探訪・日本の心と精神世界

日本文化とそのルーツ、精神世界を探る旅
深層心理学・精神世界・政治経済分野の書評
クイズで学ぶ歴史、英語の名言‥‥‥

セポイの乱はなぜ

2007-03-29 21:49:14 | 世界史:19世紀の世界
◆セポイの乱はなぜ起こったか。

セポイの乱(1857-59年)は、インドの兵士・農民がイギリスの支配に反抗して起こした反乱。反乱軍は一時デリーを占領したが,統一的な指導部がないため鎮圧され,植民地化は決定的となった。セポイ(シパーヒー)とはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵のことで、イギリス東インド会社は彼らを低賃金・低待遇で雇い、インド支配の道具とした。反乱は兵士だけのものではなかったので、近年はインド大反乱と呼ばれる。 最初は、デリー北方のセポイ(シパーヒー)部隊が反乱を起こしたが、そのきっかけは、何であったか。間違っているものをひとつ選べ。

ア)銃の弾薬包にイスラム教徒が不浄とする豚の油が塗られていた。

イ)銃の弾薬包にヒンドゥー教徒が神聖視する牛の油が塗られていた。

ウ)イスラム教徒、ヒンドゥー教徒が協力して戦わなければならないことに反発した。

☆正解はコメント欄に

チャーチスト運動のスローガン

2007-03-18 14:25:14 | 世界史:19世紀の世界
◆チャーチスト運動のスローガンは?

イギリスでの、労働者階級の最初の政治運動がチャーチスト運動。1832年の第1回選挙法改正で、労働者階級の参政権が認められなかった。そこでかれらは、1838年、「人民憲章」を作成し、これを採用するように政府に迫る。これをチャーチスト運動という。(人民憲章=People’s Charter(ピープルズ・チャーター)から)。「人民憲章」には、男子普通選挙や、議員の財産資格廃止などが掲げられた。

この運動のスローガンは「土地をすべての人民に、すべての人に[    ]を、すべての人に選挙権を」であった。

[    ]に何が入るか。
       
ア)愛  
イ)知る権利  
ウ)パン  
エ)家  
オ)自由

プルードンにとって財産とは

2007-03-17 23:16:38 | 世界史:19世紀の世界
◆プルードンにとって財産とは何であったか?

社会主義運動は、産業革命によって労働者階級が発生してから発展した。初期の運動に影響を与えたのは、オーエン(英・1771~1858)、サン・シモン(仏・1760~1825)、フーリエ(仏・1772~1837)らの思想で、これは空想的社会主義と呼ばれる。

フランスの社会主義思想家プルードン(1809~65)は、無政府主義の父と呼ばれた。彼は、『財産とは何か』(1840)で「政府はしょせん権力者である金持ちの味方なのだ。そんな政府はなくしてしまっても、協同組合が生産を管理すれば社会は成り立つ」とし、「財産とは何か?[     ]である」といった。[    ]に入る語は何か。

ア)窃盗 
イ)個人のもの 
ウ)国家のもの 
エ)共有財産 
オ)労働の代価

☆正解はコメント欄に

ラダイト運動の名称は?

2007-03-13 23:51:26 | 世界史:19世紀の世界
◆ラダイト運動はなぜそう呼ばれるのか。

産業革命によって生まれた資本制機械工業のため失業の危険にさらされた手工業職人やマニュファクチュア労働者たちは、何度も工場を襲って、機械の打ち壊しを行った(1811年から16年)。打ち壊しは、おもに夜間、覆面をした暴徒たちによって行われた。暴徒たちはラダイトと呼ばれたが、この語源は何か、次から選べ。

ア)襲撃の相手に送られた脅迫状にしばしばその署名があったから。

イ)打ち壊し運動が起こったイングランド中部のノッティンガムの町の名から。

ウ)「打ち壊し」を意味するラテン語Ludditeから。

☆正解はコメント欄に

世界初の鉄道開通式

2007-03-11 13:56:04 | 世界史:19世紀の世界
◆世界初の鉄道開通式の乗客の様子は?

スティーブンソンGeorge Stephenson(1781~1848)は、実用的な蒸気機関車を開発し、「鉄道の父」と称された。イギリスのまずしい炭鉱坑夫の子で、初め炭坑で働き,1814年に蒸気機関車を製作。

以後改良に努め、25年ストックトン~ダーリントン鉄道のためにアクティブ号(のちロコモーション号と改称)を製作,29年リバプール~マンチェスター鉄道の開設(1830)に先立って行なわれた機関車競走にロケット号で優勝,蒸気機関車の実用性を確立した。

さて、25年のストックトン~ダーリントン鉄道開通式での乗客について正しいものはどれか。

ア)最初600名以上だったが、激しい揺れに恐れをなして飛び降りた者が多く、終点で下車したのは450人だった。

イ)客車にのった招待客は450人だったが、途中で飛び乗った者が多く、終点で下車したのは、600人以上だった。

エ)客車にはわずか4人が乗っただけで、最後までその人数は変わらなかった。

☆正解はコメント欄に

産業革命時代のイギリス労働者の平均寿命は?

2007-03-10 15:17:41 | 世界史:19世紀の世界
◆産業革命時代のイギリス労働者の平均寿命は?

イギリスで産業革命が始まると、都市に流入する人口が急増した。そのため労働者たちは、不衛生な生活環境で暮らすことを強いられた。さらに、長時間労働と貧弱な栄養状態のため、早死にする者が多かった。イギリス産業革命期の都市において工場労働者の平均寿命はどのくらいだったか、次から選べ。

ア) 15歳
イ) 37歳
ウ) 52歳

☆正解はコメント欄に

オーウェンが労働者のために行った施策は?

2007-03-05 22:05:24 | 世界史:19世紀の世界
◆オーウェンが労働者のために行った施策は?

スコットランドはニューラナークの紡績工場主であったロバート・オーウェンは、産業革命後の労働者たちの悲惨な生活を見て、理想社会の建設を考えた。彼が実際に行った施策は何か、間違っているものをA,Bそれぞれからひとつずつ選べ。


ア)10歳未満の子どもの労働をやめた。
イ)ほったらかしの子供のため工場のそばに世界最初の幼稚園を作った。
ウ)機械の登場によって失業した労働者のためにラダイト運動を指導した。
エ)ひどい住宅環境を改善するため社宅を建設。


ア)労働者の日用品を原価販売する工場共済店を作った。
イ)八時間労働制を採用した。
ウ)アメリカに平等村を作った。

☆正解はコメント欄に

綿織物工場の労働者

2007-03-04 23:20:51 | 世界史:19世紀の世界
◆綿織物工場で大半の労働者が女性だった理由は?

産業革命は、18世紀の末のイギリスを中心におこった、手工業から機械工業への大きな転換であった。工場制機械工業によって、イギリスにおける綿布の生産量は、飛躍的に増えた。綿織物工場で働く労働者の大半は女性だった。その理由は何か、次から選べ。

ア)イギリスの伝統的な毛織物の生産は、従来女性が行っていたので、その延長で。

イ)綿織物の製造は複雑なため、女性の繊細な手が必要だったから。

ウ)機械生産の採用によって、熟練労働者は不要になったため、賃金の安い女性が使われるようになったから。

☆正解はコメント欄に入れました。