探訪・日本の心と精神世界

日本文化とそのルーツ、精神世界を探る旅
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クイズで学ぶ歴史、英語の名言‥‥‥

あの世と日本人

2015-02-26 21:30:27 | 書評:日本人と日本文化
◆『あの世と日本人 (NHKライブラリー (43))

今でこそ、日本の文化の基層には、一万年以上続いた縄文文化が根づよく横たわっているという説は、ほぼ認められたといっていいが、このような説が受け入れられていく過程で著者・梅原猛の果たした役割は大きい。するどい直観と洞察力をもとにアイヌ語と沖縄古語の比較などにより、学問的な裏づけも行い、また考古学者など各分野の専門家との対話を通して、この説を説得力あるものにしていったのである。

著者は、日本人の「あの世」観は、縄文時代以来の「あの世」観が連綿と受け継がれているという。太陽や月、そして生きとし生けるものすべてが、この世からあの世、あの世からこの世へと、永遠の循環の旅を続けている。これが日本文化の根底をなす、縄文時代からの日本人の世界観であり、死生観であるという。

一般に、日本人の「あの世」観に深い影響を与えたのは仏教の一派・浄土教だといわれる。確かに浄土教は、日本の主流仏教となったが、浄土教が主流となったのはほぼ日本だけであり、なぜ日本で浄土教が主流となったのかという謎がのこる。著者は、仏教伝来以前から日本に存在した縄文的な世界観にその理由があるのではないかという。魂の不死とその永遠の循環という縄文時代以来の信仰が、無意識のうちの浄土教へと流れ込んでいったからこそ、浄土教が日本の主流仏教となったのである。

一万年以上も続いた土着の文化は、外来思想が入ってきたからといって、かんたんにどこかへ消えてしまうものではなく、少しずつ形を変えながらも文化の底流となって生き続けていく。個々の具体例を通して、そんなことが実感され、縄文時代人が急に身近に感じられたりする本だ。

日本語が世界を平和にするこれだけの理由

2015-02-26 21:27:12 | 書評:日本人と日本文化
◆『日本語が世界を平和にするこれだけの理由

著者の金谷武洋氏は、カナダのモントリオール大学で長年、日本語を教えてきた人。この本は、その経験を随所に散りばめ、中学生でも興味をもって読めるように、やさしく書かれている。欧米語に比べ、日本語がいかに独自の素晴らしさをもっているか、英語を学び始めた若者たちにもそれを知ってもらいたいという、強い思いで書かれたようだ。ここでは、私の関心に重なる限りで、その内容の一部を紹介してみよう。

日本人なら富士山を見て「あ、富士山が見える」と言うだろうが、英語を母国語とする人なら、Oh, I see Mount Fuji. というだろう。この場合、日本語文の主人公は自然(富士山)だが、英語では「私」という人間である。日本人ならその場面の主人公は富士山であり、私のことなど念頭に浮かばない。

日本語の「ありがとう」には話し手も聞き手も、つまり人間が一人も出てこない。これに対し、Thank you は、元は I thank you であり、話し手と聞き手がしっかり登場する。英語は「(誰かが何かを)する言葉」、日本語は「(何らかの状況で)ある言葉」と言えるかもしれない。

日本語の「おはよう」は、「こんなに早いんですねぇ」と心を合わせ、二人で共感する言葉だと言えるが、英語の Good morning は、元々は I wish you good morning.であり、私があなたの朝が良いものであるよう祈るという積極的な「行為」を表現する。つまり「する言葉」なのだ。

両方とも、英語には人間が出てくるのに、日本語には出てこない。日本語の「おはよう」も「ありがとう」も、二人が同じ方向も向いて「視線を合わせ」ながら(「共視」しながら)、一緒に感動、共感しているだけで、文に人間が出てこない。日本語は、共感の言葉、英語は自己主張と対立の言葉であるとも言える。


日本語と、英語に代表される欧米語とは、様々な点でその「発想」が正反対である。たとえば地名についても、日本語では、ある有名人がそこの出身だからと言って、土地にその人の名前をつけるのは非常に珍しいが、英語では、人名が地名になるケースが多いのである(人名→地名)。では人名についてはどうだろうか。日本語は、地名(や地形など場所の特徴)が人名になる(地名→人名)が、英語の名前は、先祖の職業がなんだったかや父親は誰だったかなどによる場合が圧倒的に多い、つまり多くが人間に関係している。日本語の苗字は「先祖がどこに住んでいたか」に注目するが、英語では「先祖がどんな人だったか」が大切なのだ。ここにも、自然に立脚する日本人の発想と、人間に立脚する欧米人の発想との違いがありそうだ。

もし言葉を話す場を、劇の舞台にたとえるなら、英語はそれを演じる役者、「人間に注目」するのに、日本人は人間よりもその周りの舞台や背景、つまり「場所に注目」するのだとも言える。日本語の話者は、自分を強く打ち出すよりも、周りと強調し、「全体の中に自分を合わせていくこと」を目指すことが多い。「全体に溶け込む」ように努力するあまりに、聞き手を直視したり、大きな声で話すことを避けようとする。日本語という言葉そのものの中に「自己主張にブレーキがかかるような仕組み」が潜んでいるのかもしれない。

金谷氏には『日本語に主語はいらない』という本でも主張するように、日本語の基本文では、英仏語などと違い、述語があるだけでりっぱな文になるという。欧米語の発想からすると主語が省略されているように見えるが、実はそうではなく、もともとそれは述語に含まれているのだという。

欧米語、とくに英語は文の組立てに「主語」が不可欠だ。そのためか、英語の話者は聞き手と同じ地平に立たないどころか、自分を含めた状況から身を引き離して上空から見下ろしているようになってしまった。もともと欧米語も自然中心の言葉だったたが、少しずつ人間中心の言語に変化していき、その最先端に英語が位置すると著者はいう。

かつてこのブログで金谷氏の別の本、『日本語は亡びない (ちくま新書)』を紹介した。ここでも、日本語を、英語をモデルとした文法で理解しようとする愚かさが鋭く指摘されている。英語文法は、主語-述語を基本とした人間中心の構造をもつ。英語の話者は、他との関係で自分を捉えるのではなく、状況から独立した絶対的な私(主語)を中心に考える傾向が強くなる。それに対して、日本語文法は、自然や状況中心の文法であり、英文法モデルで分析するには無理がある。むしろ、混迷する世界の救える思想が日本語には含まれており、だからこそ日本語の脱英文法化が急がれなければならないという。日本語だけでなむ、日本文化全般への著者の愛情を感じさせる本だった。

では、日本語はなぜそのような特徴を持つのか。著者は、その理由を語っていない。しかし私には、その理由が、このブログで語、日本文化のユニークさ8項目のうち、とくに一番目に深く関係していると思われる。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。「縄文時代の環境に影響されているのではないか。

日本列島に生活した私たちの祖先は、定住段階に入ったにもかかわらず、狩猟・採集・漁撈を核とする生活を営み、森におおわれた大地と豊かな海との生態系に深く依存していた。新石器文化としては特異な、前農耕社会でありながら独自の土器を伴う質の高い生活形態を驚くほど長期にわたって保ち続けていたのだ。およそ1万年も続いたその生活スタイルの記憶や影響が現代の私たちに残っていないとする方が不自然であろう。しかもそういう環境の中で生まれたであろう縄文語が、おそらく現代日本語の基盤となって、私たちの発想法に影響を与えているのだ。

縄文人は、一定の植物栽培を行っていたとしても、それは周囲の自然を根本から大きく変えるものではなかった。森におおわれた豊かな自然そのものが彼らの生活を支えていた。周囲の自然を荒らさず大切に守り、そこから許されるだけの恵みを得ることで、自分たちの永続的な生存が保障される。それほど密接な関係にある周囲の自然を、限度を超えて勝手に荒らせば、自分たちの生存が脅かされることを縄文人はいやというほど知っていた。彼らは、木や草や川や森や様々な生き物を自分たちと同格の存在、あるいはそれ以上の神聖な存在と感じ、その怒りに触れることを恐れた。こうして彼らは、周囲の自然の背後に、一切の生あるものを生み出す地母神や様々な精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感し、感謝しただろう。だとすれば、命あるものを限りなく生み出す「母なる自然」への縄文人の祈りや信仰は、農耕民よりももっと強かったと考えるのが自然だ。

そのような縄文人の生き方からは「人間中心」の発想は出てくるはずがない。自然に依拠し、周囲の自然を敬いながら生きた縄文人の世界観は、おのずとその言語にも反映される。一万年以上の年月の中で形成されたであろう縄文語は、他の縄文文化と同様に次の時代へと引き継がれていった。その世界観が現代日本語にも反映されているのだ。

以上に関連する記事は下に示したが、とくに★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)を読んでいただければ幸いである。

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日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)
日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)
日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

古代日本のルーツ 長江文明の謎

2015-02-26 21:21:40 | 書評:日本人と日本文化
◆『古代日本のルーツ 長江文明の謎
◆『対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
◆『対論 文明の原理を問う

中国の雲南省から長江流域、そして西日本には多くの文化的共通点があるという。たとえば納豆や餅などネバネバした食べ物が好きであったり、味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、鵜飼と同じような漁が行われることなどである。中尾佐助氏や佐々木高明氏は、この文化的要素が共通する地域の文化を「照葉樹林文化」と名付けた。そして雲南の高地を中心とした半月形の地域を稲作農耕の起源地とした。

しかしその後の研究から稲作の起源地は雲南ではなく長江中・下流域であることがわかってきたという。6300年前に誕生し長江文明は、4200年頃に起こった気候の寒冷化の影響を受ける。漢民族のルーツにつながる北方の畑作牧畜民が南下し、長江文明を発展させた稲作漁撈民は、雲南省や貴州省の山岳地帯に追われたのだ。同時に、長江流域を追われた人々の一部は海に逃れ、台湾や日本に流れ着いた。日本に流れ着いた人々の影響を受けて弥生時代が開かれえていったという。とすれば日本の源流は、長江文明の系譜を色濃く引いていることになる。

四大古代文明は、畑作農耕民と牧畜民の融合から生まれたが、湿潤地帯を流れる長江には、元来牧畜民はいない。長江文明では、牧畜民ではなく、狩猟民や漁撈民から動物や魚などのタンパク源を求め、そこから両者の融合が始まったのではないかという。そして長江文明は、他の古代文明とちがい森の文明である。森には生命の再生と循環が満ちている。その世界観は「再生と循環」なのである。

長江文明の人々は、何よりもまず太陽を崇拝した。そして重要なのは、その太陽が女神だったということだ。それは、日本のアマテラスが女神であることとどこかでつながるのかもしれない。漢民族の太陽神は炎帝という男神であり、ギリシャのアポロンも男神だ。長江流域の稲作漁撈民ははまた、山を崇拝した。山は、米作りのいちばん重要な水を生み出す。同時に、山は天地をつなぐ架け橋(梯)だった。稲作漁撈民にとっては、天地がつながり雨が降ることが最も重要だった。日本の会津磐梯山の「梯」もそのような意味が込められているのだろう。さらに柱も山と同じように天地を結合する豊饒のシンボルだった。こうしてみると、それらが日本の古代の信仰ときわめて近いことが分る。

縄文人にとっても山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。稲作漁撈民もまた、蛇や蝶やセミを大切にした。これら脱皮する生きものは再生の象徴であった。

こうして比べると、縄文人と長江文明を担った人々の宗教世界はきわめて近い。もし日本に稲作を伝えた人々が長江流域から流れ着いた人々であったなら、縄文人はその信仰世界をほとんど抵抗なく受け入れることができ、それは日本列島にたどりついた人々にとっても同様だったろう。もちろん日本への稲作の流入は朝鮮半島からのルートも無視できない。しかしどちらにせよ、弥生文化は縄文文化の要素をかなり受け継いでおり、断絶と言うよりは影響し合いながらの融合という側面がかなり強いことが、近年の土器の変化の研究などでも明らかになりつつある。私たちが、一万年の縄文文化の記憶を断絶なく受け継いできたひとつの大きな理由は、日本列島に新たにたどりついた人々との世界観の近さがあったのかもしれない。

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対論 文明の原理を問う
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環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
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