京の話題

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日本国のことで少しうんちくをー6

2013-04-29 21:01:47 | 我が誇れる日本国の事

今日も、全くの映像は有りません。

思うままに古墳時代の日本国のうんちくを。少し酔っ払いながらですが。

今日は4月29日です。我々はこの日が「天皇誕生日」の日と定着してしていました。しかし5月4日に移行されて、「緑の日」なんて名前も変わりました。この日が現在の「天皇誕生日」です。「昭和天皇」の日本国民にたいしての功績は凄いものです。戦後間もなく、「昭和天皇」がGHQの「マッカーサー」に乗り込んで、我が身は死すても、日本国の安泰を、願い入れました。いかに「昭和天皇」が現在の我が国、日本国の、独立・平和・平等の国家の崩界壊を瀬戸際で食い止めされたかを思い知らされます。

この偉大な功績を、今の若者にお知る方の少ない事。(これも、バカ日教組が教育現場で、教育していない、日本をダメにした結果です)

これも、バカ日教組の、教育の誤りかと?

愚痴はともかくとして、昔の国家の定義ではなく、ヤマト王朝(古墳時代前記ころ)が発展した大和王朝(だいたい、古墳時代の後期ころ)であるという事実を、少し考えたいとおもいます。

まことに、昔の時代ですが、「古墳時代」から「飛鳥時代」への時代区分の変更です。大化2年(646年)の「大化の薄葬令」(はくそうれい・身分に応じて作ってよい墳墓の制限)により、天皇以外の豪族は巨大古墳を造営することが禁止されました。そして、都が飛鳥の地におかれたことから、「古墳時代」を改めて「飛鳥時代」としています。そして、律令国家成立にあたり、学問的に王朝交代は認められなくなりました。(考古学はそんなものです、文字が無かった事が想像の域を越えられませんでした。しかし、これはこれで、ちゃんとした根拠が有ります)

そして、「古墳時代」を通じての期間と、「飛鳥時代」の「壬申の乱」(天武天皇元年・672年・日本最古最大の内乱)までの期間を合わせて、大規模な戦争は文献上では、また考古学のからも確認する事は有りませんでした。。小さな豪族などの争いは有りました、「古墳時代」から「飛鳥時代」の「壬申の乱」までは、戦争のない至って平和な時代で有った事が分かります。しかも、この時代は文化的にも完全な安定した時代が進んでいた、平和な時代であったことがわかっています。

以上の事は考古学的にも、異論は全く有りません。

その頃の、中国では、血で血を洗う、戦争がおこっていました。(中国の特に”南北朝”~”随”~”唐”の時代。中国は王朝の交代が多く戦争の好きな国だったのかな?)それに比べると、なんと、日本の国家平和な事が思いうかべられます。

           以上、次記に。


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