探訪・日本の心と精神世界

日本文化とそのルーツ、精神世界を探る旅
深層心理学・精神世界・政治経済分野の書評
クイズで学ぶ歴史、英語の名言‥‥‥

ガリレオの望遠鏡

2007-04-28 19:43:36 | 世界史:ヨーロッパ世界の形成発展
◆月を見て大学教授らはどう反応?

ガリレオ(Galileo Galilei 1564-1642)は、イタリアの天文学者・物理学者だ。振り子の等時性、落体や放物体の運動などに多くの新発見をし、望遠鏡を発明して天体を観測。しかし、コペルニクスの地動説を支持したため、宗教裁判にかけられ、「それでも地球は動いている」と言ったという。

その望遠鏡だが、正確にはオランダで発明された噂を聞き、試行錯誤の上に自作の望遠鏡を作り、天体観測を始めたのである。倍率は約33倍だった。1610年、ガリレオは、ボローニャに大学教授たちを集めて自作の望遠鏡を披露した。それで山や森を見た大学教授らは、「これはすごい!」と驚き称讃したが、では次にこの望遠鏡で月を見たときの反応は、どうだったか。正しいものを次から選べ。

ア)クレーターのある月の表面を見て、それが月とは信じなかった。

イ)望遠鏡の威力は認めたものの、これを世間に公表することを禁じた。

ウ)感動して、ガリレオにひざまずき、その足にせっぷんした。

エ)「下界においては見事に働くが、天界にあってはわれわれを欺く」と文句をつけた。

☆正解はコメント欄に。

屈葬はなぜ

2007-04-28 12:36:39 | 日本史:旧石器~古墳時代
◆屈葬は、何のために行われたのか。
屈葬はl死者の手足の関節を折り曲げて埋葬することで、縄文時代に盛んに行われた。屈葬が行われた理由として考えられることを下にいくつか挙げた。このうち間違っているのはどれか。

ア)屈葬は、墓穴を掘る労力を節約するという実用的な理由で行われた。

イ)死者を母なる大地に胎児の形で送り返し、再生を期待した。

ウ)死者の霊が浮遊して害を与えることを防ぐため、身体を曲げてひもでしばり、霊を封じ込めようとした。

エ)足を曲げ、手を前で合わせて祈りをささげる形で埋葬された。

☆正解は、コメント欄に。

土偶は何のため

2007-04-28 12:33:11 | 日本史:旧石器~古墳時代
◆土偶は何のために作られたのか
縄文時代晩期の亀ヶ岡遺跡(青森県)からはたくさんの洗練された土器や石製品、漆器などが発見された。また特異な形をした土偶をはじめ、信仰に関係すると思われる道具も多く、縄文人の豊かな精神世界がうかがえる。
では、土偶は何のために作られたと推定されるか。間違いをひとつ選べ。

ア)農作物の豊穣を祈るための女神像。
イ)女性が身近においた愛玩物。現代のぬいぐるみのように親しんだ。
ウ)多くが故意に壊されていることから、一種の呪術の対象。

☆正解はコメント欄に。

中国から取り入れなかったのは?

2007-04-22 23:12:21 | 日本史:時代区分なし
◆日本が、中国から取り入れなかったものとは何か。

日本は中国から多くのことを学んだ。しかし、もちろんすべてを取りいれたわけではない。以下は、中国から取り入れなかったものの代表であるが、ひとつだけ間違いがある。それは、どれか。

ア)科挙、イ)宦官、ウ)一夫多妻、

エ)纏足、オ)紋章、カ)天命思想と易姓革命

☆正解は、明日、コメント欄に入れます。

英・印・中の三角貿易とは

2007-04-01 21:54:24 | 世界史:19世紀の世界
◆イギリス・インド・中国の三角貿易とは?
ギリシアの独立戦争(1773~1783)で財政が苦しくなったイギリスは、自国の保有する銀が不足しはじめた。またそのころから始まった産業革命で資本の蓄積が叫ばれ、銀の国外流出への非難が高まった。
そのころ中国貿易をほとんど独占していたイギリス東インド会社は、中国から茶・絹・陶磁器を輸入して多くの銀を支払っていた。そこで東インド会社は、中国貿易での輸入超過を打開するため、植民地インドの農民にケシを強制的に栽培させてアヘンをつくらせ、これを1781年から中国に輸出しはじめた。ここに三角貿易が成立するが、この貿易で次の項目のうち間違っているのはどれか。

 ア)イギリスの毛織物などをインドへ。
 イ)インドのアヘンを清へ。
 ウ)清の銀などをイギリスへ。

《背景》
プラッシーの戦い(1757年)でイギリスは、インドの搾取を確立し、イギリス東インド会社は、ベンガル地方の支配権を握り、イギリスのインド支配を確実なものにした。ベンガル地方の綿織物に従事していた織工たちは、強制的に東インド会社の商館に登録され、自分の製品を市場価格より50パーセントも低い価格で引き渡すことを義務づけられた。そのため織工たちは奴隷に等しい状況におかれ、多くの織工たちが機織りに不可欠な自分の指を切断することによって、この苦しみから逃れようとしたほどであった。このようなイギリスの搾取はベンガル地方に大飢饉をもたらし、1769年~1770年にはベンガル地方の住民の約三分の一が死亡した。こうした状況を経てケシの栽培も強制されたのである。

☆正解はコメント欄に