日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

レバノン料理レストラン「アル・アイン」

2006年01月21日 19時17分36秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)20日 ヤウム・サブティ(土曜日)

毎週金曜・土曜は午後8時半からベリーダンスショーがある。

 昨晩は横浜の関内にある、レバノン料理店アル・アインで夕食。

 客があまり入っていないので(失礼)、シェフのジアードさんといろいろとお話する。気さくな方で、なんとなくマロン派キリスト教徒っぽい雰囲気だったので、直球勝負で尋ねてみたら、やはりそうだった。

 レバノン料理とはいえ、内容的にはケバブやホンモス、ターメイヤなど、アラブで広く食べられている料理が多い。カルカデを飲み、料理を食べているうちに、ベリーダンスショーが始まった。

 徒手のダンスから、ステッキ(いまだに専門用語がわからない)を持ったダンス、剣を持ったダンスと続く。キレがいいねえ。
 そして予想通り、客も参加するコーナーがあり、これまた予想通り引きずり出された(そういう席に座ってしまったため)。楽しかったからいいけど。 

 でも、やはり自分の中の日本人のベリーダンスというと、アマーニが原体験になっていることを再認識。どうもアマーニのダンスを基準に見てしまう。「アマーニはステッキをこう使っていたよなあ」とか。

 ジアードさんは、NHKの『食彩浪漫』という番組に、2月12日(日)〔再放送は2月18日(土)〕に、アルピニストの野口健氏とともに出演されるとのことで、テキスト『食彩浪漫』に載った自分の写真を得意げに見せてくれた。なんだか無邪気でかわいい。

 料理は量が多く旨いけれど、チト高い。店の雰囲気も悪くないし、ベリーダンスショーも楽しい。でも、金曜の夜にしては客が少ない。
 余計なお世話だが、もう少し値段を抑えると、客足も伸びるのではないか。そうすれば私ももう少し頻繁に通う気になるのだが、今の値段ではたまにしかいけないかな?

基本情報→Yahoo! グルメ「アル・アイン アラビアレストラン」
       グルナビ神奈川版「アラビア料理 アル・アイン」 

インドネシア拳法、プンチャック・シラットについて・補足&訂正

2006年01月20日 22時39分45秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)19日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 昨日の記事を読んだ、cizmaさん(シラットの先輩であり、目黒道場の主?)から、シラットについての補足と、事実と異なる部分のご指摘を頂いたので紹介しておきます。

1.シラットの成立について

「マジャハヒト時代が源流だとは思いますが、インドネシアは広いので、その後、各王国(藩主レベル)において独自の発達を遂げたため、流派が多くあるようです。(cizmaさんのご指摘)
 その後も新興流派は生まれ続けたようである。私の属するシンランバ派は1933年の成立と、師匠の著書に書いてあった。

2.シラットの団体について

「インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI)の名が示すとおり、IPSIが運営等に関わるのはインドネシアの国内のみです。世界大会等、国際的なイベントや運営に関しては世界プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)が行っています」(cizmaさんのご指摘)

3.イスラムとの関係

「理念の第一として(pesilatに求められる姿勢) 『人種・宗教において差別をしない』という項目がありますので、プンチャック・シラット=イスラーム教徒の競技というわけではありません」(cizmaさんのご指摘)
 ウチの師匠自身、イスラムと関係あるとは思えない…。昨日、師匠の本から引用した文章も、どうやら師匠が書いたのではなさそうである。シンランバ派の重鎮のイスラム教徒の方が書いたのだろう。


 そしてイベント情報も頂いた。2月4日にはシラットの実演があるので、関心のある方は是非足を運んでみてください。
 私はその日、劇団四季の「キャッツ」を見に行く予定を入ってしまっているので行けないのが残念。

MIFA 国際交流フェスティバル


日時: 2006年2月4日(土) 11:00-18:00、5日(日) 10:00-17:00
場所: めぐろパーシモンホール 小ホールほか
      (目黒区八雲1-1-1 東急東横線 都立大駅より徒歩7分)


日本人と外国人が互いの文化を理解し合い交流することを目的とした国際交流フェスティバルを平成18年2月4日(土)、5日(日)に開催します。
日本人、外国人が一緒に歌ったり、踊ったり、話し合ったりする体験型、交流型のイベントです。
国籍、年齢を問わず、誰でも参加できます。

詳しくはこちら→MIFA 国際交流フェスティバル

 いろいろとご指摘及び情報をありがとうございました。cizmaさんに改めてお礼を申し上げます。

インドネシア拳法、プンチャック・シラットについて

2006年01月19日 06時27分43秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)18日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 ブログ上でcizmaさんと知り合ったことをきっかけに、昨年末からインドネシア拳法、プンチャック・シラット(以下「シラット」と略)の道に足を踏み入れた。
 日本ではなじみが少ない、このシラットについて簡単に説明。我が師匠の著書及び、cizmaさんのブログ、目黒道場のスシロ先生からうかがったお話などを参考にさせていただいた。

 インドネシアにはかつて、ヒンドゥー教のマジャパヒト王国(1293-1527?)が栄えた。この王国時代に創造された、ジャングルでの戦闘術がシラットの原型となっているようである。
 ただし、マジャパヒト王国が国家事業として作り上げたというわけではなさそうである。各種の中国拳法がマジャパヒト王国に伝わり、それをアレンジした多くの流派が生まれたようだ。流派の数は時代とともに増え、現在ではその数は800以上とも言われている。

 現在では、インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI)が組織され、各流派の技術保護に取り組むとともに、共通の型の制定、試合ルールの整備をおこない、大会を開催するに至っている。
 シラットの協会のある国は世界で31カ国、日本では日本プンチャック・シラット(JAPSA)がある。
 私の師匠(見るからにただ者ではない風貌をしている)は、シンランバ派、目黒道場の先生は、プリサイ・ディリ派とメルパティ・プティ派だが、その違いは私自身、今のところはっきりとはわからない。
より詳しくはこちら→プンチャック・シラット(武道)

 さて、イスラムとの関係だが、師匠の著書にはこう書いてある。

 この武術を学ぶ者は、基本的にイスラムの教典を読んでからはじめることになっています。故バジオド氏がこの流派を編み出した人物です。彼は主に気の力によってこの流派を確立しました。(中略)

 アフマッド氏は1955年よりシンランバ派の長として、この流派の継承に努力しております。彼(アフマッド氏)は、現在も若い人々を中心に多くの人々にこの流派を継承しています。その中で、アフマッド氏は武術面・精神面と同様イスラムの重要性を説いています。
 注目すべきことは、シラット(シンランバ派)はアラーの教えにもとずいているということです。(中略)

ですから、全てのシンランバ派のグループの中には必ずイスラム教徒がおります。
毎週、金曜日の夜はお祈りを捧げねばなりません

 日本ではイスラム教徒でシラットをやっているのは、私が知る限り、cizmaさんと私だけのようだ。

イスラム圏もいろいろ事件が多いですね

2006年01月18日 23時56分30秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)17日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)

 年末のカンボジア旅行前に更新したきりのブログ「イスラム関係ニュースの倉庫」をようやく1月2日分まで更新。
 なんとも暗いニュースが多くて気が滅入る。

 毎日、イラクのテロの報道が出ない日はないくらいだし、インドネシアもテロや鳥インフルエンザで大変そう。パキスタンも地震被害者の越冬をどうサポートするか行き詰まり気味だし、パレスチナ情勢もイスラエルとの関係以上にパレスチナ人同士のゴタゴタが目立ってきた。シリアとレバノンもどうなるのか?

 でも、逆の見方をすれば、これだけニュースが多いというのは、イスラム圏への関心も高まってきたということかもしれないね。
 さて、またひと仕事するか。

女性のパワーはすごいね

2006年01月17日 22時21分04秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)16日 ヤウム・スラーサーィ(火曜日)

 本日、仕事帰りにパソコン教室に入会してきた。
 

 昨年、ホームページ作成用にいくつかのソフトを購入したが、それらが手に負えなくなってきたので、教室へ通う決心をしたのである。


私 :ドリームウィーバーとフラッシュとイラストレーターとフォトショップをいっぺんに学べる講座ってないですか?


相手:転職を考えられているんですか?


私 :え? なぜですか?


相手:Webのプロを目指す人でもなければ、普通そのようなソフトは使いません。どのような目的なのですか?


私 :趣味のページを作ろうかと思っています。ですから、プロ養成のようなコースではなく、アマチュアレベルで使えればいいんですけど。


相手:ですから、アマチュアレベルでそんなソフトを使う方はいないので、当スクールでもプロコースしかありません。


私 :じゃあ、それでいいです。プロに近いくらいの技術は身につきますかね?


相手:プロに近いのではなく、プロを養成するコースです。


 どうも話がかみ合わなかったが(原因は私と思われる)、とにかく入会した。


 それにしても、生徒はあまりいないが半分くらいは女性だ。何か習おうとすると、女性の方が多いということがよくある。


 アラビア書道は25人中21人が女性だし、以前通っていたエジプト大使館のアラビア語教室も約10名のうち男は2人だけだった。語学系はとくに女性の割合が多い。
 プンチャック・シラット(インドネシア拳法)の道場も半分くらい女性だ。

 
 こういう女性たちを見て、「道楽にばかり金を使っている」などと苦々しく言うお父さん方もいるようだが、そうではなく実は女性の方が向上心が高いのではないか?


 少なくとも、飲み屋で金と時間を費やしてばかりいるよりはよほども建設的な行動と言えるだろう。我々男性も頑張らないといけないね。
 さて、半年後私はプロ並みの技術を身につけているのだろうか? 今から心配だ。

象に乗ってアンコール・トムへ行こう!

2006年01月16日 23時55分46秒 | カンボジア・アセアセ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)15日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)

あんまり近づくと象キックや、尻尾ムチが飛んでくる可能性もある。

 カンボジアに着いた翌日から観光はスタートした。



 カンボジアは似たような遺跡が多く、遺跡を巡れば巡るほど、混乱の度合いが増大する。おそらく、カンボジアで撮った写真を整理しようとして「ええと、これはどこだっけ?」と大パニックになっている人も多いと思われる。
 その第1弾がアンコール・トムだった。簡単にアンコール・トムについて解説。


建立年代:12世紀後半(一部の建築物除く)
当時の王:ジャヤバルマン7世
何なの?:クメール王朝最大の都。周囲12キロ。中にいろいろな建物が残る。アンコール・トムは「大きい都」という意味。






 このアンコール・トムへ、象に乗って入城する。参加したツアーの「売り」のひとつである。
 象乗りは人気があるわりに、象が10頭くらいしかいないため、一ヶ月以上前から予約が必要らしい。


 以前、タイのメンホーソンで象に乗ってジャングルをトレッキングしたときには、突然象が密林めがけて暴走を始め、驚いたことがある。あのときに比べると大変おとなしそうな象なのでホッとした。


 アンコール・トムへは南大門から入る。韓国のソウルにも南大門(ナムデモン)があるが、とにかく「南の方の大きい門」は普遍的に南大門なのだとも言える。


 南大門に向かってかかる橋の欄干には、「乳海攪拌」というカンボジアの伝説の場面が再現されている(異説もある)。 
 この伝説では、神の軍と阿修羅軍が綱引きをしたことになっているので、橋の欄干はもう「神様てんこもり」状態で、イスラム的に見たら、けしからんことこの上ない橋である。
 しかしそんなことを言ったら、エジプトだって古代の神様てんこもりの国ではないかということになり、要するに、そんなことに目くじらを立てる必要は無いのだ(別に誰も立てていないけど)。
 「乳海攪拌」については、これからも出てくるので、詳しい解説は後日に譲る。


 南大門の入り口は非常に狭く、小型バスがなんとか通れるくらい。そこを象に乗ってのしのし進んでいくのはなかなか爽快であった。なにしろ象の背中は結構高く、バスが見下ろせてしまうくらいだ。
 約10分ほど象に揺られたところで、最初の見学場所バイヨンに到着した。
 象使いの背中に1ドル札を入れ、象から降り、「じゃあな」と手を振る。象無反応。ここはちょっとだけでも「パオー」とか吠えて欲しかったが、現実の象は結構ドライなのであった。 

南大門をくぐり、内側から見る。アンコール・トム敷地内をさらに進む。
象使いの背中には、ちゃっかりチップ袋。上から見た象のオケツ。

笑えないエスニック・ジョーク

2006年01月15日 23時35分10秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)14日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)

 息抜きに『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆、中公新書ラクレ)を読んだ。その中に出てきたジョークをひとつ引用。


●何したい?
 学びたいのならロンドンへ行け。
 食べたいのならパリへ行け。
 着たいのならミラノへ行け。
 聴きたいのならウィーンへ行け。
 踊りたいのならリオデジャネイロへ行け。
 稼ぎたいのなら東京へ行け。
 死にたいのならバグダッドへ行け。


 3人組が拉致されたり、青年が殺されたりして、「自己責任」が議論されるこの国で、このジョークは笑えない。
 しかし、ジョークとはいくばくかの真実を含むものでもある。
 世界には、このジョークが「流通」している地域もあるということを、日本人は忘れてはならないだろう。

長い時を経て…運命…イスラムに出会わなくてはならなかった理由…etc.

2006年01月14日 11時35分18秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)13日 ヤウム・サブティ(土曜日)

 先週日曜日の同窓会で、中学校時代に別れた彼女と再会した。中三の初めにつきあったものの、ちょっとしたすれ違いから自然と疎遠になり、会う機会も話す機会もないまま○○年間が過ぎた。


 思い切って同窓会で話してみたら、向こうもずっと気になっていたようで、長年の誤解が解け、わだかまりが解消した。
 その彼女もいまや二児の母。大変な時期もあったようだが、今は幸せに暮らしている。安心した。


***********
 
 『こころの処方箋』(河合隼雄著、新潮文庫)の中に、「同じ『運命』でも演奏次第で値段が違う」という項目がある。ちょっとだけ引用。


 運命があるかないか、などと議論してもはじまらない。そんなことはわかるはずがない。要はどちらの考え方をとるかということで、筆者は、運命はある、と考えるのが好きな方であるが、われわれの人生は、そのような「楽譜」を与えられるにしろ、演奏の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる、と思っている。


 イスラムでは歴史的にたびたび「人間の行為は、人間の自由意志によるものなのか、あるいはすべて神に定められた運命で自由意志の入る余地はないのか」が議論されてきた。
 六信の中に「天命」があるように、基本的には運命論なのだが、それでも「運命と自由意志の折り合いをどうつけるか?」という試みは近代になっても繰り返されてきた。(この議論自体が一神教の「運命」だと思う)
 河合氏の書いていることは、イスラムの運命論についてのひとつの見解になっているようで興味深い。私は河合氏の考え方が好きである。


 子供の頃、21世紀の自分が中年になっていることを思い絶望的な気持ちになったことがある。うっすらと「21世紀はもう自分たちの時代ではないんだなあ」などと憂鬱になるような生意気なガキだった。
 今、21世紀を迎えて、忙しくも充実した日々を送っている。生意気なガキだった頃には想像もできなかった自分がここにいる。


 運命はあると信じているが、だからといってこれから何が自分の身に起こるかわかるわけではない。


 それなら、たまには過去を検証し、今この一瞬をどう「演奏」するかにエネルギーを注いだ方がいい。


 元彼女との再会はその機会を与えてくれた。中学卒業後のお互いの人生を語っているうちに、自分の歩んできた道のりを振り返ることができた。


 そして----振り返っているうちに「なぜ自分がイスラムに出会わなくてはならなかったか?」がはっきりとしてきた。
 神の導きには違いない。しかし、なぜイスラムなのか? なぜあの時期の入信だったのか? 今、自分の中にその答えはある。だけど、それを書くことはできない。結構「重い」ので、今はまだ人前にさらす気にはなれない。
 

 今はただ、運命をどう演奏するかについてだけ心を砕いて生きていきたいと思う。
※私を直接知っている皆さんへ。元彼女との再会については、怪しげな発展は一切ありませんので、誤解無きようお願いします m(_ _)m


 今回の記事の書き方、はでぃじゃねーさんのブログの書き方に似ているような気がする…

52万分の2のプレッシャー

2006年01月13日 18時22分19秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)12日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

 このブログを読んで頂いている奇特なみなさま、おひさしぶりです。5月にgooのブログを開設して以来の空白期間ができてしまいました。理由はいろいろですな。


【理由その1】
 右目を痛めて、PCを長時間使うことができなかった。単なる飛蚊症(めんどくさいので説明は省略)だった。肩こりもひどいけど。


【理由その2】
 PCを長時間使えないといいつつ、PCを使った仕事の締め切りが迫っていた。ちなみにまだ終わっていない。目途がたったからいいや、もう。


【理由その3】
 卒業以来相当長い年月(具体的には秘密)を経て、中学校の同窓会に出た。話すことがつきず延々14時間に及んだが、それでも話したりず、3月に少人数でまた会うことに。
 14時間、アルコールを一滴も飲まずに盛り上がっていたら、「お前、飲んでいないのによくそんなに盛り上がれるなぁ」と感心されてしまった。
 ブログの空白期間と関係なさそうだけど、ものごとには「溜め」ということも必要だと思った。
 毎日更新もいいけど、やはりアウトプットばかりだと自分が枯渇してしまいそう。たまには休みも必要だね。
 


【理由その4】
 これが結構大きいのだけど、知らないうちに、このブログが検索エンジンの上位に来てしまったというプレッシャー。
 yahoo!で「日本人イスラム教徒」で検索すると、約52万件のうち、2番目に出てしまう。
 これでは、「日本人のイスラム教徒ってどんななんだろう?」という疑問を持って検索した人に対する、日本人イスラム教徒の第一印象が私になってしまうかもしれない。これはマズイだろう、やはり。
 実際、メールなどでイスラムに関する問い合わせは多い。本日でちょうど入信丸2年だが、まだまだ中途半端なことこの上ないのに。
 それにしても、上位に非常に気になる検索結果が出てくる。無視するのがPCの「常識」だとは思うけど、皆さんどう思います? (気になる人は実際検索してみてください)

 他に、yahoo!で「イスラム」をキーワードにした場合、534万件中53番目。「クルアーン」をキーワードにした場合、6万4000件中24番目。

 
 googleの場合、「日本人イスラム教徒」というキーワードで1番目、「イスラム」では261万件中100位にも入っていない。うむ、yahoo!よりgoogleの方が信頼性高そうだぞ。


 というわけで、あまり馬鹿なことは書けないないなあと思いながらも、今後も暴走・迷走するかもしれません。
 寛大な気持ちで見て頂ければ、らっきーです。

カンボジア旅行記のカテゴリー名の由来など

2006年01月07日 21時35分19秒 | カンボジア・アセアセ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・ヒッジャ(12月)5日 ヤウム・サブティ(土曜日)

夕刻にシェムリアップの空港に到着。

 世間では3連休らしいが、今日も家で仕事の原稿をせっせと作り、明日は午前中出勤。午後は休みをもらって中学校の同窓会。
 巡礼月だが、こんな状況が何年も続く限りメッカ巡礼は難しい。ありがたいことにファーティマさんよりイード・ル=アドハー(犠牲祭)の代行手配のメールを頂いたので、そちらだけでもきちんとやろう。


 さて、仕事の原稿はあまり進まないが煮詰まっていても仕方ない。気分転換でカンボジア旅行記を書き始めることにしよう。


 1月3日の日記に、今回のキーワードは「スリリング」と書いた。でも時間が経ってみると「アセ」の方がキーワードとしてよりふさわしい気がしてきた。


 非常に暑くて「汗(アセ)」書いたし、手に汗握るスリリングなこともあったし、「焦(アセ)る」こともあった。それにカンボジアは「ASEAN(アセアン。東南アジア諸国連合)」の加盟国だしね。やはり記憶が褪せ(アセ)ないうちに紀行文を書かなきゃ。


 ということでタイトルは「カンボジア・アセアセ紀行」に決定。ベタだねえ。


 カンボジアは仏教国なので、イスラムとは関係はほとんど無いけど、イスラム教徒の仏教国旅行記ということで良しとしよう。それにビミョーにイスラムにかすることもあったし。


 アセアセの始まりは旅行前々日から始まっていた。年賀状を印刷しようと思ったらプリンターのインクが無く、店に行ったらインクが品切れなのでプリンターを購入。大焦りで年賀状印刷。
 翌日は大掃除と旅行準備で大焦り。そのまま日付が変わり、あまり睡眠をとらないまま始発列車で成田へ向かう。

 空港に着くと出国ラッシュで朝から大混雑。焦ってカウンターへ向かい、搭乗手続きをし出国。搭乗寸前にいきなり腕時計故障。焦って免税店で安物の腕時計を購入し、ベトナム航空の飛行機に滑り込み離陸。


 約6時間後にベトナムのホー・チ・ミンに到着。乗り換えの時間があまり無いので、ダッシュでトランジットカウンターへ。日本以上の大混雑。いやあ焦ったわ。


 そして現地時間の午後5時半頃(日本時間午後7時半)にようやくシェムリアップの空港に着いた。予定通りなことに驚き、予想以上の日本人だらけぶりに驚いた。なぜ日本でおとなしく年越しをしないのか? …と、自分のことを棚に上げてあきれたのだった。

送迎車の窓から撮ったシェムリアップの夕焼け。ぶれぶれの写真。