探訪・日本の心と精神世界

日本文化とそのルーツ、精神世界を探る旅
深層心理学・精神世界・政治経済分野の書評
クイズで学ぶ歴史、英語の名言‥‥‥

農耕のはじまり

2009-04-18 13:58:19 | 世界史:文明の誕生
◆農耕は、ほんとうはどこで始まったのか。

近年の世界的な発掘調査によって、世界のさまざまな地域から、西アジアよりもさらにふるい農耕の存在を示す遺跡が見つかっている。農耕がどこかひとつの地域で始まって、それが世界中に広まったのではなくいくつかの地域でそれぞれ独自に発生したとの説が有力となった。

では、次のなかでアメリカ大陸での農耕の始まりを示すのは、どれか。

ア)この遺跡から大量のもみがらやイネの葉が発見され、稲作農耕が始めまっていたことを示す。その開始は、紀元前1万年以前という説もある。

イ)紀元前7000年頃に小麦、大麦などの栽培が行なわれ、それがアフガニスタン、パキスタンに伝わった。

ウ)タロイモ、ヤムイモ、バナナなどが栽培された。これらが最古の農耕文化と主張する学者もいるが、いまだ年代を特定できない。

エ)モロコシ、トウジンエビが栽培された。

オ)トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トマトなどが栽培された。

☆正解は、ミラーブログ・コメント欄にあります。

朝鮮半島への侵略は何回か

2009-04-18 11:58:29 | 日本史:鎌倉時代
◆朝鮮半島は、外敵に何回、侵略されたか。

元寇(げんこう)は、13世紀後半に蒙古(元)軍が二度にわたって日本に来襲したことをいう。文永11年(1274)10月壱岐・対馬を占領した元・高麗軍は博多付近に上陸したが,暴風によって敗退(文永の役)した。幕府は、異国警固番役を実施し,防備を固めた。弘安4年(1281)5~7月再び来襲した十数万の元軍には容易に上陸を許さず,大風雨の助けもあってほとんど全滅させた(弘安の役)。

日本が侵略をされたのはこの時だけだが、では朝鮮半島は、正史に記録されただけで数えて、二千年の間に、外敵によって大陸側、海側からおよそ何回侵略をされているか。

 ア)30回   イ)170回   ウ)400回   エ)1000回

☆この問題は、『日本の曖昧力 (PHP新書 592)』の内容を参考にして作りました。

☆正解はミラーブログ・コメント欄にあります。

幕末に蒸気船をつくった藩(2)

2009-04-03 22:58:19 | 日本史:江戸時代
◆蒸気船造りのため、大村益次郎を雇ったのは何藩か。

日本人を駆り立てて明治維新を成立させたのは、江戸湾でペリーの蒸気軍艦を目撃したとき(1853年)の衝撃であったといっても過言ではない。ところで蒸気船を見て「自分もあれをつくろう」と、戦慄とともに決断した三人の藩主がいた。薩摩の島津斉彬、佐賀の鍋島直正、宇和島の伊達宗城(むねなり)である。彼らは、江戸城において「三藩、互いに競って、競争であの黒船をつくろうではないか」と約束したという。そして三年後にに彼らの率いるこの三藩が、相前後して黒船を造ることに成功したのである。そこで問題は、上の三藩のうち、大村益次郎を雇ってその任に当たらせたのは、どの藩か。

ア)薩摩藩の島津斉彬   イ)佐賀藩の鍋島直正  ウ)宇和島藩の伊達宗城

大村益次郎〔1824~1869〕は、幕末の兵学者であり、明治軍制の創設者。旧名は村田蔵六。長州藩の医者の子。大阪の緒方洪庵の門で蘭学と医学を学ぶ。長州藩の兵制改革に力量を発揮。第2次長州征伐,戊辰戦争で軍事指導に才腕をふるう。明治政府の兵部大輔として近代兵制の樹立に尽力したが,反対派士族に襲撃され2ヵ月後に死亡。

☆なお大村益次郎が、蒸気船建造にいたる経緯については司馬遼太郎の『花神〈上〉 (新潮文庫)』に詳しい。

☆正解は、ミラーブログ:コメント欄にあります。

幕末に蒸気船をつくった藩(1)

2009-04-02 23:05:07 | 日本史:江戸時代
◆幕末に自力で蒸気船をつくった三つの藩とは?

日本人を駆り立てて明治維新を成立させたのは、江戸湾でペリーの蒸気軍艦を目撃したとき(1853年)の衝撃であったといっても過言ではない。ところで蒸気船を見て「自分もあれをつくろう」と、戦慄とともに決断した三人の藩主がいた。彼らは、江戸城において「三藩、互いに競って、競争であの黒船をつくろうではないか」と約束したという。そして三年後にに彼らの率いるこの三藩が、相前後して黒船を造ることに成功したのである。これは「世界史的奇跡」とすら言えるかもしれない。これを見たオランダ人海軍教師も日本人が独力でこれを完成させたことに驚嘆している。

そこで問題は、次ののうち、蒸気船をつくった三藩に含まれないのはどの藩か。

ア)薩摩藩       イ)佐賀藩

ウ)宇和島藩      エ)長州藩

☆なお三藩が、蒸気船建造にいたる経緯については司馬遼太郎の『花神〈上〉 (新潮文庫)』に詳しい。

☆正解は、ミラーブログ:コメント欄にあります。

☆☆このブログのコメント記入欄に不都合が生じたため、ブログ移行を考えましたが、上のように正解欄をリンクすることでこちらもしばらく続けてみようと思います。

縄文土器の特性

2009-04-02 22:59:38 | 日本史:旧石器~古墳時代
◆縄文土器は世界の他地域の土器と比べどのような特性をもっていたか。

縄文土器についての次の説明のうち、間違っているものをひとつ選べ。

ア)土器が使用されたのは、縄文土器の日本が世界で一番早い。

ウ)世界の四大文明のいずれでも、土器は煮炊きのために始まったが、日本の縄文土器は、捧げ物や食べものの盛り付けのために始まった。

エ)日本の縄文土器の素晴らしさは、「火焔土器」のように突起した装飾があることで、これは世界で唯一の形式である。

☆上の問題は、以下の資料を参考にして作りました。
日本史の中の世界一
世界史のなかの縄文―対論

☆正解はミラーサイト:コメント欄にあります。

☆このブログのコメント記入欄に不都合が生じたため、ブログ移行を考えましたが、上のように正解欄をリンクすることでこちらもしばらく続けてみようと思います。

乳児死亡数の激減(2)

2009-04-02 22:52:38 | 日本史:大正時代
◆大正10年を境にに乳児死亡数が激減するのはなぜか(2)

大正10年(1921年)に年間33万人まで増加した日本の乳児死亡は、その後減少の一途をたどる。この変化は、あまりに劇的である。しかも、その後まもなく、正確には大正14年(1925年)から、日本人の平均寿命も上昇の一途をたどるようになる。では、この事実の理由に関係するものとして正しいものを選べ。

ア)大正8年よりシベリア出兵が開始され、塩素ガスが兵器として使用された。

イ)後藤新平が大正9年に東京市長になった。

ウ)後藤新平は、関東大震災後,内相兼帝都復興院総裁として画期的な東京復興計画を作った。


☆この問題は、竹村公太郎著『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント』の中の考察を参考にしてつくりました。

☆正解はミラーサイト:コメント欄にあります。

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乳児死亡数の激減(1)

2009-04-02 22:39:35 | 日本史:大正時代
◆大正10年を境にに乳児死亡数が激減するのはなぜか。

大正10年(1921年)に年間33万人まで増加した日本の乳児死亡は、その後減少の一途をたどる。この変化は、あまりに劇的である。しかも、その後まもなく、正確には大正14年(1925年)から、日本人の平均寿命も上昇の一途をたどるようになる。では、大正10年にはいったい何があったのか。次から選べ。

ア)この年、東京市で水道の塩素殺菌が開始された。

イ)この年以降、日本の各都市で急速に水道が普及しはじめた。

ウ)この年より、三種混合ワクチンによる予防接種が行われるようになった。

☆この問題は、竹村公太郎著『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント』の中の考察を参考にしてつくりました。

☆正解はこちら:ミラーサイトコメント欄にあります。

☆このブログのコメント記入欄に不都合が生じたため、ブログ移行を考えましたが、上のように正解欄をリンクすることでこちらもしばらく続けてみようと思います。