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なぜ日本は「長寿企業」が世界一多いのか… 2024/05

2024-05-17 23:12:49 | 📚 豆知識・雑学

なぜ日本は「長寿企業」が世界一多いのか…日本経済復活のカギは「ブッダの教えにある」と考える理由
 プレジデントOnline より 240517  大愚 元勝


 日本には、創業200年以上の長寿企業が5500社以上ある。
福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「日本人が自分も顧客も、社会の豊かさをも願う働き方をしてきたおかげで、急激な社会変化に耐えることができた。
 しかしここ数十年で、長寿企業が守り継いできた強みが失われつつある」という――。

⚫︎日本人がジリ貧になる「円弱」の危機
「34年ぶり円安で後進国に転落か…「円弱」ニッポン“国力低下”の現実」( TBS NEWS DIG、4月25日)
スマホでYouTubeを開くと、キャッチーな見出しが目に飛び込んできた。

これはまさに今の日本の現実を表している。

今や円は対ドルに限らず弱い。世界最弱の通貨に成り下がってしまった。

 ちょうどこの記事を書き出した矢先のこと、1ドルが155円を突破したかと思ったら、一気に160円まで円安が進んだ。
 その後は為替介入があったのか、151円台まで円高に振れたが、すぐにまた156円台に戻した(5月14日時点)。

ちょうど1年前。私は5月にアメリカ、6月にイギリスへ出かけた。
 アメリカで食べたハンバーガー1個とジュース1本が24ドルだった。当時のレートで日本円にして3400円。
 イギリスで借りたレンタカーのガソリン代は1リッター1.45ポンド。当時は1ポンド182円ほどだったので日本円に換算すると260円ほど。それが今や、1ポンド200円に迫ろうとしている。

 帰国後、地域の集まりでその話をした時、「俺は経済のことなど小難しい話はよく分からん」などとぼやいた人がいた。しかし「経済のことなどよく分からん」人であっても、もう誰もが物価の上昇を通じて「円弱」の危機を体感しているはずだ。

⚫︎日本経済が復興する見込みは十分ある
 新型コロナウイルスの世界的パンデミックがようやく収束したかと思いきや、ウクライナvsロシアの戦争、物価の上昇、止まらぬ円安。この5月からは電気料金、ガス料金もさらに値上げが予定されている。

 ブッダは、この世のありとあらゆる事象は全て密接に関係しており、その関係の上に存在が成り立っていると説いた。この状態を「縁起(えんぎ)」と呼ぶが、まさに世界は密接に繋がっており、経済状況や社会的な出来事は、たとえそれが距離を隔てた外国に起きたことであっても、それらの影響は私たちの生活や仕事に深刻な影響を与えている。

 サービスも、食品も、エネルギーも外国に依存し、モノづくりも国外に出してしまった日本はこれから一体どうなってしまうのだろうか。果たして日本経済に復興の見込みはあるのだろうか。
 私は大いにあると考えている。そう言い切る根拠は、日本が世界に誇る自然環境、歴史と日本人の基本的性格にある。

⚫︎「200年以上」の長寿企業が3000社以上
 2008年5月14日。韓国の中央銀行である韓国銀行は、「日本企業の長寿要因および示唆点」と題する報告書を発表した。この報告書によれば、世界で創業200年以上の歴史を持つ企業は5586社(合計41カ国)あるという。

長寿企業が多い国ランキング上位6カ国は、以下の通りだ。

・6位 中国 9社
・5位 アメリカ 14社
・4位 フランス 196社
・3位 オランダ 222社
・2位 ドイツ 837社

 そしてダントツの1位は日本で、3146社。

 さらに、世界で最も長寿な会社のトップ3も日本にあり、中でも578年創業の建設会社、金剛組は世界最古の企業だと紹介されている。
 さらにさらに、日本には、
創業1000年を超える企業が7社、
   500年以上が32社、
   100年以上の企業になると、5万社余りもあるのだという。
 そのうち、従業員10人未満、年商10億円未満と、中小企業が大半を占める。

 ちなみに韓国には200年以上続く会社は無く、100年以上続く会社も2社。
ヨーロッパにも100年以上続く会社は6000社ほどしか無い。

⚫︎1人のカリスマだけでは会社は続かない
 企業を存続させることは簡単ではない。
 しかも100年、200年となると、不況だけではなく、震災や、戦争といった想定外の出来事だって起こる。時には経営センスがあり、自流を掴む経営者が出てくることもあるだろう。しかし創業者の運がいくら良かったとしても、カリスマ的存在であっても、天才的経営手腕の持ち主であっても、事業承継がうまくいかなければ企業が永く存続することはできない。

 その類まれな業歴100年以上の企業が日本には、万単位である。
世界一大きな時価総額の会社はアメリカにあるが、世界一長寿な会社は日本にあるのだ。

一体なぜ、日本にはこれほどまでに長寿企業が多いのだろうか。

⚫︎「日本人は真面目で勤勉」という評価
 先の韓国銀行の報告書ではその理由として、日本が島国で永年他国の支配を受けることがなかったことや、職人を尊重する社会的雰囲気などの影響を挙げている。
 また、日本経済が1980年代の円高やその後の長期不況から脱した理由を、素材や部品分野で最先端技術を保有する長寿企業の役割が大きかったとしている。

 さらに、日本企業が長い歳月にわたる困難に耐えることができた秘訣として、

・本業重視
・信頼経営
・透徹した職人精神
・血縁を超えた後継者選び
・保守的な企業運用

などを挙げた。

 日本人は、真面目で勤勉。もらっている給与の額に限らず、仕事に手を抜かず、ものごとに一途に打ち込む国民性がある。
 例外は必ずあるとはいえ、この性格は現在でも世界で聞かれる日本人への評価だ。

⚫︎長寿企業に育つには「理念」が必須
 長寿企業には,近江商人に伝わる「三方よし」に見られるように,「売り手と買い手が満足するのは当然。さらに社会に貢献できてこそよい商売である」という経営哲学が必ずある。

 店の看板、暖簾を大切に守り、会社の社風、文化、ブランド、商品、社員を育て、それを良い状態で次の世代に渡すことが美徳とされてきた。

 ところがここ数十年,この長寿企業が守り継いできた強みが,日本企業から失われつつある。
 日本経済新聞が1996年に新設法人8万社の企業生存率を調査したところ、1年後には60%に、10年後には5%に減少という結果が出たのである。10年続いた会社は、20社に1社しかなかったのだ。

 これら多くの会社が存続できなかった理由を突き詰めると,一つの根本原因に突き当たる。
その事実とは、確固たる「理念」が無かったこと。たとえあっても、それが形骸化して失われてしまったこと。

 思い出していただきたい。

 先の韓国銀行がまとめた報告書や「三方よし」などに見られる、長寿企業に共通する「自分も顧客も、社会の豊かさをも願う生き方、働き方」。
 このような姿勢は、実は神仏を尊ぶ歴史の中で培われたものであった。

⚫︎最澄が説いた「なくてはならない国の宝」
 日本の神とは大自然のこと。「自然の恵に感謝し、勤勉に働くこと」が神への奉仕だ。そして仏教は、慈悲心(思いやり)と智慧(社会を俯瞰、客観して捉える視点)、そして仏性(一人一人に備わった感性や能力)を励み育てよと説く、人格教育の教えだ。

 日本天台宗を開いた伝教大師最澄は『三家学生式(さんげがくしょうしき)』の冒頭に、「一隅を照らす」という言葉を残している。
「国の宝とはなにか。宝とは、道を修めようとする心である。

 この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。中国の昔の人はいった。「直径3センチの宝石10個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である。
(中略)
 このような道心ある人を、インドでは菩薩と呼び、中国では君子という。
いやなことでも自分でひきうけ、よいことは他の人に分かち与える。

 自分をひとまずおいて、まず他の人のために働くことこそ、本当の慈悲なのである」

⚫︎伝教大師最澄(兵庫 能福寺)
 いつの時代も「人こそ宝」が真実である
この『三家学生式』は、最澄が人々を
「一隅を照らす」とは、一つの隅を照らすように生きること、つまり私たち個々が各々の仕事や生活を通じて、世の中の人のためになるように努力実行すること。

 そして「本当の宝とは宝石ではなく人である」という教え。
これは時代が変わっても、時勢が変わっても変わらぬ真実だ。

⚫︎「自分さえ富めばいい」という国の末路
 ところがこれを真顔で言う人は少ない。
政治家も、学者も、企業家も、投資家も、労働者も、芸能人も、スポーツ選手も、先生も、医師も、そして僧侶さえも、エネルギー資源や、金銀、通貨、株式などを「宝」だと考えている。

 もちろん、それも大切な宝だ。けれども、だからといってそれらを少しでも得ようと、自分だけが得ようと躍起になってきて、今どうなったかと言えばその末路が今日の「円弱」だ。

 資材も食糧も、外に頼り、お家芸であったものづくりも外に出してしまい、ついには「人」さえも外へ出ていき、さらには「希望」や「自信」すら失っている。

「円弱」日本にとって今必要なことは、各々が「宝」であることに気づき、その宝を磨き育むこと。つまり慈悲心と智慧と仏性を育むことだ。

「一隅を照らす」人と企業が未来を創る
「大きな権力や財力を持った人が大きなことをやらないと、『円弱』は変わらない」そう考えているならば、それは違う。

「一隅を照らそう」と自ら努力行動する人。
「一隅を照らそう」と自ら創意工夫を凝らす企業。

 それこそが日本の明るい未来を創っていくことを知ってほしい。
私たちの国にはそうやって、困難に耐え、危機を乗り越えてきた先人と長寿企業の歴史があるのだから。


▶︎大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
 空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。僧名は大愚(大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意)。
 YouTube「 大愚和尚の一問一答」はチャンネル登録者数57万人、1.3億回再生された超人気番組。著書に『 苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『 最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『 人生が確実に変わる 大愚和尚の答え 一問一答公式』(飛鳥新社)。最新刊は『 自分という壁』(アスコム)。
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🚶⇆H六原,🚶⇆左岸47km碑 240517

2024-05-17 19:40:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…莵道太閤橋…太閤堤跡公園北側…余水路沿…H六原👫…🏠
🚶…右岸堤防道:河川敷道…隠元橋…左岸堤防道47km碑↩️…隠元橋…右岸堤防道…>
🚶11279歩2kg

☀️やや風強く心地よく散歩日和
 隠元橋25℃

先ずは買物荷物係,その後散歩。
 隠元橋東袂の草むらに青大将🐍1m位
今年2回目,素早く動く🐍さすが

🌔青空に十日夜月がホワイトムーン映える





青大将

十日夜月






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「王墓=権力の象徴」説は本当に正しいのか? 古代史ミステリーの「定説」を覆す 2024/05

2024-05-17 03:08:14 | なるほど  ふぅ〜ん

「王墓=権力の象徴」説は本当に正しいのか? 古代史ミステリーの「定説」を覆す
  現代ビジネス より 240517 河野 一隆


「王墓はなぜ築かれたのか」

⚫︎「王墓=権力の象徴」説は本当に正しいのか?
 エジプトのファラオが築いたピラミッド、中国の皇帝たちが造った山陵など、人類史には王の埋葬のためのモニュメントが数多くある。
 それらは、王が自らの権力を誇示するために築造したと考えられてきた。
したがって「王墓の大きさは権力の大きさに比例する」「王墓は王の権力の象徴にほかならない」という理解が常識とされており、教科書にもそう書かれている。しかし、それは本当なのか?
 この定説に真っ向から反論した話題の書『王墓の謎』から、王墓が築かれた真の目的をさぐる!

*本記事は河野一隆『王墓の謎』から抜粋・再編集したものです。

⚫︎古代の人々は、巨大な墓をなぜ築いたのか
 私が王墓と初めて出会ったのは、小学校の修学旅行の時だった。その頃の定番の行き先は京都・奈良である。どのような経緯で選ばれたのか知る由もないが、行程の中に奈良県天理市の崇神天皇陵古墳(行燈山古墳)が含まれていた。
 教科書で仁徳天皇陵古墳(大山古墳)を真上から撮影した写真しか見たことがなかった私は、巨大な古墳の迫力とその前面に広がる周濠に圧倒された。

「古代の人々は、こんな巨大な墓をなぜ築いたのだろうか?」それは小学生にとっては答えようもない難問だった。
 その後、古墳文化の中心地でもある京都で考古学を勉強し、実際の古墳発掘にも参加した。謎の正体に少しでも迫りたいと考えたからだ。
 私が発掘調査や遺物研究に明け暮れた1980年代から2000年代にかけて、バブル経済から低成長の時代へ至る社会の劇変と足並みを揃えるように、考古学を取り巻く状況もがらりと変わった。

 連日、最古・最大の新発見で新聞の一面を飾った華々しい発掘調査の成果も、2000年に発覚した捏造事件を境に社会から厳しい目が注がれるようになった。そして近年は、私が考古学と出会った頃には想像もできなかったほど、一大古墳ブームの真っただ中だ。
 古墳女子に古墳フェス、埴輪をモチーフとしたゆるキャラも枚挙にいとまがない。それに応えるように、博物館の特別展も毎年のように開催されている。そのおかげで古墳が好きな人は格段に増えた。

⚫︎日本にある古墳の数は16万基
 ところが、肝心の「古墳=王墓は権力の象徴」という定説の方は、手つかずのまま変わっていない。いくら強大な権力者に命ぜられたとしても、日本各地に約16万基もあると言われる古墳を、なぜ人々は反乱もせず3世紀以上にわたって黙々と築き続けたのだろうか? 
 小学生の頃に抱いたこの疑問に対し、納得できる回答に出会えないまま約40年が過ぎた。

 2019年に転機が訪れた。古代メキシコをテーマとした特別展準備のため、メソアメリカ(メキシコおよび中央アメリカ北西部)の古代文化と巡り合ったことだ。当地に根付く生贄という、現代人から見れば凄惨な風習と向き合ううちに、メソポタミアや中国で見られる王墓に殉葬・犠牲を捧げる文化と通じるものがあることに気が付いた。
 そして、そこから、オリエントや東アジア、新大陸などの各地域に広がる「見せる埋葬(Displayed Burial)」の比較考古学が成立することを着想するに至った。
 本来、埋葬は人目から隠されるものでなければならない。そうではなく、埋葬をあえて見せつけるような、人類史上で見ても特異な社会が、自然環境や歴史・文化の違いを超えて成立した理由を、王が権力を誇示するためですべて済ませて良いのだろうか? 
 否、王と社会、王墓と神の関係をもっとダイナミックに捉えるべきではなかろうか。

さらに、こう言っても良ければ、目が曇っているのは資料に向き合う私たち考古学者の方で、王墓に埋葬された人物を強大な権力者としか捉えられなくなってしまっているのではなかろうか?

⚫︎王墓は過去からのメッセージ
 本書では各章で謎を提起し、それぞれに回答していくことを通じて、王墓にまつわる特質のさまざまな面に光を当てる構成とした。

(1)王墓の謎とは何か?
(2)王墓は誰の墓なのか?
(3)王墓は都市文明の副産物なのか?
(4)王墓の規模は、なぜ断続的に大型化したり縮小したりするのか?
(5)王墓にはなぜ高価な品々が副葬されたのか?
(6)王墓はなぜ時代・地域を超えて築かれたのか?
(7)王墓はなぜ衰退したのか?
(8)王墓が解体すると、なぜ国家は成熟するのか?
(9)王墓が人類史にもたらしたものは何か?

 以上の問題提起は、「王墓=権力の象徴」というステレオタイプな理解で停止してしまっている私たちの思考を根本から問い直すものだ。

 王墓とは、王自らの権力欲のために築かれたものではなく、人々が自ら進んで社会の存続を王に託した時にはじめて誕生する、過去からのメッセージではないか、私はそう考える。
 この逆転の発想に立って、王のための墓造りが続けられた社会を、定説とは異なる立場から捉えてみたい。本書『王墓の謎』は、筆者のこのような信念に基づいた思考実験の書なのである。
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『ブラタモリ』で疑問を投げかけた「なぜ歴史ある神社は活断層帯の上に鎮座しているのか」に迫る一冊 2024/05

2024-05-17 01:19:06 | 📗 この本

タモリが『ブラタモリ』で疑問を投げかけた「なぜ歴史ある神社は活断層帯の上に鎮座しているのか」に迫る一冊『火山と断層から見えた神社のはじまり』蒲池明弘
  ColorFul より 240517  蒲池明弘


『火山と断層から見えた神社のはじまり』蒲池明弘

 各地で巨大噴火が起き、大地は生き物かのように動く。それが火山地帯に属する、太古の日本列島の姿。
 災害である一方、人類にとっての恩恵ももたらす地球の営み。NHK『ブラタモリ』でタモリさんも語った、有名神社が軒並み「断層」の上に鎮座しているフシギ。『火山と断層から見えた神社のはじまり』は、境内の由緒書きよりもずっと古い「スーパー聖地」誕生の秘密を「地面」から探求する、本邦初公開の〈神社の地質学〉です。

関連:📗書籍情報『火山と断層から見えた神社のはじまり』著:蒲池明弘

文=蒲池明弘
 交通の便がよいわけでもなく、古代の都があった場所でもないところに存在する、由緒ある大規模神社。「パワースポット」としても人気ですが、誰かがそこに決めたわけでもありません。しかし、その地に誕生した確かな理由が必ずあるはずです。「なぜ? いつから?」そこにあるのか、キーワードとともに迫ってみました。知れば知るほどおもしろい!


●キーワード1「荒ぶる大地とその恵み」
 地球上において稀な、4つものプレートがせめぎ合う日本列島は、必然的に世界でも有数の火山地帯です。日本列島の住民は火山の噴火を荒ぶる神の怒りとして恐れ、鎮静であることを祈りました。
 富士山本宮浅間大社や阿蘇神社は山体や火口そのものをご神体として仰ぐ火山信仰の神社です。

 火山は人類にとって恐るべき災厄の源である一方、恵みをもたらす存在でもあります。火山に由来する鉱床は、金、銀、朱(水銀)をはじめとする金属資源の宝庫でした。さらに、温泉や神秘的な風景美も火山活動の恩恵です。果たして、そうした土地を前にして、古代人はどんな思いを抱いたでしょうか。

 およそ1500万年前という途方もない昔、列島史上最大といっていい超巨大噴火で形成されたのが熊野カルデラです。那智の滝、神倉神社のイワクラなど熊野を特徴づける巨岩は、このときのカルデラ巨大噴火によって形成された火成岩です。熊野エリア全体が、その太古の巨大噴火によって形成された火山の聖地であるといえます。

 1500万年前という年代は、ユーラシア大陸の東端が剥がれて、日本列島の原形ができたころです。ちょうど同じころに活動した火山の跡が、出雲地方にもあります。決して有名とはいえない、島根県松江市にある花仙山です。今は標高200メートルほどのかわいらしい形をなす山ですが、あまりに巨大な噴火を繰り返した結果、山容が吹っ飛んでしまった結果なのです。


●キーワード2「宝石、鉱石」
 花仙山は、勾玉や管玉など玉作りの原料である玉髄・メノウの採取地でした。当地は古墳時代以降、国内最大の玉作り産地となり、ヤマト王権の歴史と濃密にむすびついています。
 玉髄・メノウは赤、青、黄色などさまざまな色合いをもつ美しい鉱物ですが、それに加えて、非常に硬い石でもあります。そのため、出雲を中心とする山陰、山陽地方では、縄文時代よりも古い旧石器時代から、玉髄・メノウが石器素材として使われていたことが判明しています。

 考古学の最新のデータでは、当地における玉髄石器の出現は、10万年ほども前とされる砂原遺跡(島根県出雲市)の年代にさかのぼります。「国内で最古」と考えられている石器がこの遺跡から出土しているのです。

 さて、ところかわって諏訪地方は全国有数の黒曜石産地としても知られています。そばにそびえる八ヶ岳は気象庁が指定する活火山のひとつであり、黒曜石は火山活動にともなって形成される火山岩の一種です。本書では、それが諏訪信仰の歴史といかに関わるかについても検証しました。

 今ひとつ例を挙げれば、伊勢地方は国内有数の辰砂(朱の鉱物)の産地です。辰砂とは、神社の鳥居などをいろどる朱色の塗料となる鉱物ですが、水銀の原料でもあるので水銀朱とも呼ばれています。
 辰砂、水銀は、不老長寿をうたう古代中国の神秘的な医学で珍重されていました。非常に高価な天然資源だったのです。日本列島は東アジアでは希少な辰砂の産地なので、弥生時代、邪馬台国の時代から平清盛の日宋貿易のころまで、辰砂、水銀は貴重な輸出品でした。
 辰砂も金や銀と同じく、火山活動にともなう熱水鉱床として形成されます。伊勢神宮の歴史の遠景にも、太古の火山活動が見えるのです。


●キーワード3「温泉」
 花仙山のふもとにあるのが、観光地として有名な玉造温泉です。「出雲国風土記」にもしるされているこの古い温泉は、出雲大社の宮司をつとめる出雲国造が、代替わりのときに潔斎することが定められていた神聖な場所です。
 諏訪大社の鎮座する諏訪地方は、温泉観光地という印象は薄いかもしれませんが、実は熱海、別府に匹敵するほどの湯量を誇る温泉地です。
         (諏訪湖間欠泉)
 世界遺産となった熊野本宮大社の鎮座地の周辺は、古代にさかのぼる有名な温泉エリアです。熊野カルデラ(あまりに昔のことゆえ今は痕跡が乏しいのでピンとこない向きも多いでしょう)の亀裂をとおして、摂氏90度以上の温泉が現在も湧出していると説明されています。


●キーワード4「断層」
 日本列島は世界屈指の活断層エリアであり、「地震列島」の異名をもちます。地震は百害あって一利なしの絶対悪のように思われがちですが、こちらにも恵みの一面はあります。

 億年単位の過去からの断層活動すなわち地震のくりかえしによって、直線的地形(リニアメント)の山並み、谷筋が形成されています。諏訪をはじめ、その地形は自然発生した「道」であり、旧石器時代、縄文時代の人びとがその道を使って黒曜石や翡翠など貴重な鉱石を運び、往来しているのです。

 いよいよ、この記事の最大の主眼について述べますが、日本列島を貫く最大の活断層帯である中央構造線に沿って、諏訪大社、伊勢神宮など歴史ある神社が鎮座している不思議な事実があります。
 これについては、いみじくも本書の親本(単行本)発売2日後にあたる2021年8月21日放送のNHK『ブラタモリ』「諏訪~なぜ人々は諏訪を目指すのか?」の回で、タモリさんが言及されたので驚きました。本書217ページに掲載の「二大構造線に沿った神社と鉱物産地」とそっくりの図がテレビ画面でも紹介されたのです。
 タモリさんは「断層の上ってのは人が感じるのでしょうね」と諏訪の地に立って仰っていました。本書が追いかけたテーマもまさにそこです。出雲大社でも、参道と交差して「大社衝上断層」が走っています。
 なぜ人が祈り、祀る場所がそこなのか。原初的な理由がないはずがない。

 さきほど、伊勢の辰砂の話をしましたが、私たちは朱色の鳥居を目にするだけで聖なる気配を察知します。そうした感覚は、いつの時代にさかのぼるのでしょう。
 伊勢地方の辰砂は、朱色の塗料として縄文時代から利用されており、関東、東北にまで運ばれていた痕跡があります。朱の鉱石を求めて、列島各地の縄文人が伊勢を訪れていたこともわかっています。
 そこに伊勢神宮よりもはるかに古い、聖地としてのはじまりを見ることができるのではないでしょうか。

 という具合に、本書『火山と断層から見えた神社のはじまり』では、日本の大地の歴史から、各地の歴史ある神社について、誕生の秘密を探っています。古代史の謎が大好きな向きはもとより、『ブラタモリ』のファンだった方、考古学、パワースポット、パワーストーンなどに関心のある人に、ぜひともお手に取っていただきたい一冊です。

※『火山と断層から見えた神社のはじまり』は、21年8月発売の単行本『聖地の条件 神社のはじまりと日本列島10万年史』を改題して文庫化したものです。

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