探訪・日本の心と精神世界

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神話と日本人の心(5)

2015-02-24 22:35:40 | 書評:日本人と日本文化
◆『神話と日本人の心

私は、この本を読み、日本神話の特徴が、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係するという点に注目し、そのいくつかを取上げて考えてきた。今回はまだ触れていなかった項目に簡単に触れたい。

②自国内よりも外国に基準を求める態度

古事記の成立は、712年。日本書紀は720年。この時代に日本人の国家意識が以前より強まり、大陸に対して日本という国の存在や基盤を示そうとする意図が強まった。国家の中心である天皇家の地位を明確にする意図も働いた。日本書紀の方が古事記よりそういう意図を強く打ち出しているのは確かだろう。そのためか日本書紀は、天地のはじめについても、最初から日本のこととして語るのではなく、中国の『三五歴紀』や『淮南子』の記述から借りた一般論から入り、「したがって」として日本のことを語り始めているという。

自国の神話さえも、他国のものを借りて一般論とし、それによって自国の話を強化しようとする姿勢は、神話としては珍しい発想だという。この事実は、国家成立の当初から自国の外に文明の規準を求めようとする姿勢があったということであり、日本人の辺境意識の根深さをうかがわせる。常に海外を意識しするこのパターンは現代の日本人にまで受け継がれているといえるが、一方で近年日本人にはそのような傾向から抜け出す動きも見える。これについては、

『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が

以下で詳しく語ったので、下の《関連記事》を参照されたい。

④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる

これらは互いに深く関連しているのでいっしょに見ていこう。

人間は、自然の一部であると同時に反自然の傾向をも強くもっている。この矛盾にどのように折り合いをつけるかという問いとそれへの答えが、各神話にも読み取れる。旧約聖書においては、アダムとイヴが禁断の木の実を食べる話にこの問題が反映されている。彼らは木の実を食べたあと、自分たちの自然のままの姿を恥じて、いちじくの葉をあてがった。つまり反自然へと一歩踏み出したのである。神はこれに対し、「原罪」を負わせて楽園から追放する。ここでは、神・人・自然の分離が明確に表現されている。

日本神話では、神が人に何かを禁じるのではなく、「禁止」が神々の間で行われる。黄泉の国でイザナミはイザナギに、自分の姿を見ないようにと禁じたが、禁を破ってイザナギが見たのは、死体のおぞましい姿であった。ホヲリ(山幸彦)は、妻トヨタマビメの協力もあり、兄ホデリ(海幸彦)を屈服させた。その時、トヨタマビメは既にみごもっていた。ここでも妻は、出産する自分の姿を見ることを禁じたが、ホヲリは禁を破って、妻が本来の鮫の姿にたちかえっているところを見てしまう。その姿を見られたことを恥じた妻は、子を残して故郷に去る。このどちらにも共通しているのは、人間が結局「自然の一部」であることを知ったということだと著者は指摘する。

ここで注目すべきは、女性の本当の姿を見たときの男性の態度である。イザナギの場合は「見畏(みかしこ)見て」、ホオリでは「見驚き畏みて」と表現されている。つまりそこでは、いずれも本来の姿に接したときの「畏敬の念」が表現されている。畏敬の念は、宗教体験の基礎となる感情であり、神・人・自然が深いところで一体のものとしてとらえられていることを示している。

ところでイザナミは、禁を犯したイザナギに対して怒りに近い恨みをもってあとを追いかける。一方、ホヲリに禁を犯されたとトヨタマビメの場合はどうか。恨みの感情を抱くが、それでも恋しい心に耐えられず、妹のタマヨリビメに託して歌を贈る。ホヲリも歌を返し、互いに慕う気持ちが表現される中で、恨みは消えていく。これは、恨みが美的な形のなかに解消されていく「葛藤の美的解決」という方式といえよう。

このとき美の背後には深い悲しみの感情が流れており、これらを全体として日本人は「もののあわれ」と呼んだ。神話の世界にすでに「「あわれ」の原型が存在していたのだ。著者は、このような根源的な悲しみを「源悲」と呼ぶことを提案する。ユダヤ・キリスト教文化の根源に「原罪」がある。一方、人間と自然のつながりを切ることのない文化の根源には「源悲」があるというのだ。人間が自然と異なることを強調するときには「原罪」の自覚が求められ、人間がその「本性」として自然に還っていく、自然との一体感が大切にされるときには「源悲」の感情が働くという。

ここで、これまでこのブログで何回か語った私の主張を付け加えよう。「源悲」の感情は、おそらくアニミズム的な宗教をもつ文化にかなり共通するだろうことは著者も指摘するところである。とすれば、ヨーロッパでもキリスト教以前にあったケルト文化などにも共通するかもしれない。現に、アイルランドの昔話は日本のものと類似性が高いという。現代の日本で生み出される小説やマンガやアニメはどうだろうか。それらも、多かれ少なかれアニミズム的な要素や「源悲」の感情を引きずっているのではないだろうか。つまり人類のきわめて古い記憶の層が、日本の文学やポップカルチャーにも受け継がれているのではないか。そして、人類の古い記憶の層を断ち切ってしまった文化から見ると、それが不思議であると同時にきわめて魅力的なものとして映じるのかもしれない。

《関連図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)

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神話と日本人の心(4)

2015-02-24 22:32:54 | 書評:日本人と日本文化
◆『神話と日本人の心

今回は、日本神話の特徴で、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係すると思われる8つのポイントのうちで、⑦に関連するものを見ることにする。

⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう「中空構造」

古事記によれば、スサノオはアマテラスとの誓約に勝ったことを誇るあまり、大いに暴れまわる。その乱行を見たアマテラスは、岩屋に身を隠ししてしまう。その結果、世界は闇に包まれ、永遠に闇が続くかと思われた。多くの災いが起こり、こまった八百万神が対策を練るために集まった。そして、それぞれの神々が、問題解決のために様々なことを行う。

神々がこのように力を尽くしていたとき、もちろんアマテラスは岩屋のなかで何もしていない。スサノオとの対決ののちのスサノオの無茶な実力行使に対して、アマテラスは闇に身を隠すことでまったくの無為の状態にとどまるのである。他文化の多くの神話では、このようなとき主神が手勢を率いて悪に立ち向かい勝利するパターンが多いが、アマテラスは徹底的に受動的で、逆にそれが八百万の神々の活性化を促したとも言える。

しかも神々のめざましい活躍にもかかわらずそこにはリーダーが存在しない。中心になるリーダーなしに神々の相談はうまくまとまり、準備も整って、アメノウズメが登場する。そして例の裸踊りが始まる。日本と同じく多くの神々が活躍するギリシア神話では、主神ゼウスが調整役を務めることが多い。日本神話ではこのような危機的な場面でも明確なリーダー役が存在しない。それでもことがうまく運ばれていくのだ。

著者は、このように強力なリーダーなしにことが運ばれていく特徴は、「中空構造」という一種のバランス構造をもとにしているという。そして、古事記神話においてもっとも重要なのがこの中空構造であるという。

日本神話において重要な三つのトライアドも、やはり中空構造になっている。

1)タカムスヒ――アメノミナカヌシ――カミムスヒ
2)アマテラス(天)――ツクヨミ――スサノオ(地)
3)ホデリ(海)――ホスセリ――ホオリ(山)

第一のトライアドでは、それぞれ父性原理、母性原理を象徴する神を両側に配し、その中心はアメノミナカヌシである。第二のトライアドでは、天を示すアマテラス、地を示すスサノオを両側にして、その中心は無為の神・ツクヨミである。第三のトライアドでも、中心にやはり無為の神・ホスセリがおり、その両側にそれぞれ海と山を代表するホデリとホオリがいる。ちなみに二人はそれぞれ海幸彦と山幸彦とも呼ばれる。

このように日本神話は、相対する両極をもちながら、その中心を無為の存在が占め、全体としてのバランスをとるという「中空均衡構造」を大切にしている。確かにアマテラスは神々の中心のように見えるが、アマテラスとスサノオは互いに相手を相対化し、その中心には無為の神ツクヨミがいると見たほうが妥当だと著者はいう。

この構造は、たとえば『旧約聖書』のようにな、中心に唯一神をもちそれに敵対するサタンは徹底的に神に拒否されるという構造とは大きな違いである。このような日本神話の構造は、日本人の、あるいは日本人の集団のあり方と深く通じるものがあるのではないか。

かつて私はこのブログで、なぜ日本でキリスト教が広まらなかったのかをいくつかの面からまとめたことがある。もしこの「中空均衡構造」が日本人の心の深層に生きているとすれば、一神教的な構造が受け入れにくいのも不思議ではない。

キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01
最もキリスト教から遠い国:キリスト教が広まらない日本02

それを全面的に受け入れれば日本民族の特性が失われ、日本が日本でなくなると言ってよいほどの要素がキリスト教にあったからこそ、日本人はこの宗教を受け入れなかったのだろう。一神教は、日本文化の根底にある「中空均衡構造」と相容れなかったともいえよう。

最近、権威を嫌う知的な大衆:「日本的想像力」の可能性(3)というエントリーで、社会を営むためには権威や権力は尊重されるべきだと考えている人の割合が、日本人の場合は、世界と比較して極端に少ないというデータを紹介した。もしかしたらこの傾向は、神話の時代からあったのだろうか。

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日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本文化のユニークさ29:母性原理の意味
日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
ユダヤ人と日本文化のユニークさ07
太古の母性原理を残す国:母性社会日本01

《参考図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)
「甘え」と日本人 (角川oneテーマ21)
続「甘え」の構造
聖書と「甘え」 (PHP新書)
日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)

神話と日本人の心(3)

2015-02-24 22:29:54 | 書評:日本人と日本文化
◆『神話と日本人の心

この本を読んで興味深かったことは、日本神話の特徴が、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係するということであった。それは、ざっと挙げると以下のようなものである。

①男性原理とのバランスを取りながらの女性原理
②自国内よりも外国に基準を求める態度
③文明の原始的な根から切り離されず、連続性を保っている
④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる
⑥何らかの原理によって統一するよりも原理的対立が生じる前にバランスを保とうとする調和の感覚
⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう「中空構造」
⑧恥の感覚の重視

これまでに2回にわたって①について見てきた。③についてもかんたんに触れたが、少し付け加えたい。前回指摘したのは、男性原理が女性原理に取って代わるのではなく、両原理がバランスをとりながらも女性原理優位の状態を保っていくという連続性であった。河合隼雄自身は、もっと具体的な別の面から③の特徴を指摘している。それは、神々の連鎖という特徴である。

記紀においてイザナキ、イザナミは国造りの主神だが、それ以前に「神世七代」と称される神々の名が連鎖的に告げられる。なぜ国造りの前に多くの神々の名が告げられるのか。その意味は、フォン・フランツの『世界創造の神話』が見事に解き明かしているという。

彼女によれば、ポリネシアやニュージーランドなどで重要な位置を占める神・タンガロアの創造神話は、まさに神々の連鎖だという。この地域の神話の特徴は、神々の連鎖のなかでだんだんと神々の姿が明確になっていき、それが人間へつながっていくことだ。日本の神話も、人間に至るには長い間があるが、やがて人間の世界へとつながる。つまり日本神話は、ポリネシアなどと同様に「原始的な根」をもち、その根との連続性を保っているというのだ。日本は、現代において「先進国」と呼ばれる国々の一つだが、その中で唯一、古代から現代に至る不思議な連続性を保っている国なのである。他の先進国はすべてキリスト教文化圏に属し、強烈な唯一神を中心とする父性原理的な宗教の力によって、「原始的な根」からほとんど切り離されてしまったのである。

このブログで探求している日本文化のユニークさ8項目のうち、一番目と二番目は次のようなものであった。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

これまで見てきたところからも明らかなように、これらの特徴は、日本の神話、とくに古事記の中にはっきりと読み取れるのである。そして(1)と(2)は、相互に深く結びついている。

先進国の中で日本が唯一、文明の「原始的な根」から切り離されていないということについて、現代の日本人はほとんど自覚すらもっていないかもしれない。いや、近年日本人は日本の伝統の大切さに少しずつ気づき始めたかに見える。しかし、日本人が「原始の根」から切り離されていないことの意味は、私たちが考えるよるもはるかに重要なのかもしれない。

日本文化に出会うことで、忘れられていたヨーロッパ文化の古層を思い出していった人物の一例をあげておこう。トマス・インモースは、スイス出身だが日本に在住するカトリック司祭であり、日本ユングクラブ名誉会長でもある。彼はその著『深い泉の国「日本」―異文化との出会い (中公文庫)』で、「神道とヨーロッパの先史時代とは共通のものを分かち合っている」という。スイスは、ケルト文明のひとつの中心地であった。それで、縄文的な心性が現代に残る日本という土地で、少しずつスイスの過去に出会うようになった。日本という「深い泉」に触れることで、自分自身のルーツのより深い意味を見出していったというのだ。「日本という土地の上で、私は少しずつ、スイスの過去に出会うようになった。バラバラだったものがひとつにまとまり、私は自分自身の過去も知るようになった。自分を理解するようになった。」

私たちは、日本文化の最も重要なこのような特徴を失ってはならない。そのためにはまず、この特徴をしっかりと自覚することが大切なのである。

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《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架