気質が、旧ソ連の日本人抑留者の強制労働者であっても遺憾なく発揮されました。 

ウズベスタンは中央アジアに位置す、旧ソビエト連邦の共和国で、北はカザフスタン、南はトルクメニスタンと国境を接しています。世界では海と接していない「内陸国」が43ヶ国有りますが、そのなかで、国境接にする全ての国が内陸国である国、すなわち、国境を少なくとも二回越えないと海に辿りつかない国を「二重内陸国」といい、世界中で、リヒテンシタインとウズベキスタンの二ヶ国しか有りません。四方を海に囲まれているわが、日本国と正反対の地理的環境にあり、ウズベキスタンはおよそ世界の国々と隔絶された場所に位置し、「辺境の地」です。 

首都のタシッュッケントは中央アジア最大のオペラ・バレイ劇場でナヴォイ劇場があります。ナヴォイ劇場は、およそ二年間の工事で経て昭和22年に完成されました。約1500人を収容できる煉瓦造り三階建ての劇場で、この建設工事を担当したのは、当時シベリアに抑留され強制労働されていた日本人でした。 

大東亜戦争末期に、外地にいた約65000人の日本人がソ連に強制労働に連行されと事「シベリア抑留」は誰でも、良く知られていることです。、しかし、日本人が中央アジアまで連行されていた事はあまり知られていません。 

ウズベキスタンに連行された約25000人の抑留者達は、過酷な労働を強いられ、道路・工場・運河・炭鉱・発電所・学校などの社会基盤の建設に強制的にあたされました。厳しい気候条件、充分な食事を与えられない厳しい収容所生活、そして就労された危険な仕事などでの結果、病気や事故などで813人の日本人抑留者がウズベキスタンの地で亡くなりました。 

ナヴォイ劇場の建設には約500人の抑留者が充てられて、そのうち約60人が事故などで、命をおとしました。(十人に一人以上です)この数字から、どれだけ過酷な環境であったかと想像に絶せません。 

しかし、日本人の抑留者たちは、そのような理不尽かつ非人道的な状況のなかであっても、建設工事には、一切手抜きすることは有りませんでした。シベリアの連行された日本人には、旧満州鉄道や建設会社の技術者、そして関東軍の工兵たち、いわば最先端の技術者が多く含まれていました。彼らは、戦争に敗れても日本人としての誇りえを捨てることなく、丁寧かつ緻密な仕事をして、見事な劇場を完成しました。入口の天井付近などは細かな彫刻や模様があしらわれて、それらも手先が器用な細かい作業を得意とする、日本人の技術者が作ったものです。 

そのような日本人の丁寧で熱心に働く姿を目のあたりにして、地元の市民達は、尊敬と畏敬の念抱き、見るに見かねて食料を差しいれた者もいたということです。そして、その様子はいまだに語り草になっています。日本人の態度は正々堂々として、待遇改善を訴えているばかりのドイツ人捕虜たちとは全く異なっていました。 

しかし、1966年4月のタシュケントを震源とした大地震が発生して、市内では震度八を記録し、建物の三分の二が倒壊しました。ところが、、当時築18年を迎えてたナヴォイ劇場はまったくの無傷で、見渡す限りの瓦礫の山の中で、凛と輝いていたと言われいます。これを見たタシュケントの市民は、完成度の高い仕事を成し遂げた日本人抑留者たちのことをあらためて称えました。中央アジアのなかでもウズベキスタンの親日の度合が抜きんでているのは、抑留者たちのおかげです。

地元の大学生は、母親から「日本人のような真面目な人間になりなさい」と教えられているようです。日本人を夢みて日本語を学び、日本とウズベキスタンの友好の懸け橋になる若者が多くいます。

ソビエト連連邦の崩壊の1996年、独立したウズベキスタンのカリモフ大統領は、ナヴォイ劇場に日本人抑留者の功績を称えプレートを掲げました。そこには「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」とウズベク語・日本後語・」英語で書かれました。

 平成18年にウズベキスタンを訪問した当時の「小泉純一郎総理」が、タシュケント市内の日本人死亡者慰霊碑と日本人抑留者記念碑を訪れて献花し、ナヴォイ劇場を訪問し、先人達の遺産に目を細めました。

 祖国生還の夢叶わず辺境の地に斃れたる方々に哀悼の意を表しました。

 抑留者たちは日本とウズベキスタンの友好の絆を今に遺してくれました。

 劣悪な環境で、黙々と抑留者が作った、精密な道路・工場・橋などは、その多くが現在でも使われています。なんと、日本人は素晴らしい、世界一職人・技術者魂とのことでしょう。

何が言いたいかと言うと、この素晴らしい日本人の物づくりが、前記の「某SONY」にはもはや無いのかと、誇りも捨てて金もうけに走り、前記は「赤字決算」です。この精神を忘れた「某SONY」は没落に向かう事間違いないです。(全く、創業者の意図から離れた会社の末路は哀れなものです)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人の勤勉さ、このような環境でも、手を抜かず... (S.山田)
2013-05-06 21:49:15
日本人の誇りです。知りませんでした。感動ものです。

つくづく、日本人としての誇りを感じずにはおれません。
返信する
お久しぶりに。 (さっちゃんです)
2013-05-12 01:25:48
日本人て、凄いですね。誇りの誇りです。
誇れる、日本人がいた事を、忘れません。
日本人、バンザ―イ~てな。軽いノリでは失礼かもしれませんが。
返信する

コメントを投稿