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この世には用心せよ~「神助受けし明証」より 

2010年10月17日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ



アッサラーム アライクム。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第25項目「この世には用心せよ」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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حَذارِ من الدنيا
أي سادة، أحذّركم الدنيا، وأحذّركم رؤية الأغيار. الأمر صعب، والناقد بصير. إياكم وهذه البطالات. إياكم وهذه الغفلات. إياكم والعوالم. إياكم والمحدثات. أطلبوا الكل. من ترك الكل نال الكل، ومن أراد الكل فاته الكل.

كل ما أنتم عليه من الطلب لا يصلحه إلا تركه والوقوف وراءه، وحدوا المطلوب تندرج تحت توحيدكم كل المطالب. من حصل له الله حصل له كل شيء، ومن فاته الله فاته كل شيء.
بالله عليكم، هذه المعرفة تمر؟ هيهات هيهات، من خرج عن نفسه وغيره، وصفع أبهة طبعه، تخلص من قيد الجهل.
ليس الأمر كما تظنون. جبة صوف، وتاج، وثوب قصير، جبة حزن، وتاج صدق، وثوب توكل.
وقد عرفتم: العارف لا يخلو ظاهره من بوارق الشريعة، وباطنه من نيران المحبة. يقف مع الأمر، ولا ينحرف عن الطريق، وقلبه يتقلب على جمر الوجد، وجد إيمان، ووقوفه إذعان "الإحسان أن تعبد الله كأنك تراه فإن لم تكن تراه تراه فإنه يراك". (رواه الشيخان عن سيدنا عمر بن الخطاب رضي الله عنه)
أمامه وقوف من يراه وهو لا تخفى عليه خافية، علم، وأمر، وإرادة، وبعدها الإمكان، وبعد الإمكان التكوين، وبعده التكليف، وبعده الفصل أو الوصل.
صدق العبودية أن يسلم لسيده، الفقير إذا انتصر لنفسه تعب، وإذا سلم الأمر لمولاه نصره من غير عشيرة ولا أهل.


この世には用心せよ


諸君、この世には気を付け給え。
移ろい行くものへの執着には気を付け給え。
事は困難ではあるが、批判者はものがよく見えるものだ。
こうした嘘偽りには注意せよ。
こうした不注意には注意せよ。
世界には気をつけよ。
新奇なものには気をつけよ。
すべてを求めるのだ。
すべてを放棄したものは、すべてを得よう。
すべてを望む者は、すべてを失うのだ。

諸君が欣求するものはすべてそれを放棄し、
その後ろに立ち止まることでしか健全なものとはならないのである。
願望(マトゥルーブ:望まれしもの)を一つとせよ。
諸君のタウヒード(一化、純一神教信仰)の階下に
すべての願望(マターリブ)は配列されよう。
アッラーを得た者は、すべてを得たに等しく、
アッラーを失った者は、すべてを失ったに等しいのである。
アッラーにかけて諸君に尋ねるが、この真知(マアリファ)はタムル(なつめやしの実)程度のものであろうか。
どうしてそんなことがありえよう。
己の自我と他者から抜け出し、己の気性にある誇りに平手打ちを食らわす者は、無知のしがらみから解放されよう。

事は諸君が思っているようなものではない。
羊毛のジュッバ(外套)、冠、短い衣服はむしろ悲しみのジュッバ(外套)、誠実さの冠、タワックル(信頼)の衣服なのである。

諸君も知ってのとおり、アーリフ(真知を知る者)とはその表面がシャリーアの煌きをたたえ続け、その内面が愛の火を絶やさぬ人である。
(アーリフは)命令とともに立ち止まり、道から逸れることはなく、心は恍惚感(Wajd)のくすぶりへと移り変わる。
それは信仰の恍惚感であり、(アーリフの)立ち止まりは従順さである。
「イフサーン(心尽くし)とは、あたかも目にしているかのようにアッラーにお仕えすること。
たとえそなたが目にしていなくとも、かの御方はそなたを見ておられるのだから。」
(ウマルさま(アッラーのご満悦あれ)にまで遡るハディースとしてアルブハーリーとムスリムが伝承)

目の前には、瞬き一つですら隠れることのない御方が自分を見つめておられるのである。
知識、命令、意思、その後にイムカーン(可能)、イムカーンの後にタクウィーン(形成)、
それからタクリーフ(義務付け)、それからファスル(判別)とワスル(接続)となるのである。

しもべたることの誠実さとは、主人に任せきることである。
ファキール(困窮者として心の浄化の道を歩む人) が自らを助けようとすれば疲れてしまうが、
万事を自らの主に委ねたならば、かの御方が部族も家族もなしに助けてくださろう。




【訳者のつぶやき】

すべてを放棄したものは、すべてを得よう。
すべてを望む者は、すべてを失うのだ。

願望(マトゥルーブ:望まれしもの)を一つとせよ。

アッラーを得た者は、すべてを得たに等しく、
アッラーを失った者は、すべてを失ったに等しいのである。



アスタグフィルッラー、私は生来欲張りなたちでして、
できることはあれもこれもと様々なものへ首を突っ込み手を出して、結局どれも中途半端という悪い癖があります。

今は亡きハビーバ中田先生(アッラーのお慈悲あれ)に一度はっきりとそれを指摘されてからは、
意識して極力中途半端にならないよう物事を一つずつこなしていけるよう心がけてはきましたが、
長年の癖からはそう簡単には抜け切れず、日々反省の繰り返しです。

「望まれしものを一つとせよ」とは、すなわち自分の望みはアッラーただお独りとせよということ。
アッラーのためにすべてを捨てれば、アッラーを得ることですべてが得られる…

世の真理として悟るには容易いこと、至ってわかりやすいことではありますが、
あくまでもそれを実践し、それを生きるとなるとやはり一抹の不安が残ります。

近頃募る思いに、
「ダアワ活動に専念したい!」という思いがあります。
私の言うダアワ活動には、教育活動、翻訳活動、講義活動が主に含まれるのですが、
1日の三分の一を自分が学ばせていただいたものとほぼ無関係の仕事に費やしているのが、やはり段々惜しまれるようになってきました。
よりよいダアワ活動のための社会人修行とわりきって、いや自分を言い聞かせて就職したつもりですが、
どうももう先があまり長くないのか、焦燥感は募るばかりです。

さはさりながら、専門職(日本ではまだイスラーム学校はないですから、イマーム職になりますかね)の未来に飛び込むのを躊躇う自分がまだあります。

無論これは私のアッラーに対する信頼に欠けたところがあるからなのですが、
「アフズ・ル・アスバーブ(手段を経ること)」の義務を前に純粋かつ誉れある絶対的な信頼「タワックル」と
おんぶにだっこで無責任かつだらしがないと非難される他人任せ「タワークル」の境界を見極めきれず迷う自分があるのです。

それから一方では、先日9月3日、4日と福岡へ訪れた際に(当ブログの「ラマダーン・エピソード集 (Ramadan Episodes)」をご覧ください)
同志シャイフ・アブドゥルワーヒドおよび奥様ヒクマさんと
「リサーラ・クシャイリーヤ(クシャイリー書簡)」の読書会をしたのですが、
そのとき改めて学んだ言葉がまた悩ましいのです。

ムジャーハダ(努力)の章にある、心の浄化の道の先達が語る言葉に
「この道の基本は、自我(ナフス)を親しみのある心地よいものから引き離し、
常日頃からナフスの欲するものと違えることにある。」
といったものがありました。

つまり真理の道を歩みたいと望むなら、常に自我に背け、逆らえと私は理解しました。
要するに、「ダアワ活動に専念したい」と欲するならば、
あえてその気持ちを叶えてやってはならない、
まだまだおあずけにしてナフスをもっと鍛え、調教せよ!とも受け取れるわけです。

いずれにせよ、この世は万事アッラーの御心のままであり、
万事塞翁が馬。
『汝らにとって本当はよきことを嫌ってはならない。
また汝らにとって本当は悪いことを好んではならない。
アッラーはご存知であらせられるが、汝らは知らないのである。』
というアッラーの御言葉もございます。


就職前に読んだイブヌ・アターイッラー師のお言葉
「自分に与えられし境遇の中で最善を尽くせ」を
今一度噛み締めたいと思います。

忘れもしない、あれは日本ムスリム協会青年部合宿直前(2006年3月)に
同志社大中田先生の研究室で
ハビーバ先生~アッラーのお慈悲あれ~を囲んで
有志による読書会をしたときのことでした。

できればもっともっと勉強したい、そのままダマスカスで進学したかったし、
進学する環境は整っていたけれど、
あえて日本で社会人修行を積むために就職を決めた後の話で、
非常にタイムリーな助言をいただけたと感謝したものです。

あれから4年半になりますが、私にはまだまだ修行が足りません。
何度でも繰り返しこの言葉を噛み締めるしかありません。

「アッラーから自分に与えられし境遇の中で最善を尽くせ!」


では、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。


Assalaamu 'Alaykum, my dear brothers and sisters.

This is my humble translation efforts of "Al-Burhan Al-Muayyad" (The Divinely Supported Proof) by Imam Ahmad Ar-Rifaa'iy
which seems to be translated into English (I'm not sure if it's completed or not) by respected Daa'iy Imam Zaid Shakir of America.

Imam Zaid Shakir wrote an Introduction for this book and said;

"Al-Burhan al-Mu'ayyad is a beneficial work of classical Sufism. It is authored by Ahmad ar-Rifa'i, one of the great scholars and spiritual guides of the Ummah. He is described by Imam adh-Dhahabi, in Siyar `Alam an-Nubala', as "...an Imam, an exemplar, a devout, an ascetic, and the leader of the spiritual elect." Imam Ar-Rifa'i was born in 512 H. and passed away in 578 H. Most of his life was spend in Wasit, a small town midway between Basra and Kufa. He is the founder of the Rifa'i order, an order, contrary to popular perception, that has been known for its strict adherence to the Divine Law, and the orthodox creed.

Imam Rifa'i was versed in all of the Islamic sciences, in addition to his rich training in Sufism. Ahmad Rifa'i emphasized humility in his teaching. He saw humility as being one of the great doors leading to Allah. However, he believed most people, owing to their arrogance, ostentatiousness and hubris had neglected that door. He strived assiduously to turn people towards that door, and saw the paucity of those gathered before it as an indication that once attained to, it is the quickest door to pass through.

Imam Rifa'i was deeply committed to the primacy of the Qur'an and Sunnah in the life of the Muslim. This orientation is born out in the pages of al-Burhan. The Burhan itself is a compilation of the Imam's sermons, lessons, and exhortations compiled by his students. In them the Imam expounds on most of the basic concepts and themes associated with the spiritual quest, in a manner that highlights his humility, erudition, and keen insights. It is a work whose message should prove of tremendous benefit to contemporary Muslims.

I had the opportunity to read the text with Sheikh Mustafa at-Turkmani, a scholar and spiritual guide deeply influenced by the writings of Imam ar-Rifa'i. It is my prayer that this translation will be greeted with widespread acceptance by the Muslims, not only as an aid in their efforts at spiritual advancement, but also an aid in the general Islamic call."
(quoted from http://www.sunniforum.com/forum/showthread.php?13338-The-Divinely-Supported-Proof-Al-Burhan-al-Muayyad)


So I'm not qualified to translate it into English while other English native scholar such as Imam Zaid is doing that
so forgive me for having only the original Arabic text and its Japanese translation trial.

As my habit to make the translation work somewhat real to myself first and hopefully to others, I add some comments after the each translation
to note what I felt from some lines translated often the case.

This time, through the topic Imam Ahmad Ar-Rifaa'iy (Rahimahu-llah) is talking about the dangr of this world
and its worthlessness in front of the everlasting Hereafter.

He says; If you gain Allah, you gain everything, and if you lose Allah, you lose everything.

Yes, that's right and I want to gain Allah's pleasure more than anything.

The more I feel about this wish, the more I care about working and concentrating on Da'wah works fully and completely with Allah's permission.
Maybe because the time span for my life is not that much left.
That's why I feel pain for losing one third of every 5 days a week in the works which are nothing to do with what I learned.
Although I convinced myself when I got employeed as to train myself as a member of Japanese society in order to acquire "Fiqh Al-Waaqi'(Understanding of the reality)"
for better Da'wah works...

However, I still have a kind of hesitation against becoming a full time Da'wah worker...
it is a lack of my trust in Allah the Almighty but I can hardly clarify the line between "Tawakkul" as taking Asbaab
and "Tawaakul" as relying on others...

As well as the line that I learned from Risaarah Qushayreeyah in the chapter of Mujaahadah bothers me a lot.
Our Salaf says; The basic of this path is to apart your Nafs from all those familiar, comfatable things
and to differ from what your Nafs desire of."

That means, if my Nafs wants to work for Da'wah full time, then I should not grant this desire come true
but I should train my Nafs better!

After all, I can only remember the advice given by reading a part of Sharh for "Hikam 'Ataaeeyah" by Dr.M.Saeed Al-Bouti (Hafidhahu-llah)
as Imam Ibn 'Ataai-llaah As-Sakandariy (Rahimahu-llah) says in a meaning of "Try your best in the place and the situation given by Allah!"

May Allah bless you all always.

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6 コメント

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Awqaf (Zay)
2010-10-18 02:19:21
Inshallah, someday the Japanese community will have a "waqf" so that the future ulema and tulab 'ilm of Japan can have financial independence in order to focus on teaching and dawah full time.

From what I understand, Ustadh Ahmad, you are the only traditionally trained 'alim in Japan. This is a tremendous blessing, mashallah.

All the other Japanese Muslim leaders are academics trained in Orientalist universities or in institutions that unfortunately do not give ijazas that go back to Rasool Allah (peace ands blessings be upon him).

May Allah still reward them for their good works and sincerity.


Inshallah the community will grow and we will see the Noor of of traditional Ahl al Sunnah wa Jamah radiate from Japan. Ameen.
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日本人らしさ (Sarah )
2010-10-18 04:16:09
アッサラームアライクム!
前野さんを悩ますアッラーに讃えあれ!

いいなぁ、愛されてるなぁ、アッラーに!!

たまたま同じ日にこんな言葉を読んでました。。。

「今いるところで、

今持っているもので、

あなたが出来ることをやりなさい。

ーセオドア ルーズベルトー」

リーマンシャイフ。
いいじゃぁあ~りませんか!
と言われてももっと時間をイスラームに費やしたい。
ですよね(笑)

私たちだって翻訳もっとしてもらいたいですよ!(笑)

私も前野さんほどではありませんが、そういう葛藤ほんの少しわかります。
私は前野さんのように法的なこともわからないし、イスラムについて人前で話すなどと恐れ多いこともできないし。
今いるところで、アッラーに与えられた物の中で、
できることはなんだろうか。
イスラームの勉強かなぁ、留学かなぁ、仕事かぁ、、、。
ご存知の通りうだうだやってましたよね(笑)

最近の私の結論。。。

「日本人らしく普通に生きる。」

それも1つかなと思う今日この頃です。。。

預言者様(SAW)は普通の人と同じように生活されたからこそ、(もちろんそのすばらしさたるや比べ物にはなりませんが)人々にとって、まさにそれが結果としてのダアワになっていたように思うのです。。。

この「ふつうに」が難しい!!

アッラーが前野さんの葛藤をどうか支えてくださいますように。そしてそのことによって、今までよりもっともっと祝福された道を授けてくださいますように。。。

ワッサラーム
サーラ









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Jazaakumu-llaahu khairan! (Abu Hakeem)
2010-10-19 00:08:12
Assalaamu 'Alaykum, Ustadh Zay,

Thank you very much and Jazaakumu-llaahu khairan for your precious advice and thoughtful encouragement.
You really eased my heart. Akramakumu-llaah!

May Allah grant you great rewards for your benefit of the doubt about me but I'm only a smallest student of sacred knowledge and how I wished to continue my study after finally reaching to get the key to open the deep and wide world of traditional Islamic studies...

Yes, we have in Japan great scholars like Dr.Hasan Nakata and Dr.Kamal Okuda who spent some time learning from some traditional Mashaaykh and got some Ijaazah (so they know the value of traditional studies) but still they are rather Academic figures as you understood.

In shaa Allah, till the time Muslims in Japan start utilizing the great system of Waqf, the least thing I can do with the permission of Allah is to convey the message of Traditional Ahl As-Sunnah wa Al-Jamaa'ah.

Ustadh Zay, please continue to be our help.
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感謝 (Abu Hakeem)
2010-10-19 00:29:04
アッサラーム アライクム、サーラさん。

力強い励ましのお言葉ありがとうございます!
ジャザークムッラーフ ハイラン!

最初のお言葉「悩ますアッラーに讃えあれ!」を見て、なんだかすごくホッとし、胸の透くような爽快感を感じました。

アルハムドゥリッラー、悩めるのもアッラーのおかげか!みたいな納得感です。

「ムスリムとして日本人らしく普通に生きる」…これは「日本教」に呑まれてしまわないよう不断の注意が必要なことになるでしょうが、おっしゃるとおり大変意義深い目標だと思います。

あくまでも自然体で、まさにイスラームをもって日本人が培ってきた文化習慣のよいところを確証し、好ましくないところを補えるような生き方ができたら素晴らしいですね。

アルハムドゥリッラー、つい最近ご自分の「家庭」に恵まれたサーラさん、お二人から始まる日本のムスリム家系樹を太く大きなものとしていってください!

アッラーのさらなるご加護と祝福を!
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中途半端な趣味 (ジャーファル諏佐)
2010-10-22 23:24:52
私の場合はアマチュア無線やBCLをやろうと思って短波ラジオを買ったのはいいがネットで聴く様になり、無線に関しては業務無線を傍受するようになりQSOしないでQSLカードが減らないです。
でも、土曜日の夜は交信していますがノンQSLカードの交信です。
コントラクトブリッジ、花札、マージャン、テレビゲームなどあるが、中途半端でどれも同じです。
でも、アラビヤ語と開扉章の暗記は大塚モスクの巨体のムスリムとの約束で毎日50回読んでいます。
私の悪い癖ですが、直ればいいですが....(^~;)
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暗記がんばってください (Abu Hakeem)
2010-10-23 00:05:30
アッサラーム アライクム。

ファーティハ章暗記は大切です。

ぜひがんばってください。
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