今から一千年もの昔、この日本で、女性によって生まれた物語。多くの人々の手で書き…
本が好き より レビュアー: 千世
書籍名: 源氏物語 01 桐壺
著者名:紫式部
今から一千年もの昔、この日本で、女性によって生まれた物語。多くの人々の手で書き写されながら今日まで、国境を越えて親しまれ、これからもまた読み継がれていくであろう物語。それは何と面白い物語であることか。
『源氏物語』。今から一千年もの昔、この日本で、女性によって書かれた長い物語は、今も多くの人々を魅了して読み継がれ、世界各国に広められています。それはなぜか。「面白いから」という答え以上に適切な言葉がみつかりません。
その『源氏物語』を、 「『源氏物語』をみんなで読んでみよう!」というコミュニティ企画のおかげで、一年という時間をかけて原文で読み通すという体験をすることができました。そのコミュニティの底本となった与謝野晶子訳の『源氏物語』を書影にして、私が『源氏物語(一)~(八)新潮日本古典集成』を通して読んだ感想を記したいと思います。
新潮日本古典集成は、原文で読みながらも解釈しづらい言葉の横には現代語訳が添えられている上、頭注による説明もわかりやすく、図録や系図も豊富で情景がイメージしやすく、古典を原文で読みたいと考えている方にはお勧めのシリーズです。
『源氏物語』の特徴として私がまず感じたのは、文体のきらびやかさです。和歌に限らず、地の文でも古歌や漢文からの引用がふんだんで、言葉が見事に飾り立てられています。作者が古の文学にどれほど精通している人だったかがそれだけでわかり、当時の読者もそれが理解できるか否かで、教養の高さをはかり知ることができたのでしょう。
そして主人公は光源氏という、光り輝くまでの美しさを持つ非常に優れた貴公子。文体にふさわしくきらきらとした華やかな男です。そしてその男の周りでは、男が愛した様々なタイプの女性が活躍します。
全54帖から成る『源氏物語』は、大きく3つのパートに分けられます。この構成については専門家の間で諸説あるようですが、これはあくまで私個人の感想です。
第一部は「1.桐壺」から「33.藤裏葉」。光源氏の誕生から、准太上天皇として栄華を極めるまでの物語です。ここまでの物語に関しては、作者は始まりから綿密なプロットを立てていたと想像します。継母である藤壺の宮との密会による不義の子の誕生、幼い紫の上を拉致して妻とするまで、正妻葵の上と愛人六条の御息所との確執、須磨明石での不遇の日々と、都へ返り咲いてからついに栄華を極めるまでの年月。
ひとりの優れた男が不遇な時期を経て成功するまでの、物語の王道とも言えるストーリーですが、私の心をひきつけたのは、彼を取り巻く女たちの多彩さでした。源氏は確かに魅力的な男です。美しく賢いだけではない、男女問わず人を惹きつけるやさしさもあります。しかしそれらの魅力には全て、権力を持つ男の強引さと身勝手さもつきまといます。読者として、女として、そんな源氏には魅力以上の反発を覚えます。
それに翻弄されながらも、男の庇護を受けなければ生きることすらかなわない女たち。それは身分ある姫君でも受領の娘でも同じ。彼女たちを見捨てることなく守り抜くのは源氏のやさしさかもしれませんが、それを全て受け入れ、女たちの頂点に立ち続けた紫の上の度量の大きさこそほめてしかるべきでしょう。作者は、紫の上のそのような素晴らしさを特別に語るようなことはしません。作者がほめるのは常に源氏のことだけ。しかし私はそこに、作者の皮肉を感じました。作者が本当に描きたいのは、そんな素晴らしくも身勝手な男である源氏に翻弄される女たちの姿なのだと。紫の上という女性の偉大さなのだと。
またこの第一部では、源氏と女たちの逢瀬のシーンも見どころで、臨場感ある描写に私のような年配の女でも何だかどきどきさせられます。見ることすらかなわない最愛の女性である藤壺の宮を、屏風のはざまから垣間見て涙する源氏。兄の妻となる朧月夜の尚侍が、震え怖がるのを強引につかまえ「人を呼んだところで何ということもない」と迫る源氏。そして様々な女たちに、暗闇の中ひっそりと近づく源氏。女たちが察するのは音、匂い、そして気配。
第二部は「34.若菜」から「41.雲隠」。栄華を極めた源氏についに鉄槌が下される物語。罪を犯した源氏に、作者は罰を与えました。この構成を作者が最初から考えていたのかどうかはわかりません。第一部で物語はいかにも終わったかに見えるからです。しかし栄華を極めれば、次は落ちるというのも物語の王道で、この物語があるからこそ『源氏物語』はより面白くなったと言えるでしょう。
因果応報。正妻である女三の宮が柏木との子を身ごもったと知った源氏が、父の桐壺帝も自分と藤壺の宮の罪を知っていたのだと気づくシーンは、『源氏物語』全体におけるクライマックスだと思います。罪を恐れた柏木は死に、源氏は女三の宮が生んだ薫を「わが子」として抱きます。その思いはどれほど複雑だったことでしょう。
しかし、作者が源氏に与えた罰はそれだけではありません。最大の罰はおそらく紫の上の死。作者は若い紫の上を源氏より先に死なせ、源氏からその最期を最も愛する女性に看取ってもらうという幸せを奪いました。紫の上の死について、作者は筆を尽くしてたっぷりと描き、彼女をして「女ほど憐れなものはない」と言わせます。その後の源氏の余生は、ただ悲嘆にくれるだけの寂しい老年の日々。そして、巻名だけで本文はないという素晴らしい演出によって源氏の死を読者に悟らせ、物語はついに終わりを迎えます。
第三部が「42.匂兵部卿」から「54.夢浮橋」。源氏の死後、源氏の子や孫のその後を描き、柏木と女三の宮の子である薫を主人公とした「宇治十帖」に突入します。寂しい田舎の宇治を舞台に、不遇な境遇にある3人の姫をヒロインとし、都の華やかさとは全く異なる雰囲気の悲恋物語が展開します。
この第三部については、作者の当初の構想にはなく、物語が終わって寂しさを募らせる読者の期待に応えるように、筆の進むまま書いてみたという印象を受けます。明確なプロットがなく、作者が書きながら登場人物たちの行動を考えているためか、彼らがなぜそう動いたのかという心情がたっぷりと描かれ、物語の展開の仕方が自然で見事だと感じました。
自らの出自のなせるわざか、女に手を出すのが遅すぎる薫と、源氏以上に女に手が早い孫の匂宮。どちらに愛されても幸せにはなれない女たちを描き、物語はぷっつりと、この先は読者が自分で考えてと言うかのように、突然終わります。当時の読者もこの終わり方にはかなりの飢餓感を覚えただろうと想像しますが、作者がこれで終わらせたからには続きは必要ありません。これが紫式部の『源氏物語』の全てです。
改めて特筆すべきは、これが書かれたのが一千年もの昔だということです。印刷技術などはもちろんなく、読み書きのできる人さえほとんどなく、紙もまた非常に貴重だった時代。そんな時代にこの長い物語は書かれ、人の手によって次々と書き写されることで多くの人に読まれ、時を超え、国境を越えて親しまれてきました。今もまた新しい現代語訳が生まれていること、英語版の翻訳が逆輸入されていることなども考えると、今後もさらに読み継がれていくことは間違いないでしょう。そんな物語が日本で、それも女性の手によって生まれたことがうれしく、誇らしくさえ思えます。