散日拾遺

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3月20日 ヴォルタが電池に関する論文を発表(1800年)

2024-03-20 03:58:43 | 日記
2024年3月20日(水)

> 1800年3月20日、イタリアの物理学者、アレッサンドロ・ヴォルタは、イギリス王立協会に、電池に関する論文を提出した。
 この20年前、同じくイタリアのガルヴァーニが、蛙の足の筋肉が二種類の金属に触れて痙攣することを発見した。ガルヴァーニはこの現象を、蛙の足の筋肉そのものから電気が発生するためだと考えた。ヴォルタも同じ実験を試みたが、 実験を重ねるうちに、蛙の足は電気の検出器に役割をしており、同時に二種類の金属が触れていることが重要だと考えた。そこで彼は、この考えに沿って、より効果の高い装置の開発に取り組んだのだ。
 1799年、ヴォルタは銅と亜鉛の円盤を何枚も積み重ね、その間に湿った布挟んで強い電流が起きる装置を開発した。これは「電堆」と呼ばれ、現在の電池の原型となった。翌年ヴォルタは、この実験成果をまとめ、イギリス王室協会の「哲学会報」に発表したのである。
 それまでの電気は、ライデン瓶に静電気を溜めたものだった。ヴォルタの電池は、電気を一定時間安定して供給できるようにしたため、電気を使った科学実験は飛躍的に進歩し、電磁気学を発展させることになった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.85

  
アレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・アナスタージオ・ヴォルタ伯爵
Il Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta
(1745年2月18日 - 1827年3月5日)
&
ヴォルタの電堆(voltic pile)


 ガルヴァーニの実験は、メアリー・シェリーに『フランケンシュタイン』のヒントを与えたことで既に見た。当時ヨーロッパでどれほど話題になったかよくわかる。
 「ガルヴァーニの甥にあたるジョバンニ・アルディーニが「死体蘇生術」と謳ってヨーロッパ中を周る。1803年1月、ロンドンにて絞首刑となった死刑囚の遺体に通電し実演を行い新聞を賑わせた。」
 何とも悪趣味な話で、遺体に対する畏敬の要請から言っても、よくこんな「実演」が許可されたものだと思う。

 二つの金属は異なる種類でなければならないこと、金属の種類によって効果が違うことにこだわれば、真実が目の前に開けたかも知れない。実際にはガルヴァーニが「動物電気」は筋肉内で発生すると生気論的に考えたのに対し、ヴォルタは二種類の金属が間接的に触れあうことによる物理現象と考え、論争になっている。電堆の発明は電池の嚆矢となったばかりでなく、この論争に終止符を打つものでもあった。

Luigi Galvani
(1737年9月9日 - 1798年12月4日)

 両者の間には論争相手という以上の反目があったらしく、その一因が1796年のイタリア遠征をきっかけとしてヨーロッパを席巻したナポレオンに対する、正反対の姿勢だったという。ヴォルタはナポレオンを崇敬し、ガルヴァーニは嫌い抜いた。ただしガルヴァー二は1798年に他界しているからナポレオンの活躍の本格的な部分を見ていない。もう少し長生きしていたら評価を改めたか、それともいっそう嫌悪したか。
 ヴォルタがナポレオンの他にもう一人尊敬したのが、ベンジャミン・フランクリンだという。凧の実験(1752年)が理由なのかどうか。雷雲に向かって凧を揚げ、ライデン瓶に電気を誘導したという途方もない勇敢さには敬意を表するが、追試した人間が大勢死んでいるというから物騒だ。フランクリンは猛烈に運が良かったらしい。元祖「よい子の皆さんは、決してまねをしないように」である。
 ガルヴァーニとヴォルタの方は、レモンに二種類の金属を刺せば手軽に再現できるとのこと。これなら人が死ぬ気遣いはない…たぶん。

Benjamin Franklin,
1706年1月17日 - 1790年4月17日

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