散日拾遺

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3月2日 イギリスのフックス隊が南極大陸横断に成功(1958)

2024-03-02 03:12:38 | 日記
2024年3月2日(土)

> 1958年3月2日、イギリスの地質学者ヴィヴィアン・フックス博士を隊長とする南極探検隊は、3473㎞を99日間かけて踏破し、南極大陸の横断に成功した。
 この極地探検は、共同探検隊の形で行われ、ニュージーランドのヒラリー隊とイギリスのフックス隊が、それぞれスコットキャンプとシャクルトンキャンプから南極点を目指して出発した。極点で合流して共にスコットキャンプに戻る予定だったので、ヒラリー隊はフックス隊の食料と燃料も携えていた。そのため、フックス隊の方が荷物の多いヒラリー隊よりも先に極点に到達するはずだった。
 ところが、キャンプの度に氷の厚さの計測や地図の測量をしながら進んだため、フックス隊は予定より3週間近くも遅れ、1月20日にようやく極点に到達する。にわかに天候が悪化し、フックス隊の南極横断はもはや困難に見えたが、「来春やり直してはどうか」という意見に対して、フックスは「では、その費用を出してくれるとでも言うのかね?」と言葉を返し、そのまま横断を強行したという。
 幸い41日後に、一行は無事スコットキャンプに到達することができた。到達と同時に、フックス博士にはエリザベス女王からサーの称号が贈られた。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.67


Sir Vivian Ernest Fuchs FRS
(1908年2月11日 - 1999年11月11日)

 ヴィヴィアン・フックスはドイツ移民の父とイギリス人の母の間に生まれた。Fuchs という姓はドイツ語で「狐」を意味し、英語の fox にあたる。
 ニュージーランド隊を率いたヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary, 1919 - 2008年)がエベレスト初登頂や Three Poles Challenge で知られる根っからの探検家であったのに対して、フックスはどこまでも地質学者だった。南極横断を強行した逸話からは野心的な冒険家の一面が窺われるが、キャンプする度にスケジュールを犠牲にしてでも測量の綿密を期し、分厚い氷の下に大陸の存在を確認したことこそ本領なのだろう。
 Wikipediaの英語版によれば、フックスは1936年に生まれた長男を Hilary と名づけていた。1958年に探検行の相棒となったエドモンド・ヒラリーの姓と一字違いなのは、面白い偶然である。往時の探検仲間でもあった夫人が1990年に亡くなり、翌年かつての助手と83歳で再婚した。1999年に91歳で他界。
 そして気になるのが、埋葬地である。


 ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所(Konzentrationslager Bergen-Belsen)に埋葬されたとある。アンネ・フランクが命を落とした場所である。
 フックスはイギリスのケンブリッジで亡くなった。ドイツは父の故国ではあるが、イギリスで生まれイギリス人として生涯を送ったフックスが、ドイツのしかもこの場所にわざわざ運ばれて埋葬されたのなら、真に不思議なことである。本人の遺志に依る以外に考え難いことであるが、そこに何があったのか。

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