一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

文語文についての「おさらい」

2007-04-20 05:16:58 | Essay
最近、「文語文の文章を復活させ、メールやネットで広めようと活動している人たち」がいるそうです。
ご趣味のことですので、端からとやく言うこともありませんが、どうも、具体的な趣向としては、方向が違っているような気もしないではない。
というのは、資料として載っている文章が、あまりにも格調が低い。どこかに誤解がありやしませんか、と思えてなりません。

新聞記事によりますと、以下のようなものが、公表されているようです。
「風邪を引いて熱が出てしまいました。もし下がらなかった、明日は休ませてもらいます」
という口語文が、
「風邪引き、熱出でにし候。若し下がること無く候はば、明日は暇を頂きたく候」
となるというのですが……。

これでは、単に現代口語文の文法を、文語のそれに変えただけに過ぎません。
というのは、文語文(特に漢文脈)の文語文には、現代口語とは異なる「用語」が必要になると思われるからです。
それは、明治時代の小学生が作文の例として与えられた、
「一瓢を携え墨堤に遊ぶ」
という文を見ただけでも分るでしょう。
現代口語文で言えば、「隅田川に遊びに(花見に)行ったよ」とでもなるところを、このように表現するのが、正統派の文語文と言えます。

そこで、若干、明治以降の文語文(漢文脈)について、おさらいを(都合により、軍事分野に限定します)。

まずは、軍事分野では、公用文ないしは報告文として、広く使われていました。
有名な例では、「日本海海戦」時に、東郷聯合艦隊司令長官が大本営に宛てた電文。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレド波高シ。」
「本日~」は、秋山真之が追加した文との説がありますが、いかにもありそうな話です。
というのは、電文しかも公式の報告という特殊性を考えた場合、「簡潔に」かつ「必要な事項のみを」文章にする必要があるからです。
これが、文語文の持つ、一つの特徴ともなっています。

また、「簡潔に」「必要な事項」を伝える、という特徴は、「叙事性」にもつながってきます。
「コレヨリ敵地ニ入ル 右ニ九州 左ニ四国 シカモ制海制空権ヲ占メラル」
「死ハスデニ間近シ 遮ルモノナシ 死ニ面接セヨ 死コソ真実ニ堪ウルモノ コノ時ヲ逸シテ 己ガ半生 二十二年ノ生涯ヲ総決算スベキ折ナシ」
「徳之島ノ北西洋上、〈大和〉轟沈シテ巨体四裂ス今ナオ埋没スル三千の骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」(吉田満『戦艦大和ノ最期』)
著者は、
「死生の体験と重みと余情は日常語には乗り難い」
「戦争をその只中で描こうとすれば、“戦い”のもつリズムがこの文体の格調を要求する」
と述べていますが、これは「叙事性」ということに他ならないでしょう。

しかし、文語文には、「必要な事項」という要素が拡大解釈され、次のような「こけ脅し」の文章を生む危険性があることも事実です。
「夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威(みいづ)の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず。」 (『戦陣訓』序)
「皇軍の神髄」「御稜威の尊厳」「皇国の使命」など、書いたご当人にとっては、「必要な事項」を「簡潔に」述べているつもりでしょう。しかし、実際には、内容不明な独りよがりの用語にしか過ぎません。
このように、文語文は、内容不明なことを、さも大事なことのように「見せかける」こともできる文章でもあるのです。

ここまでは、軽いおさらい。
それでは、現代に文語文を趣味として生かすには、どうすればよいか。
それを次の課題にしたいと思います(特に、樋口一葉系の和文脈文語文について)。

吉田満
『戦艦大和ノ最期』
講談社文芸文庫
定価:987円 (税込)
ISBN978-4061962873

最新の画像もっと見る