人口問題について の控え
◉50年前から分かっていた少子高齢化問題、なぜ回避できなかったのか
(窪田順生氏)2019年 (2019/10/5)
「敬老の日」の昨日,この国の「敬老」の意味をあらためて考えさせられるニュースが。
2019年9月15日現在、65歳以上の高齢者は約3588万人、全人口に占める割合(高齢化率)は28.4%と過去最高となり、同じく高齢化が進むイタリアの23%を大きく引き離し、世界一に。
このポジションは当分続く。「平成30年版高齢化白書」によれば、日本の人口がじわじわと減っていく中でも、高齢者は「団塊の世代」が75歳以上となる2025年に3677万人、その後も増え続けて42年には3935万人とピークを迎え、65年にはなんと日本人の2.6人に1人は高齢者になる。
◉日本の人口減問題はどうなる?
絶対数が多い少ないは別にして、目上の人を敬うのは人として当然だが、現実問題としてこれからの日本のリソースでは「敬老」したくてもできない、と言いたいのである。
例えば、増えるシニアたちを将来的に養う子どもたちを見れば分かりやすい。2018年4月1日時点の15歳未満人口は1553万人。これは全人口の12.3%と過去最低で、同じく少子化が進む韓国(13.1% 17年推計)、ドイツ(13.2% 16年推計)上回って世界最低の水準だ。そして、このポジションもしばらく続き、高齢者がピークを迎えるあたりの2040年になると1194万人まで減少する。
こんな調子で年々減少していく、絶滅危惧種のような若い世代が、果たして自分たちの3倍以上も世に溢れかえるシニアを心の底から敬い、大事にすべきと思えるだろうか。彼らの豊かな老後のため、今以上に重い負担となる社会保障費を払おうと思えるだろうか。
思えるわけがない。それどころか、今一部の若者たちが感じている「オレらは年金もロクにもらえないのに、高齢者はガッポリもらってズルい」という不平不満がさらに強まっている可能性のほうがはるかに高いのだ。
◉50年以上前に、現在の「危機」を正確に予見
そもそも、1964年から定められた「敬老の日」は、1950年に兵庫県で制定された「としよりの日」にルーツがあるのだが、当時の高齢化率は4.9%。そのように老人がマイノリティだった時代に生まれた「敬老の精神」が、高齢化率28.4%の現代社会になってもまったく変わらないほうが無理。時代が変われば、人々の考え方も変わるのは自然の流れ。
裏を返せば、変化を受け入れず、時代遅れの考え方を押し通すと言うのは自然に逆らう行為で、どこかで必ず破綻をきたす。「どんなに時代が変わっても変わらないことがある」「オレたちが若い時はそれが普通だ」なんて若者に説教するおじさんたちのやることが往々にしてロクなことにならないのは、これが理由。
実はそのロクなことにならなかったことの最も分かりやすいケースが、少子高齢化問題だということはあまり知られていない。「限界集落だ」「人口フリーフォールだ」なんだと近年大騒ぎになっているので、この現象を最近になって分かったことだと思っている方もいらっしゃるかもしれないが、実は今のような有様になることは50年以上前から分かっていた。
◉高齢化の推移と将来推計(出典:平成30年版高齢化白書)
例えば、1967年4月27日の「ふえる老人 減る子供 人口問題をどうする 厚相、審議会に意見きく」という読売新聞の記事では、以下のような厚生省人口問題研究所の推計が掲載されている。
「総人口は約500万人ずつ増加しているが、これも昭和80年:2005(一億二千百六十九万人)をピークとして減少に転じる。(中略)昭和90年:2015には幼少一七%、成人六三%となり、老齢人口が二〇%を占めるという」
昭和80年にあたる2005年の人口は1億2777万人で試算よりも増えているが、昭和90年にあたる2015年の15歳未満は12.5%、65歳以上は26%となり試算よりも深刻なことになっている。
我々は50年以上前に現在の「危機」をある程度正確に予見していたにもかかわらず、この50年でそれを回避することができず、しかも予想よりもひどい状況に陥っているのだ。もちろん、過去50年、少子高齢化に対して何もしてこなかったわけではない。政治家、霞ヶ関のエリート、頭脳明晰な専門家らが延々と議論を繰り返して、さまざまな取り組みを続けてきた。が、一方でその努力をすべてチャラにしてしまう誤った政策も50年間続けてきたということだ。
人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい
では、それは何かというと、とにかく中小零細企業を保護して増やすことに注力するあまり、「賃金を上げる」ことを軽んじて、社会全体で後回しにしてきたことである。
なぜこうなってしまったのかというと、「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」という戦争学をベースにした古い経済原理こそが正しいと信じて疑わぬ「思い込み」だ。
本来、人口減少に対しては生産性を上げる、つまり賃金を上げることが有効なことは言うまでもない。人口が減少して社会保障やインフラの負担が上がるので、それに伴って収入を増やしてやらないことには、労働者の生活はいつまでたってもラクにならない。ラクにならないので、結婚や子どもをもうけるハードルが上がる。
しかし、日本はご存じのように、「賃金を上げたら会社がバタバタ潰れておしまいだ!」とヒステリックに叫ぶおじさんが政財界で幅をきかせてきたので、他の先進国が順調に賃上げしていく中でも、時代の流れに逆らって、ビタッと低賃金を固定させてきた。
◉「賃金を上げてはいけない」といった声は多い
少子化にしてくださいと言わんばかりなところに、さらに拍車をかけたのが、1980年代から始まった大量の外国人労働者の受け入れ。
これによって、日本人よりも低い賃金と低い待遇でコキ使えて、文句を言ったら容赦なく切り捨てる労働力が日本に大量に流れ込み、本来ならば潰れるか、より大きな規模の会社に統合されているはずの「低賃金に依存する中小企業」が大量に世に溢れかえったのである。
このように「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」という考えに基づく施策が、ことごとく裏目に出て、むしろ人口減少のエンジンとなってきた、ということは安倍政権が外国人労働者と同様に力を入れる「女性活躍」を見てもわかる。
2018年12月に発表された、世界経済フォーラム(World Economic Forum)の「The Global Gender Gap Report 2018」によると、各国の男女格差を測ったジェンダー・ギャップ指数において、日本は144カ国中110位である。
このジェンダーギャップを埋める、つまりは賃金を上げないで、世の女性にもっと働きなさいと促したところで、男性よりも低賃金でこき使える安価な労働力を市場に増やしているに過ぎないので、賃上げを阻む圧力にしかならない。当の女性たちも、ワンオペ育児で疲弊しながら働いていてもなかなか賃金が上がらないので心身が壊れていく。自分一人でもギリギリなところ、出産育児まで手が回らないのだ。
◉「世界一の少子高齢化」を招いた原因
このように人口減少に対して「賃金を上げる」という最も効果的な施策から硬くなに目をそらして、「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」と安易な施策を50年間続けてきた結果が、現在のような「世界一の少子高齢化社会」なのだ。
では、我々はいつからこのしょうもない「思い込み」にとらわれているのか。いろいろな意見があるだろうが、やはり以下のような、戦前の「産めよ増やせよ」という国民教育が尾を引いているのではないかと思う。
◉「戦争とお産 人口減少が恐ろしい 古代ローマは如何にして亡びたか」(読売新聞 1937年8月18日)
ここでは人口減少が国家の滅亡に通じるとして、日本の人口の自然増加数も減ってきている事実を「一般の婦人の方々はよく知られる必要はないでせうか」と締められている。この「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」という思想が、戦後のおじさんたちにも脈々と受け継がれているのは、脂ギッシュな政治家たちが「子どもを産む機械」とか口走ったり、「早く子どもを産め」なんて女性議員にヤジを飛ばしたりすることからも明らかだ。
こういう思考回路なので、日本が直面する人口減少の解決策も、まるでコピペしたように戦前と変わらぬ解決策が出てくる。
第二次世界大戦が勃発した1939年、生産性向上を掲げる日本では現代のように「人手不足」が叫ばれていた。特に深刻なのが、炭鉱だった。3K労働の極みなのであまりに若者の人気がないので知り合いを通じて働き手を探す縁故募集が主流だったが、そのあまりの強引ぶりに「往々にして誘拐募集といふが如き非難を受けた」(読売新聞 1939年5月22日)というほどだった。
そこで見かねた国が、縁故募集を禁止して国営職業紹介所を通じて募集をするということになったのだが、鉱山事業者側は「正面的募集によつて動員することは困難」「余剰労働力は今や枯渇している」(同紙)と反発し、当時の石炭鉱業組合会常務理事が人手不足を解決する切り札として、政府にこんな要請をしている。
◉それは、「半島労働力と女子就役の復活」(同紙)である。
「人口減少」の戦いも惨敗
いかがだろう。昨今政財界で叫ばれる「外国人労働者活用と女性活躍」と丸かぶりではないか。
「男子鉱山労働者が容易に得られざることと、我国においては夫婦共稼の慣習があり女子にして入坑を嫌がらぬものがある」「炭鉱は過去において半島人労役を利用することに深い経験を有している」なんて感じで、現在と同じくさまざまな理屈を並べているものの、とどのつまり頭数が足りないから、確保しやすいところから労働力を引っ張ってくるという話だ。
「一億総活躍」なんて「一億玉砕」のリバイバルのようなスローガンを真顔で言っていることからも分かるように、日本のかじ取りをするおじさんたちの思考回路は、80年前から1ミリも変わっていないのである。
この「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」というこの思想こそが、実は先の戦争の最大の敗因でもあるといった指摘がある。評論家の山本七平氏だ。自身も幹部候補生少尉としてフィリピン戦線で従軍した経験のある山本氏は、捕虜収容所で兵士たちに何が日本の敗因かと質問をしたところ、ほぼ全員から「員数主義」という言葉が返ってきたという。
これは、日本軍の中でまん延していた考えで、とにかく数が合えば問題なしというもので、逆に言えば、数さえ合えばどんな不正も許された。
この員数主義が日本軍をむしばんでいた。だから、前線で兵士が全滅するようなところでも、とにかく数合わせのように人を送り込んだ。当時の日本のリーダーは戦争を、人の命が失われる殺し合いではなく、「減少したら頭数を増やす戦い」だと錯覚した。だから、玉砕や特攻という人命よりも「相手の数を減らす」ことに重きを置いた施策が生まれてしまったのである。
個人的には、この員数主義が令和日本のリーダーもドップリととらわれていると思っている。労働者が足りない、じゃあ外国人と女性の活用だ。なんなら元気なシニアも働いてくれ――。
こんな調子でいけば、「人口減少」の戦いも先の戦争と同じ結末をたどる可能性が高い。
孫や子どもたちの世代から「どうして令和の日本人たちは、あんなバカな判断をしたのか」なんてあきれられないためにも、いい加減そろそろ「人が減ったらとにかく頭数を増やせばいい」という古い考え方をあらためるべきだ。
💋学生運動でマルクス主義が主流だった¿頃、当時の世界の共産主義国を見れば…共産主義はあり得ない…そして性格的にも多数派に懐疑?で、人口=社会力で基本的に「マルサスの『人口論』」に学生時代感銘,で,今の日本を心配。
分かっていて何もしない行政の不作為、又は変ガクのお偉い官僚、政治家に溜息。マスゴミはきれいごと,首都圏集中で地方の人口減を外人観光客増で誤魔化す… 人口=国力。歴史に学ばない輩が権力者…