伊勢神宮では、式年遷宮(しきねんせんぐう)と呼ぶ20年ごと
に同じ形の社殿を交互に新しく造り替える行事が重要視され
ています。この時に神様の御装束(着物)や神宝も20年ごと
に新しくされます。
なぜ20(フ ト)年ごとなのかが、古来より問題とされて来まし
た。色々な説が有りますが、とにかく決められて現実界で
実行されているので、これが神意だと受け入れて、ありの
ままを直視して考えるのが良いです。
神道の基本は太陽崇拝であり、太陽の動きや性質を反映さ
せた形象や内容が神事の基本にあります。
伊勢神宮の社殿が、例えば右側の遷宮地面に新しく建てら
れたとします。
1.右側の新社殿(=太陽が朝日となり生まれた)
2.20年後に取り壊される(=太陽が夕日となり沈む)
3.左側に新社殿が建つ
(=違う世界、つまり異国に太陽が生まれている。)
4.20年後に左側社殿が壊されて、右側に新社殿が建つ
(=太陽が朝日となり、元の国に生まれる)
つまり、遷宮を2回する40年間が、現実界での太陽軌道の
24時間に相当すると感じます。
太陽=神界の1日は、現実界の40年間に相当するとも言え
ます。 もし人間が浦島太郎の様に、神界に2日間住んで
帰還しますと、老人に変化してしまいますね、笑。
現在、社殿が建つ遷宮地は、現実界と肉体(建物)を象徴
し、空き遷宮地面は、神界と霊体(見えない)とも表現できま
す。
さて、この意味深な遷宮行事を決めたのは天武天皇です。
これは興味深い人物です。
皇位継承をめぐり 壬申の乱を起こし、内乱戦闘の末に長兄の
皇子を打ち倒して、弟皇子が天武天皇に成りました。
この天武以前から皇室に続く因縁は、後に桓武天皇が弟を
致死させる因縁など、家系に転写されて行きます。
この天武天皇の背景を霊視しますと、出て来るのは中国大陸
からの道教の影響です。
天武天皇が皇子だった若い頃、皇室を離れて奈良県の吉野
地方へ出家し、修験道や伊勢・熊野地方の神事にも触れて
います。そして前の天皇が朝鮮出兵に力を入れていた関係
で、道教を習熟した外国人との交流が強かったのです。
この道教、修験道を修めた人物である天武天皇が伊勢神宮
の遷宮を決めたのです。
皇室の倭姫命が、天照太御神八段目に感応して伊勢に来ら
れ、伊勢神宮内宮を起こされたのは、ほんの2千年ほど前の
事です。
元々は霊峰白山から神が宿る石柱が伊勢に来て、現在の
・伊勢神宮外宮(根源の息吹を宿す石柱)
・伊雑宮(太陽神である天照太御神十段目が宿る石柱)
の場所において地域住民による土着的な石柱への信仰が、
倭姫命が来られる可也以前から存在していたのです。
その名残りは、白石を本殿周辺に敷き詰める行事に僅かに
残っています。
倭姫命が伊勢に来られたのは、八段目の太陽神が母親
(十段目)に引き寄せられたのです。
全ては、国魂(くにたま、天照太御神と国常立太神が習合した
存在)が日本の大地に鎮まっており、色々な家系や人物を
導き、国を治めるのです。
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