伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

相手の奥にも

2009-03-23 11:21:05 | Weblog

私は人と話をしたり、街で人物を眺める場合、相手の内在神
を観ています。 仕事で嫌味の強い人物と会っても、その人
の内在神と会っているつもりで話をします。
嫌な事を平気で他人に言える人にも、生んだ親が居られ、
さらに内在神を抱えて居られる。その様に思うと冷静に相手
と話が出来ます。 他人を傷付ける事が平気で出来る目の前
の人は、その人の迷いの姿であり、その人にも内在神は
立派に居られます。
逆に言えば、自分も内在神を抱えて生きる人間だから、他人
の言葉ぐらいでは、自身(自神)を傷つけられる訳がないと思
うべきです。 もし、自分が他人の言葉で傷ついたならば、
それは「自分の迷いの心」が傷付いただけだと思えば良いの
です。迷いの心とは、不安定で時間経過と共に必ず変化し消
えていくものです。 時間と共に消滅する一時的な感情で、
心=内在神まで傷付けては生けません。
ましてや、自殺するなんて絶対に大後悔をします。

「自分の迷いの心」は、悲しみ・恨む・後悔する・・・などに
反応し影響を受けたり、逆に産み出したりします。
「本当の心=内在神」は、喜び・愛情・慈悲心・・・などに反応
します。
内在神は、迷いの周波数には同調できないので、本来は影響
を受けないのですが、迷いの心が余りにも強いと、内在神は
心の奥に隠れてしまいます。
TVニュースで強盗殺人犯の顔の映像を見ますと、生きる限り
は誰もが内在神を宿しているのですが、殺人犯の場合は奥に
隠れている為に非常に観え難いです。
やはり、他人を金銭欲の為に殺すという一線を越えた人物は
特殊な様です。
逆に、街中でも内在神が顔に浮き出ている人を見かけますと
思わず手を合わせたく成ります。

内在神を預かって自分が生きている事を意識して、この不自由
な世界を歩いて行くべきです。
そうすると、自然と神様と共にいる生き方(=かんながら)の
視点での選択をしながら歩き始めます。
この歩みが辿る世界は、喜び・愛情・慈悲心を見る世界を歩き
始めます。 正しい意味での自己満足な世界です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (323)
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