散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

3月18日 カルーソーが世界初のレコーディングを行う(1902)

2024-03-18 03:35:09 | 日記
2024年3月18日(月)

> 1902年3月18日、ミラノのホテルの一室を改造したスタジオで、イタリアのテノール歌手、エンリコ・カルーソーが世界で初めて一流音楽家による音楽のレコーディングを行った。この録音はイギリスのグラモフォン音盤会社のために行ったもので、それまでは奇妙なおもちゃでしかなかったレコードの価値を飛躍的に高める効果となった。
 世界ではじめての試みなので、当然ながら録音スタジオもなく、急遽ホテルの一室を改装して使ったというわけだった。伴奏者はレオンカヴァッロで、アリア10曲を収録した。この録音は五月にロンドンで発売され、百万枚に達する爆発的な売れ行きとなる。
 カルーソーはその後も1920年までに200曲以上の録音を残し、声楽録音の大ブームを作った。1921年に48歳で亡くなるまでに、最初のレコードの売り上げだけで200万ドル以上にもなったいう。
 カルーソーは一緒に舞台に立つオペラ歌手が自分の歌を忘れてしまうほどの美声だったが、同時に人間的魅力に溢れた人物だった。請われれば何でも人に与えてしまい、彼が亡くなった時、被扶養者が120人もいたと言う。その声のように明るくおおらかなカルーソーは、まさに神に愛されたテノールだった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.83

Enrico Caruso
標準イタリア語ではエンリーコ・カルーゾ [enˈriːko kaˈruːzo]
1873年2月25日 - 1921年8月2日


 「亡くなった時、被扶養者が120人もいた」という記述から思い出すこと。


 エリオット・ローズウォーターは十万ドルの小切手を降り出す。そして、ローズウォーター郡でエリオットの子だと主張されているすべての子供を認知し、財団の相続権を与えると宣言する。
 「彼らに伝えてください、産めよ、殖えよ、地に満てよ、と」

 カルーソーは後輩歌手たちには禁煙を勧めながら、自身はたいへんなヘビー・スモーカーだったという。36歳の若さで咽頭癌を手術し、48歳の働き盛りで他界する羽目になったのはそのためだろうが、とやかく書くまい、ただ聞き惚れるばかり。

ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」より(1908)
ヴェルディ「リゴレット」より「女心の歌」(1908)
トスティ「夜明けは光から暗闇を分かち」
ヴェルディ「リゴレット」より「あれかこれか」
ビゼー 「真珠採り」より「耳に残るは君の歌声」
ヘンデル 「セルセ」より「オンブラ・マイ・フ」

Ω